第2話 制服とスコアブック

小学四年生の頃、グンと一気に背が伸びた私。

当時、周りのみんなより頭ひとつ分くらい背は高かったけれど、今は大したコトはない。どんどん男子に抜かれていってしまった。

身長百五十五センチ。あと十センチは伸びて欲しかったなぁ…。

でもそれは、欲張りすぎかな?


女子の成長期は小学四年生くらい。

男子より女子の方が、成長期が早くやって来ると保健体育の授業で言っていた。

私もその通り、その頃グンと成長した。

中学二年生くらいに男子は一番成長するらしい。ちょうどそれが今だ。

心も体も成長するこの時期。異性を意識して、髪型や服装を気にし始める。

女子だって負けていない。雑誌を片っ端から捲り、お洒落に余念がない。


お洒落にも勿論、関心はあるけれど…やはり私は野球の方が好き。

小学生の頃は、父親の草野球に連れられて自らバットを握っていたし、放課後は男子と一緒になって毎日、草野球に明け暮れていた。

でも今は実際には、やったりはしない。バットをペンに持ち替えて、野球を続けている。


ペン?そう…今はスコアブックにペンを走らせている。

父親の野球チームで、スコアラーまがいのコトをやらせて貰っている…というわけだ。


スコアブックというのは、試合中の選手の行動を記録していくモノ。

ボール・ストライクや打撃内容、ランナーの動きや投手交代などを事細かに録っていく。ひとマスの中に一球一球のカウント、打球の行方・走塁などが記録される。


例えば、三振は「K」と表すし、ホームランは「/」で一周を囲む。真ん中に「●」を印すのがホームイン。つまり「◇」の中に「●」がある…というイメージになる。


色々と初めは難しかったけれど、慣れればなかなか面白い。

後になって、スコアブックを見るだけで試合の流れも判るわけだ。


中学生になっても野球は続けたかったけれど…、まさか野球部に入れて貰うワケにもいかないし、ソフトボール部?!とも考えたけれど、微妙にイメージが違う。判るかなぁ…。

それに、まだまだ女子野球部なんて…なかなか少ないし…。当然うちの中学にはない。


今、そんな私の目の前に野球部の男子が立っている。

「ちょっと…いい?」と連れて来られた、階段の踊り場。

「久し振りだね…こうやって話をするの」

「うん…」

タケシだ。何処となくお互いぎこちない。

隣の家に住んでいて、幼稚園からずっと一緒だったタケシ。父親の野球チームについて行って一緒に野球を習ったタケシ。学校に行くのも帰るのも一緒、

放課後の草野球も一緒だったし、チームもいつも一緒だったタケシ。

あの頃、背の低かったタケシも今では私と同じに背丈になっている。

やはり男の子…中学二年生成長期真っ盛りということだ。


「髪の毛…。あれからずっと短くしたままだね?」

異性を意識し始めた頃から、私は野球をしなくなったし、二人とも何となく疎遠になってしまった。ちょうどそんな頃、それまで長かった髪の毛を、私はバッサリと短く切った。

「うん…。さすがに野球はもうやっていないけどね…」

「…。オレは、野球…続けてる」

気不味そうにタケシは言った。

「うん、知ってる。レギュラーなンだよね?ショート守ってるんでしょ?」

「うん…」「で?久し振りに話って何?」

「…。これ…、頼まれたんだ…」

おずおずとタケシはポケットから、一通の封筒を取り出した。

「これ。ワタナベに渡して来てくれって頼まれたんだ…」

気不味そうに、封筒を私に差し出した。


  ずっと「ユイ」と呼んでいた私のことを、

  中学二年生のタケシは「ワタナベ」と呼んだ…。


「ふぅ~ん…。そうかぁ…。わかった…」

頼まれて…タケシが持ってきたラブレターを、私は受け取った。

「…。で、今って、ワタナベは好きなやついるの?」

気不味そうに、タケシが聞く。

「…。それも、聞いて来てくれって頼まれたんだ?」

私は聞き返した。少し嫌な気分になる…。

「いや…。そこまで聞いて来てくれと…頼まれては…」

またしても、タケシは気不味そうな顔をした。

「ふぅ~ん…。そう…」


「…。どうかなぁ~」

私は曖昧な返事をした。もう、私はそこから立ち去りたくなった。

「…。もういいかな?」

「………」

タケシも、やはり気不味そうにしている。

気不味そうな顔ばかりしているタケシの顔も、もう見ていたくない。

「…。それじゃあ、そのトモダチにありがとうって伝えてね…」

私はそこから立ち去ろうと、踊り場の階段を上り始めた。

タケシに渡された、"トモダチからの"ラブレターを手にして…。


「あのさぁっ?!」

数段下から、タケシが言った。私は一瞬、足を止めて振り返る。

下から、こちらを見上げるタケシ…。

「今週の土曜日…。試合があるんだ…。み、観に来ないかな?」

「試合?ドコと試合するの?」

何処の学校との試合だろうが、それはどうでもいいことだったけれど…。

「隣の八中との試合なんだ。ウチの校庭で…土曜日、昼過ぎから」


「ふぅ~ん…。考えておくね…」

そう答えると、私は階段を上り始めた…。

そのまま振り返ることもせず、教室に入って行った…。


実はうちの野球部の試合を観るのは初めてではなかった。

いつだったかは覚えていないけれど、たまたま校庭で試合をしているのを見かけたことがあった。でも、それも去年のことでタケシは試合には出ていなかった。ベンチで先輩たちの試合を応援していた。


飛び抜けてタケシは上手いわけではなかったと思う。

中学に入ってからの野球は見たことがないけれど。



言われていた土曜日…。

私は試合を観る為に休みの学校へと足を運んだ。試合は既に始まっていた。

小さな黒板に書かれているスコアボードで試合の状況を確認する。

二対一。うちの中学は一点差で負けていた。試合は四回裏、こちらの攻撃だった。

私は、うちの野球部側のベンチに寄って行った。ベンチには、当然タケシの姿もあった。

「あ…。観に来てくれたんだ…」

同じクラスの男子が気がついて声をかけた。私は笑って、手を軽く挙げ聞いてみた。

「スコアって録ってるの?」

「あっちで先輩が録ってるよ…」と彼の指差した先には、ノートを手に試合を見ている三年生が居た。私は近づいて行く。


「すみません…。スコア見せて貰えますか?」

私はその先輩の横からスコアブックを覗き込んだ。

「K」の文字が四つ見える。三振四つということだ。こちらの得点は、相手のエラーによって得た一点だった。二回裏にタケシの打席が廻ってきていた。

スコアは…。


   ●○×●△△△△× K


ボール・ストライク・空振り・ボール・ファール・ファール・ファール・ファール…空振り三振という意味。


「イノウエ君、結構粘ったンですね?二回裏…」

私は思わず言った。『イノウエ』というのがタケシの苗字だ。

「そうなんだよ…。何か今日、俄然熱くなっちゃってさぁ…アイツ」

スコアを録り損なわないように、試合とノートに交互に目を遣りながら、その先輩は言った。

「相手のピッチャーも二年生なんだけど…、どうやらイノウエの知っているヤツらしくてさ…。結構、速い球投げるんだよネ…。小学生の時リトルリーグに居たとか…」

私はマウンド上の相手中学のピッチャーに目を遣った。


「?!」知っている顔だった…。

アキラ君…小学四年生の時にクラスにやって来た転校生。

一度だけ…たった一度だけ放課後にみんなで一緒にやった草野球で、ピッチャーをしていた。

その転校生の速球を…"オンナ"の私が大きくクリーンヒットしてしまった経験がある。


「何か、凄い気迫なんだよなぁ…イノウエ。絶対、今日は打ちますよ!とか言っちゃってさぁ…。いつも、あれくらい一生懸命やってれば、もっと上手くなるのに…」

「ふぅ~ん…」

私は、ベンチ前でバットを持ったまま打席へと声援を送っているタケシに、目を遣った…。


この回先頭打者は、何度もファールを続けたが結局三振。

六番バッターが次の打席に入る。それに合わせ、タケシはベンチから立ち上がり、何度か素振りをした。投球に合わせてタイミングを計っている。

その時、ふとタケシと偶然に視線が合った…。

小さく頷くタケシ…。

「あいつ…。オンナの子が観に来てるもんだから…調子に乗って…」

六番バッターのスコアをつけながら、先輩が笑った。


バッターの振ったバットに、かつての転校生アキラ君の速球は当たったが、

その打球は大した勢いもなく三塁前に転がった…。軽妙な動きで、そのゴロを捌く三塁手。そのまま一塁へと送球して、敢え無くアウトとなった。

これでツーアウト。


タケシの打席が廻ってきた。

ブンブンッと、何度もバットを振りながら打席に着くタケシ。

かつての転校生ピッチャー、アキラ君もスパイクでマウンドを慣らす。

構えるタケシ。振りかぶるアキラ君…。

大きくアキラ君の足が上がっていき、第一球が投じられた。

飛んでくる速球…。踏み込んで、廻されるバット…。


チッ!

小さく鋭い音を立ててバットはボールに掠ったが、前へと飛ばすことはできなかった。

相手ベンチ前に転がっていくボール。審判より新たなボールがアキラ君へと返された。時間を置かず二球目を構えるアキラ君。休む間もなく大きく構えるアキラ君の姿は、小学四年生の、あの頃と変わらない。

第二球…。


「打て~っ!」


気がつくと、私は思い切り叫んでいた…。

隣でスコアをつけていた先輩も驚いて手を止め、こちらを見る。

キンッ!と先程よりも大きくバットは音を立てたが、打球は一塁線ファールグラウンド、ベンチ前を素早く飛んでいった。先程よりもタイミングは合っている。

「いけますネ…」思わず言った私。

「うん。この打席は期待できそうだ」と隣の先輩も頷いた。


再度、審判より返されたボールを、アキラ君は何度も何度もグローブへと叩きつけた。

さぁ、三球目。私がかつてこの転校生ピッチャーから打った…あの時も三球目…。変わらず大きく振りかぶり、三球目が…投げられた。

私も思わず拳を握り締める…。


カキーーンッ!

甲高い音を立て、白球を金属バットが引っ叩いたっ!

真っ白なボールが空へと高く…ゆっくりとライトに向け弧を描き舞い上がる。

ホームベース寄りに浅く構えていたライトの頭上を越えていく。

ベンチからは大きく歓声が上がった。

「おぉ~~~っ!」「いいぞっ!」

私も立ち上がり、何度も何度も手を叩く。


勢いよく一塁ベースを廻り、二塁ベースへと走っていくタケシ。

あの時、私は踏めなかった…二塁を廻り、さらに三塁へと進む。ようやく打球に追いついたライトが三塁に向けて、ボールを返球。滑り込むタケシ。ボールをキャッチし素早くタッチする三塁手…。滑り込んだ砂埃で一瞬、ベースが見えなくなった…。

一瞬の沈黙、そして…。


「セーフッ!」

審判の高らかな声。三塁打となった!

起き上がりながらタケシの視線はまっすぐとこちらに向けられた…。

そして大きくガッツポーズ!


数日前の、あの気不味そうなタケシとは別人の様だった。

タケシは私に、これを見せたかったんだろう…。

これが見せたくて、今日の試合に私を誘ったんだ…。

私はそう確信した。




スコアブックでの記録は『三塁打』。

だけど私は、心の中のスコアブックに、「◇」と「●」としっかり書き込んだ…。しっかりと。

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