ショートカットとホームラン
宇佐美真里
第1話 踏めなかった二塁ベース
カタカタカタカタ!
ランドセルの中で、筆箱が音を立てる。学校の帰り道。みんなで走るいつもの帰り道。
黒いランドセルたちの中に、赤いランドセルが居る。
ユイのランドセルだ。
赤いランドセルの上で、後ろに結んだ長い髪が元気よく飛び跳ねていた。
いつもボクたちと一緒に遊んでいる仲間たちの中でも、ユイは頭ひとつ分、背が高い。運動神経もバツグンで、野球だってバスケットボールだって得意だ。
ユイはいつも言っている。
「家の中で遊ぶよりも、外で遊んでいる方が好きっ!」
今日もこれから、河原のグラウンドでみんなと草野球だ。
ユイとは幼稚園から一緒。
幼稚園からずっと去年まではボクとほとんど変わらなかったのに、四年生になった途端にユイは、背がぐんと伸びた。今ではボクと二十センチくらい差が開いている…。
ユイのお父さんは草野球をやっているので、彼女も小学校に入学する前からバットを握っていたし、隣に住んでいたボクも、よくおじさんに野球を教えて貰っていた。
でも、ユイの方がずっと上手いので、ボクは少し悔しい。
「じゃあなっ!また後でなっ!」
通学路の途中で、みんなは一斉に別々の方向に散っていく。
ボクとユイは、そこからも一緒だ。
「アキラ君ってさ?前の学校に居た時、リトルリーグに居たんだってさ!」
ユイが走りながら言った。
「うん。ピッチャーだったって言ってたよ!ボール、凄く速いらしいよ?」
アキラ君というのは、先週引っ越して来た転校生のオトコの子だ。
勉強もよく出来て、カッコもよくて、早速クラスの人気者になった。
もちろん体育の時間の人気も独り占めだった。
「ただいま~っ!遊んでくるね~っ!」
ボクは扉を開け、玄関から奥へとランドセルを放り投げると、傘立てに刺してあったプラスチックのバットと、その先に引っ掛けてあったグローブを手にし、玄関先に停めてある自転車のカゴにそいつらを突っ込み直して、サドルに跨った。
「待ってぇ~っ!」
グローブを手にして、隣の家からユイが飛び出して来る。そしてボクの自転車の後ろに跨った。
「よし行こうっ!」ユイは片手を挙げて合図をした。
二人乗りの自転車は河原へ向かう。
グラウンドには、もうみんなが集まっていた。
ジャンケンでチームを決める。野球の上手い二人がジャンケンをして、勝った方から一人ずつ指名してチームを決めていく。今日は全部で十人。五人ずつのチームだ。
ジャンケンをするのは、いつものユイと…今日は転校生のアキラ君だった。
ボクらがアキラ君と野球をするのは初めてだったけれど、リトルリーグに居たということでアキラ君が選ばれた。
ジャンケンで勝つと、何故かいつもユイはボクを最初に選ぶ。
また今日もボクはユイと同じチームになった。
ルールは普通の九人でやる野球と違って人数が少ないので、ピッチャーと一塁とその他が守備につく。キャッチャーは攻撃チームがすることになっている。走っているランナーにボールを投げてアウトに出来る。一塁だけは守備が居るので、打ったバッターには『投げ当てアウト』は出来ない。後のルールは、普通の野球と一緒だ。
ボクたちのチームは先攻になった。
ピッチャーマウンドには転校生アキラ君が登った。
ボクたちの一番バッターがバットを持って構える。
アキラ君が第一球を投げる。ビューーーーッと凄いボールが飛んできた。
速かった!さすがリトルリーグ…。投球フォームもバッチリだった。
あっと言う間に一番バッターは空振り三振…。
バットを握って二番バッターのユイが構えた。
一球目…空振り。二球目…ブンッ!という音と共に、再び空振り。
さすがは、リトルリーグ…。
休む間もなく、アキラ君は大きな構えから三球目を投げてきた…。
バチーーンッ!
鈍い音を立ててプラスチックのバットがゴムボールを引っ叩いた。
黄色いゴムボールが空へと高く、勢いよく弧を描いて飛んでいく。
ボクたちは大きな声で喜んだ!
「おぉ~~~っ!」「やったぜっ!」
みんな、手を叩いて喜んでいる。
ユイは勢いよく一塁ベースを廻り、二塁ベースへと走っていく。
その時…。
バンッ!という音と共に、グローブがピッチャーマウンドに叩きつけられた。
喜んでいたみんなの手が止まる。みんながピッチャーマウンド上のアキラ君に視線を向けた。
「何だよっ!スカート穿いてるやつなんかと遊べるかよっ!」
ボクらと初めて野球をする、その転校生は叫んでいた。
二塁に向けて走っていたユイもその足を止め、マウンド上のアキラ君を見つめる。
「オンナのくせに、野球なんかやってんなよっ!帰れよっ!」
そう叫ぶとマウンドに叩きつけたグローブをユイの方に向けて蹴飛ばした…。
みんなもビックリして、一瞬何が起きたのか解らなかった。
危ういところで、飛んできたグローブをユイは避けた。
それがまたアキラ君には面白くなかったらしい…。
「野球はオトコがやるもんだぞ!そんな長い髪の毛でスカートなんか穿いてやるもんじゃないやっ!」
そう叫ぶとアキラ君は、すたすたとマウンドを駆け下り、グラウンドの隅に停めてある自転車に跨って走り出した。
ボクたちは呆然と、その走り去る自転車を見つめるコトとか出来なかった…。
しばらく誰も口を開かなかったが、そのうち誰かが呟いた。
「帰ろうぜ…」
みんなは、黙って自転車で帰っていく。河原のグラウンドからは、ゆっくりと一人ずつ減っていった。
ボクも黙ったまま、後ろの荷台にユイが乗ったところでペダルに体重をかけた。後ろに乗っている間中、ユイはひと言も口を開かなかった。
家の前まで来ると、ユイは自転車から降りてボクに言った。
「また野球、できるよね?私…」
ボクは頷いた。「うん。大丈夫だよ…」
「タケシは、私が野球するのおかしいと思う?」ユイがまた訊いた。
ユイは悔しそうに目に涙を溜めながら、じっとボクを見つめている。
「別に…。おかしくなんかないよ…。ユイは上手いしさ…」
「うん…」それだけ言うと、ユイは家に入って行った。
翌朝、いつものとおり家を出てボクは驚いた。
隣の家から出てきたユイを見て、驚いた。
ユイの髪は、いつもの様に後ろで結んでいなかった…。
短く…オトコの子の様に短くなっていた。
そして、普段はスカートばかりなのに…、その日のユイはズボンを穿いていた。
「ど、どうしたの?」
「だって、スカート穿いて長い髪の毛で野球やるの変だって言われたもん」
「だから切ったの?髪の毛?」
「うん…。似合う?」
「う、うん…」
「よかった!タケシなら褒めてくれると思ったんだ!」
嬉しそうにユイは言った。
それなのに…。
学校に行くと、クラスの雰囲気がいつもと違っていた。
アキラ君の周りにいるみんながこちらを見る。何故かみんなよそよそしい…。
一時間目の授業が始まってしばらくすると、後ろの席の友達が、足でボクのイスをコンコン…と蹴った。
「?!」
小さく後ろを振り返ると、友達は目立たない様に小さく折りたたんだ紙をボクに差し出した。受け取って開いてみると、こう書いてあった…。
「オンナと仲良くするやつは仲間はずれだって」
ユイと仲良くしているのがいけないというコトだ…。
そういえばみんな、三年生になってからはオンナの子と一緒になって遊ぶことも少なくなった。オンナの子たちも同じだ。
「オトコってきたない!」とか「オンナはあっち行け!」などと言い合いばかりしている友達が増えた気もする。別にどうでもいいのに…と思う。
だけど…。
だけどボクは、仲間はずれは嫌だ…と思った。
その日の帰り、ボクはユイよりも早く学校を出た。
後ろから走ってくるユイ。
「どうしたの?」
「…。もう一緒に帰らないよ…」
「何で?」
「だって…」
ボクは立ち止まった。何で?と聞かれても、理由がよく解らなかった。
「ユイはオンナだから…」
口にしたのは、そんな言葉だった…。
じっと、ユイがボクを見る。黙ったまましばらく見ている…。
「ふぅ~ん…。そうかぁ~。寂しいな…。そうなンだぁ~、なんか寂しいなぁ…」
二回同じコトをユイは言った。
「…」
ボクは何も言えずにいる。
「そうかぁ~。じゃあ、明日から別々だね…」
そう、ユイは言った…寂しそうに…。
「…。う、うん」
「わかった…。…。バイバイ…」
そう言うと、ユイはボクをその場に置いたまま、振り返りもせず走って行ってしまった…。
ボクはユイと一緒に学校に行かなくなった…。
あの日以来、ずっとズホンを穿く様になったショートカットのユイも、みんなと野球をしなくなった…。そして、たまに教室でユイと目が合っても…、ボクたちはほとんど話をしなくなった。
ユイの…あのとき言った「バイバイ…」が、いつまでも頭に残っている。
思い出す度にボクは少し、胸の辺りがチクッと痛い気がしたけれど、何故痛いのかは、全然解らなかった。
ボクは…このとき、まだ半ズボンを穿いた小学四年生…。
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