第十五話 毛布と夜具にくるまって
今こうしているときですら、状況の整理がついていなかった。
死んだはずのガーフが、生きているのだから……。
幽霊でも見るような目で、ブルーはガーフを見る。
「どうしました?」
ガーフは何事もなかったかのように、いつもの間の抜けたしゃべり方に戻っている。今さっきまでの、人物とは別人のようだ。
「今さっき、刺されたよね……?」
おそるおそる訊くとガーフは大した話題ではないかのように、「はい、刺されました」と笑って答えた。
「どうして……生きてるの?」
キョトンとガーフは小首をかしげた。
「嫌だなぁ~、死にかけましたけど、私ははじめから死んでいませんよ」
「だけど、刺されてたじゃんッ」
「はい、刺されました」
同じ話の繰り返しになっている。
ブルーは意を決して、一番気になっていることを問うた。
「じゃあ、どうして刺されたはずの傷口がふさがってるの?」
ガーフが羽織っている薄汚れた緑色のマントは確かに真っ赤な血に染まり、背中も突き破れている。なのに、血は出ていないし、それどころか傷口すら、すでにふさがってしまっているのだ。
ガーフは間の抜けた表情を再び引き結び、ブルーに向き合った。
「今まで隠していたことを謝らないといけません……。もし、真実を告げれば嫌われてしまうと思ったのです……」
「何だよ……急に改まって……?」
ガーフの態度につられて、ブルーの表情が引きつる。
ガーフは何か大切なことを話そうとしているのだと、雰囲気で悟った。
固唾を飲み込み、話し出すのを待つブルー。
「私は……」
ガーフ苦悶に顔を引きつらせて、いった。
「魔物と人間のハーフなのです……」
ガーフは何を言っているのだろう?
魔物と人間のハーフ?
魔物と人間の間に生まれた子供……。
「魔物と人間のハーフ……どういうことだよ?」
ガーフが半人半魔だとは信じられなかった。
それもそのはず、ガーフの姿は人間そのままなのだ。
決して異形の存在ではない。
「……隠していて本当に申し訳ありませんでした……。話せば嫌われると思ったのです……」
ガーフは頭を深々と下げる。
どう言葉をかけていいのか、わからなかった。
「魔物の血を引いているゆえ、あれしきの怪我では死にません。大抵の傷は、すぐにふさがってしまいます」
「あれしきの怪我って……。腹突き刺されて、背中から剣が出てたじゃないか……」
心配に顔を歪めるブルーとは対照的に、ガーフは「ハハ」と微笑んだ。
「だから……その……ブルーくんには悪いと思いましたが、利用させてもらいました」
「オレを利用? どういうこと……」
いいずらそうにガーフはもじもじと、人差し指同士を合わす。
「私は死んだと思わせ、ブルーくんに標的が移るのを待っていたのです……。あのまま真正面からやり合ったとしても、私が負けていたかも知れません。今まで戦ってきた中で、一番強い相手でした」
考え深げにうんうん、と首を振りながらガーフは魔物が立っていた場所に歩み寄り、落ちていた指輪を拾った。
「それは……?」
ブルーはガーフが人差し指と、親指で大事そうにつまんだ、指輪を指さした。
「この指輪に、見覚えがありませんか」
ガーフは真剣な眼差しで、ブルーを諭すように訊いた。
そう言われると……どこかで見たような気もしないでもない、かもしれない……。くしゃみが止まってしまったかのような、スッキリしない感覚があるのだが、まったく思いつかない……。
しばらく、頭をひねっているとガーフがいった。
「パセリ、セージ、ローズマリーとタイム」
突然何を言い出したのかとブルーが顔を上げたとき、ふと霧が晴れたような、ピンと張っていた糸が切れたような、晴れた感覚が頭を駆け巡る。
「そうです。或る人に伝えに行きましょう。きっと彼女も待ち続けているはずです。彼が帰ってくるのを、今も、ずっと――」
魔物から逃げるため、気付かぬうちにずいぶんと森の奥深くまで潜ってしまった。自分一人だけなら、このまま出られなかったかもしれない。
ブルーはガーフにはぐれないように、緑の薄汚れたマントをつかんだ。
いや、すでに薄汚れている程度では済まないか。ガーフのマントは背中から裂け、赤黒い血で不思議な色合いになっていた。これでは、もう着ることはできないかもしれない。
「なあ」
ブルーはガーフのマントを引っ張り、言った。
「何ですか?」
「魔物を倒したんだから、父ちゃんは帰ってくるよな……? 殺されてたりはしないよな……?」
ガーフはブルーを心配させまいと、微笑みを浮かべていった。
「殺されてはいません。なぜなら、あの魔物は歯向かってくる者に襲いかかっていただけですから」
「歯向かう者だけ……?」
そうか……確かに魔物を見たとき、自分から先に切りかかっていた。
けれど、魔物は剣を携えていたのだ、あのままじっとしていれば殺されると思って当然だ。
「まあ、歯向かおうと、歯向かわなかろうと、どちらを選んでも魔物に襲われるのは変わりませんけどね」
ガーフは振り返り、おかしそうに笑った。
ブルーは苦笑いを浮かべて、全然おかしくないって、と抗議する。
「あの魔物は兵士を集めていたのです」
「兵士を?」
「はい。ブルーくんも聴きましたよね。ラッパの音を」
今でも耳にこびりついて離れない。
ラッパの悲しい旋律は。
「うん……聴いた」
「あのラッパの音は召集の合図です。四十年前の戦争のときに、あのラッパの音が各村で聴こえたと言います。その召集に従った者は戦地に赴き、従わなかった者は殺されたそうです……」
ガーフの声は悲しみに沈んでいた。
「確かに、歯向かおうと、歯向かわなかろうと、魔界に連れて行かれるのは変わらないね……。――じゃあ……。あの魔物は戦争で亡くなった人だったの?」
「はい。この世に強い未練を残し、森を彷徨っていたのでしょう。『或る人に私のことを伝えてください』きっと、あの魔物、いや、彼はずっとその或る人を、想い続けていたのです。魔物に身を落とす程に……」
「その或る人を想って、戦争が終わった後もずっと逢えずに彷徨っているなんて……悲しいね……」
「そうですね……悲しいことです……」
二人の会話が途切れると、辺りはしんみりと静まり返った。
このような話しをした後に、押し黙られるときつい……。
「ねえ」
「はい?」
「さっき訊き忘れてたけど、つまり父ちゃんは生きているんだね」
「来るときにダスティー様の荷車を見つけたでしょ」
遠くにイチョウ並木が見える。
どうやらやっと、森も終わりに近づいていた。
「うん」
「きっと、そこにいるはずです」
そう言うと同時に、森を抜けた。
イチョウの落葉が家路を示すように、村へと続いていた。
落葉を目で覆っていくと、目の前に見知った顔を見つけた。
それも、一人や二人ではない、五、六人もの人々が呆然と立ち尽くしている。その人たちは、数年前に姿を消したスカボローの村人たちだった。
その人たちに紛れ、ダスティーがいた。
ブルーは父を見つけるや否や、体が勝手に動き、駆けていた。涙を流しながら駆けてくる息子を、大きな腕で抱き留めて、お互いに涙を流した。
ガーフはそんな二人の姿を、ただ黙って見守った――。
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