第十四話 或る人に私のことを伝えてくれませんか――

 昼と夜が逆転したかのように、真っ暗になった。ガーフは腹部に走る激痛を感じながら、必死に意識を保つ。魔物が握る剣は、刻一刻とガーフの内臓を切り裂いていく。


 視界に見える魔物の剣に似た剣を、ガーフは知っていた。

 もはや、似たという域ではなく、生き写しも同じだった。


 体が灼熱の砂漠の中に放り出されたかのように、熱くなったと思うと、一転して、極寒の雪山を想起させるほどに寒くなった。


 体内の循環血液がとてつもない速さで、なくなっていっているのが自分でもわかった。


 胃が逆流し熱い何かが食道から、喉へ噴水のように湧きあがる。堪えきれなくなり、ガーフは込み上げる不快感をすべて吐き出す。


 真っ赤な鮮血が魔物の黒いローブを赤黒く染め上げた。

 赤い筋を刻み、口角を流れ落ちる血。

 剣が内臓をえぐりながら、深く突き刺さる。とうとう、ガーフの背を突き破り、刃先が頭を出した。


「ガーフッ――! ガーフッ――!」


 背後からブルーの泣き叫ぶ声が聞こえた。

 

「ガーフッ――! 死なないでくれッ!」


 段々と遠のく、声。空間が膨張して、ブルーとの距離が離されていくように、声がゆっくりと、けれど確実に遠のいていた。


「将軍は兵士に殺せと命じる――」


 ブルーの声とは対照的に、魔物の声は脳に直接語りかけているかの如く大きく響いた。鞘から剣を引き抜くように、魔物はガーフの腹から剣を抜き、空振りで血を払った。


 頭ではわかっているのに膝に力が入らず、前かがみに崩れ落ちる。

 青臭い草と土のにおいに加え、不快感をもよおす鉄のような臭いもした。自分の流した血が、乾いた大地の一部となり草木を潤す。


 ガーフの意識は遠のき、視界は外角から徐々に光を失う。かすむわずかな視界にとらえた魔物の姿は、悲しみに満ちていた――。




 ガーフは大地に突っ伏したまま、指一本動かなくなった。

 ブルーは現実を否定するかの如く、首を振り続ける。

 こんなの嘘だ……こんなの嘘だ……こんなの嘘だ……。


 何度否定しようとも、ガーフは起き上がることなく、動くことなく、しゃべることはなかった。これは、見まがうことなく現実だった。


 祖父の剣を強く握りしめ、ブルーは身動き一つできない。

 大切な人々を傷つけられ、心は溶岩のように煮えくり返っているのに、復讐するどころか罵倒を浴びせることすらできなかった。ただ、ガタガタと震える自分がいる。


 なんと情けないことか……。

 自分にもう少しの勇気があれば、祖父の剣を抜き放ち、復讐の化身となって、魔物に切りかかっていただろう。けれど、ブルーにはその少しの勇気が湧いてこなかった。


 たとえ大人だろうと、目の前で人が殺される光景を目の当たりにして、動ける人間が何人いるだろうか。握りしめた剣がカタカタと、恐怖とも怒りともつかない感情を代弁するように揺れていた。


 魔物はガーフになど目もくれず、無の構えでブルーにつま先を向けた。とてつもない威圧感を放ちながら、魔物はブルーにゆっくりと迫る。


 魔物から距離をとりたくとも、樹にさえぎられ、これ以上後ろに下がることはできなかった。魔物が放つ威圧感で、ブルーは押しつぶされそうで、息苦しかった。


 普段あれだけ偉そうにしていて、自分はこんなに弱い人間だったのか……。誰かを助けることも、護ることもできなかった……。ただ護られているだけ。


 ブルーは大地に倒れたガーフを、涙でかすむ視界にとらえた。

 自分がこんな馬鹿げたことを思いつかなければ、ガーフは死なずに済んだのに……。ガーフ……ごめん……ごめんよ……。どれだけ、詫びようともう手遅れだった。すでにガーフの瞳に、光はない。

 

 どうせ殺されるのなら、最後に一泡吹かせてやる、という思いはあるのにどうしても立ち上がれない。ブルーは何度も心の中で唱えた。立ち上がれッ、立ち上がれッ、立ち上がれッ。


 戦えッ、戦えッ、戦えッ。何度も何度も暗示をかけるように、自分に言い聞かせ、気持ちを奮い立たせる。


 唱えているうちに段々と魔物の威圧感が薄れていった。

 魔物は目と鼻の先にまで迫っているのに、以前のような恐怖はない。

 恐怖という感情が麻痺してしまったのだと、ブルーは思った。

 追い詰められた鼠が、猫おも噛むように。


 今まで恐怖で吐いてしまいそうだったにもかかわらず、胃の不快感はどこかに消えた。


 足の震えも弱まり、ため込んでいた怒りの感情が、噴火直前の火山のように昂っている。剣を杖代わりにして、ブルーはゆっくりと体を起こした。


 敵うはずもないことはわかっている。

 けれど、この怒りの感情を発散させないまま死にたくはなかった。

 どうせ、このまま殺されるのなら最期に一撃でもお見舞いしてやりたい。祖父の形見の剣を引き抜き、ブルーは中央で構えた。剣先は細かに震えているが、これくらいなら支障はない。


 浅くなっていた呼吸を深く吸い込む。

 確かな呼吸ができるようになると、体の中から、力が溢れてくるようだった。意を決し、ブルーは剣を掲げ踏み込んだ。刹那、魔物の背後に影が立った。


 ブルーは我が目を疑った。

 そんなはずがない……そんなはずがない……。

 だって、もう、死んでしまったではないか……。


 けれど、幻覚などではなかった。確かに足はついていた。どんな奇跡が起きたのか想像することもできないが、確かに存在する。死んだはずのガーフが生きていた――。


 死んだと思われたガーフは立ち上がり、魔物の背後を取っている。

 今さっきまでガーフが倒れていた、場所には大量の血の跡が確かに残っているにもかかわらず、ガーフの姿はなかった。


 夢だと思った。

 けれど、夢ではないことをブルーは身をもって知っている。

 信じられないが――つまり――ガーフは――生きていた――。


「あなたの想いを伝えましょう。だから、安心して――後はゆっくりと、お休みください」


 ブルーが踏み込むのと、ガーフが魔物の背を突き刺すのは、ほぼ同時だった――。魔物のフードをガーフの剣が、天へ向けて高々と突き破った。


 魔物が体をのけぞらせた拍子に、目深にかぶっていたフードがはだけ顔が見えた。三十代後半くらいの、やさしい表情を浮かべた麦色の髪の男だった。


 魔物の表情には苦しみはなく、呪縛から解放されたかのように清々としている。それどころか、微笑みを浮かべていた。


 ブルーは魔物の顔を見た途端、何故か懐かしさを感じた。

 あれだけ憎んでいたはずなのに、どうして自分は魔物のために涙を流しているのだろうか。ブルーは握りしめていた剣を落とし、呆然とその光景を見ていた。


 淡い緑色の光の粒子が魔物の体から、溢れ出る。

 その光景は幻想的で、夢を見ているかのようにはかなく思えた――。消え去る間際、魔物は今までの平坦な声ではなく、感情のこもった人間らしい声音でいった。


「或る人に私のことを伝えてくれませんか――。もう待たなくていい、と――。そして、約束を守れなくて、ごめんなさい、と。昔、心から愛した人なんです――」


 ガーフは剣を引き抜き、確かな声で答えた。


「はい。必ず伝えましょう。あなたのことを――。あなたの想いを――」


 緑の粒子が燃ゆる空に消え去ると同時に、魔物の姿は跡形もなく消えていた――。

 

 魔物が立っていたその場所に、一片の光るものを残して。

 指輪だった――。

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