第十二話 おまじない
ブルーが振り上げた剣は、魔物の横を通り過ぎた。
決して方角を誤ったわけではない。
ブルーが切りかかるや、魔物は姿を消しいつの間にか、となりに避けているのだ。
木の棒とは違い真剣は想像以上に重く、振り回すのではなく、振り回されていた。数回空振りしただけで、腕がだるく、足がふらついた。
「スカボローフェアに行くのですか?」
魔物はさっきから、同じことを、同じように繰り返す。
「或る人に私のことを伝えてくれませんか」
その度にブルーは叫んだ。
「だからッ、誰にだよッ! 誰かわからなきゃ伝えようがないだろうがッ」
そういって、ブルーは剣を振り上げ、切りかかった。
「昔、心から愛した人なんです」
馬鹿の一つ覚えのように、魔物は何度も、何度も、何度も、繰り返す。
ブルーが振り上げた剣が、魔物の剣にはじめて当たった。
やった――と思ったのもつかの間、魔物はもの凄い力で、ブルーの剣を跳ね飛ばした。
「紅の大軍に砲声が燃え上がる。将軍は兵士に殺せと命じる。将軍は私に殺せと命じる」
剣を跳ね飛ばした手で、魔物はブルーに剣を振り下ろした。
すんでのところで、ブルーは尻もちをつき剣をかわす。
「将軍は私に殺せと命じる」
魔物は続けざまに、剣を振り上げブルー目掛けて振り下ろす。
後下がりして、ブルーはそれもかわした。
駄目だ殺される――。ブルーは腰が抜けて、立ち上がることすらできなかった。いつのまにか涙が流れていた。
死期が迫る恐怖から、涙を流したのではなかった――。
自分が死んだ後に残される、家族のことを思ってブルーは涙を逃した。
自分が死んだら、父は誰が捜すというのだろう……。
自分が死んだら、母は何を想うだろう……。
自分が死んだら、祖母悲しむだろうか……。
「将軍は兵士に殺せと命じる――」
魔物は天高く掲げた、剣を振り下ろした。
こんなところで、死にたくないっ――。
死ぬわけにはいかないっ――。
ブルーは目を背け、気付けばある言葉を唱えていた。
それは、まだ祖母がぼけてしまう前、ボケてからも辛いことや、悲しいことがあるたびに、唱えていた言葉――。
「パセリ、セージ、ローズマリーとタイム――」
いつまで経っても剣は体を裂かなかった。
いや、もしかしたら、もうすでに自分は殺されたのかもしれない。
辺りは暗く、何も見えない。
けれど、何も見えないのは自分が目をつむっているからだとわかった。恐る恐る片目だけ開いた。ブルーの体は凍り付く。眼の前、目と鼻の先に魔物の剣が光っていた。
しかし、魔物はピタリと動きを止めて何かボソボソと、つぶやいていた。いったい……魔物に何が起こったのだろうか……。
「パセリ――セージ――ローズマリー――タイム――」
断片的に魔物は唱えていた。
祖母から聞いた、おまじないを――。
「パセリ――セージ――ローズマリー――タイム――」
今まで微塵も感情らしきものを表さなかった、魔物の声は確かに湿り気を帯びているように思えた。まるで、泣いているかのように声がかすかにふるえている。
動きを止めた、剣は震えていた。
ブルーはへたり込んだまま、呆然と魔物を見つめていた。
今なら逃げられるとわかっているのに、魅せられたように動けなかった。
「に――げろ――は――や――く――に――げろ」
魔物は今まで唱えていた、言葉とは違う言葉をつぶやいた。
「に――げろ――」
逃げろ――。
魔物は自分に逃げろと言っている。
どういうことだろう……今、自分を殺そうとしていた魔物は、自分を逃がそうとしている。
「は――やく――は――や――く――にげ――て――くれ――」
魔物の握る剣は震えている。
まるで自分の意志とは関係なく、動く手を抑えるつけるかのように、激しく震えていた。
逃げなきゃと思うものの、ブルーは動くことができない。
不思議なことに、地面に根が張ったように尻を上げることができず、体に力が入らない。自分はどうなってしまったのだろう。
魔物はうめきながら、体をのけぞらせた。
剣を乱雑に振り回し、枝を切り、樹を切断した。
宙を舞い落ちる木の葉と格闘するように、魔物は空を切る。
魔物の剣がブルーの頭上をかすめた。
苦しそうにもがきながら、魔物は暴れる。
しかし、苦しそうにもがいていたのは一刻のことで、魔物はゆっくりとけれど、確実に元の冷酷さを取り戻していた。
「将軍は兵士に殺せと命じる――」
ぎょろりと魔物は振り返り、ブルーに向き直った。
何事もなかったように、魔物は剣を迷いなく振り上げる。
そのときになって、ブルー思った。
どうして、逃げるチャンスがあったのにもかかわらず、自分は逃げなかったのだろう。何故か懐かしい、温かな、感情を魔物から抱いたのだ。
パセリ、セージ、ローズマリーとタイム、ブルーは目をつむり、もう一度唱えた刹那、目の前に影が舞った。
振り下ろされた魔物の剣を、誰かが受け止め、金属同士がぶつかる甲高い音が耳を突いた。
稲妻同士がぶつかりあったような、凄味のある音が森中を駆け抜ける。
汚れた緑のマントがひらひらと、眼の前をなびく。
「ガーフ……」
信じられないが目の前には確かに、ガーファンクルが立っていた。ガーフは体を回転させて、魔物から一歩距離をとる。回転を利用して、ガーフは剣を振った。
風を切り、剣が通った後には真空ができた。
木の葉が真空に吸い込まれ、一瞬真っ黒な空間が見えた気がした。
けれど、あまりの速さに肉眼ではとらえきれなかった。
魔物はいつの間にか、背後に下がりガーフから距離をとっている。
「ガーフ……どうして……ここに……?」
ブルーはガーフの背にいった。
ガーフは振り返り、優しい微笑みを浮かべて答えた。
「助けに参りました――」
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