第十一話 将軍は兵士に殺せと命じる
ガーフは薄汚れた緑色のマントと、先の折れたとんがり帽子を着て、剣を装備している。彼は急ぎ、峠に向かった。
速く、速く、子供たちを見つけなければ手遅れになってしまう。
ガーフは無我夢中で走った。
今までこれほど慌てたことはなかった。
村を抜け、丘を駆け上がる。緑のマントが風になびき、腰に帯びた剣があらわになった。
もっと、速く、もっと。
イチョウ並木にたどり着いたが、子供たちの姿は見当たらない。
この深い森の中に入ったのだろうか……。だとすれば……見つけるのは至難の業だ。神経を集中させて、気配を探る。
駄目だ……。この森は得体の知れない、磁場のようなものが張り巡らされ、気配を探るのはほぼ不可能に近かった。人間の、それも子供のひ弱な気配など、容易にかき消されてしまう。
気配を探ることが不可能だと悟り、森に踏み入ろうとした刹那、どこからともなく、体の内側から響くようなラッパの音が聴こえた。この音は、以前も聴いた音だ。近くに魔物がいると知らせる音だ――。
辺りを見回すのと、目の前の草むらがガサガサと動いたのは同時だった。ガーフはマントを払い、剣を抜き放つ。
どこにも隙はない、完璧な構えだった。
草むらから飛び出してきた者たちに、ガーフは不意を突かれた。
「ラックくん。ジニアくん」
草むらから飛び出してきたのは、ジニアとラックだった。
「よかった。本当によかった」
剣を収め、子供たちを抱きしめようとしたが、切羽詰まった声でラックとジニアがまくし立てた。あまりの早口で、上手く話が聞き取れずガーフは落ち着いて話すようにいった。
「は、は、速くっ! 速くっ! 行ってあげて。ブルーが、ブルーが大変なんだッ!」
子供たちの様子から、すべてを察した。
今聴こえたラッパの音。
子供たちの慌てよう。
間違いない、ブルーは魔物に襲われている。
神風のように、ガーフは草むらをかき分けて、森に踏み入った。
わずかな気配を感じろ……。すべての神経を集中させて、ブルーの気配ではなく、魔物の気配を感じろ。禍々しい魔物の妖気が森の奥深くから、強く感じられた。
絹の糸を垂らしたような、妖気の断片が空中に見える。
この妖気の糸を辿れば、ブルーの下までたどり着けるのだ。
♠
子供たちは固まって、森を進んだ。
いついかなるとき、魔物が襲ってくるかわからないこの状況で、固まって歩くなど絶対にやってはならないことだった。等間隔に距離を開け、まとめて襲われないように配慮するのが定石だ。
距離を開けて進めば、まとめて全滅ということだけは避けられる。一人が襲われている間に、逃げることもできるのだが、子供たちは知らない。
「なあ……あんまり深く入り過ぎたら、出られなくなるぜ……」
ブルーの袖をつかんで、ラックが訴えた。
道がわかっているのか、いないのかブルーはずんずん前進する。
「大丈夫だって。ちゃんと、迷わないように印しをつけてるだろ」
ブルーは少し進むごとに樹に数字を刻み、自分たちがどれだけ進んだかを印していた。
「この数字を順番にたどれば、道に迷うことはないって」
自信満々にブルーはいった。けれど、その根拠のない自信では子供たちの不安を払しょくすることはできなかった。
どれほど進んだだろうか。
子供たちは歩きなれない獣道を歩き、疲労の色が濃くなっていた。
けれど、弱音は吐かなかった。弱音を吐く体力もすでに消費つくされていたのだ。
数時間水分も取らずにぶっ通しで歩き続け、とうとうジニアがへたり込んだ。ジニアが真っ先にダウンしたが、誰が最初に倒れてもおかしく、責めることはできない。
「おい……大丈夫か……?」
ジニアに歩み寄り、ブルーとラックはその場にしゃがみ込む。
「水……水をくれ……」
「水なんてないよ……」
ダスティーを連れ戻すことで頭がいっぱいで、ブルーは水分のことなどこれっぽっちも頭になかった。
「ブルー……わ、悪いけど……」
ジニアは固唾を飲み込む。
「引き返さないか……。ま、また明日、捜しに来よう……。これ以上はおれ限界だよ……」
まだ捜すことを諦めたくはなかった……。
けれど……これ以上わがままを言えば、ジニアとラックが倒れてしまうかもしれない……。やむを得ず、ブルーは引き返すことを決めた。
「わかったよ……。つき合わせちまって悪かったな……。今日は帰ろう……」
ジニアとラックは申し訳なさそうに、頭を下げる。
「それじゃあ、帰ろう」
ジニアを起こし、三人は元来た道を戻りはじめた。
今自分たちはどこを歩いているのか、まったくわからなかった。
自分たちがどこを歩いているのかも、樹に数字を刻んでいなければ確実に迷っていた。二十五までの数字を今までに刻んでいた。
ブルーたちは数字を逆戻りながら、森を進む。
二十五、二十四、二十三と順調に戻る。
二十二、二十一、二十。
自分たちが掻き分けてきた道は、踏み固められ来たときよりも歩きやすかった。順調に十まで戻ってきた。
「あともうちょっとだ。もう少し辛抱しろよ」
ブルーはジニアとラックを励ました。
ここで諦めなければならないのは、悔しかったが友達を野垂れ死にさせるわけにはいかない。ミイラ取りがミイラになってしまっては元も子もない。
九、八、七、六と見覚えのある道に出たとき、ブルーは音を聴いた。
「おい……」
ブルーが立ち止まると、ジニアとラックは不思議そうにふりかえった。
「どうしたんだよ? もうすぐ森を抜けられるんだから、休むならそれからにしようぜ。こんなところでじっとしてたら、気持ちわりいよ」
ブルーは手のひらをそえて、耳を澄ました。
その動作にラックとジニアは、不気味そうに顔をしかめた。
「おい、どうしたんだよ。悪ふざけはやめろって」
「何か聴こえないか……」
「何かって、何が……?」
「ラッパの音みたいな……」
ラックとジニアも耳をそばだてたが、いまいちピンとこないという風な煮え切らない顔をした。
「何も聴こえないけど……」
「そんなことないってっ。ほら、大きくなってきてる」
「だから、何も聴こえないってッ」
ラックが声を張り上げて、叫ぶとブルーは恐怖に引きつった顔をした。
「わるい……いら立ってて、そんなに強く言うつもりはなかったんだ」
ラックが即座に詫びると、ブルーはブンブンと首を振った。
何かをしゃべろうとしているが、喉に何かがつっかえて、上手く言葉にできないというふうな顔をしている。
「どうしたんだよ……?」
ラックとジニアはブルーに歩み寄ると、やっとブルーは言葉を出した。
「う、う、後ろ」
ブルーはラックとジニアの背後を指差した。
つられて、背後を確認すると二人も目を見開き、言葉を失った。
いや、あれは人ではない……人の姿をしているが、人ではないことが本能でわかった……。黒いローブは人ではない者“魔物„だった……。
「スカボローフェアに行くのですか?」
そう呟きながら、子供たちに近寄る魔物。歩いているという風ではなく、空中を浮遊しているような滑らかな動きだった。
子供たちは魔物が近づいて来た分だけ、後下がりする。
けれど、その恐怖と威圧感から、今にも発狂しそうだった。
「或る人に私のことを伝えてくれませんか?」
瞬きをした刹那、魔物は子供たちの眼の前まで、迫っていた。
ラックは叫び声を上げた。
「返事をしちゃダメだっ……」
けれど、遅かった。
魔物の問いに答えてはならない。
それは、魔物に襲われないための鉄則だった。
駄目だ。このままでは、殺される。
ブルーは背負っていた、剣を抜き放ち魔物に切りかかる。
剣を振り下ろしたが、空を切っただけで、魔物はいつの間にか距離を取っていた。移動というよりは、瞬間移動したという速さだった。
「昔心から愛した人なんです」
魔物のローブがはだけ、腰に帯びた剣が姿をあらわした。
流れるように剣に手を添え、抜き放つ。
穏便だった、雰囲気が急変し魔物は意味不明なことをつぶやき続ける。
「将軍は兵士に殺せと命じる」
魔物は真っすぐに子供たちに近づいた。
障害物が立ちはだかっても、迂回する事無くその手に持った剣で断ち切った。道を塞いでいた樹が、魔物の一撃で小枝のように倒れた。バリバリ、という雷鳴にも似た音が森に響き渡る。
その音が火ぶたを切る合図になったように、ラックは握りしめていたガーデンフォークを槍のように構えて突き進んだ。
しかし、ラックは明後日の方向に突きを放っていた。
子供たちは訳がわからず、呆然と立ち尽くす。
瞬間移動でもできるのか、魔物に攻撃しようとしても、違う場所に武器が流れる。ジニアも大鎌で切りかかる。けれど、どの攻撃も当たらなかった。
魔物は楽しんでいるのか、剣を遊ばしたままゆっくりと子供たちを追い詰めて行く。ブルーは歯を食いしばり、叫んだ。
「おまえらは逃げろっ。オレが足止めする!」
「何言ってんだよっ!」
「オレがおまえらを連れ出したのが原因だッ。本当にすまなかった……。ガーフに褒められたからって、思い上がり過ぎていたんだ……。オレらじゃ……こいつには手も足もだせない……」
ブルーは悔しさをかみ殺すように、歯を食いしばった。
「とっとと、行けッ! 速くッ!」
尾を引かれる思いで、ジニアとラックは駆けだした――。立ち去り際ふり返った。ブルーが剣を握りしめ魔物に立ち向かう瞬間を横目でとらえた――。
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