第八話 丘の斜面に木の葉が舞い
その日、疲労がたまり疲れていたが、眠ることはできなかった。
隣で眠る、ブルーももぞもぞと何度も寝返りを打っている。
夜中近くに、「ラッパの音が、聴こえます――。ラッパの音が、聴こえます――」とベルタの叫ぶ声が聞こえた。
毎晩のように叫んでいるが、いったい何のことを言っているのかわからない。結局、深い眠りに落ちることができず、一、二時間うつらうつらして、朝早くにベッドを抜けた。
ガーフが起きるのを待っていたかのように、いつもは一番最後に起きてくるブルーも起き上がった。
「ブルーくんも眠れなかったのですか?」
ブルーの眼の下に真っ黒な
血走った目で、眠そうにしているのだが、眠ることができなかったのだろう。
「父ちゃん……。帰って来なかった……」
ガーフは言葉に詰まる。
「父ちゃん帰って来なかった……。魔物に連れ去られちゃったんだ……」
ガーフは口を開きかけたが、何を言ったとしてもから滑りすると思い、すぐに閉じた。この状況で、上辺だけの慰めなどしても、かえってブルーを傷つけてしまうだけだ。
ダスティーは本当に連れ去られたのだろうか……。
連れ去られたのなら、連れ戻すことができるのか……。
ブルーは無言で立ち上がり、ふらついた足取りでリビングルームに消えた。ベッドの中で考えていても仕方がない。ガーフも立ち上がり、ブルーの後を追った。
リビングの椅子に座り、すでにペチュニアとベルタは起きていた。祈るように組まれた手が、テーブルの上で小刻みに震えていた。
ブルーと同じく、ペチュニアも眠っていない様子で目の下には隈ができている。もし、このまま今夜も眠れなければ二人とも倒れてしまうかもしれない。
「あ……あの……。おはようございます……」
遅れて、ペチュニアは顔を上げた。
「おはようございます……」
経った一晩で、十歳ほど老け込んだように、ペチュニアは疲れ切っていた。髪は跳ね、げっそりとこけたような目もとには、小じわが目立っていた。
「大丈夫ですか……」
言ってしまってから、なんて馬鹿なことを言ってしまったんだと後悔した。
「ええ……大丈夫ですよ……」
そういったペチュニアの顔は、全然大丈夫そうには見えない。
「……何か軽いものでも作りましょうか?」
窓の外は霧で白い。
まるであざ笑うように、今日もいい天気になりそうだった。
いつもは明るいミラー家は、最後の審判の日を迎えたように暗かった。
「朝食の支度を、お願いできますか……」
「はい」
ガーフは早速キッチンについた。軽いものがいいと思い、パンを焼き、カボチャのポタージュを作る。食在庫にあったチーズを切り、卵を焼いた。
一枚板のテーブルに食器を並べる。
皆が席についてから、いつもはいるはずのダスティーがいないことを改めて感じ、強い喪失感を覚えた。会話で溢れる食卓には、重い空気が立ち込め、食事中一言も言葉を交わすことはなかった。
「村の人たちに話を聞きに行ってきます」
食器をかたずけ終わり、ガーフは切り出した。
「オレも行くよ」
ブルーと二人で村中を巡った。
けれど、ダスティーを見たというものはいなかった。
その日は村中を回るだけで終わった。
翌日、ガーフはダスティーが向かった、となり町に向かうことを決めた。ブルーは付いて行くと
「待っていてください。私一人の方が、早く帰って来れます」
渋々というふうに、ブルーは了承した。
行はいつもダスティーが使っていたという、遠回りのコースを通り町に向かう。川が流れ、起伏のないなだらかな道だった。田園が広がり、一本道がどこまでも伸びている。
ぽつりぽつりと村があり、ガーフは見つけた村人に片っ端から話を聞いた。けれど、荷車を引いた行商人の男を見たという話も、倒れている者を見たという話もなかった。
終始穏やかな通路で、普通なら歩いているだけで気持ちがよかっただろう。けれど、今は自然を愛でている余裕などあるよしもなかった。
スカロボーから二時間近く歩き、やっと町についた。
人口数千人ほどの町で、行商人や色々な職種の人々が大通りを行きかっている。人探しなどした経験がないので、とりあえずガーフは行商人らしき人々に、ダスティー・ミラーという人を知っているか、と聞き回った。
数十人くらいの人に話を訊いてやっと、ダスティーと顔見知りだという男を突き止めた。
「ダスティー様を見ませんでしたか?」
ガーフは緊迫の表情で、訊いた。
「ダスティーだろ。いつものように小麦粉をレストランに運んでいたけどな。それがいったいどうしたんだ?」
ガーフはことの一部始終を伝えた。ダスティーが二日前から帰って来ないこと、そのことで家族が心配していることを。
「固定のレストランに小麦粉を運び終えた後は、寄り道せずに帰ったはずだ。だけど、その日は結構時間がかかって、最後に見かけたのは夕暮れだったな。荷車を引いて帰る姿を、確かに見た」
「気になることはありませんでしたか? 様子がおかしかっただとか……」
商人の男は申し訳なさそうに、頭を掻いた。
「済まねえな、力になれなくて……」
「いえ、ありがとうございました。もし、ダスティー様を見つけたら、家族が心配していたとお伝えください」
「ああ、仲間に訊いてダスティーを見かけなかったか、聞いてみることにするわ」
「お願いいたします」
それからダスティーの知り合いだという数人に、話を聞くことができたが、誰からも有力な情報を得られなかった。
昼過ぎ頃まで粘ったが、諦めて一度ミラー家に引き返すことを決める。
行はダスティーが倒れているかもしれないので、安全な道を通ったが、帰りは峠を通ることに決めた。
スカロボー村についてからも数度、峠に足を運んだが魔物にはあの日以来、出会えなかった。こんなことになるなら、あの日、あの峠で魔物を祓っておけばよかったと、ガーフは後悔した。
けれど、あの魔物からは“邪„の感情が読み取れなかった。
間違えるはずがない。“邪„の感情を持つものなら、自分がわからないはずないのだから――。
♠
イチョウの落葉が地面を覆い、絨毯のように並木が続いていた。
深い森の中、人の手によって切り開かれた並木道を通る者は誰もいない。以前は行商人や、旅人の眼を楽しませていたであろう
いや、悲しいと思うのは人のエゴで、イチョウたちは人間のために咲いているのではなく、ただ己たちのために咲いて
けれど、こんな美しいのに誰にも見られることなく、散っていくのはやはり悲しく思えた。イチョウが舞う丘の斜面を進みながら、ガーフは眼を光らせる。
けれど、魔物に出会うことはない
どうして、魔物はこの森に住みついているのか。
魔物が住み着くには、それなりの理由があるはずだ。
この場で不遇の死を遂げ、
(或ある人に私のことを伝えてくれませんか? 昔、心から愛した人なんです)
つまり、スカロボーの村に愛する人がいる。
それはどれくらい、昔のことを言っているのだろう。
魔物を祓うには、力尽くでは駄目なのだ。魔物も昔は人間だった。
人を魔物に貶めた、理由を突き止めない限りはなすすべはない。
魔物が抱えた、苦悩や未練を解消してやらない限りは、本当の救済にはならないのだ。
峠も終わりに差し掛かったとき、道端に止まった荷車を見つけた。信じたくなかったが、あの荷車は間違いなくダスティーが仕事に使っていたものだった。
ガーフは速足で、荷車に駆け寄る。
荷車の中には麻袋が、数
けれど、周辺に人の気配はなかった。
この状況を見る限り、魔物に連れ去られてしまったとしか考えられない。どうすれば、ダスティーを取り返せるのだろう……。
どうして、魔物は人々を攫うのだろう……。
考えていても仕方がない、とりあえず村に帰ろう。
ペチュニアとブルーに説明せねばならない。
気が重かった。
ガーフは荷車を引いて、村への帰路についた――。
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