第七話 魔物の呼び声
ブルーは一瞬の隙をつき、ガーフに切りかかった。けれど、ガーフは俊敏だった。一手先に背後に飛びのきかわした、と思った刹那、何かに足を取られそのまま尻もちをついた。
いったい、何に足を取られたのか。
ガーフはその正体を探ろうと、足下に視線を這わせる。自分の足を奪ったものの正体を突き止めた。それは草を結んだ簡単な罠だった。いったい誰がこんなことを……。考えている時間はない……。
ブルーは木の枝を高々と掲げ、ガーフに切りかかる。
絶好の好機を逃がすことなく、ブルーは木の棒を振り下ろした。
尻もちをついたガーフに襲い掛かり、持っていた木の棒で一撃を喰らわわせた。と、思ったがガーフも木の枝でブルーの一撃を、紙一重で受け止めていた。
もろい棒同士はその衝撃に耐えることができず、火花のように木片を散らしお互いに折れた。ブルーは剣を振り下ろした格好のまま、呆然と立ち尽くしている。
「私の負けです」
ガーフは正直に負けを認めた。
攻撃は防いだと言えども、真剣なら確実に終わっていた。
ブルーは少々残念そうに、顔を曇らせる。
「いや、引き分けだよ。一本取れなかったもん。どうして、急に尻もちをついたりしたんだ?」
「え?」
どうやらブルーが草を結んだのではないようだ。
では誰が、ラックかジニアのどちらかしか考えられない。
けれど、罠を仕掛けるのは悪いことではない。それも立派な戦術なのだから。
草に足を引っかけたことは告げずに、ガーフは「足をもつれさせてしまいました」と答えた。
「けれど、みんな、こんな短期間に本当に強くなりましたよ。筋がいいです。この分だと私など、すぐに越されてしまうでしょう」
曇っていたブルーの顔が輝いた。
「ホント!」
「ええ、本当です」
尻についた草を払いながら立ち上がり、ガーフは嘘偽りなくいった。
「なあラック、ジニア聞いたかッ。オレら強くなるってッ」
「ああ、当然だろ」
ラックは胸を張って答えた。
ジニアも照れ臭そうに、鼻頭を掻きながら笑った。
子供たちの嬉しそうな顔を見ていると、ガーフも嬉しくなった。
いつの間にか、スカロボーにとどまって半月が過ぎている。
今までの人生で経験したことのない、安らかで楽しい日々が続いていた。
楽しい日々が続いていると、ふと不安が胸をよぎるときがある。自分はこんな幸せで許されるのだろうか。
幼いころから穢れた子として、忌み嫌われてきた……。
ミラー家の人々はとてもいい人たちだ。けれど、自分の正体を知れば、この関係も終わってしまうだろう……。
「おい……おいって」
気が付けば心配そうに歪む、ブルーの顔が目の前にあった。
「はい。そんな困ったような顔をしてどうしました?」
「それはこっちの
そうか、他者から見たら苦しそうな顔に見えたのか。
ブルーを心配させたことを、反省しなければ。
「いえ、ちょっと、物思いにふけっていました。ご心配ありがとうございます。ですが、もう大丈夫ですよ」
ガーフはブルーを心配させまいと、目を細めて微笑んだ。
「そうか。それならいいけど。ガーフがボケっとしている間に、あいつら帰っちまったよ」
「あ、そうですか。お別れを告げられなくて、残念ですね」
草の絨毯が揺れ、吹いた風の色を見たような気がした。
自然豊かで、とても美しい丘の上の草原を駆け下りていくラックとジニアの後ろ姿が小さく見えた。
「なにもう二度と会えないみたいなこと言ってんだよ。また明日会えるだろ」
ブルーが言ったそのとき、どこからともなく木の葉が舞い落ちて、ガーフに当然のことを気付かせる。
「確かにそうですね。また明日会えるんでした。旅を長くしていると、ふとした別れが、永遠の別れのように感じられていけませんね」
「まったくだよ。ところで、今日、フェアを見に行かない。もう半月にもなるけど、この村のこと全然案内していなかったから。今日どうかなって」
確かに言われてみれば、半月にもなるがこの村ことを何も知らなかった。家事の手伝いだけで、ほとんど一日が終わり、気にかけたこともない。
一度この村のことを見てみたい。
そんな気持ちに駆られた。
「そうですね。案内をお願いしてもよろしいでしょうか」
♠
スカボローフェアは盛大に賑わっている。以前は飢えの苦しみで何も目に入らなかったが、今回は満腹なので落ち着いて散策できる。
出店が軒を連ね、多くの商人や旅人などが行きかっていた。
そんな人々を対象として、出店は軽食を売っている。
「どうだ。凄いだろ。ここら一帯では結構名の知れた市なんだぜ」
「そうなのですか」
ブルーは歩きながら、ガーフに色々なことを説明した。
ガーフも感心しながらフェアを歩いた。
出店には色々な物が売られていた。
装飾品や食べ物、雑貨や野菜などなど。何も買わずとも、歩いているだけで楽しい。けれど、道行く人々にぶつからないように気を配るのは、少々疲れた。
「それにしてもすごい人ですね」
「多いように見えるだろ。あの峠に魔物が出る前はもっと多かったんだぜ。この村にはこのフェアしか、ないからな。
この村は大きな町と町の中間にあって、商人やガーフみたな旅人、観光客なんかの通り道になっているんだよ。だけど、魔物が出るって噂が広まってから、バッタリ客足が減っちまった……」
「魔物はいつごろからあらわれるようになったのでしょうか?」
「三年ほど前からだよ。はじめはこの村の行商人が消えたんだ。続いて、となり町の行商人や、旅人なんかが消えて、不思議に思った大人たちで目撃情報を頼りに、いなくなった場所を絞っていったんだ。
すると、あの峠でいなくなった人たちの、持ち物なんかが見つかって。これは魔物に連れ去られたんだって。噂されるようになったんだよ」
人込みの雑音で、ブルーの声を聞き取るのがやっとだった。
「けれど、減ったとは思えないくらいの人混みですけどね」
ガーフは左右を見回しながら、いった。
「この前言っただろ。今度、祭りがあるんだよ。今はそれの準備をしてるんだ」
「祭りですか?」
「ああ、四十年前の戦争の弔いをするんだ。ランタンを飛ばすんだよ。それがすごい綺麗なんだぜ。ガーフも観たら感激して、泣いちまうと思うね」
ブルーは前を向いたまま、笑顔を浮かべて楽しそうにいった。ガーフは横目に、ブルーを見ながら胸が締め付けられる思いだった。ブルーの祖父も四十年前の戦争で、帰らぬ人となったのだ。
「どうして、昔の人は戦争なんか起こしたりしたんだろうな? いったい何人の人が死んだんだろうな?」
四十年前、二つの国は大きな戦争を起こした。紅の軍と、白の軍はお互いに殺し合い、戦争は激化の一途をたどる。
その戦争で十五から六十代の、男が国中から召集され何故争いが起きているのかも知らされぬまま、戦争に駆り立てられた。両国ともに戦死者は五十万人近くにも及んだ。
「意見が食い違えば争いが起きてしまうのです。自分の意見と他者の意見が違えば人間は納得できず、力づくでも自分の考えを認めさせようとする。そのような傲慢が争いの火種を作ってしまうものです」
「そんなものなのかな……」
関心なさそうに、ブルーは頭の上で腕を組みつぶやいた。
フェアを歩いていると、知らない男に声をかけられた。
「あんたか」
「え?」
口ひげを揃え、筋骨隆々の角ばった顔の男だった。
困ったガーフを見かねて、ブルーは口を挟む。
「ラックの父ちゃんだよ」
「ラックくんの?」
父親とラックがあまりにイメージがかけ離れているので、ガーフは驚きを隠せない。ラックはひょろりとしていて、声もこれほど豪胆ではなかった。
親子だから似るという訳ではないようだ。
いや、ラックは母親に似ているのかもしれないな、とガーフは考えを改めた。
「ラックに剣を教えてくれてるんだろ。悪いなガキのわがままに付き合わしちまって」
「いえ、別に構いませんよ」
そう言ってからラックの父親は値踏みをするように、ガーフの姿をまじまじと見つめた。
「何でしょうか……?」
薄汚れた緑色のマントで体は隠れ、輪郭すらわからない。
先の折れたとんがり帽子を根深にかぶり、顔は陰になってほとんど見えなかった。
「あ、わりい、わりい。いや見るからにまだ若そうじゃねえか。体も華奢だしよ。あんたが剣を振る姿を想像できんのだわ」
「あはは……よく言われます」
あごに手をそえて、値踏みするラックの父にガーフは苦笑いで応じた。
「呼び止めて、悪かったな。まあ、ゆっくりと見ていってくれよ」
「あ、ありがとうございます……」
そう言い残して、ラックの父親は人混みに姿を消した。
「ラックの親父はここで野菜を売ってんだよ」
「そうなのですか。丁度よかったです。野菜を買って帰りましょうか。ペチュニア様から、お財布を預かってきていますから」
ガーフはラックの父の店で、今朝使ってしまったジャガイモとニンジンなどと一緒に、カボチャを買った。
紙袋を抱えながらフェアを見て回っていると、今度はジニアの父親に出会った。ジニアと同じく、背が高く、明らかに彼は父親似だと一目でわかった。
訊かれたことはほとんど同じで、ガーフが剣を振り回している姿を想像できないと口をそろえていう。ガーフは苦笑いで応じた。
ミラー家に帰ってきたころには、日もかたむき、遠くの山が紫がかっていた。もうすぐ、ダスティーが帰ってくるころだろう。ガーフは急いで夕食の支度にとりかかる。
食事を揃え、いつでも食べられる準備を整えた。
ペチュニア、ブルー、ベルタは自分の席につき、ダスティーの帰りを待った。けれど、いつもなら遠に帰ってきているはずのダスティーがまだ帰らなかった。
「どうしたんだろう……帰りが遅いね……」
耐え切れなくなり、ブルーは心配そうに窓の外をうかがった。
すでに日が沈み、外は闇に包まれている。
室内を煌々と照らすランプの光で、窓ガラスは鏡に姿を変え心配そうに歪むブルーの顔を映し出していた。
「心配しなくても、大丈夫よ。もうすぐ帰ってくるわ。それより、料理が冷めちゃうから、お父さんには悪いけど先に食べちゃいましょう」
そう言ったペチュニアも心配していないわけではなかった。けれど、心配を表に出せばブルーがもっと心配すると思い、感情を押し殺しているのだ。
渋々という様子で皆は食事をはじめる。
いつもは会話で賑わう、リビングルームはしんみりとした重い空気が立ち込め、料理の味もあったものではなかった。
おざなりに食事を終えたが、ダスティーはまだ帰って来ない。誰もがダスティーの身に何か遭ったのではないか、と脳裏をよぎった。
「やっぱり、何か遭ったんだよ……。もしかして、あの峠を通ったのかも……」
ブルーは居ても立っても居られないという風に、部屋中を往復している。
「そんな訳ないでしょ」
ペチュニアは椅子に座り、不安を誤魔化すように編み物に打ち込んでいた。
「どうしてわかるのさ……。だって、父ちゃんこんなに帰りが遅くなったことないよ。父ちゃんの身に何かよくないことが遭ったんだよ……。捜しに行こうよ……」
「捜すってどこを?」
「峠だよ」
「こんな時間に行けるわけないでしょッ」
取り乱したブルーをペチュニアは諭した。
けれど、ブルーはうつむき、手が白くなるほど強く握りしめていた。
「父ちゃんが魔物に攫われてたら、どうするつもりだよ……」
「あなたが言って何ができるって言うの? 私たちにできることは、待つことだけよ。もし、こんな暗い中捜しに行って、私たちが危険な眼に遭ったら元も子もないでしょう……。
今夜は待ってみましょ。明日になってもお父さんが帰って来なかったら、村の人たちにも事情を説明して捜してもらいましょ。ね」
ペチュニアはブルーの肩をつかみ、目の高さを合わせて優しくいった。
「あの人は、還ってくる――。あの人は、還ってくる――」
ロッキングチェアに座り、闇を見つめながらベルタはを何度も同じことつぶやいた。あの人は、還ってくる。そう、かならずダスティーは還ってくる。
「あの人は、還ってくる――。あの人は、還ってくる――」
あの人が誰のことを示しているのか、ガーフにはわからなかった――。
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