第三話 パセリ セージ ローズマリー と タイム

 男は名前を言うのもおぞましいという風に、顔をしかめた。


「その魔物に連れて行かれていなくなった奴らが、何人もいる。今じゃ恐れて誰も近寄らない森になった……。あんた、大丈夫だったか?」


 男の緊迫した声とは対照的に、ガーフは素っとん狂な声で応じた。


「はい。以前立ち寄ったセントポーリアの町で、この峠の噂は聞いていましたから」


 男は呆れたように、口を開ける。


「知っていて、峠を通って来たのかよ?」


 ブルーたち家族は、信じられないという目でガーフを見つめた。


「ええ……まあ……」


 ガーフは苦笑いで、曖昧に答える。


「命知らずもいたもんだな……ところであんた、名前は?」


 ガーフが答えようとしたとき、ブルーが代わりに口を出した。


「アート・ガーファンクルっていうんだって。通称、ガーフだ」


「そうなのか?」


「はい。アート・ガーファンクルといいます。皆様も私のことをガーフとお呼びください」


「俺の名前はダスティー。ダスティー・ミラー。で、妻のペチュニア。子どものブルースター。あそこのロッキングチェアに座っている人は、ベルタ。妻の母で、俺の義母さんだ」


 ダスティーに頭を下げ、続けてガーフはペチュニアに頭を下げた。麦色の長い髪の毛を、背中で束ねたその姿はやはり、墓地で泣いていたあの女性だった。


「あの、今日の昼……丘の上の墓地で泣いておられましたよね? 声をかけようと思ったのですが、お邪魔してはいけないと思い通り過ぎてしまいましたが……大丈夫でしたか?」


 ガーフは申し訳なげに、ペチュニアに訊いた。

 けれど、ダスティーとペチュニアの顔色が急激に変わり、ガーフは聞いてはいけない話題だったことを悟った。


「あ……えっと、ごめんなさい……失礼なことを聞いて……」


 ガーフは頭を下げた。

 気まずくなり、ガーフは顔を横に向けた。するとロッキングチェアに揺られるベルタが目に付いた。彼女はロッキングチェアに揺られながら、夕暮れに染まる、空を見つめている。

 

 ガーフには、ベルタの横顔が、物悲し気に見えた。

 チェアが揺れるたびに、左手薬指にはめたエンゲージリングらしき指輪が夜空に浮かぶ星空のように輝いている。


 そんなぶしつけな詮索をしながら、彼女を見ているとベルタはゆっくりと振り返りガーフを見た。小さすぎて聞こえないが、ベルタは何かをつぶやいている。 


「あの、ベルタ様が何かをおっしゃられているようですが……」


「あ、ほっといて大丈夫だよ。ばあちゃんボケてるんだ」


 飽き飽きしたと言いたげに、ブルーは横目でガーフを見た。


「ばあちゃんいつも、まじないを唱えているんだ」


「呪いですか?」


「うん。『パセリ、セージ、ローズマリーとタイム』って暇さえあれば、いつも唱えてるんだ」


「パセリ、セージ、ローズマリーとタイム。いったい何のことを言っているのでしょうか?」


「知らない。意味までは教えてくれなかったけど、だけど、ボケる前から、オレによく言ってくれたんだ。『困ったことがあれば、唱えなさい』って」


 ブルーは言い終わってから、結露けつろしたグラスをとって、ミントの浮いた水を飲んだ。


「意味はわかりませんが、何だか美しい言葉のように思えますね」


 ガーフはブルーに微笑みかけた。

 

「ガーフさんは旅してんだよな? ギターと剣以外、他に荷物がなかったけど、そんなんで旅できるのか?」


 日焼けでもともと黒い顔だが、ダスティーが酔っぱらいはじめたことが、ガーフにはわかった。


「ああ、ここに来る前に剣とギター以外の荷物を夜盗に、盗まれてしまって……。その中にお金も入っていたんです。だけど、このギターと剣だけは盗まれなくて、よかったです。このギターと剣は母と父の形見なので」


 ダスティーは悪いことを訊いてしまったというふうに、顔を曇らせた。


「あ、気にしないでください」


 慌てて手を振って、「お見苦しいところを見せてしまいましたが、今までは結構面白おかしく旅ができていたんですよ」と笑顔を作っていった。


「ああ、そうか。だけど、どうやって旅費を稼いでるんだ? 倒れてたときも、剣とギターだけは大事に抱えていたけど、ガーフさんは大道芸でもしながら、旅をしているのか?」


 日が暮れ、ペチュニアはランプを灯しはじめた。炎のあたたかな灯が、リビングルーム全体を柔らかく照らし出した。


「似たようなものですね。弾き語りをしながら、何とか今までやってきてました。けれど、今日で運は尽きてしまって……」


「スカボロフェアーの人たちを恨まないでやってくれ」


「はい。恨んでなんかいないですよ。あんな格好をした人には近寄りたくないと思われても致し方ありません。水浴びをしたくても、良い川辺や湖がなくて。それに、お腹が空き過ぎて眼つきが悪くなっていたでしょうから」


 ガーフは自嘲気味に微笑んだ。


「ガーフさん、急ぐ旅なのか?」


「いえ、急ぐ旅ではありませんが……」


「だったら、しばらく泊っていきなよ」


 ガーフはブンブンと手と首を振った。


「そ、そんな滅相もない……。助けてくれた上にこれ以上お世話になるわけにはいきません」


 ダスティーは赤ワインを一気にあおった。

 完全に酔ってしまっていて、目がとろんと垂れ下がり眠たげだった。


「ブルーもガーフさんを好いているようだし。旅の話をしてやってくれよ」


「しかし……」


 煮え切らない返事を返すと、洗い物を終えたペチュニアがいった。


「息子もあなたと過ごしたいそうです。無理にとは言いませんが、もしよければしばらく、滞在されてはいかがですか」


 ガーフはみんなの顔を見渡した。


「そうだよ。ガーフ、泊っていきなよッ」


 ブルーは肩を浮き立たせながら、ガーフの肩に抱きついた。

 皆の顔を見渡し、ガーフは必死に涙を堪えた。


「それでは、しばらくお世話になります。何でもいいつけてください、私にできることなら、何でもやりますから」


「やったーッ」


 ブルーは飛び跳ねて喜んだ。

 飛び跳ねるたびに、ギシギシと床が鳴る。


「部屋がそれほどありませんから、ブルーと同じ部屋でもよろしいでしょうか?」


「ブルーくんがよければ、私は構いません」


「オレはいいよ。じゃあ、今夜色んな話を聞かせてくれよな」


 ウキウキしながら、ブルーは喜ぶ犬のように同じ場所を何度もクルクルと回る。


「それでは、ガーフ様。お風呂が沸いていますから、先に入ってください」


「いや、一番最後で結構ですよ」


「遠慮するなって。遠慮ばかりしていると、逆に嫌がられるぜ。それじゃあオレと一緒に入ろうよ」


 ブルーはそういって、ガーフの手を引いた。

 抵抗を諦め、ガーフはブルーに引かれるがまま風呂場に向かう。


  ♠


「マントの上ではわからなかったけど、ガーフ、父ちゃんみたいにいい体してるな」


 着瘦せする体質だったようで、マントを脱いだガーフは柔軟な筋肉の持ち主だった。スラりとした筋肉で、力と言うよりは瞬発力に特化しているという感じだ。


 それに今では消えかけているが、稲妻のように走る傷跡が薄っすらと無数に残っている。その体は戦士のそれだった。ガーフが体を洗っていると、浴槽に浸かったブルーは訊いた。


「その傷どうしたんだ? ほら、背中から横腹にかけて結構深い傷跡みたいなのがあるけど」


「ああ、これですか。旅をしていると、色々なことがありますからね」


 ガーフは言葉を濁す。


「ふーん」


 関心があるようだが、ブルーはそれ以上追及してこなかった。


「お風呂ありがとうございました。一か月ぶりで、凄く気持ちよかったです」


「それはよかったです」


 ペチュニアは母性味溢れる微笑みを浮かべた。


「私に何かできることはないでしょうか?」


「今日は旅の疲れを休めてください。明日から、頼みます」


 その微笑みからは、昼間墓標の前で泣いていた女性の姿は想像できなかった――。

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