第二話 命の恩人

 よく日焼けした屈強な男が、からの荷車を引き群衆がひしめく通りを歩いていた。


 フェアに集まった人々の間を縫って進んでいたときに、男は空き地で力尽きている薄汚い雑巾のような格好をした男を見つけた。


 誰も倒れた男を見て見ぬふりをして、通り過ぎて行く。

 男はそのような人々に、少々苛立ちを覚えた。


 けれど、仕方のないことだ、と承知している。誰が好き好んで、野垂れている浮浪者に関わりたいものか。

 

 しかし、正義感の強い男は、倒れた者を見捨てることなどできなかった。荷車を男のとなりにつけて、話しかけた。


「おい、あんた」


 男は浮浪者の肩をゆすりながら、呼び続けた。


「おい、あんた。大丈夫か? おい。しっかりしろよ」


 息を吹き返し、浮浪者は顔を少しだけ動かした。

 か細い声で、何かをつぶやいている。男は旅人の口元に耳を寄せ、声を聞き取ろうとした。


「え? 何だって」


 最後の力を振り絞り浮浪者は、蚊の鳴くような声でつぶやいた。


「お腹……すい……た……」


 遺言のようにして、旅人は再び力尽きた。


「参ったな……」


 男は頭を掻きながらつぶやいたものの、仕方なく浮浪者を担ぎ荷台に乗せた。


  ♠


 旅人は美味しそうな料理の匂いで、目を覚ました。

 

「ここは……」


 ベッドに横になり、天井の木目を見つめながら自分に何が起きたのかを考える……。けれど、弾き語りをしているときに力尽き、それからの記憶が切り取られたようにすっぽりと無くなっていた。


 すると真っ先に頭に浮かんだのは、ギターと剣だった。ギターと剣はどこにいってしまったのだろう……。


 手を上にやると、硬質ものに触れた。

 剣の鞘だ。剣とギターは旅人の頭の上にそろえて置かれていた。


 ふう……。旅人は一安心すると、ここはどこなのだろう……? という当たり前のことが気になりはじめた。


 旅人は首だけを動かして、辺りを見回してみると男の子と目があった。麦色の柔らか髪を持った可愛らしい、十二、三歳くらいに見える男の子だった。


「父ちゃんッ。起きたよッ」


 旅人と目が合うなり、男の子は慌ててとなりの部屋に駆けこんでいった。まもなく、男の子はよく日焼けした屈強な男と共に部屋にあらわれた。


 旅人が言葉を失い呆然としていると、「大丈夫か」と屈強な男は心配そうに訊いた。


「え?」


 その言葉が自分に向けられているものだと気づくのに、そう時間がかかった。


「あ、はい……大丈夫です……えっと、ここは?」

 

「あんた、フェアの空き地で倒れてたんだよ。そこに俺が通りかかってあんたをうちまで連れ帰ってきたんだ。ここは俺んちだよ」


「あなたが私を助けてくれたんですか。ありがとうございました。お礼をしたいのは山々なのですが……自分には返せるものがなくて……」


 といったとき、力尽きていたはずの腹の虫も生き返っていた。今まで聞いたことのないほどに大きな腹の虫が鳴いた。旅人は赤面してお腹を抱えるが、腹の虫を隠すことはできなかった。


 子供は笑い出した。

 旅人は苦笑いを浮かべて、男の子と共に笑った。


「飯の準備をしているから、持ってきてやるよ」


「いえ、助けてもらった上にそこまでしてもらう訳にはいきません……」


 心ではそう思っていても体は正直で、食事にありつけると知った腹の虫は前にも増して、大きく鳴いている。


「あんたはそう思っているんだろうけど、体はそうは思っていないみたいだな。まあ、遠慮することはないよ」


 男は人好きする笑顔を残し、部屋を立ち去った。

 部屋には男の子と旅人だけが、残された。

 男の子は興味津々に、旅人を見る。旅人は苦笑いを浮かべて、首をかしげた。こういうとき、何を話せばいいのだろうと考えていると、男の子が先に口をついた。

 

「兄ちゃんの名前は?」


「私ですか?」


 旅人が自分の鼻を指さすと、男の子はコクリとうなずいた。


「私はガーファンクル。アート・ガーファンクルと言います」


「何て呼べばいい?」


「好きに呼んでもらって結構ですよ。アートでも、ガーファンクルでも」


 男の子はしばらく、腕を組んで思案した。

 

「じゃあ、ガーファンクル。縮めてガーフて呼ぶよ。よろしくな、ガーフ」


 男の子は手を差し伸べた。ガーフという名の旅人は、男の子の手を握り返した。ガーフは男の子の手を握ってから、声をつまらせる。


「あ、オレの名前はブルースターっていうんだ」


「ブルースターくんですか」


「くんはいらないよ。みんなからはブルーって呼ばれてるんだ」


「ブルーくんですね」


「だから、くんはいらないって」


 ブルースターと言う名の男の子は、どうしても“くん„を付けてほしくないみたいだ。けれどガーフは意固地になっているかのように“くん„を外さない。ブルーは諦めた。


「よろしくお願いします。ブルーくん」


「ああ」


 二人は固い握手を交わした。


「ガーフは旅をしてるの?」


「はい。旅をしています」


 ここから話が広がろうとしたさなか部屋の扉が開き、日焼けした男が顔を出した。


「夕食の準備ができたぞ。沢山作ったから、あんたもたらふく食べてくれ」


「ガーフ、行こうよ」


 ブルーに手を引かれて、ガーフはリビングルームに出た。年季が入り味の出たオークの床は、歩くたびにきしんだ。けれど、抜けそうな心配はなくしっかりとした足場になっている。


 壁側にはチェストが置かれ、一番日が当たるであろう窓際にはロッキングチェアが置かれていた。ロッキングチェアを小さく揺らし、ご高齢のおばあさんが座っていた。


 チェアの前に一人分の小さなテーブルがあり、その上にスープとパン、新鮮な野菜がみんなよりは少なく盛られて置かれていた。


 リビングルームの中央には、一枚板のテーブルが堂々と設置されていて、木組みの椅子に日焼けした男と、女の人が肩を寄せ合い座っている。


 女性はガーフを見た。

 ブルーに引かれていない方の手を頭に置いて、ガーフは申し訳程度お辞儀した。


「この度は、行き倒れているところを助けてくださり、ありがとうございました」


「そんなこと気にしなくていいって。固い話は後にして、まずは食べようぜ。腹減ってるだろ」


「はい……」


 ガーフはブルーのとなりに腰を下す。木の椅子なので、弾力はなく固い感覚がお尻に広がる。テーブルと同じで椅子も一枚板で、背もたれはない。


 テーブルの上には輝くほどに美味しそうな、食事が並んでいた。

 鳴くことを忘れていた、腹の虫が食事を見るなり思いだしたかのように、鳴いた。


「さあ、食べてくれ」


「ありがとうございます……」


 顔を赤らめながら、ガーフは頭を下げた。

 ブルースターたち家族と祈りを捧げ、ガーフは犬のように料理を味わった。その食べっぷりを見て、ブルーの家族は呆れたような顔をしていた。


 あれだけ遠慮していたガーフであったが、食べはじめるとタガが外れたように、食事を胃にかき込む。


「美味しかったです。本当に、本当にありがとうございました」


 今まで女のように弱々しかった声に、張りが戻っている。

 テーブルにガーフは頭を付けて、最上級の感謝の意を示した。


「気を遣わなくていいって。凄い食べっぷりだったが、何日食べてなかったんだ?」


「以前いたセントポーリアの町から、三日三晩何も食べていませんでした。食事をとろうにも、お金がなくて……。稼ごうにも、誰も私の詩を聞いてくれず……。あなた様に助けてもらわなければ、あの場で死んでいたことでしょう」


「セントポーリアの町の方から来たのか。だったら、ここに来るときにあの峠を通って来たのか?」


「あの峠と言いますと?」


 男は眉をしかめて、妻の顔をうかがった。

 男につられて、ガーフも女性の顔を見る。

 よく見ると、その女性に見覚えがあった……。この村に来るときに丘の上の墓地で泣いていた麦色の髪の女性だったのだ。

 

 女性は男に向けていた視線をガーフに向けた。ガーフは夫人の顔をまじまじと見てしまったことを恥じ、慌てて視線をそらす。


「あの、イチョウ並木の峠だよ……。実はあの森には」


 男は奇妙な間を置いた。

 まるで、ガーフに心の準備でも整えさせるように……。


「魔物が出るんだ……」

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