第一話 スカロボフェアーに行くのですか?

 金糸雀かなりあ色の落葉が大地を覆っていた。宙を舞うイチョウの葉が旅人の、くたびれたとんがり帽子にひらひらと落ちる。


 ボロボロになり、泥のように汚れた濃い緑のマントを羽織った旅人は、美しい光景に感銘のため息をもらした。


 そのボロボロの格好とは似つかわしくない、綺麗なギターを背負っており、薄汚れた緑色のマントの間からは、つるぎが頭を出している。


 ギターを背負った旅人は、たった一人で美しいイチョウが舞う峠を歩いていた。さわさわとほどよく暖かな、風が吹くたびにイチョウは散った。


 旅人は童心に戻ったような浮足立つ気持ちで、並木を歩く。

 ひと際大きな風が吹き、金糸雀が舞った刹那、旅人は人の声を聞いた。


「スカロボフェアーに行くのですか?」


 黒いローブを羽織った男は旅人の背後から声をかけた。

 辺り一面は鬱蒼とした森で、イチョウ並木には旅人とローブの男二人が向かい合う。黒いローブを目深にかぶり、男の顔は見えなかった。


「スカロボフェアーに行くのですか?」

 

 ローブの男は同じ音程、同じ声音こわねでもう一度旅人に話しかけた。けれど、旅人はローブの男を足先から、頭の天辺まで画家のように観察してから、返事をせずに再び歩きはじめた。


 旅人の後ろに影のように付き添い、黒ローブの男はしゃべり続ける。


る人に私のことを伝えてくれませんか? 昔、心から愛した人なんです」


 ローブの男は悲しみをふくんだ、低い声で旅人に語り続ける。

 けれど、旅人は一言も返事を返さず無視し続けた。


「彼女に麻のシャツを作るように伝えてください」


 いつしか、イチョウ並木を抜け、旅人は深い森の丘の斜面を下りはじめていた。雀のような鳴き声が、木漏れ日と共に降ってくる。

 

「縫い目もなく、針を使うこともなく、それができたなら。その人は私が本当に愛する人になるでしょう」


 丘の斜面に木の葉が舞い、旅人はいつの間にか森を抜けていた。森を抜けるのと同じくして、黒ローブの男の声も聞こえなくなっていた。


 旅人は最後に森を振り返る。

 鬱蒼と茂った樹々が不気味に揺らめき、ザワザワと別れを惜しむように泣いていた。


 目の前に大きな村が見えた。商業で賑わっているようで、沢山の人々が行きかっているのが小さく見える。あの場所なら、食べ物にありつけるかもしれない。


 旅人はすきっ腹をさすりながら、かついだギターの存在を確かめる。

 森を離れる間際、旅人はローブの男の話を回想していた。


「縫い目もなく、針を使うこともなく、それができたなら。その人は私が本当に愛する人になるでしょう」


 呪文のように彼はつぶやいた。縫い目もなく、針を使うこともなく、そんなことができるわけがないですね……。尾を引かれる思いで旅人は再び歩きはじめる。


 丘を下っているときに旅人は、泣いている女性を見つけた。墓標の前で、銀色の涙を流していた。


 女性がいるその場所一帯は、こんもりと盛り上がった沢山の墓がずらりと並び、時間から取り残されたような静かな時間が流れている。


 唯一、女性だけがこの世の時を今も刻んでいる。

 涙は墓標を洗い、嗚咽で言葉をなくし、すがるようにして女性は泣いていた。歳は三十代後半から、四十代ほどに見える。麦色の長い髪を背中で束ねた、綺麗な女性だった。


 涙で長いまつ毛が、ずくずくに濡れていた。

 旅人は声をかけようと手をあげたが、すんでのところで思い止まった。

 きっと女性は愛する人を想い泣いているのだ。

 部外者が心配だったからといって、口を挟んではいけない。

 マントから出した手を再び引っ込めて、旅人は村に続く道を進む。


 いい香りが村中に漂っている……。鳴き止んだと思った旅人の腹の虫が再び、激しく鳴きだした。


 三日三晩何も食べていないせいで、頭が回らず足がおぼつかなかった。左右に出店が軒並び、色々な料理を売っている……。


 よだれを飲み込み、旅人は麻袋を懐から取り出した。

 中を見るまでもなく嫌な予感はしていた。麻袋はとても軽い……。


 首を振り嫌な予感を振り払ってから、旅人は麻袋の糸を解きひっくり返した。けれど、出てきたものは糸くずや、紙くずばかりで、銅貨一枚入ってはいなかった。


 旅人は深く絶望した。地面にへたり込みそうになったが、このまま膝をついてしまうと二度と立ち上がれない気がして、済んでのところで踏みとどまる。


(稼ぐしかない……)


 旅人は出店が出ていない空地を陣取り、とんがり帽子をそこに置いた。

 大事に抱えていたギターを両手に持って、旅人は弾き語る。ギターの音色が、雑然としたフェアに浸み込んだ。


 人々の話声に負けて、ほとんどギターの音色はかき消されてしまうが、歌声だけは何とか消えることなく、響き渡る。旅人が弾いていたのは〈妖精の騎士〉というバラッドだった。


「妖精の騎士がむこうの丘で、角笛を大きく高く吹き鳴らしている。娘は、「あの角笛をこの胸に……あの騎士をこの両腕に抱きしめたい」とつぶやく。


 すると、瞬く間に騎士が娘のベッドにやって来て、「まだ若すぎる。娘さん、結婚なんて早すぎる」と忠告すると、娘は「年下のくせに妹は昨日、結婚したばかり」と応じる。


 旅人は心を込めて、熱唱したが誰も見向きもしてくれなかった。

 けれど旅人はめげることなく、力の限り歌う。

 行きかう人々は、旅人を横目に見て通り過ぎて行く。


 とんがり帽子の中にどこからともなく、木の葉が舞い落ちた。けれど、木の葉では何も買えない……。視界がかすんだ。空腹は限界を通り越し、腹の虫も力尽きていた。


 騒然とした村の片隅で、とうとう、力尽き旅人はその場に倒れ込んだ――。

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