第四章 恋の神様が選んだ勝者と敗者

第32話 天才となった空哲


 俺はこの二週間、過去の自分とひたすら向き合った。

 なんで人はここまで誰かを傷つけ、誰かをこんなにも愛するのか。

 それは誰かに愛情を貰い続けても人として一時は幸福になれるかもしれないが永遠には続かないからだと俺は考えた。

 心に傷を負うからこそ、その傷を癒す為に誰かの温もりを欲するのではないか。

 そしてこの世に男と女がいるのはきっとそんな特別な温もりを人が必要としているのではないからだろうか。

 その特別な温もりを人は恋と呼び大切にするのではないか。


「全く、住原君って見た目によらず結構諦め悪いのね」


 二年一組を出てすぐの廊下の曲がり角に一人の男子生徒と女子生徒が向かい合っている。


「俺にはこれしかないから」


 俺は目の前にいる水巻に言った。

 この日の為にできる限りの事をしてきた。

 過去と向き合いながらある物を書いては消して書いては消してをただひたすらに繰り返し挫折しては立ち上がりととても過酷な二週間だった。


「とりあえず今日の放課後は任せて」

「ありがとう」

「あれ……?」


 俺と水巻が話しているとそこに三日ぶりに学校へと姿を見せた白雪がいた。


「二人共こんな所で何してるの?」

「…………それは」


 俺がこの状況をなんて言い訳しようかと考えていると水巻が俺の前に出る。


「実は私どうしても読みたい本があってね。だけど図書室に置いてないから買ってくれないか聞いてたのよ。ね? 住原君」

「あ、うん。そうなんだ。まぁ購入検討の話し合いだね」


 流石水巻上手く誤魔化してくれた。

 俺が感心していると、白雪が何かを考えながら言う。


「タイトルは? 私持ってたら貸してあげるわよ」

「ありがとう。でも大丈夫! ここにいる犬が何とかしてくれるから!」

「おい! 待て! 誰が犬だ!?」

「住原君!」


 満面の笑みで人を馬鹿にしてくる水巻に一瞬イラっとしてしまった。

 幾ら何が何でも人を犬呼ばわりとは。

 こうなったら。


「ド貧乳には言われたくない! せめて人間扱い……」


 俺の言葉は途中で止まってしまった。

 水巻の後ろには角が生えた鬼がいた。

 そして周りの空気がピリピリした物に変わる。


「あら、お二人の時間を邪魔したら悪いし私先に行きますね。水巻さん」

「わかった~、後でね白雪さん」


 急に白雪と水巻の口調が他人行儀の物へと変わった。

 そして気付けばさっきまで沢山の人で賑わっていた廊下が急に静かになり、俺の襟が捕まれる。


「実は私住原君に特別な想いがある事にさっき気付いたの。良かったら聞いてくれるかな?」

「え?」

「そう、聞いてくれるのね。ありがとう。私とても嬉しいわ」


 そう言って俺は人目のない所まで連れて行かれた。

 こうして俺は自然な形で白雪との会話を終わらせて、水巻のサンドバッグになる事となった。



 俺は今日の放課後に勝負に出る予定であるわけだが、放課後になる前に俺のHPゲージは早くも赤色になっていた。どうやら水巻に貧乳と言う単語は禁止ワードだとさっき知った。本人はとても気にしているらしく次言ったらマジで骨折るからと警告をもらった。せめてどこの骨を折るかだけでも教えて欲しいのだが、それは教えてくれなかった。何でも言ってからのお楽しみらしい。

 人間言うなと言われたり、見るなと言われたり、触るなと言われたりするとダメだとわかっていてもそれをしてみたくなるのが人間の性だと俺は思っている。


 ――そうじゃなくて。


 俺は脱線した思考回路を元に戻す。

 授業は正直聞いてもわからないので、聞いている振りをしながら俺はこの後の事を考える。俺が直接聞くのはどうかと思い、水巻を通して知った情報はこうだ。


 白雪は原稿までの締め切り近いらしくGW(ゴールデンウィーク)を使い完成させるつもりらしい。もしそれでも終わらなかった場合はその後原稿を完成させるまでの数日間学校を休む。つまり俺と白雪は下手したら当分会えなくなってしまう可能性があるのだ。そしてそのことを育枝に言うと、そんなに期間があけば幾らこの二週間コミュニケーションを心掛けていても恋愛感情が少なくとも今と比べるとかなり冷めるかもと言われた。心理学には単純接触効果というものがある。これは繰り返し接すると好意度や印象が高まるという効果の事だ。対人関係の場合は熟知性の原則として知られている。育枝曰くこれが大きく影響してくるのだとか。


「てか住原君! さっきから天井ばかり見て授業を聞いているの!?」


 その声に俺が視線を少し下に向けると理科の先生が怒っていた。


「ちなみにここで働く力を何て言うか答えてみて?」


 俺が足りない頭で答えを考えようとしたとき、隣から声が聞こえてきた。


「……クーロン力」


 振り向かずとも俺はすぐにそれが白雪の声だとわかった。

 なので、俺は迷わずに自信を持って答える。


「クーロン力です」

「うっ!? せ、正解よ」


 これには先生も驚きの御様子だ。

 それもそうだろ。

 毎回理科で赤点ギリギリの人間が正解したのだ。

 まぁ無理もないだろうと言いたいがこれは白雪の答えであって俺の答えじゃないので正解して当たり前。


「なら住原君、この式のFをクーロン力とした時、式中のkを何と言うかわかるかしら?」


 あれ?

 天使の声が聞こえてこない。

 俺がチラッと白雪を見ると、小さくため息を吐いて首を横に振っていた。


「クーロン定数」


 ようやく聞こえてきた天使の声を俺はそのまま復唱する。


「クーロン定数です」

「そんな……!? 基本の事とは言え……住原君頭でも打ったの?」


 可笑しいぞ。

 先生それは言葉の暴力と捉えてもいいですか? とつい言いたくなるような反応と言葉に俺は普段先生からどんな目で見られているのかを知ってしまった。

 それを見て、白雪はクスクスと笑っている。


「打ってませんので……ご安心を」

「そう? ならいいけど。ちなみにクーロン定数の値は知っているかしら?」


 どうやら先生はどこまで俺が答えられるかを試しているようだ。

 とは言ってもそもそもクーロンとは? と頭が言っている俺にはサッパリだった。

 とりあえずもう怒られそうにもないので正直言う事にした。


「8.9876×10の9乗」


 聞こえてきた言葉に俺はつい、

 

「8.9876×10の9乗です」


 と答えてしまった。


「う~ん。これはテストの平均点落とす為に休み明けにある中間テストの難易度上げないとダメみたいね」


 先生は俺の顔を見ながら、真剣に困った顔でそんな事を言ってきた。

 確かに皆が高得点を取ると先生としても困る事は重々承知しているのだが、それを今この場で言わないで欲しかった。


「おい! 住原何急に勉強してんだ! 見損なったぞ」

「お前のせいでテスト難しくなったじゃねぇか!」

「住原君最低!」

「バカ野郎! ここはわかってても馬鹿な振りをする場面だろ~」


 一瞬にして教室中から罵詈雑言が飛んできた。

 朝は水巻、授業中はクラスメイトと俺の心は早くも苦難の連続に疲弊していた。

 告白する日ってこんなにも大変な一日を過ごさないといけないものだったけ……。


「あら、人気者ね」

「そうだな。にしても七海は楽しそうだな」

「あら失礼ね。可愛そうだなと思っているわよ」

「ならそのニヤニヤは?」

「さぁ、板書、板書」


 その後先生からの集中砲火を受けたが、全て隣からの強力な援護射撃によって俺はこの日先生から見直され、クラスからは驚きの声と怒りの声が沢山聞こえてきた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る