第18話 言い訳


「それであのプロット。私に見せた物から手を加えていたよね?」

「気付いていたのか?」

「うん。渡すときに量が増えていたからね」

「なるほど」

「それで言わないの?」

「なにを?」

「ネット上でWeb小説を書いていた元小説作家だってこと」


 サラッと爆弾発言をしてきた育枝の言葉を聞くと同時に全身から嫌な汗が噴き出し始めた。布団があればそこに入りたいし、穴があればそこに身を隠したくなるぐらいに穏やかだった感情が不安定になった。


「そこで誰が見ても中傷と捉えられるような沢山のコメントを見て、それがトラウマになって本の世界から逃げた。だけど書くのはダメでも読むのはそう言った心配がないから今も好きだから続けている。あのレベルのプロットを全くの素人が書くのは無理。それでも書いたんでしょ?」


 手が震え始め、目の前にある本が上手く持てない。


「私が素人目線になるまで、質を落としてあげていたのにどうしてあんなことをしたの?」

「……!?」


 手だけはでない。震えは一瞬にして全身に回る。

 更に育枝は立ち上がり、俺がこの場から逃げれないように出入口の前で立っている。


「べ、別にそれは……言う必要はないんじゃないかな……」

「私もさっきまでそう思ってた。だけどあのプロットを見た時にそれはもう無理だと確信した。だから聞いているの」


 育枝はとても真剣な表情で俺に言う。

 きっとそれだけ本気なのだろう。


「あの時、水巻さんって方は何も気付いてなかったと思う。だけど、プロットをチラッと見た白雪七海の目は一瞬大きくなった。これはもう隠し通せないと思う。なんでよ……なんで……一度辞めたはずの小説の道に帰ったのよ……私はもうそらにぃが傷つく所なんてみたくないのに……」


 そして鼻をグズグズさせて、大粒の涙をポロポロと落とし始める育枝。

 今すぐにでも逃げ出したくなる嫌な記憶がフラッシュバックしてくる。だけど身体に思うように力が入らない。


「……どうしてそこまでしたの?」


 どうしてってそりゃあ白雪が困っていたからなわけで。

 それ以外に理由はない。

 ただ純粋に白雪だけでなく同じファンとして水巻にも喜んで貰いたくて。


「なんで……私……そらにぃの邪魔……してたの?」


 可愛い顔が台無しになるくらいに目から涙を溢す育枝。


「そんなことない」

「本当に?」

「当たり前だ!」

「じゃぁ、なんで私に黙っていたの?」

「そ、それは……」


 俺は答えに困ってしまった。

 育枝に心配をかけたくないと思っただけであって、それ以上の事は別に何もない。

 敢えて言うなら今の自分がどこまで書けるかを試してみたかったって言うのもあるがやっぱり一番の理由は心配をかけたくなかった。

 だけどそれを言った所で育枝が納得しないのも見たら何となくわかる。

 なにより育枝が求めている答えは多分そこにはない気がする。


「…………」

 黙り込んでしまった俺に育枝は言う。


「なにも言えないって事は、やっぱり私邪魔だったんでしょ? もういい。この際ハッキリ教えて。私のお節介が邪魔、もしくは迷惑だったって言って。でないと私また同じことをしちゃうから……」


 違う。

 そうじゃないんだ。育枝は何か勘違いをしている。


「まずは落ち着け。一回座って――」

「だったら先にハッキリと答えて!」

「迷惑なわけない! それに邪魔だとも一度も思った事もない!」


 俺は正直に答えた。

 これ以上、育枝を精神的に追い込むのは良くないと判断したからだ。

 俺自身もまだトラウマのせいで上手く身体も動かないし、思考もいつもの半分以下しか回っていない。とても冷静な判断が出来ているとは言えない。だけどそれでも育枝とは向き合わないといけないと思った。それが彼氏として何より兄としての務めだと思ったから。


「ほら、またそうやって嘘をつく」

「嘘じゃないって言ってるだろ!」

「だったら何で? どうして? 私には黙っていたのよ?」

「それは……心配を……」


 珍しく育枝が俺の言葉に過敏に反応してくる。


「心配? なら心配をかけたくないなら尚更言うべきじゃないんじゃないの?」

「それは……」

「違うの? 私はそらにぃの彼女だよ! だからこそ支えたいし力になりたいって思うのって普通じゃない? そして大切な存在だからそりゃ心配だってするよ」

「…………」


 その時、俺は何も言えなかった。

 こんなに必死な育枝は今まで見た事がなかった。


「ねぇ……そらにぃにとって……私はなんなの?」


 チラホラと見える育枝の不安が俺の心を締め付けていく。


「彼女だ」

「本当にそう思っているの?」

「当たり前だ!」

「じゃあ、なんで相談の一つもしなかったのよ! 私じゃ支えにもならない? 私ってそんなに無力なの?」

「そんなことない!」

「だったらなんで相談してくれなかったの?」

「相談したら止められるかと――」

「当たり前でしょ! 止めるに決まってるわよ!」


 育枝が怒鳴るようにして声を上げる。


「自分の精神状態を不安定にしてまで誰かを助けて、もしそれで本当に精神崩壊なんておこしたらどうするのよ? 後先を考えない無謀の先にはリスクしかないの知ってるでしょ!」


 俺は否定する事が出来なかった。


「仮にするにしても少しずつ段階を追っていくなら私は止めない。と言うかむしろそれなら応援する。だけど計画性なくして無謀な事ばかりするって言うならそりゃ止めるわよ!」


 そうだ。

 育枝の言う通りだ。

 無茶と無謀は違う。


「なんで私が聞くまで黙ってたの? なんで私には…………グズッ……グズッ」



 俺は何とかして育枝の近くに行こうとするが、すぐに止められる。



「こないで!」



 俺は良かれと思って頑張ってしたことがまさか育枝をこんなにも苦しめる事になるとは思いにもよらなかった。


「それで……私……邪魔だったの?」

「……邪魔なんかじゃない」

「じゃあなに? 私なんて居てもいなくても同じだった?」

「違う」

「違わない! だって最初からあんなプロット渡すなら私いなくて良かったじゃん! この嘘つき!」

「……育枝」

「全身が強ばるぐらいに思い出したくないトラウマと向き合ってまで、私に隠れてあんなプロット書いてそんなに白雪七海が大好きなの!?」

「あぁ! そうだよ! 俺は白雪が好きだ! だから頑張って過去と向き合って書いたんだ!」

「最低! もう大嫌い!」


 しまった! そう思った時にはもう遅かった。

 育枝は大泣きしながらカバンを手に持って何処かへと走って行ってしまった。

 ついあんなプロットだと馬鹿にされた事が悔しくて珍しくムキになって怒るだけでなく怒鳴ってしまった。兄として最低だと思った。育枝は俺の為に色々と頑張ってくれていたのに俺……自分の事しか考えていなかった。


 はっきりとわかった。育枝は本気で俺の事を心配してくれていたんだって。


 それに育枝の最後の表情。

 一瞬だったけど本気で傷ついていた。


 俺は一人図書室に残り後悔した。

 育枝だったら何をしても許してくれるしいつも側にいてくれると思っていた。だけどハッキリ言われて気付いた。それは何も当たり前のことじゃないし間違っている事だと。俺は知らず知らずのうちにずっと育枝に甘えていたんだ。


 落ち込んでいると、スマートフォンがメッセージを受信する。


『ゴメン。しばらく会いたくない。親戚の叔母さんの家に行く』


 と書かれていた。今まで喧嘩してもすぐに仲直り出来ていた育枝から初めて距離を取られた。そう思うと悔しくて悔しくてどうしようもなかった。なんで最後の最後であんな事を言ってしまったのかと思うと……涙が出てきた。

 それと同時に今は育枝の事で頭が一杯だった。

 どうすれば許してくれるかな? どうすれば仲直りできるかな? と考えてもすぐに答えが出ないのにそればかりを考えていた。

 失って初めて、俺の中で育枝がこんなにも大きな存在だって気付いた。

 だけどやっぱりそう思っても遅いわけで……。


 ――俺、言い訳ばかりしてたんだな。


 そう、俺は言い訳ばかりしてた。

 兄妹だとか、血が繋がっていないからだとか、偽物だからとか、言い訳を沢山並べて俺は白雪の事しか今まで考えていなかった。


 多分だけど育枝はそれにずっと気付いていた気がする。


 だけどそれでも俺の事をちゃんと見てくれて俺の幸せを願って嫌味一つ言わずに協力してくれていた。だったら今の俺がやるべきことって……。


「もう遅いかもしれないけど……育枝の事も真剣に考えないと……」


 俺はようやく気付いた。

 俺自身まず何をしなければならないのかを。

 そう育枝の気持ちとしっかりと向き合って言い訳なしの本心でどうしたいかを決める。

 それが大事な事だと思った。

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