第三十五話 試験中

『おはようございます、みむろの皆さん! 昨日の夜は、よく眠れましたか? さっそく出港作業に入ります! 今日もよろしくお願いしますね!』


 朝から元気な声が艦橋内に響いた。みむろの出港を手伝うタグを率いる、ミムロ軍曹の声だ。


「軍曹さん、朝からめっちゃ元気っすよねー」

「俺、めっちゃ寝不足だから、元気すぎる軍曹の声が頭に響いてツラい……」

「それって、めちゃくちゃ贅沢ぜいたくなもんくでは?」


 入港から一週間。いよいよテストの初日を迎えた。今日から数日間テスト海域に出て、米軍のミサイル試験場から打ち出されるミサイルの迎撃を行うのだ。


「ここはテストに向けて、軍曹の元気な声で、気合を入れてもらうって手もあるぞ」

「いやあ、ちょっとあれは元気すぎっしょー、テンション高すぎて俺、倒れそう」

「やっぱりそれ、贅沢ぜいたくなもんくだと思います」


 軍曹の号令で出港準備が開始された。岸壁のボラードに結んであったもやいをとくと、タグがみむろを引いて後進を始める。


「なかなか手早いな」


 船体が岸壁から完全に離れると、前の部分を引っ張っていたタグが、お互いをつないでいたもやいをとき、素早く船体の反対側に回りこんだ。


「驚くほど無駄なく効率的に動いてますね。まあそれだけ、ここがせまく、出入りが激しいということなんでしょうが」


 艦長と藤原ふじわら三佐が、タグの動きを見ながら感心している。二隻のタグは、湾に出るまで、みむろのエスコートをしてくれた。そして湾の出口にさしかかると、それぞれがゆっくりと離れていく。にぎやかに汽笛が鳴り、タグに乗っていた人達が、こちらに向けて手をふってきた。もちろん操舵室にいる猫神様と猫神候補生も、尻尾をふって、俺達を見送ってくれている。


『では、いってらっしゃい、みむろ! テスト、頑張ってくださいね! グッドラック! えーと、こういう時も、ヘイジョウシンですよ!』


 軍曹の声がスピーカーから流れた。


「ありがとう、ミムロ軍曹。帰りもまたよろしく頼みます」

『お任せください、オオトモ艦長! ではまたのちほど、お迎えにあがります!』


 タグが完全に離れたところで、機関が動き出す。


「さーて、いよいよだなあ……」

「いよいよですねえ……」


 艦長と三佐がつぶやいた。


「二人して、朝っぱらから、なに辛気臭しんきくさい顔をしてるんですか。せっかくの晴天で訓練日和びよりなんです、にっこり笑顔にならないと」


 山部やまべ一尉の声に、二人が同時にこっちを見る。二人はなんとも言えない表情だ。


「なにか言ったかな、砲雷長になりたくない山部君」

「なんだって? なんなら、今からでも交替してやろうか?」

「二人とも目がマジっすよ……」


 その場にいた俺達は、心の中で「ひぃぃぃ」と悲鳴をあげ震え上がった。


「ひどいな。艦長と副長が緊張しているようだから、リラックスしてもらおうと思ったのに。部下の心遣いをなんだと思ってるんですか」


―― とてもそうは思えない…… ――


「そういうことにしておくよ。今後のみむろ運用のためにもな」


 艦長があいまいな笑みを浮かべる。


「では艦長、私は一足先に戦闘指揮所CICで準備に入ります」


 気を取り直したらしい三佐がそう言った。


「よろしく頼む」

「はい」


 三佐が向かう先は、砲雷科と船務科の面々、そして米海軍の担当官が待機している戦闘指揮所だ。そこはみむろの火器管制システムのある管制室で、砲雷科、船務科以外の乗員は、めったに入ることが許されない場所だった。


 艦橋を出る直前、三佐はすれ違いざまに、一尉の肩に手をやる。とたんに一尉が小さい声で「いててて」と言ったのが聞こえた。どうやらかなり強い力で、一尉の肩をつかんだようだ。


「まったく、大人げないんだから、副長」

「どっちがだ」


 三佐は笑いながら、艦橋をおりていった。


「ところで、波多野はたのは迎撃訓練中の、CICの様子をじかに見たことあるか?」


 艦長が俺に質問をする。


「いえ。入隊する直前に、地本さんの資料映像を見せてもらっただけです」

「そうか。今日は入ることはできないが、こちらにいる間、砲雷科と船務科の仕事を理解するために、見学をすると良い」

「入らせてもらっても良いんですか?」

「写真を撮ることは許可できないがな。テストが終わってからになるが、藤原に許可を出すように言っておこう」


 めったに入ることが許されない場所、戦闘指揮所。その最大の理由は、イージスシステムという、機密のかたまりがそこに存在するからだ。俺がそこに入ることを許可されたということは、俺自身がそれだけ艦長に、信用に値する乗員だと認められたということになる。


「ありがとうございます!」


―― ん? ってことは、あそこを見学したら、もう退官することは許されないってことなのか? ――


 もちろん、一人前になるまでは辞めるつもりはないし、今のところ、退官の年齢がくるまで、自衛官を続けたいと思っているが。


「では俺も戦闘指揮所CICに移る。操艦そうかんの指揮は任せるぞ、山部」


 かなり沖に出たところで艦長が言った。


「了解しました。どうぞ、ご武運を」

「少なくとも、今朝のコーヒー分は頑張ってもらわんとなあ」

「このテストの後の、ねぎらいのコーヒーってやつも期待しているそうですよ」

「そりゃあ大変だ」


 ふざけた口調の一尉の言葉に、艦長はニヤリと笑った。


「いよいよですね。なんだか俺まで緊張してきました」


 テスト海域が近づいてくるにつれ、柄にもなく心臓がドキドキしてきた。


「波多野、今回のテストでは、艦橋の目の前をミサイルが飛ぶ。目と耳の保護だけは怠るなよ」

「了解です」


 みむろがテスト海域に入ったとたん、レーダーに感ありのアラートが、艦橋内に鳴り響いた。


「おいおいおい、もう打ち上げてきたのか? 話と違うじゃないか。まったく、毎度のことながら、アメちゃんは容赦ないな。全員、戦闘準備だ」


 ミサイル試験場から、こちらに向けて標的が発射されたとわかり、一尉がゆかいそうに笑った。そして艦橋にいる全員に、ライフジャケットの着用を指示する。それと同時に戦闘指揮所から、艦内に対空戦闘準備が発令された。一尉はヘッドセットから入ってきた指示を、先輩一曹に伝える。


「速度、進路は現状を維持」

「りょうか、え? 速度も進路もそのままって、本当にそれで良いんですか?」

「良いんだよ。うちの射撃管制員殿を信じろ、復唱はどうした」

「了解です。速度そのまま、進路そのまま!」


―― 比良ひらのやつ、緊張でぶっ倒れてないと良いけどな ――


「波多野、標的は右舷から飛んでくる、どうだ、なにか見えるか?」


 一尉の言葉に、言われた方角の空を双眼鏡を使って見上げた。だが今のところ飛んでくるものは見えない。


「まだ視認できません」

「いくらお前の優秀な目も、さすがにみむろのレーダーには勝てないか」

「少なくとも今のところは」


 戦闘指揮所からの、迎撃ミサイル発射を知らせるベルが鳴った。どうやらみむろのレーダーは、飛んでくる標的をしっかり捉えたらしい。大きな音がして、前方に設置された装置から、ミサイルが発射された。煙で一瞬、前が見えなくなる。


「うちのミサイルはちゃんと飛んだか?」

「は、はい! 正常飛行です!」


 双眼鏡で飛んでいるミサイルを必死に追いかけた。数秒後、小さく爆発する光が見えた。迎撃ミサイルが標的に着弾したのだ。


「爆破閃光を視認! 命中です!」

「よっしゃ。さすがうちの射撃管制官殿、もう職人芸だな、こりゃ」


 続けて第二波が来るのではと警戒したが、その後はみむろが予定のポイントに到達するまで静かなものだった。


 そしてそこで、みむろに乗艦していたアメリカ海軍の担当官から、最初の一発はテストではなく、歓迎の一発だったと知らされた。実際に標的が飛んでいたコースを調べると、みむろの横を明後日あさっての方向に飛んでいくもので、とても命中しそうにないものだった。


「なにも知らされずにこっちに向けて飛ばされたら、そりゃ迎撃しなきゃって思うよな。迎撃テストの最中なんだから。なにが歓迎の一発だよ」

「歓迎でミサイルを飛ばすんですか、アメリカって」

「んなわけあるか。不意打ちしてやろうと思ったのに、みむろが撃墜したから悔しがってるんだよ。艦長と副長は、おかげでスコアが一つかせげたって、喜んでいるらしいぞ」


 一尉が悪い顔をしてヒヒヒッと笑う。その話を聞いた俺達は、あまりなことにポカンとするしなかった。


「でも歓迎の一発なら、命中判定分に加えてもらえないのでは?」


 俺がそう言うと、一尉はニヤリと笑った。


「んなもん、うちの艦長と副長のことだ、ニコニコしながらごり押しするに決まってるじゃないか。みむろのあのミサイル、一発いくらだと思ってるんだ? 妖怪ゴリゴリ様と副長様をなめんなよ?」

「ちょっと、その妖怪ゴリゴリって、まさか艦長のことですか?」

な、ゴリゴリやってるだろ。あ、これ、艦長には内緒な?」


 まったく、うちの幹部ときたら……。いや、うちの航海長だけが、飛びぬけて自由すぎるんだろうか?



+++++



 その日のテストが終了した後、帰港してから、アメリカ軍が撮影していた映像を見ることになった。集まったのは今回のテストに参加した砲雷科、船務科、そして艦橋にいたメンバーだ。


「この感じ、うちのが標的の横っ腹に当たってますね」


 VLS員の先輩が、最初の歓迎の一発の様子を映した動画を、一時停止して言った。


「ということは?」

「発射のタイミングが少し早かったってことです。いくら自動追尾が可能と言っても、限界はありますからね。これ以上早かったら、空振りしていたかもしれません。撃墜に成功はしてますが、自分達的にはハズレだったということで」

「でも、アメリカからは撃墜成功の判定が出ているんですよね? だったらそれで良いのでは?」


 俺も比良もハズレ認定に納得できず、思わず口をはさむ。


「なにを言ってるんだ、比良、波多野。当てるからには、標的には真正面からインターセプトだろ」

伊勢いせ曹長と同じこと言ってる……」

「砲雷科なら、伊勢じゃなくても全員そう言うぞ」


 その場にいた砲雷科の先輩達がそろってうなづく。俺としては、真正面だろうが横だろうが真後ろだろうが、撃墜できればそれで良いじゃないかと思うんだが、先輩達はそうではないらしい。


―― さすが職人魂、なのか? ――


「えーと、航海科に関してはどうなんでしょうか。今回の操艦そうかんで、射撃管制の立場から見て、特に改善すべきところはあったでしょうか?」

「そっちは問題ないと思う。今回も俺達の指示にうまく対応してくれていたよ。俺達にわからないところは、そっちで話し合えば良いと思うぞ」

「そうですか」


 操艦そうかんを任されていた先輩一曹は、その言葉にホッとした表情を見せた。戦闘指揮所からの指示で、防御態勢を取りやすい方向にふねを素早く向けることも、戦闘をするうえで大事なポイントだからだ。


 そして「めざせドンピシャ」なんて変な合言葉ができたのは、この時だった。もちろん、砲雷科も船務科も口だけの集団ではない。毎日のテストの中で発射手順の微調整を重ねていった。


 そうしていくうちに、とうとう『海自はクレイジーだ』と言われるまでになってしまった。もちろん本人達は、そう言われて喜んでいるんだから、それはきっと最大級のほめ言葉なんだろう。

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