第三十四話 試験前

 更新テストが始まるまでの一週間、みむろは入港したままだが、俺達はそれなりに忙しかった。更新テストに参加する砲雷科と船務科の連中は、砲雷長の藤原ふじわら三佐、船務長の小野おの一尉とともに、アメリカ海軍さんとの事前講習に参加している。それ以外の俺達は、艦内で訓練をしたり、異文化交流に参加したり、自由時間?なそにそれ美味しいの?な状態だ。


「……」


 テストの開始日が迫ってくると、食事の間もテキストを読みふける連中の姿が多くなってきた。目の前に座っている比良ひらも、真剣な顔をして手元のテキストを読んでいる。


「なあ、比良ぁ。食うか読むかどっちかにしないか?」

「……ですよねー」


 俺が声をかけると、比良は顔を上げずに返事をした。


「そんなんじゃ、なに食ってるか、わかんないだろ?」

「ですよねー」


 今度はうなづく。


「俺の話、聞いてるか?」

「ですよねー……」

「聞いてないじゃないか」


 手をのばしてデコピンをした。比良が驚いた顔をしてイスから飛び上がる。


「うわ、波多野はたのさん、なんですか!」

「だから、食うか読むか、どっちかにしろって話」

「ああ、そうですね。まずは食べます」


 テキストを閉じて横によけると、飯を食い始めた。


「砲雷科と船務科、大変だな」

「いつも通りにすれば、特に問題ないって言われるんですけどね」


 比良は溜め息まじりに答える。


「シミュレーションは何度もやってますけど、実際の弾頭を相手にする迎撃訓練の回数なんて、たかが知れてるじゃないですか」

「そりゃまあ、そこはしかたないよな、予算の問題もあるし」


 どんなものにもついて回る予算。使える予算が限られていることもあり、日本の自衛隊は、なかなか実弾を使っての迎撃訓練を増やすことが難しい。


「そうなんですよ。そういう経験に裏付けされた、自信みたいなものがイマイチで」

「ま、俺達はまだ訓練中の身だから、よけいに無いよな、そういうの」

「でしょ? でも波多野さんは、もうすっかりベテランの貫禄かんろくですよ」

「そんなことないだろー」

「そんなことあるでしょー」


 訓練中ということもあって、艦長のはからいで、航海科の仕事だけではなく、航海に関係してくる船務科の仕事なども含め、色々なことを経験させてもらっている。だが、自分が本当に航海科の職務に向いているのかどうか、まだはっきりとした自信はなかった。


「まだまだ、一人前には程遠いよ。航路図を作ったりするのは好きだし、そっちは自信があるんだけどなー」

「航海科なら、やっぱり一日でも早く、操艦そうかんを任されたいですか?」

「そりゃまあ?」


 そのために頑張って国家資格もとったのだ。早く一人前になって、ふね操艦そうかんを任されたいという気持ちは当然ある。


「そういう比良はどうなんだよ」

「俺ですか? そうですねえ……自分が割り出した数値で、弾頭が対象物を破壊したら、気持ちいいですよね」


 つまり比良がなりたいのは射撃管制員だ。一見ノンビリ屋に見える比良だったが、もうすでに、自分がやりたい任務をしっかり見つめているのだ。そういうところは、ある意味うらやましかった。


「でもその前に、伊勢いせ曹長から、気力体力筋力をなんとかしろって、言われてるんですよね、俺」

「心配するな、比良。それはお前だけだけじゃなく、俺や他の先輩達も言われてることだから」


 曹長の乗員に対する体力低下の嘆きは本物だったようで、ここ最近、俺達全員の毎日の日課には、艦長公認の筋トレメニューが課されていた。トレーニングを始めた頃は、伊勢曹長を除くみむろ艦内の全員が、筋肉痛でうなるという困った状態に陥ったが、きっとそれも、今年の夏の良い思い出になるだろう。


「空き時間の筋トレ、地味にきっついもんなあ。伊勢曹長も砲雷科だから今はそれどころじゃないけど、テストが終わったらまた大変だぞ、きっと」

「ええー、俺達、陸自じゃないのに……」


 それでも最近では、全員がその筋トレを息切れすることなく続けられるようになってきた。気力はともかく、体力筋力的には順調に増えているらしい。


「ところで、今日も事前講習なのか?」

「ええ。講習は今日で最後なんですよ。明日はテストに向けて、シミュレーション三昧ざんまいになります」

「もう二日後なんだな、テスト」


 俺の言葉に、比良が声をひそめた。


「それもあって今朝あたりから、先輩達がピリピリし始めちゃって。だから波多野さんも、あまりテストが迫ってきたとか、大きな声で言わないでくださいね」

「なるほど。わかった、気をつける」


 緊張の度合いが違うのは、訓練中の俺達と、すでに第一線に立つ人間との違いだ。そこは俺も比良も理解していた。朝飯を食べ終わると、比良はトレーを返却しに行き、席に戻ってくると、再びテキストを開いた。


「比良もテストでは管制役をするのか?」

「いいえ。俺は先輩の横で見学させてもらうだけです。ただ、せめてきちんとシステムを理解して、邪魔にならないようにしておきたいなと思って」

「なるほど」


 そこで比良は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「でもテスト当日の朝は、一つだけ嬉しいことがあるんです」

「どんな?」

「艦長が戦闘指揮所に入る全員に、激励げきれいのコーヒーをご馳走してくれるそうなんですよ。三佐が言ってました」

「え、そうなのか? それはうらやましいな」


 きっと夜中に無心でゴリゴリしているのが、どうしようもなく増えてしまったに違いない。


「艦長にそこまでしてもらうんですからね。ちゃんと更新テストをパスしないとって、先輩達とも話してるんですよ」

「テストがんばれってのは当然として、コーヒーの味、感想を聞かせてくれよな、艦長コーヒー、興味あるから」

「わかりました!」



+++++



 その日、俺は午前中、舷門げんもん前で見張りに立つことになっていた。自分達の基地内であろうが、同盟国の海軍施設内であろうが、この手の任務は変わらなくおこなわれるものだ。


「しかし暑いよな……ハワイだからしかたないけど」


 だがここは常夏のハワイ。しかたがなくても暑いものは暑い。自衛官だってただの人間だ。できるだけ日陰になるところに立ち、直射日光に当たらないようにして立ち続ける。


「せめて、手持ちの扇風機とかウチワとか、持てたら良いんだけどなあ……」


 もちろん、そんなものを持って、見張りに立つことは許されない。


『人間は不便なものだな』


 そう言いながら甲板を歩いてきたのは、猫大佐だ。大佐は立っている俺の横にちんまりと座った。


「そっちは平気なのかよ」

吾輩わがはいは猫神だぞ? 暑さも寒さもまったく気にならん』

「それはうらやましい……」


 犬のにおいは気になるくせに、暑さや寒さはまったく平気らしい。


「あ、ところでさ、聞きたいことがあるんだけどな」


 しばらくお互いに黙っていたが、質問したいことがあったので、聞いてみることにした。


『なんだ』

「ここにくる途中で、記念艦ミズーリがあっただろ? あれには猫神はいるのか? あと日本にも何隻かあるよな? 横須賀の三笠みかさとか、あと南極観測船とか、船体は残ってるけど中は博物館的になってるやつ」

『船としての形はあっても、あれはもう船ではないからな。だから本来は猫神などおらん』

「そうなのか」


 少しだけガッカリした。休暇の時に見にいけば、もしかしたら猫神様に会えるかもしれないと期待していたのだ。


『だがその船に愛着を持つ猫神なら、船としての役割を終えた場所にでも、居座り続けるだろうな』

「ってことは?」

『アメリカの戦艦は知らんが、日本の展示されている船には猫神が居残っているものもあるぞ』

「どれ? どの船?!」

『うるさい、そんなに騒ぐな』


 大佐は腹立たしげに尻尾で俺の足をたたいた。


『どうしてそんなことが気になるのだ』

「だってさ、他の船の猫神とも会ってみたいじゃないか。俺、他の船のが見えるんだから、そっちの猫神も見えるんだろ?」

吾輩わがはい達は見世物ではないのだがな』

「そんなこと、わかってるよ。でもさ、あんな可愛い子猫を見ちゃったら、他のも気になりだすじゃないか。もしかして、すっげーヒゲの長い、長老猫みたいなやつもいるんじゃね?」


 毛と体が一体化した、掃布そうふのお化けのような猫を思い浮かべる。


『そこまで興味がない』

「えー……がっかりだ。あ、それとお世話係さんもいるんだろ? その人達も、相波大尉みたいな軍人さんばかりなのか? どの船にもいるってことでOK?」

『まったく、お前ときたら。子猫なみの好奇心だな、困ったヤツだ』


 尻尾で俺の足をたたき、さらに大きなクシャミをした。


「だって、そっちも気になるじゃないか」

相波あいば、答えてやれ。吾輩わがはいは答える気になれん』

「なんだよ、自分がお世話されてる人だろ?」

『うるさい。別に吾輩わがはいが頼んでできた係ではない』


 俺達の後ろでクスクスと笑う声がした。振り返ると相波大尉が立っていた。


『そうですね。漁船や水上警察が使うような小さな船には猫神様しかいませんが、大きな船になると、私のような猫神様のお世話をする者がいますね』

「どうやって決まるんですか?」

『たいていは、その船に関係する人達です。たとえば護衛艦や潜水艦なら、私のような軍人が。商船だとどうでしょうね、私がお会いしたことがあるのは、外国の貿易商のかたでしたよ』

「見たいです、じゃなくて会ってみたいです!」


 なるほど。小さな船にはお世話係はいないのか。そこはなんとなく納得できる。しかし、そんなに色々な職種の人が、猫神様のお世話係になっているとは。これは是非とも、別の船のお世話係にも会ってみたい。


『波多野さんのように、私とお話ができる人はまれですからね。そのうち、噂を聞きつけて、あちらこちらの猫神様とお世話係が会いに来るかもしれませんよ』

「おお、それは楽しみだ!」

『やめろ、そういう客人はうるさいだけだ。吾輩わがはいは認めんぞ』

「なんだよ、たまには俺達みたいに、他の船の猫神やお世話係とも交流しろよ」


 大佐は俺の言葉に、つまらなさそうな顔をしてフンッと鼻を鳴らした。


 大佐と話をしているうちに見張りの時間が終わり、次のヤツと交替して艦内に戻った。艦内は停泊中ということもあり、機関は動いてはいるがずいぶんと静かだ。艦内の自販機でミネラルウォーターのペットボトルを買って、自分の部屋に戻ろうとしたところで、妙な音に気がついた。


「……ちょ、まさか昼間っから妖怪か幽霊?」


 聞こえてくるのは頭の上からだ。なにかをこするような音。


「まさネズミが船体をかじってるとか言わないよな……?」


 見上げた先ににあるのは、空調の排気口だ。だが、音は間違いなく、そこから聞こえていた。


「なんの音だ?」


 その音に耳をすませながら、ふと思い当たるものがあった。


「まさか?」


 ペットボトルを手に、艦長室がある場所へと向かう。普段はなかなか来ない場所だが、ここは背に腹はかえられない。部屋の前に来ると、そっとドアに耳をつけてみた。


 ゴリゴリゴリゴリゴリ、ゴリゴリゴリ……


―― うわ、昼間もゴリゴリやってる…… ――


 それは間違いなく、艦長がコーヒー豆をひく音だった。その音が、なぜか空調ダクトを通して聞こえていたのだ。まさかゴリゴリ作業を、昼間までやっているとは。


―― 艦長、心配しすぎだよ……あ、それか激励コーヒーのためだったりしてな…… ――


 どちらにしろ艦長という立場は、つくづく大変なんだなと思った瞬間だった。

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