第三十三話 ハワイ到着 2

「おっしゃー、接岸作業、完了! お疲れさん、俺!」


 岸壁にふねが固定されると、操舵を任されていた先輩一曹が、その場で両手をあげてのびをした。


「お疲れさん」

「お疲れすぎて、当分、ふねは動かしたくありません!」

「残念ながら、7日後には更新テストで出港だ、操舵そうだはお前と決まっている」

「ガッカリです」


 山部やまべ一尉の言葉に、先輩一曹はその場で突っ伏した。ただこれは、接岸作業完了時のお決まりのやり取りで、先輩が本気でそう言っているわけでないのは、その場にいる全員が理解していた。


『接岸完了、確認しました。皆さん、長い航海、お疲れさまでした! では、次の出港の時にお会いしましょう!』

「ありがとうございました、ミムロ軍曹。次の出港の時も、よろしく頼みます」

『アイ・サー! お任せてください!』


 大友おおとも艦長の返答に返事があり、二隻のタグはにぎやかに汽笛を鳴らしながら、離れていった。


「今回の作業で、曳航船えいこうせんのイメージが変わりましたよ」

「日本の場合、男は黙って仕事をする、みたいな船乗りが多いもんな。うちの基地の皆本みなもと曹長、あれでも他の船長に比べてしゃべるほうらしいぜ」

「マジっすか」


 先輩の言葉に驚く。皆本曹長は普段は無口で、陸地でまともにしゃべっているところを見たことがなかった。俺が初めて曹長の声を聞いたのは、実のところ、みむろの引き出し作業をしている時だった。


「さて。入港して一息と言いたいところだが、歓迎式典が待っているんだったな」


 艦長が少しだけ憂鬱ゆううつそうに言った。式典は外国に寄港した時にある恒例行事だったが、艦長としては式典に参加するより、艦長室でコーヒー豆を無心でひきたいところなんだろう。


「ゆっくりできるのは、もう少し先か」

「夜にはレセプションもありますからね。そちらも忘れないでください」

「ああ、そうだった」


 藤原ふじわら三佐の指摘に溜め息をつく。


「艦隊司令主催の歓迎レセプションなんですよね?」

「そうだ。幹部はもれなく強制参加なんだよなあ」


 一尉も憂鬱ゆううつそうだ。


「行きたくないんですか? おいしいもの、それなりにたんさん出てくるんでしょ?」

「酒が飲めないんだ、楽しさ半減だろ」

「あー……」


 アルコール類が出てこないわけではない。ただ、任務中なので艦長達は飲まないというだけだ。こういうところは、海自は生真面目きまじめすぎると言われるらしいが、更新テストもひかえていることだし、俺は真面目すぎるとは思わない。


「しかも夏服で白だろ? 汚さないかと心配で、おちおち食ってもいられないって話さ」

「なるほど。ご愁傷様しゅうしょうさまです」

「ほんとだぞ」

「さあ、ここでグズグズしていてもはじまらないな。幹部と参加することになっている者は、まずは着替えて、甲板に集合だ」


 式典には、幹部と、各科の持ち場を離れられない者以外が参加することになっていた。俺や比良ひらなど、訓練中の乗員は問答無用で留守番組だ。


「お役目ご苦労様です。行ってらっしゃい」


 艦橋からおりていく艦長達に声をかける。


「俺達がいないからって、遊んでるんじゃないぞ~?」

「わかってます。ちゃんと留守を守っていますから、安心して式典に参加してきてください」


 ただ、どんな人達が集まっているかは興味があったので、見張りを口実に、双眼鏡を手に艦橋の横に出た。そして下を双眼鏡を使ってみおろす。見たところ、民間の人達の多くが日系人のようだ。おそら日系人団体の人達だろう。そして領事館の関係者に、アメリカの軍関係者。かなりの人数だ。


「日系の人が多いせいか、下をのぞいていても外国だとは思えませんね。横須賀の岸壁だと言っても、違和感ないかも」

「ここは日系の人が多いからな。ただ、三世、四世ともなってくると、見た目は日本人でも、まったく日本語が話せない人が多いって言ってたな」

「へえ……」


 式典が始まるのはもう少し先のようなので、艦橋にひっこんだ。そして航路図で、今日までみむろがたどってきた航路を確認する。航路の変更はほとんどなく、日程もほぼ予定通りだった。


「幽霊騒動以外は、天候の崩れもなく順調でしたね」

「そうだな。こんなに良い天気に恵まれるのも珍しいかもしれない。もしかしたらお前達の中に、晴れ男がいたんじゃないか?」

「どうですかね。たんに船酔いしたくない比良の思いが、天気の神様にでも届いたのかも」

「あー、その可能性もあるか」


 出港前に、念入りに神棚で祈願をしたことが、効いているのかもしれない。


 しばらくしてサイドパイプの音が鳴り響き、艦長が下艦したことを知らせる。外に出て下をのぞくと、アメリカ軍の制服を着た人と、艦長が握手をしているのが見えた。あちらの軍楽隊が演奏を行い、艦長を始めとする幹部達には、現地女性からレイが贈られていた。


「女の人にレイを贈られてますよ、艦長達。皆して、鼻の下をのばしてデレデレしてるんじゃないっすかねー、あれ」

「かもなー、ここしばらくは、むさ苦しい男ばっかだったもんなー。艦内は今もだけど」

「ちょっとうらやましいっすねー」

「だよなー」


 幹部がいないことを良いことに、好き勝手な感想を言い合う。最近は艦艇勤務につく女性隊員もかなり増えてきた。だが、このみむろは今どき珍しい男所帯の護衛艦だった。もちろん、だからと言って変な性癖に走るヤツがいるというわけではない、念のため。


 下ばかり見ているわけにもいかず、視線を上へと移す。離れた場所には、アメリカ海軍の軍艦が停泊していた。おそらく、みむろの兵装更新テストに同行するふねだろう。そしてあのふねにも、入港作業をサポートしてくれたタグと同じように、猫神様がいるはずだ。


―― こっちの猫神様ってやっぱり英語をしゃべるのかな……。ってことは、うちの大佐とは言葉が通じないってことなのか? ――


 それとも、神様的な共通語でもあるのだろうか? それと、ここに来るまでにあった、記念艦ミズーリも気になった。日本にも三笠みかさなど現役を退しりぞいた艦船が何隻か展示されているが、あそこには猫神様はいるのだろうか。これは、猫大佐に聞いてみる案件かもしれない。


―― それと、あの子猫、もっと近くで見たいよな…… ――


 小さな猫神候補生の姿を思い出して、思わず顔がにやけた。



+++



 長い航海中の間には、船体についた塩分を洗い流すため、何度か真水を使っての洗浄作業をおこなっている。ただ、いくら海水を真水にする装置があるとは言え、真水が貴重なのには変わりない。それもあって、徹底的な洗浄は、入港してから行うことになっていた。


 式典が終わり、岸壁にいた人達がいなくなると、俺達は洗浄作業を開始した。


「うわっ、ちょっと、なんで俺にかけるんですか! かけるのは単装砲たんそうほうでしょ、単装砲たんそうほう!」

「すまん、お前の後頭部の形、単装砲かんそうほうみたいに絶壁だからさ、間違えたわ」


 後ろから水を浴びせかけられ、その場で飛び上がりながら抗議した。ホースを持った先輩がニヤニヤしながら、さらに水をかけてくる。


「水を遠慮なく使える港だからって、やりすぎです!! それに俺の後頭部、絶壁じゃないっすよ!!」

「どう見ても絶壁だろー」

「俺の後頭部が水圧で絶壁になったら、先輩のこと、訴えますからね!」


 遠慮なしにかけられる水にたまりかねて、怒鳴り返した。だが、このぐらいでやめてくれるような優しい先輩は、うちのみむろには存在しない。


「いや、だって、暑いだろ?」

「暑いですけど、それより洗浄が先でしょ! ぶはっ!!」


 もろに水が顔にあたった。


「おいこら、キャッキャウフフするのは良いが、まだ後ろの洗浄が残ってるんだから、早くしろ。……なんだ、なんでそんな顔をして俺を見る」


 厳しい顔をした、先任伍長の清原きよはら曹長がやってくる。だがその場にいた全員は、曹長の叱責に慌てるどころか、あんぐりと口を開けて固まった。


「キャッキャウフフ……」

「曹長の口からキャッキャウフフなんて単語が出るなんて」

「いま、幻聴が聞こえた気がしました、キャッキャウフフって」


「まったく、お前達ときたら! さっさと作業を進めないか! 呑気に一日中それをやってるつもりか!」


 俺達と同じように、その場で固まった曹長だったが、すぐに我に返り、怒鳴りながら俺達を掃布そうふで追い回し始めた。


 それを見ていたらしいアメリカの海軍さんが、『二ホンのネイビーは楽しそうだネ』と言ったとか言わなかったとか。



+++++



 そしてその日の夜遅く、艦隊司令主催のレセプションに出席していた艦長達が、手土産をたずさえて戻ってきた。手土産は、なんと全員分のドーナツだった。


「なんでこんなにドーナツを?」


 手土産というには物々しいコンテナに、その場に居合わせた全員がドン引きしている。


「んー……アメリカだからか?」

「アメリカでドーナツと言えば、そこは軍人じゃなくて警察官でしょ」

「そんなこと言われてもなあ……」


 とにかく運び込まなければと、夜勤組の手のあいている連中が、コンテナからドーナツが入った箱を出し、バケツリレーの要領で艦内へと運び込んでいく。その場にはドーナツ特有の、甘いなおいが漂っていた。


「いくらなんでも多すぎですよ」

「これでも一人一個なんだぞ。どうせなら朝飯の時に五個ずつぐらい食べるか?って言われたんだ」

「さすがアメリカン、どんな胃袋なんだか」


 つまり、今の五倍の量を持ち帰ってくる可能性があったわけだ。果たして置く場所の確保はできるだろうか?


「ああ、そう言えば、今回は入港ぜんざいを食べてないよな。あれのかわりにドーナツを食うか」

「もうとっくに入港してますけどね……」


 運び込む作業をしながら、ふと心配になったことがあった。


「あの、航海長?」

「んー?」

「まさか、このドーナツ、アメリカ海軍の伝統色でデコってあるってことは、ないですよね」

「……いや、どうだろうな」


 一尉は首をかしげてみせる。アメリカ海軍の伝統色はもちろん『青』だ。こちらの海軍さんでは、頻繁ひんぱんにその色を使ったケーキが登場するので、日本人の俺達にとっては要警戒の伝統だった。


「え、見てないんですか?」

「ああ。ここの司令にドーナツ用意したから持って行けって言われてな。コンテナごと渡されたんだ」

「こちらの艦隊司令、豪快すぎ……」


 しかし一尉も気になりだしたのか、リレーを途中で止めさせ、箱の中身を確認してみることにした。


「どれどれ……おお」

「あ、これは……」


 予想どおり、ドーナツには伝統色を使ったアイシングがされていた。だがそれは、俺が心配していたようなものではなく、白いアイシングの上に書かれた文字のみだった。


「welcome、JapanNavyって書かれてますね」

「すごいな、これ、全部に書かれているんだろ? どんだけ手間ヒマかけたんだよ、海軍さん」

「いやー、これはすごいや。安心しましたけど、このアイシングは甘すぎて胸焼けしそうだ。これは食べる時に、艦長のコーヒーが必要かも」


 だが相手の好意でいただいたものだ。ちゃんと全員で美味しくいただかなくてはならない。


「そういうわけで、明日の朝飯にはドーナツが一人一個でるから。ちゃんと全員、食えよ?」

「艦長のコーヒーは?」

「ない」


 きっと幹部はコーヒーにドーナツなんだろうなあと、うらやましく思いながら、明日の朝は濃いめのお茶にするか、と考えた。

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