第三十二話 ハワイ到着 1

「うおー、ハワイだ!!」

「お前は子供か」


 俺が、目の前に見えてきた島に感激していると、その横で山部やまべ一尉が笑った。横須賀を出港して一週間とちょっと。やっとまともな陸地が見えた。ここしばらくは、どこを見ても海ばかりだったので、緑色や茶色の存在が非常にうれしい。


「だって俺、初めてなんですよ、ハワイ!」

「そりゃ残念だったな。今回は訓練三昧ざんまいになるから、おそらくまともな観光なんてできないぞ」

「えー……一日ぐらい上陸許可、出ますよね?」


 期待しながら質問をしてみる。だが一尉はどうだろうなと、首をひねるばかりだ。


「さて、どうだろうな。更新テストの結果次第じゃないか? 結果が散々だったら、のんびりバカンスなんてやってる場合じゃなくなるだろ?」

「でも日本に帰ったら、もう夏期休暇をとれるタイミングじゃないんですよ? もしかして今年は夏休みなしなんですか?」


 それはあまりにもあんまりだ。一週間とは言わないまでも、少なくとも一日ぐらいは自由行動が許される日がほしい。


「だから、更新テスト次第だって言ってるだろ。休暇がほしいなら、せいぜい砲雷科と船務科の連中にはっぱをかけてやれ」

「やめろ、山部。今から胃が痛くなる」


 向こう側に立っていた藤原ふじわら三佐が、胃のあたりに手を当てて顔をしかめた。


「なに言ってるんですか。乗員の休暇がどうなるか、副長達の腕次第なのは本当でしょうよ」

「だから言うな。胃が痛い」

「またまたそんなこと言って。そんな繊細な胃壁じゃないでしょ、副長の胃は」

「失礼なヤツだな。言っとくがな、艦長の毎日のコーヒー消費量も順調に増えている。これ以上、艦長と俺の胃が痛くなるようなことは言うな」

「まーた、そんなこと言っちゃって。本当はとも思っていないくせに」


 ヒラヒラと手を振りながら笑う。


「お前も砲雷長になって、このテストを受けてみたらわかる」

「じゃあ俺は、退官するまで絶対に、イージスの砲雷長にはなりません」


 幹部はいわば管理職だ。部署が固定される俺達と違って、転属するたびに様々な部署の長になる。だから一尉が次に艦艇勤務になった時、砲雷長に任につかないとは限らない。


「ほー……そんなになりたいのか、砲雷長に」

「うおっ!! 艦長!!」


 背後にヌッと大友おおとも艦長があわられた。めずらしく一尉がその場で飛び上がる。


「山部君、次の艦艇勤務になる時は、是非ともイージス艦の砲雷長に抜擢されたしと、一筆書いてやろう」

「いえいえ、つつしんでご遠慮申し上げます」

「君にもこの苦労を是非とも味わってほしいんだがな」

「いえいえいえいえ……」

「遠慮するなんて、山部らしくないぞ」

「いやいやいやいや……」


 言葉をかわしている三人の笑顔が非常に怖い。


「まあそれはそれとして。藤原、こっちのコーヒーはどうなんだ?」

「あー、コナコーヒーが有名ですね。コーヒー染めのTシャツなんてのが売っているらしいですよ。コーヒー豆、補給物資のリストに加えておきますか?」

「ああ、頼む」

「コーヒー染めってなんですか?」


 初めて耳にする単語に興味をひかれた。


「言葉通りさ。Tシャツなんかをコーヒーで染めているんだ。最初に着た時、それを知らされてなくて、においがして驚いたものさ」

「へえ……ハワイのお土産としては意外性がありますね」


 俺の中のハワイのイメージは、パイナップルとマカダミアナッツと海ぐらいなものだった。


「だが、まずはコーヒー豆の調達だな。艦長、今回はどのぐらいの量にしておきましょうか。次の補給に関しては、復路で使う物も含まれることになりますが」

「そうだなあ……」


 その会話を聞いて提案することを思いつく。


「毎日飲むのでしたら、豆を調達するより粉を調達したほうが楽なのでは? 最近はドリップ式のものがたくさん出てますよ?」

「それは俺も最初に提案したんだがな」

「豆をひくと落ち着くんだ」


 艦長が真面目な顔をして言った。そしてその横で、一尉と三佐が苦笑いを浮かる。


波多野はたの、こんど一緒に艦長室の前に立ってみるか?」

「はい?」


 一尉の言葉に首をかしげた。


「ドアの前に立っているとな、聞こえてくるんだ、毎夜毎夜」

「え、怖い話なら当分は聞きたくないんですが」

「いいから聞けよ。毎夜毎夜な、艦長室のドアの向こうから聞こえてくるんだ。ゴリゴリゴリゴリって音が」


 話の流れから、一瞬、艦長はコーヒー豆をそのまま食っているのか?と考えた。だがそれなら、ゴリゴリではなくボリボリのほうが正しい擬音だ。となると……。


「まさか艦長、夜中に豆をひいているんですか?!」

「別に夜中にひくとは決めてないんだがな。落ち着くんだよ、コーヒーミルを回していると。余計なことを考えず、無心になれるんだ」

「怖い話だろー?」


 一尉がニヤッと笑った。つまり、更新テストの心配で、艦長はな、自室でコーヒー豆をひいているらしい。


「ま、そのお蔭で俺達幹部は、朝からうまいコーヒーにありつけるんだがな」


 なにやら聞き捨てならない話だ。


「それはずるい気がします。幹部だけではなく、たまには乗員全員に振る舞うべきでは?」

「そんなにゴリゴリしたら、艦長、腱鞘炎けんしょうえんになるだろ」

「今回の往路でひいた豆のトータル、全員に振る舞っても大丈夫な量だったかもしれないですね、艦長」


 三佐の言葉に艦長は笑う。


「今はまったくあまっていないが、そうだな、機会があれば全員に振る舞ってみるか」

「深夜の散歩以外に艦長カフェなんて開店したら、みむろは大変なことになりますよ」


 一尉が少しだけ真面目な顔をして言った。


「そうか?」

清原きよはら先任伍長から、風紀が乱れると物言いがつきます。さらには大河内おおこうち三佐から、豆予算が激増したとクレームが。こういうのって、副長がブレーキ役になるべきことなんじゃ?」

「だが山部、コーヒーを御馳走になっている俺達がそれを言っても、まったく説得力がないだろ?」

「まあ確かに?」


 ふむ。艦長が転属になるまでに、是非とも艦長が豆をひいたコーヒーにありつきたいものだ。



+++++



 みむろが停泊するのは、民間の船舶が停泊する港ではなく、米国海軍の施設内にある港だった。隔離された場所ではなかったが、遠目にながめることはできても、いつものように一般公開ができるような場所ではなかった。


 施設手前の湾内に入ったところで、米軍のマークをつけたタグボートが二隻、こちらに近づいてきた。


『ようこそ、海上自衛隊みむろの皆さん。私はみむろの接岸作業のサポートを任されました、ミムロ軍曹です! よろしくお願いします!』


 スピーカーから流れてきたのは、流ちょうな日本語を話す女性の声だった。英語での会話になると思っていただけに、心づもりをして身構えていた全員が、しばらくポカンとした顔をして固まった。


『もしもしー? あれ? 周波数、間違ってた? あってるよね? このポンコツジジイ、とうとうオダブツした?』


 こっちからの反応が返ってこなかったせいか、無線の向こうで通信機器が故障しているのでは?と、クルー同士で話しているのが聞こえてくる。真っ先に我に返ったのは副長の三佐で、急いでマイクをとると艦長に押しつけた。


「ああ、もうしわけない。こちらは海上自衛隊、護衛艦みむろの艦長、大友です。日本語がお上手なので大変驚きました。お名前が当艦と同じミムロなのですね」


 艦長が通信を返した。


『通信も私の日本語も問題ありませんか? 良かった! 私、父が日系三世で、ファミリーネームがそちらと同じミムロなんです。それもあって、今回のサポートを任されました。滞在中は私のタグチームが、すべての入出港サポートを担当しますので、よろしくお願いします!』

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 タグボートは、みむろの横についた。


「めちゃくちゃ元気な人ですね。でも日本語を話す人で良かったです」

「まったくだ。さて、ここからは入り組んだ地形になる。地元のタグボートが押してくれるが、気を抜くなよ」


 あらためて地図を見る。ここは、地元基地がある湾よりもさらにいりくんだ地形だ。これはさすがに、タグボートのサポートがないと難しい。


「俺達の艦が停泊するのはここだ」


 一尉が指でさす。湾の奥にある場所。その手前はSの字になっている水路があった。


「ここのSの字、大変そうですね、曳航船えいこうせんのほうも」

「だろ? だからここは余計なことをせず、あちらの指示に従い、おとなしくされるがままになることだ」

「なんですか、それ」

「若いころ、ここに入港した時、『海自の操艦技術が高いのはわかっているが、ここでは大人しくお世話されてろ』って怒鳴られたことがあるんだよ」

「へえ……」


 二隻のタグは手際よく前後ろと場所を変えながら、みむろを押して湾内のせまい水路を進んでいく。その途中、みむろの機関に対して、軍曹の指示が何度か入ってきた。最初の明るい口調とは打って変わって、仕事をしている時の軍人そのものの口調だ。


「ミムロ軍曹が日本語で話しているというのもあるんでしょうが、こういう時の指示って、日本もアメリカもあまり変らないですね」

「この手の決まりごとは、海でも空でも万国共通だからな」


 相手が日本語を話せるということもあり、俺達にとってはずいぶんと気持ち的に楽な入港となった。


「しかし腕がいいな、あのタグ。うちの皆本みなもとさんとどっちが上かな」


 上からながめていた艦長がつぶやいた。


「皆本さんなら、相手をほめながら俺に決まってるって言うに決まってますよ」

「今回はラッキーだな。腕の良い港内曳航こうないえいこうに当たって」

「まったくです」


「あ」


「どうした、波多野」

「イルカがジャンプしたみたいで……」


 そう答えながら、双眼鏡を前に向けた。俺が言ったことは嘘じゃない。海面ではたしかにイルカがジャンプした。だが俺の目は、イルカよりも興味のある存在に釘づけだ。


―― おおー、いるいる、あのタグにも猫神様が。ってことは、猫神様も万国共通ってことか。ああ?! ――


 思わず、のぞいていた双眼鏡で二度見した。タグボートの屋根の上に鎮座している白猫の横に、小さい猫がいたのだ。


―― 子猫? もしかして子持ちの猫神? ――


『あれは修行中の猫神だな』

「!!」


 いつのまにか艦橋に上がってきて、窓辺に鎮座した猫大佐がそう言った。


「子猫から修行するのかよ……」

『猫神に生まれ変わった猫達は、最初はみな、ああいう姿をしている。そして、学びながら猫神として成長していくのだ』

「へえ……」


―― 比良が知ったら、転がりまくってもだえそうだな。子猫の猫神候補生なんて可愛すぎる! ――


「おい、波多野」

「はい!」

「お前、顔がどうしようもなくゆるんでいるぞ。初めての海外基地での入港作業なんだ、もうちょっと緊張感をもて」

「すみません!」


 一尉に注意されて表情を引き締めたものの、子猫を見るたびに、自分の顔がだらしなくゆるむのを止められなかった。


「波多野ー、顔!」

「はい!!」


―― あの子猫も、そのうち俺達のように訓練を終えて、一人前になっていくのか……そして ――


 窓辺に座り、入港作業を見守っている大佐に目を向けた。


―― こんなふてぶてしい態度をとるようになるのか……もったいない…… ――


『なんだ、その溜め息は。失礼な』


 大佐は不機嫌そうな顔をして、尻尾を激しくふった。

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