第三十六話 試験後

「さて、全員にうれしい知らせがある」


 朝、その日の申し送りを行うために集まった俺達の前に、副長の藤原ふじわら三佐が立った。


「昨晩遅く、アメリカ軍からテスト結果の通達があり、当艦の兵装運用状況は問題なしとのお墨付きが出た。この結果に気を抜くことなく、それぞれの部署でさらなる研鑚けんさんに励んでほしい」


 その報告に全員がホッとする。テスト期間中、特になにか失敗をしたわけではなかったが、正式な通達を受け取るまでは、どうしても落ち着けなかったのだ。これでやっと安らかに眠れる、と隣にいた船務科の先輩がつぶやいた。


「そして今回のテストだが、当初の予定よりも早く進み、結果も早々に出た。そのせいもあり、本来予定していた日程に、数日の空白ができた」


 そこで全員がざわつく。これはもしかしてもしかするのでは?と全員が期待をこめた視線を、三佐と、三佐の後ろに立っている艦長に向けた。


「本来ならば、出港日を繰り上げて早々に帰国すべきところではあるが、横須賀の司令部と相談をした結果、夏季休暇とまではいかないが、本来の出港日までの数日間を、休暇日として使えることになった」


 全員が声をあげ、その場でバンザイをする。その様子に艦長を始めとする幹部達が笑った。


「静かに! お前達、喜ぶのは良いが、ちゃんと話は最後まで聞け!」


 三佐が笑いながら手をたたいて、全員の注意をひく。


「今月分の給料は補給科から支給されるが、ドルへの両替は艦内ではできない。そこで支給日当日、つまり明日だが、こちらにある邦人銀行支店のご厚意で、臨時の両替窓口を艦内に開設することになった。遊びに飛び出す前に、きちんと両替をしておくように。では艦長からの通達。騒がずおとなしく聞け」


 三佐が後ろに下がり、艦長が俺達の前に立った。全員が敬礼をする。


「今あった副長からの通達のとおり、テストは無事に終了した。全員、ご苦労だった。今さら私から、テストの内容に関してあれこれ言うつもりはない。更新テストの反省点は、それぞれの部署で総括し、次にかしてほしい。休暇日が終われば、再び厳しい任務の日常が待っている。短い休暇だが、しっかりリフレッシュをしてほしい。以上だ」


 艦長の通達の後は部署ごとに申し送りが行われ、その日もいつものようにその場で解散となった。だが、部屋の空気はもう任務中のそれではなく、すっかり休暇モードだ。休暇日まではいつも以上に気を引き締めておかないと、先任伍長から雷を落とされ、休暇日を取り消しにされてしまうかもしれない。


「休暇日がもらえるなんて、ラッキーでしたね」


 比良ひらが嬉しそうに言った。


「だよな。今年は、これのせいで夏休みなくなるよなって、半分以上あきらめてたんだよ」

「俺もです。でも、急に休みだと言われても、困っちゃいますね。どこに行ったら良いのか、さっぱりですし」

「おみやげを買うぐらいしか、思い浮かばないよなあ」


 そのおみやげにしろ、どこに買いにいったら良いんだ? そんなことを考えていると、山部やまべ一尉が手をたたいて、その場にいる全員を注目させた。


「当然のことだが、ローテーションの都合で、休暇日は前半組と後半組でわかれてとることになる。今のハワイは、夏休みを利用しての日本人観光客もたくさんきている。日本人を見かけたからといって、喜んで変な気を起こさないように。特に若いヤツ! あまりハメをはずさないようにな」


 一尉の言葉にみんなが笑う。


「いや、笑いこどじゃないんだぞ、お前達。みむろがここに寄港していることは、今のところまだ正式にプレスリリースはされてないんだからな? その意味、わかっているな?」


 その言葉に、笑っていた者達が表情を引き締めた。


 最近ではSNSのお蔭で、誰もが様々な情報を、手軽に提供ができる時代だ。その中には、自衛隊の航空機や艦船をどこそこで見かけたといった、情報も含まれていた。昔に比べて、随分と身近な存在となり忘れられがちだが、基本的に自衛隊の行動は、機密事項になっていることが多い。今回のみむろのハワイ訪問も、正式に報道機関向けの発表が行われない限り、その機密の中に含まれているのだ。


「それから制服でうろつくことはないと思うが、言動にはくれぐれも気をつけるように。上からの好意をあだで返すなんてことは、くれぐれもしてくれるなよ?」


 了解しましたと、一斉に声があがった。


「注意事項はそれぐらいにしておいて、だ。いきなりの休暇で、どこに行けば良いのか迷ってどうしようもないヤツ、それぞれの日に、イルカウォッチングとオアフ島周遊の二つのツアーを確保してやったぞー。まずは前半組、参加したいヤツは~」


 小野おの一尉がそう言ったとたん、その場にいる前半組の連中が、我も我もと一尉のもとに押しかけた。


「まったく、お前達は子供か! いま山部から、言動には気をつけろと言われたばかりだろ!」


 囲まれた一尉は、その勢いにあきれたように笑うと、もう少し離れろと全員を押し戻す。


「船務長、めちゃくちゃ用意周到ですよね」

「だよなー」


 まるで、最初から休暇日が計画されていたかのようだ。……まさか、だよな?


「でも、俺みたいに初めての人間は助かるな、ツアー。比良はどうする?」

「イルカを近くで見たい気はするんですけど、船酔いしたら困るし。島の周遊も行ってみたいから、そっちにしようかなって」

「じゃあ、お互いに別々のツアーに参加して、あとで感想を聞かせあうことにしようか」

「それは良いですね」


 そんなわけで、俺達は、タナボタ(?)的な休暇日を楽しむことになった。



+++



『それは良かった。今日まで緊張した毎日を送っていたんです。ゆっくりできる日ができて、良かったですね』


 夜、部屋に戻ると猫大佐と相波あいば大尉がいた。さっそく休暇日の報告をすると、大尉がにっこりと微笑んでうなづく。


「そう言う大尉は休むってことはしないんですか? 神様はともかく、やっぱり幽霊も元は人間なんだから、24時間365日休みなしだと疲れるんじゃ?」

『そうですねえ……』


 実際、大尉がどんなふうに休んでいるのか、まったく想像がつかない。飯を食べるわけでもなく、眠るわけでもなく。そもそも幽霊は普段はどうやってすごしているんだ?


『ですが波多野さんが思っているほど、ブラックな状況ではないのですよ? ブラック、この使い方で間違いないですかね?』

「問題なしです。俺、大尉は絶対、大佐にこき使われているに違いないって、心配してるんですけどね。大佐がいわゆるブラック猫神ってやつです」

『なにを失礼なことを言っている。吾輩わがはいは、相波のことをこき使ってなどおらぬ』


 大佐が腹立たしげに鼻を鳴らす。


「いやあ、けっこうブラックだと思うけどな……」

『波多野さんと私とでは、時間の感覚も違いますしからね。たぶん、あなたが心配するほどのことは、起きていないと思いますよ』

『相波の言うとおりだ』

「そうかなあ……。ああ、で、なんでその話をしたかって言うと、大尉もツアーに参加しないかなって思ったわけです」


 話せば話すほど、横道にそれていきそうな雰囲気だったので、無理やり本題に入った。


『私もですか?』

「はい。移動に関しては、俺にけば良いわけですし、たまにはかんの外で、猫大佐の世話を忘れてノンビリしてみては?と思ったんですが」


 俺の言葉に、なぜか大佐は腹を立て、大尉のほうは少しだけ困った顔をする。


『前にも言ったと思いますが、私が人にくのはあまり良くないことなのですよ。人によっては体調不良を起こしますし、私の存在が余計な者達を呼ぶこともありますし。私、これでも幽霊ですから』

「だったら変なモノよけに、大佐も一緒なら問題なんいじゃ? 大佐、ふねの外に出られるんだよな?」

吾輩わがはいを虫よけと一緒にするな。桟橋さんばし程度の距離ならともかく、ふねの守り神たる猫神がふねを残して、遠くに行けるわけないではないか、バカ者め』


 尻尾でたたかれた。


「なんだ、がっかりだな。せっかくの休暇日なのに」

『このふねを守る吾輩わがはいが、このふねから遠く離れてどうするのだ。少しは考えてモノを言え』

「じゃあ、大尉だけでも? 俺は一緒にいても平気でしたし」

『お誘いはうれしいのですが、やめておいたほうが良さそうな気がしますね』


 大尉は残念そうな顔をして、首を横にふる。


「やっぱりがっかりだ」

『お気持ちはありがたくいただいておきますよ。私達の分まで楽しんできてください』

『変なモノをつれてきたら承知しないからな』


 下艦する時に大佐に言われるいつもの注意事項で、最近は少しばかり耳タコ気味だ。


「わかってるよ。だけど今のところ、そういうのを持ち帰った乗員はいないんだよな?」

『なにごとにも初めてというものはある。その初めてが、お前になる可能性もあるのだ。お前は前科があるからな。犬のにおいをプンプンさせて、乗り込んできたという前科が』


 その時のことを思い出したのか、大佐は不機嫌そうに尻尾を振り回す。


「それって前科なのか? 犬のにおいぐらい良いだろ? そもそもその犬はゴローで、ゴローは海自の一員なんだし」

『よくない。吾輩わがはいの艦に犬のにおいを持ち込むなど、言語道断ごんごどうだん!』


 どんだけ犬が嫌いなんだよ……とあきれてしまった。



+++++



「では、行ってきます!」

「おう、気をつけてなー。ちゃんと財布と携帯、それから身分証明書と許可証は持ったか?」

「「持ちました!」」

「許可証は、パスポート代わりになる大事なものだ、失くしたりするなよ?」

「「はい!」」


 休暇日の後半に入り、俺達の休暇日になった。私服に着替え、舷門げんもん当番に立っている先輩に見送られてふねを下りる。施設のゲート寄りの場所には、それぞれのツアーに出るマイクロバスが待機していた。


「不思議に思ったんですけど、あれ、誰が手配したんでしょうね?」

「それな。俺もすっげー気になってる」


 訓練中は幹部も含めて、そんなことをしている時間なんてなかったはずだ。ツアー先を決めて、それを引き受けてくれるところを探して、さらにはバスまで手配。小野一尉、もしくはうちの幹部達は一体どんな魔法を使ったんだろう。


「こっちに、旅行会社の知り合いでもいたのかもな」

「あ、なるほど。その可能性はありますね」


 実のところ、可能性として思いついたのはそれだけだった。


「だけど、そこは深く追求しないほうが良さそうだよな。知ってしまったら、心から休暇日を楽しめなくなりそうだし」

「ですね。今は、棚ボタの休暇日を楽しむことだけを考えましょう」

「そのとおり! じゃあ、また夜にな!」

「はい! そっちも気をつけて!」


 俺と比良は、それぞれのマイクロバスに乗り込んだ。

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