第十九話 警備犬 2
次の日。勤務時間が始まるよりもかなり早く、
「なんだよ
「そうなんですけどね……なんかゲームもイマイチ盛り上がらなくて。さっさと寝たら早く目が覚めて、グタグタしているのもアレなんで、出てきたんですよ」
「そりゃ珍しいこともあったもんだな。せっかく、のんびりゲームを楽しめる日だったのに」
「ですよねえ……」
ゲームが盛り上がらなかったのもあるが、実のところ、艦内の自分の寝床が気になってしかたがなかったのだ。
――
そして、その猫大佐は先輩二曹の横に座っていた。どうやら〝厄介なモノ〟をつけて帰ってくる隊員がいないかどうか、見張っているらしい。もちろん俺もその監視対象のようだ。
『思っていたより早く戻ってきたな……!!』
―― ん? ――
―― なんだ? またなにか、厄介なモノでもやってきたのか? ――
猫大佐の視線の先に目を向けた。
「あ……」
そこにいたのは、昨日の夕方に俺に体当たりしてきた警備犬だ。今日は、おとなしくあの三曹とならんで歩いている。だが俺に気がついたのか、いきなり尻尾をブンブンと振りはじめた。
「あ、またかよーー」
「あいつ、あんな調子で警備犬として大丈夫なのかな……」
『まったく犬ときたら!! おい、犬のにおいをプンプンさせて乗艦することは、
「なに勝手なこと言ってるんだよ。そんなことを言ったら、自宅で犬を飼ってる隊員はどうするんだよ……」
大佐の言い分に小声で反論しながら、乗艦するのはいったんやめて、三曹とゴローがやってくるのを待つことにした。なぜかって? あの様子だと、俺が乗艦してしまったら
「お疲れさまです、壬生海曹」
「こんにちは。……えーと、名前、お聞きしていましたっけ?」
いまさらだったが、自分が相手に名乗っていなかったことに気がついた。
「海士長の波多野です」
「ああ、そうでした。こんにちは、波多野さん。今日はちゃんと、ゴローがとびかかる前に我慢させましたよ」
「みたいですね。でも尻尾がすごいことになってますよ」
ゴローを指さす。ゴローは尻尾をちぎれんばかりに振り回していた。
「あれからしばらく基地内を回りましたけど、波多野さんにだけですよ、ゴローがここまで反応するのは」
「そうなんですか? 俺、そんなにうまそうなにおいがしてるのかな……」
猫ならマタタビと言われているが、犬はなんだろう? やはり肉? 自分で自分のにおいをかいでみる。シャワーを浴びた時に使ったボディソープのにおいしかしない。
「犬に好かれる体質ってあるらしいので、それかもしれませんね」
「そうなんですか? 今までこんな反応をした犬なんて、見たことないけど……」
ゴローは俺の顔を見あげ、尻尾を振りながらなにか言いたげな顔をしている。
―― まだ時間あるよな ――
腕時計を見て時間を確認する。あと一時間ぐらいは、ここでうだうだしていても問題なさそうだ。
「あの、今はパトロール中なんですか?」
「いえ。今日は基地内の人達に慣れさせるために、見回りをするコースを連れて歩いているんです」
「なるほど。じゃあ、しばらくここにいても問題ないですか?」
「ええ、まあ」
壬生三曹は俺の質問に首をかしげつつ、うなづいた。俺は三曹の横にいるゴローに視線を向ける。
「……ゴロー海曹、ちょっと運動するか?」
「ワン!!」
ゴローがうれしそうに
「え、あの、波多野さん?」
「ゴロー海曹、遊びたそうな顔して俺を見ているので」
「ワン!!」
三曹は少しだけ考えこむ。
「でも、良いんですか? これからが勤務時間ですよね?」
「今日はいつもより早く来てしまっていて、あと一時間ぐらいは乗艦しなくても大丈夫です。こいつ、このままだと
ゴローは尻尾ふり全開でその気満々といった感じだ。
「でもそんなことをしたら、波多野さんを見るたびに遊んでもらえると、覚えてしまいますから……」
「あー……そっちの危険性もあるのかあ……」
その可能性のことをすっかり失念していた。単純に、遊んでやれば満足するだろうと考えたが、よくよく考えたらまずいことかもしれない。
「ワンッ、ワンワン!!」
いまさら遊ばないなんて認めないぞとばかりに、ゴローが
『やかましい、馬鹿犬め』
後ろで大佐の苛立たしげな声がする。
「ゴローもすっかりその気になっていますし、ま、その時はその時ってことで。ここまで広い場所での訓練はしないんですが、お願いできますか?」
ここは護衛艦の
「よーし、ゴロー、俺と競争するか? これでも自転車できたえたから、脚力だけは自信があるんだぞ?」
荷物を
「ワンッ」
「じゃあ行くぞ。まずは軽くウォーミングアップからな」
「じゃあ、いつもゴローに出している指示で、主だったものを教えておきますね。その指示を出さないと、従わないこともあるので」
「了解です」
三曹から「止まれ」「待て」などの簡単な指示を教わると、俺はゴローと
「じゃあ、ゴローはここで待てだぞ。いいか、待てだからな」
軽く並んで走ったところでゴローに指示を出す。ゴローは俺の顔を見てワンッと
「ゴロー、来い!」
とたんに鉄砲玉のようにダッシュして走ってくる。ものすごい勢いだ。
―― やばい、あのスピードで体当たりされたら俺、引っ繰り返るどころじゃないかもしれないぞ…… ――
昨日の体当たりを思い出し、みがまえた。
だがそこはさすが賢い警備犬、俺に体当たりはせず、近くに来るとスピードを落としグルグルと俺の周りを回り始める。
「遊んでいてもかなりの迫力だよな。不審人物を見つけたらお前、一体どんな感じになるんだ?」
「ワンッ、ワンッ」
まだ走り足りないらしい。
「なあ、壬生海曹とも走り回ってるんだろ? なんでそんなに元気なんだよ、お前」
「ワンッ」
「これでも脚力には自信あるんだけどな!」
ダッシュしてその場を離れる。だがゴローは足が早い。本気を出した警備犬と人間が並んで走るなんて、どう考えても無理な話だった。途中で追い抜かれ、目標にしていた自販機の前でゴローが俺を待つ状態になってしまった。
「俺に勝って鼻高々って顔してるぞ?」
「ワンッ」
「じゃあ、もう一本!」
俺とゴローが
「おい、波多野」
しばらくして艦の前に戻ってくると声をかけられた。声がしたほうを見上げると、
「なんでしょうか」
「これ、受け取れ。落とすなよ」
そう言うと、一尉はペットボトルとなぜかドンブリを投げてよこした。いきなり妙なものを投げつけられて、あわてて受け取る。
「なんでドンブリ?」
「その水、お前にじゃないぞ。そこの二等海曹様にだ」
「ああ、ゴローにですか」
たしかにこれだけ走り回ったら、人間でなくても水分補給が必要だ。
「お前は乗艦してから自腹で買え」
「あつかいが警備犬より下になってる……」
ブツブツいいながら、水をドンブリに入れてゴローに持っていく。
「お疲れ様です、ゴロー海曹。うちの航海長からのおごりです」
「ありがとうございます。……ごちそうになります!」
三曹が一尉に向かって頭を下げた。
「ああ、いいのいいの、気にしないで。うちのが遊んでもらった礼だから」
「俺が遊んでもらった……」
やはりどう考えても、俺のほうが格下あつかいされている……。
+++
「今日はありがとうございました。ゴローがこんなに楽しそうにしているの、初めてかもしれません」
「いえいえ、お気になさらず。また連れてきてください。次はもう少し足をきたえておきます」
犬に勝てないのはわかっていても、もう少しいい勝負ができるようになりたい。こうなったら、
「でも、ちょっと
「なにがですか?」
「だってゴローってば、ハンドラーの私との訓練より楽しそうなんですから」
「それは、今のがゴローにとって、訓練ではなく遊びだったからですよ」
「こうなったら私も、波多野さんとゴローの追いかけっこに参加できるように、脚力アップのトレーニングをしなきゃですね!」
「えええ?」
三曹は〝よし、がんばるぞ〟という顔をしてみせた。
「そのうち三人で勝負しましょう! 約束ですからね?」
「……わかりました。じゃあ自分も、ゴローに負けないようにトレーニングにはげみます」
そんなわけで、なぜかまたゴローと走り回る約束をしてしまった。
「では私達はこれで!」
「お疲れさまでした」
俺は一人と一匹に敬礼をして見送った。そして階段をあがって
「波多野海士長、ただいま戻りました。って、あの、なんか変な顔をしてますよ?」」
「なんだよー、カノジョなんていない、ゲーム
「カノジョじゃありませんよ。警備隊の三曹で、昨日、知り合ったばかりです。しかも今見たとおりの犬がらみ。副長も知ってることですよ」
航海長の山部一尉については、余計なことを言いそうなので、あえて証人からはずれてもらった。
「そういうことにしておいてやるよ」
「そういうことなんですよ」
着替えるために部屋に向かうと、猫大佐がついてきた。俺の足元で鼻をひくひくさせている。
『お前、におうぞ』
「なんだよ。夏なんだ、汗をかいてもしかたないだろ」
『そうではない。犬のにおいがついている』
「そんなわけないだろ? さわったのは手だけで、今日は昨日みたいに押したおされていないんだから」
『いや、におう』
「においません。大佐が気にしすぎなだけだよ」
部屋に入った。そしてベッドに目をむける。
「あーーーー、やっぱり毛だらけじゃないか!」
『すみません、コロコロペタペタをしてもこの通りでして……』
俺と一緒に部屋にやってきた相波大尉が、申し訳なさそうに笑う。
「これはもうガムテープを手に入れてもらうしかないです、大尉」
『わかりました。次の物資補給の時に、強力粘着のガムテープを買ってきてもらうようにします』
「お願いします」
まったく。油断も隙もないんだからな、うちの猫神様は!!
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