第十八話 警備犬

 桟橋を渡って階段を降りたところで、いきなり叫び声が聞こえてきた。


「ああああああ、ちょっとそこの皆さん、すみません、その子を捕まえてくださーーーーい!!」

「え?」

波多野はたのさん、危ない!」


 声がした方角に目を向けたとたん、比良ひらが俺に向かって叫ぶ。その直後、俺は茶い巨大な毛玉に体当たりされ、その場でひっくりかえった。


―― なんか俺、最近こんなことばっかだよなあ…… ――


 自分でもおかしいぐらい、冷静にそんなことを考える。そんな俺の上にのしかかっているのは、大きな犬だった。そいつがベロンと舌をたらし、尻尾をブンブンふりながら俺の顔を見下ろしている。


―― 猫の次は犬とか。もしかしてこいつも神様だったりして ――


 なんとなく犬が撫でてほしそうな顔をしていたので、頭をワシワシとなでてやった。尻尾をさらにブンブン振り始めたので、撫でてほしがっていたのは正解だったらしい。


「大丈夫か、波多野?」


 犬ごしに山部やまべ一尉の顔が見えた。


「今のところはなんとか……あの、これは普通の犬ですか? それとも海自基地ごとにいる神様ですか?」

「なに言ってんだ。うちの警備犬だよ」

「ああ、警備犬」


 あらためて犬を観察する。犬種はシェパード犬。海上自衛隊と書かれた、青い迷彩色の犬用の服を身に着けていた。


「すみません!」


 あわてた声がして、走ってきたらしい隊員が俺の視界に入ってくる。


―― 犬とおそろいの青い迷彩服だ。いや、犬のほうがおそろいなのか ――


「すみません、いきなり走り出してしまって!」


 帽子の影で顔はよく見えないが、声からして女性隊員のようだ。


「もしかして俺達を不審者だと判断したのか?」

「いえ、久し振りに警備隊以外の人間を見たので、興奮してしまったんだと思います。この子、人間が好きすぎて……」

「今日が警備デビューなのか?」

「はい」

「見たところまだ若いな。元気がありあまっていてもしかたないか」

「申し訳ありません」


 その隊員と藤原ふじわら三佐、山部一尉が話をしている間、俺はなぜか犬に乗られた状態のまま放置された。


「なあ、比良。いいかげんに俺の上から、この犬をどかせてくれないかな」

「ああ、すみません! ゴロー、こっちでステイだよ!」


 三佐と一尉と話をしていた隊員が、ハーネスを手にして犬をひっぱる。やっと犬の重さから解放され、ホッと息をはきながら体をおこした。


「本当にすみません!」

「いえいえ、お気になさらず……最近は慣れましたから、こういうあつかい……猫とか犬とかって、本当にこまった連中ですよね……」

「本当にすみません! ゴロー、お仕事中は遊びはなしって言ったでしょ?」


 立ち上がると手で服をはらう。制服の胸のところに、しっかりと犬の足跡がついていいた。


「大丈夫ですか?」

「え、ああ、なんとか……」


 返事をしながら相手の階級章を見て、あわてて立ち上がる。三等海曹、俺より階級が上だ。


「大丈夫です、ご心配おかけしました」


 そう言って敬礼をする。そんな俺のことを、三佐と一尉がなぜかニヤニヤしながら見ていた。


「おい、波多野。警備隊の三等海曹殿に敬礼をしたら、こちらの警備犬殿に敬礼をしろよ」

「なんでですか?」


 一尉のニヤニヤ顔に首をかしげる。


「こちらのゴロー君は二等海曹様だぞ」

「え?! それ、本当なんですか?」


 思わず、警備犬の相棒らしき女性隊員に質問をした。


「上司からも言われました。海自の警備犬はすべて二等海曹待遇ということになっているので、敬意をもって訓練にはげむようにと。つまり、私より偉いんです、この子」

「犬が二等海曹? 俺達より偉いんですか……」

「ほら、二曹殿に敬礼をしろって」

「ええええ……」


 だが、航海長に言われて敬礼をしないわけにはいかない。俺と比良は顔を見合わせながら、警備犬に対して敬礼をした。


「ゴロー二曹、任務ご苦労様です」

「暑い中、お疲れ様です」


 なんとも言えない空気がその場に流れる。しばらくしてとうとう三佐が笑いだした。 


「山部の言葉を真に受けるな。そう言われてはいるが、公式待遇ってわけではないんだ。ちょっとしたシャレみたいなものだよ」

「シャレって。じゃあ敬礼する必要なかったじゃないですか」

「だが二等海曹であることには違いない。横須賀には海将補かいしょうほ待遇の警備犬がいるって話だぞ」

「「「え、本当ですか?!」」」


 俺と比良、そして警備犬をつれていた女性隊員の声がはもった。


「山部、若いのをからかうのはよせって」

「え、冗談なんですか?」

「さあて、どうだろうなあ……」


 一尉は俺達の顔を見ながら笑っている。冗談なんだろうか? それとも本当にいるんだろうか? 猫神様にも大佐や元帥がいるのだ、もしかしたら警備犬にも密かに「海将補」待遇の犬がいるかもしれない、と本気で思ったんだが。


「君はたしか、今年度から警備隊に配属された壬生みぶ三曹だったな」

「はい! 壬生ちあき三等海曹です」


 三佐の問いかけに、女性隊員が敬礼をした。その横で警備犬は尻尾をふりながら、三佐を見上げている。なんとなくその顔は、遊んでもらえないかと期待している顔つきだ。それは三佐にも伝わったらしく、三佐は犬の頭を一度だけなでた。とたんに尻尾が嬉しそうにふられる。


「壬生三曹。ハンドラーと警備犬の信頼関係は大事だが、遊びと仕事中の判別はつけられるようにちゃんと訓練をしろよ。今のままだと警備犬としての資質もだが、君のハンドラーとしての資質にも問題ありと言われかねないぞ」


 その言葉に、壬生三曹は真剣な顔をしてうなづいた。


「申し訳ありません。今後の訓練できちんと言い聞かせます。もちろん自分も、訓練士としてさらに研鑽けんさんします」

「ま、犬それぞれの性格もあるだろうし、ゴローが人好きなのはしかたがないんだろうがな。さあ、任務に戻ってくれ。この基地の警備は任せたぞ」

「はい! では失礼します! ゴロー、行くよ!」


 三曹は敬礼をすると、ハーネスを軽く引いてゴローについてくるようにうながす。ゴローは名残惜しそうに俺達を見たあと、彼女の命令に従い歩き出した。


「帰港そうそうに犬におそわれるとは……」

「不審人物あつかいされなくて良かったじゃないか」

「それはそうですけどね……」


 猫に犬に、次はなにが来るんだろうな……と心の中でぼやく。


「ところで副長、今の壬生三曹ってカレシいましたかね」


 歩きはじめてすぐ、一尉がそんなことを言った。


「そんなこと俺が知るわけないだろ? おい、山部、不倫とか馬鹿げたこと考えるなよ? ちょっとでもそんなことを考えたら、しかるべきところにチクってお前のことを左遷させんさせるからな」


 三佐の顔が一瞬だけ怖い表情になる。


「んなわけないでしょ。俺も副長と同じで、嫁LOVEですからご心配なく。そうじゃなくて、ほら、ゲームばかりして、色気のない人生を送ってるヤツがいるじゃないですか、ここに」


 そう言って俺のことを指でさした。


「あの、お言葉ですが、べつに俺は色気がなくても困っていませんが」

「たぶん年齢的にもつり合いはとれてると思います。俺の記憶だと、波多野と壬生は同い年だったような気が」

「なんでそこまで詳しいんだよ、お前」

「まあ単身者の部下が多いですからそれなりに。やはり所帯を持たせないと、男は落ち着かないですからね」

「それ、お前の経験からか?」

「そうとも言います」

「あのー?」


 俺の言葉はまったく無視されているようだ。


「あの! 失礼ながら申し上げますが! そこでどうして自分だけが話題にあがるのでしょうか? ここには比良海士長もいるのですが!」

「あの、波多野さん、お言葉ですが。俺、カノジョいますよ」

「え?!」


 俺と比良のやり取りを聞いていたのか、三佐と一尉が笑い出した。


「まあそういうことだ。まあ壬生三曹のことは横においといてもだ、足元がしっかりしていたほうが任務にも身が入るからな。ゲームで楽しむのも良いが、ちょっとはそっちのほうでも努力しろよ?」

「……はあ」

「なんだよ、その気のない返事は~」


 一尉は笑いながら、俺の頭をぐりぐりと撫でまわした。


「じゃあ、1930に、駅前の北側入口に集合だ。くれぐれも制服は着てくるなよ。これは芸人が言っているネタじゃないからな?」


 基地のゲートを出たところで、山部一尉から集合時間と場所を伝えられ、まずはそれぞれの自宅へと戻ることになった。


「嬉しいなあ、回らない寿司を食べられるなんて。しかもおごり」


 二人だけになると比良が嬉しそうに言った。あいかわらず呑気に喜んでいる。


「もしかしたら反省会かもしれないのに呑気だな」

「制服を脱いでの無礼講ぶれいこうなんでしょ? だったら大丈夫ですよ。それに、そういうお店で説教をするほどうちの上官は無粋ぶすいでもないでしょうし」

「だと良いんだけどなあ……」

「波多野さん、考えすぎですよ」


 比良はニコニコしながらそう言った。


「まったく。俺はお前がうらやましいよ」

「そうですか? それより、寿司をたのむ順番ってあるんですよね? そっちのほうが心配です。今からじゃ調べてる時間もないし……食べたいものがたくさんありすぎて悩みそう」


 もしかしたら比良と一緒に誘われて良かったかもしれない。俺は本気でそう思った。



+++++



 集合時間十分前に駅にたどりついた。その時間にしたのは正解だったようで、俺達がその場に到着してすぐ、山部一尉と藤原三佐が向こうから歩いてくるのが見えた。三佐はスマホでなにやら話し中だ。腕時計をみながらうなづいている。


「……わかった。その時間に改札口で待ってる。こっちのことは気にしなくて良いよ。そっちこそ、遅い時間の電車だから気をつけて。じゃあまたあとで。……二人とも、早かったな。待たせたか?」

「いえ、自分達もいま到着したばかりです。あの、なにかありましたか?」


 俺の質問に、一尉がニヤニヤしながら三佐のことをこづく。三佐はやめろよと苦笑いをした。


「あの?」

「奥さんとお子さんがこっちに来るんだとさ」


 そう言えば三佐は、単身赴任でこっちに来ていたなと思い出す。幹部は数年ごとに転勤で、あっちこっちを移動して回る。一緒についてくる家族も大変だが、こうやって単身赴任をしているのも大変だよなと思った。


「そうなんですか。あの、良いんですか? 俺達がおごってもらって」

「こっちに着くのはもっと遅い時間だから問題ない。約束通り回らない寿司は食わせてやるから心配するな」

「あの、航海長も良かったんですか? 久し振りに戻ってきたのに、ご家族と一緒に夕飯を食べなくても」


 比良が質問をする。


「俺達はずっと同じふねにいるわけじゃないだろ? だから下の者達の性格や人となりを少しでも早く把握するために、こういうことも必要なんだよ。その点は嫁も子供達もわかってくれている」

「わ、それってやっぱり反省会?!」


 いまさらのように比良が叫んだ。


「心配するなって。今日は無礼講ぶれいこう、うまい寿司を食って明日からの英気を養うだけだ。ま、副長はそれどころじゃなくなったかもしれないけどな」


 そう言うと一尉は、イヒヒと意地悪そうな顔をして笑った。



 ちなみに、回らない寿司は超うまかった。値段が時価になっていたので詳しくはわからないが、俺達のようなぺーぺーには簡単に行けそうにない店、ということだけは間違いない。

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