第十七話 舷門当番

 岸壁にふねが接岸し、完全に船体が停止した。それと同時に、紀野きの三曹が大きく息をはくのがわかった。ふねから投げられたもやいが、岸壁のボラードにしっかりと結ばれる。


「接岸作業完了」

「完了確認。みんな、お疲れさん」


 大友おおとも一佐が艦橋にいる全員に声をかけた。そして艦内放送用のマイクを手に取る。サイドパイプの音が艦内に響き渡った。


『艦長の大友だ。全員、作業の手を止めずに聞いてくれ。今回の航海もご苦労だった。勤務時間はまだ残っているが、それぞれふねをおりたらゆっくり体を休め、次の任務に備えてほしい。以上』


 マイクを戻すと一佐もホッとした顔をした。


「さて、俺は最後の仕事をしてこないとな」


 艦長は、れいの補給訓練中に起きたことも含め、司令部に帰還したことを報告しに出向かなければならない。その間は艦内の残った幹部が、この艦の指揮をとることになっている。帰港したとは言え、このふねの機関はまだ完全に停止していないし、レーダーも動いている。なにかあれば、ふたたび出港できる状態なのだ。


「紀野もご苦労だったな。あの濃霧の中で艦をよくコントロールしてくれた」

「ありがとうございます」

波多野はたのもよくやった。さらに技術向上につとめてくれ」

「はい!」


 大友一佐と藤原ふじわら三佐が艦橋を出ていく。そこで初めて紀野三曹がうなり声をあげながら脱力した。


「本当によくがんばったな」

「もー、肩がガチガチですよ……」

「今夜は自宅でゆっくり湯船につかれ」


 山部やまべ一尉が笑いながら三曹の肩をたたく。接岸して気が抜けたのか、三曹はヘニャッと笑った。


「しかし最後の霧にはまいりました。あれがあるから、ここの航路は油断がならないんですよね」

「だが慌てずに操艦そうかんしていたじゃないか。たいしたもんだよ、紀野。これならもう安心して任せられるな」

「ありがとうございます。ですが、次に霧が出た時はすぐにでも波多野におしつけます」

「え、俺にですか?!」


 いきなり話をふられてギョッとなった。そう言えば山部一尉も、似たようなことを言っていたような気がする。


「そうだな。次に濃霧になった時は波多野の出番だ」

「ええー……」


 艦橋は今までとは打って変わって、リラックスした空気が漂っていた。もちろん全員が下艦するわけではないが、今日からしばらくは、それぞれの自宅でゆっくりすごすことができるのだ。


「波多野、今夜の予定は?」


 三曹に声をかけられた。


「今日ですか? えーと、ここしばらく放置になっているオンラインゲームにログインしないと」


 俺の返事にあきれたように笑う。


「そこかよー。まったく色気がないな」

「だって大した金額ではないですが、出港前に課金しちゃったんですよ。だからその分はそれなりに頑張っておかないと。いきなりサービス停止になったら、心残りがありすぎになるじゃないですか」

「なに言ってるんだ。今日はそのゲームとやらにはログインできんぞ。俺につきあうって約束しただろうが、もう忘れたのか?」


 一尉が口をはさんできた。


「え、今夜なんですか?」

「当たり前だ。副長は今週末が休みだからな。今夜をのがすといつになるかわからんだろ」

「あ、もしかしてアレですか?」


 三曹はなにかを察したようで、ニヤッと笑う。


「おう。こいつと比良ひらを連れていく予定だ」

「それはそれは。波多野、しっかり味わってこいよ。俺達には敷居しきいが高くて、なかなか入れそうにない店だから」

「こいつと比良、俺達の財布の中身分を食い尽くしたらすまんだとさ」

「いやあ、あの店の雰囲気で食堂並みに腹いっぱい食うなんて、どう考えても無理でしょ」


 笑いながら首を横にふった。どうやら三曹は行ったことがあるらしい。


「紀野海曹は行ったことあるんですか?」

「波多野がここに来る前に一度、航海長に連れていってもらった」

「今回も副長に、支払いを逃げられた。まったくもって無念だ」


 一尉の無念そうな口調に、三曹の顔があきれた表情になった。


「航海長、また副長におごらせようとしたんですか?」

「俺だってたまにはおごられたいんだよ。そうなると艦長か副長しかいないじゃないか」

「いいかげんにしないと、そのうち副長に怒られても知りませんよ?」


 サイドパイプの音が響く。艦橋から出て下をのぞくと、出迎えの車が到着しており、艦長が桟橋を降りていくのが見えた。その後ろに藤原三佐が荷物を持って付き従っている。


「副長も下艦なんですか?」

「いや、車には乗らずに戻ってくるだろ。お前と比良は今日は座学ざがくはキャンセルで、時間になったらさっさと降りて着替えてこいよ」

「制服ではダメと……」

「ダメとは言わんが、お互い制服のままだと肩がこるだろ」

「つまり、今夜は無礼講ぶれいこうってことなんだよ。制服を着ていると、どうしても上官と部下になっちゃうだろ?」


 三曹が教えてくれた。


「ああ、なるほど」

「集合の時間と場所はあとで教える」

「了解しました!」



+++++



 終業時間になると、そうそうに俺と比良は艦橋から追い出された。上官を待たせるなということらしい。急いで個室に戻ると、着替えをして荷物をまとめた。そんな俺の様子を、猫大佐が興味なさげな様子でながめている。


『今夜は当直ではないのだな』

「ああ。俺の当直は明日だから、明日の夕方にはこっちに戻ってくる予定」

『そうか。なら今夜は、このベッドは吾輩わがはいだけのものとなるわけだな。良きかな良きかな』


 猫大佐は満足げに体をのばし、その場で体をくねくねとさせた。


「毛だらけにするなよな」

『よけいなお世話だ。吾輩わがはいとて好きで毛だらけにしているわけではない。それに、毛の処理をするのは相波あいばの役目だ』


 そう言うと、これ見よがしに後ろ足で耳の後ろをかく。毛がもわもわと飛び散るのが見えた。


「あああ、ほら、毛が飛び散ってる!」

『お前以外には見えないからよかろう』

「良くない!」


 シーツに散らばった毛を手ではらう。


「まったく。相波大尉も大変だよな、幽霊になってまで猫のお世話をしなくちゃならないなんてさ」

『でも最近は便利な道具ができましたからね。私もずいぶんと楽をさせてもらってますよ』


 珍しく大尉が部屋に入ってきた。


『波多野さん、お疲れさまです。今日からしばらくは出港なしのようですね』

「今のところは。あの、相波大尉、その手に持っているものは……?」

『コロコロに、ペタペタに。最近はいろんな道具が売られているんですね』


 大尉の手には、ペットショップで売られている様々な道具があった。しかも今時のもの。どうやって手に入れたのだろう?


―― まさか幽霊なのを利用して、こっそりくすねてきたとか……? ――


「あの、大尉」

『なんでしょう』

「それって、どこで手に入れてくるものなんですか?」

『それとは?』


 俺の質問に大尉は首をかしげた。


「いや、ですから、そういう猫用グッズですよ。まさか普通にお店で買っているわけじゃないですよね?」

『普通に買っていますよ』

「え? でも、だって……」


 一体どうやって? まさか誰かにとりくとか?


『正確には私が買っているのではなく、こちらの幹部のみなさんが、買ってきてくださっているのですがね』

「幹部のみなさん……」

『ええ、幹部のみなさんです。たいていは艦長さんか副長さんですね。お二方ふたかたのお宅には猫がいるらしく、いろいろと詳しいですよ』

「いろいろと詳しい……」

『ええ、かなり詳しいです。お蔭で助かっています』


 そうだよなと納得する。猫大佐が見えているのだ、相波大尉が見えないはずがない。リアルな道具がどうやって幽霊仕様になるのかはわからないが、少なくとも入手先と入手手段はまっとうだとわかって安心した。


「では、お疲れさまでした。明日の夕方にこちらに戻ってきます」

『今夜はゆっくり休んでください』

「ありがとうございます。猫大佐のこと、たのみます。大佐というより大佐の毛のほうですけど」

『わかっていますよ。ちゃんとコロコロをしておきます』


 部屋を出てドアを閉めたところで、猫大佐の腹立たし気な声が聞こえてきた。


吾輩わがはいをそのへんの猫と同じようにあつかうな』

『大佐は立派な猫でしょう。砲身の掃除をするあのブラシ、大好きじゃないですか。ああいうことをするのは、猫ジャラシにじゃれつく猫と同じですよ』


 二人の言い合いに笑いながら舷門げんもんへと急いだ。その途中で藤原三佐とかち合った。カバーつきのハンガーと私物の入った荷物、そしてなぜかマグカップを手に持っている。


「副長、それは?」


 藤原三佐が手にしているのは、艦内で使われているマグカップだ。


「ん? カレーだよ。昼飯の残り」

「なんでまた?」

「料理長とうちの嫁さんがカレー勝負してるらしくてね。うちの嫁が、現在のみむろのカレーを御所望ごしょもうなのさ。ああ、一応、艦長公認の勝負だから」


 もちろや料理長とは単なるあだ名で、みむろで俺達の食事を作っている給養員の責任者、吉嶺よしみね一曹のことだ。


「艦長公認のカレー勝負……しかしなんでマグカップなんですか」

「しかたないだろ? 他にいれものがなかったんだから」


 しかもゴミが入らないようになのかこぼれないようになのか、マグカップの口にはラップがはられ、さらにご丁寧にも輪ゴムでとめられている。


「なんだ、なにか言いたげだな」


 俺の視線に気がついたのか、三佐が顔をしかめた。


「え、いやあ、みむろの料理長に勝負をいどむなんて、副長の奥さんすごいなあって」

「それ、ほめてるのか?」

「ええ、ほめてます」

「なら、良い」

「良いんですか」

「ああ」


 そこへ山部一尉と比良が合流した。一尉は三佐のマグカップを見てニタニタしている。


「なんだよ、気持ち悪いな」

「サマーフェスタ、楽しみですよ。みむろカレーを越えるカレーがあらわれるか、実に興味があります」

「面白がってるけどな、帰るたびにカレーを食わされる俺の身にもなってくれよ」

「いやあ、愛情いっぱいのカレーだなんてうらやましいです、ええ、わりと本気でそう思ってますから」


 そう言って一尉は、真面目な表情を三佐に向けた。だが面白がっているのはバレバレだ。


「お疲れ様でした!」


 三佐と一尉が桟橋を渡るのを、舷門当番げんもんとうばんで立っていた先輩二曹が敬礼をして見送る。艦長が降りる時にサイドパイプを吹いたのも、この先輩二曹だ。


「波多野も比良もお疲れさん。……もしかして反省会?」


 俺と比良がいつもと違う雰囲気を垂れ流していたのだろう、先に降りた副長と航海長のほうを見ながら声をかけてきた。


「え? ああ、そういうわけではないんですが。いや、もしかしたらそれもあるのかな?」

「ドンマイ。上官にしかられるのは誰もが通る道だから」

「ありがとうございます。ではお先に失礼します」


 俺と比良は、先輩二曹に敬礼をしてふねをおりた。


「おごりと言いつつ反省会だったらおっかないなあ……」

「でも制服じゃなくて私服で集合でしょ? 大丈夫ですよ、多分」


 相変わらず比良はうらやましいぐらい楽観的だった。

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