第二十話 年次休暇

 休暇の初日、俺は実家に帰るために駅に向かって歩いていた。


「あ、ゆずるくーん、久しぶりだね。なんだかちょっと見ない間に、すっかり自衛官さんの顔になったねえ」


 そんな俺に声をかけてきたのは、あの喫茶店のおばちゃんだった。


「こんにちは。今日は制服を着てないから、そのへんのお兄ちゃんと変わらないでしょ」

「そんなことないわよ。それに、入隊する前とくらべると、ずいぶん凛々りりしくなったように見えるわよ」

「そうですか?」


 自分では、入隊前も入隊後も大して変わっていないように感じていた。変わったとすれば、見た目より多少の体力がついたことと、頭の中に航海士としての知識が増えたことだ。


「どう? 訓練は大変?」

「そりゃまあ大変です。でも、いい上司に恵まれているので、毎日がすごく充実しています」

「それは良かった。私、リクルートしたかいがあったかしらね。でもまさか、本当にみむろに乗ることになるなんてねえ」


 おばちゃんが嬉しそうに笑った。


「おかげさまでいい職場にめぐりあえました。あの時、このお店に立ち寄らなかったら、海上自衛隊に入隊するなんて考えもしなかったでしょうから」


 そう言いながら、店の看板を見あげる。そして店の前に立てられているのぼりも。


「ところで、荷物を持ってるってことは休暇で帰省するところ?」

「はい」

「ご自慢の自転車で帰らないの?」


 おばちゃんはいたずらっぽく笑った。


「自転車を使ったら、実家に滞在できるのが一日ぐらいになっちゃうんですよ。墓参りもまともにできない日程だとご先祖様にしかられそうなので、今回はおとなしく電車で帰ります」

「あら、そうなの」


 ゴローとの勝負もあることだし、自分的には脚力強化を兼ねて自転車で帰りたい。だが、今回は墓参りを優先することにした。そんな気分になったのは、きっと相波あいば大尉と出会ったからだと思う。


「自転車で帰るのは、次の機会にしておきます」


 そう言いながら、自分が店から流れてくるカレーのにおいにつられているのを感じた。


―― ここのみむろカレーを最後に食べてから、随分と時間がたったよな…… ――


「あ、そうだ、せっかくだから昼飯ひるめし、ここで食べていきます。もちろん〝みむろ〟カレーで」

「電車の時間は良いの?」

「ええ。特に何時に乗るって決めてないので」

「だったらどうぞ。でも、みむろに乗っている自衛官さんに食べてもらうのって、けっこうプレッシャーなのよね」


 おばちゃんは笑いながら店のドアをあけ、俺を手招きした。


「プレッシャーなんですか?」

「だって、そっちは本場のみむろカレーを食べてるんでしょ?」

「このお店のカレーだって、ちゃんとみむろカレーですよ。うちの料理長がそう言ってましたから、間違いないです」

「そう? なら安心した」


 ここに顔を出すみむろの乗員達。自分達が乗っているふねのカレーを出しているからというだけで、この店を贔屓ひいきにしているわけではなかった。実のところ、ちゃんとこの店のカレーがみむろの味を保っているかの確認作業も兼ねているのだ。だから、おばちゃんがプレッシャーを感じているのは、ある意味、正しかった。


 カレーを食べていると、若い学生さん二人連れが店に入ってきた。背負っているリュックについているバッジやワッペン、そしてぶら下げているカメラからして、基地に停泊しているふねを撮りにきた人達のようだ。


「いらっしゃい。なににしましょうか?」

「みむろカレーをお願いします!」

「僕も同じもので!」

「はーい。ちょっと待っててね。あ、お水はセルフだから、自分で用意してね。席は空いているところなら好きなところにどうぞー」


 おばちゃんは、俺が初めてこの店にきた時と同じように、その二人に給水器を指さしながら言った。そして奥の厨房ちゅうぼうへと入っていく。


「晴れて良かったよなー」

「今日はどのふねが係留されてるかな。みむろ、いるかな」

「昨日は接岸していたって写真が流れてたな」

「じゃあ大丈夫か」


 そんなことを話しながら、二人は水を注いだグラスを手にテーブルについた。その視線が俺が食べているカレーに注がれている。もしかしたらお仲間さんだと思われたか? その手のアイテムはまったくつけてないが、そういうマニアさんもいるにはいるし。


―― 頼むから声かけないでくれー…… ――


 今の俺は私服だ。だからマニアかもしれないとは思われても、自衛官だとは気づかれないだろう。だが、素知らぬふりをして一般の人と話をするのも苦手だ。


 おばちゃんともう少し話していたかったがしかたがない、できるだけ早く食べて店を出よう。


「……」


 そう決めると、食べるスピードを少しだけ早めた。




+++++




「ただいまー」


 久しぶりに帰省して真っ先に向かったのは、実家ではなく同じ町内にある祖父の家だった。


「ばーちゃん、ただいまー」


 玄関に入ると、廊下の突き当りにある居間から、祖父母がいつも見ている時代劇ドラマの音声が聞こえていた。時計を見れば一番盛り上がる時間帯だ。きっと俺の声が聞こえていたとしても、無視しているのだろう。


「薄情だよなあ……ま、今に始まったことじゃないけどさ……」


 靴をぬいで勝手にあがる。まずは神棚がある部屋にいって、かしわ手をうち、手を合わせた。


「ただいま戻りました。いつもありがとうございます!」


 実はみむろに乗艦するようになって、祖父の家にある神棚の神様と、艦内神社の神様が同じということに気がついた。不思議な偶然もあるものだと思いつつ、しっかりとおがむ。そして今度は仏間に向かった。仏壇の前に座ってリンをならして手を合わせる。


「ただいま戻りました。この通り、五体満足で元気です!」


 神棚も仏壇も静かなものだ。だが、猫大佐と相波大尉と出会ってしまったからか、なんとなく神様や御先祖様がこっちを見ているような気がしてならない。


―― やめろよー……俺はその手の話が苦手なんだからさあ…… ――


 自分で自分の考えに突っ込みながら、もう一度、リンをならす。そこへ祖父がやってきた。


「おお、ゆずる、帰っとったんか」

「ただいま、爺ちゃん。俺がただいまって言ったの、気がついてたろ? 孫の俺よりドラマを優先して返事をしなかっただけでさあ」


 俺が口をとがらせると、祖父は笑った。


「テレビは終わった。婆さんがおやつを用意してるからこっちにおいで。家にはもう顔を出したんか?」

「先にこっちに来た。ご先祖様にただいまも言いたかったし」

「そうか」


「ところでさ、爺ちゃん」


 居間で祖母が用意してくれた黒蜜のかかったトコロテンを食べながら、神棚のことを聞いてみようと質問してみることにした。


「ん? なんや」

「うちの神棚の神様さ、艦内神社の神様と同じだったんだ」

「ほお、そうか」

「調べてみたんだけど、航海安全の神様だよな? うち、俺以外に船関係の会社につとめている親戚しんせきっていたっけ?」


 俺が知っている限り、船舶関係の仕事についている親戚しんせきは、一人もいなかったはずなのだが。


「お前、知らんかったのか?」

「なにが?」

「わしの父さん、つまり、お前のひい爺さんたが、若いころ、軍艦に乗っとったんや」

「え? そうなの?」


 意外な答えに目を丸くする。曽祖父は俺が生まれる少し前に亡くなっていた。だから、ひい爺さんから直接、昔話を聞く機会なんてまったくなかった。


「職業軍人ってやつではなかったんやがな。戦時中に招集されて、なぜか軍艦に乗ることになったらしい」

「へえぇぇぇ、ひい爺ちゃんて軍艦に乗ってのか」

「知らんかったか」

「まったく!」


 そして曽祖父の両親が、息子が無事でありますようにと航海安全の神様をまつったのが、あの神棚の始まりらしい。そしてそうこうしているうちに、今度は孫の俺が護衛艦乗りになった。


「考えてみれば、不思議なえんやなあ」

「偶然にしてもできすぎだね」

「ひい爺さんが死んだ時、神棚もしまおうって話が出たんやが、なぜかのびのびになってしもうてな。きっかけがないうちに、お前が海上自衛官になったというわけや。そういう御縁ごえんだったんやろうなあ、あの神様とは」

「へえ……」


 不思議なえんもあるものなんだなあと思う。


―― ってことは、猫大佐や相波大尉と顔を合せることになったのも、なにかえんがあるってことなんだろうか ――


「そのころの写真、少しだけ残ってるんや。ひい爺さんはあまり見たがらなくて、押し入れの一番奥にしまいこんでいたがな。お前が見たいなら、ひい爺さんも怒らんやろ。見てみるか?」

「見る!」


 俺がうなづくと、祖父は写真を撮りに立ち上がった。


「ちょっと待っとり。すぐ持ってくるから」


 しばらくして祖父は、懐かしいせんべいの缶を持ってきた。


「え、まさかその中に?」

「これが一番おさまり具合が良かったんや」

「あつかいが雑すぎる……」

「しゃーないやろ、ひい爺さんなんてむき出しの写真を風呂敷に包んで、押入れの奥に突っ込んでたんやぞ」

「それも雑すぎ……」

「捨てようと思ってたんやろな、踏ん切りがつかんかっただけで」


 ちゃぶ台の上に写真をひろげた。セピア色の色あせた写真。軍服を着た青年達が、こちらに笑顔をむけている。年齢は俺と同じくらいか、それより少し上といったところだろうか。


「これが、ひい爺さんや」

「どれどれ~?」


 俺が着ている制服とよく似たものを着た青年が、俺に笑いかけていた。


「親戚の爺さん婆さんと話したんやが、お前、こうやって見るとひい爺さんによう似とるわ」

「そりゃあ、ひ孫だし。それと、同じような制服を着ているせいもあるんじゃないかな」

「まあ、そうやろうな」

「あ!」

「どうした?」


 その中の写真に、見覚えのある顔を見つけと思わず声をあげた。


「え? ああ、いや、偉い人も一緒に写ってるなーって」

「どれどれ? ああ、乗っていた軍艦の艦長さんやろうな」


 軍艦の甲板らしき場所での集合写真。最前列の真ん中には艦長らしき人が座っていた。そしてその人の横に、相波大尉がにこやかな表情で座っている。制服も顔も、今の相波大尉とまったく同じだ。


「ひい爺ちゃんが生きて戻ってきたってことは、このふね、戻ってきたんだよな?」


 俺の質問に、祖父は難しい顔をした。


「んー、それがなあ、ひい爺さん、最後の出港前に海に落ちて肺炎になったらしくてな。それで居残りになってしまったらしい。そのお蔭で生き延びたって言ってたな」

「つまり、このふねは戻ってこなかったと……」


 そして相波大尉を含め、この写真に写っている人達の多くは亡くなってしまった……。


「それもあって、写真を押入れの奥にしまいこんでたのかもしれんなあ」

「なるほど……ん? 爺ちゃん、ここに虫眼鏡むしめがねってあったっけ?」

「わたしが使ってる天眼鏡てんがんきょうで良いならあるよ」


 婆ちゃんが大きな虫眼鏡むしめがねを俺に差し出した。


「ありがとう」

「どうしたんや」

「ん? いや、昔の写真だからぼやけてるのもあるんだけどさあ……なんかここに猫が写っているような気が」

「どこや? って、お前、そんなところに猫がおるわけないやろうが。そこ、艦橋のてっぺんやぞ」


 俺が指でさした部分を見た祖父は、呆れた声をあげる。


「そうなんだけどさあ……」


 祖父にも祖母にも見えないらしいが、そこには間違いなく猫が写っていた。しかもこの偉そうな顔、見たことがあるぞ。


―― 猫大佐、ここで大尉に目をつけたのか? まったく、しょうがない猫神様だな…… ――


 そこに鎮座していたのは、間違いなく『みむろ』の猫神様、猫大佐だった。

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