第十一話 落とし物 2

「猫大佐はともかく、相波あいば大尉はどうやって、その落とし物に対処するんだろうな……」


 旧帝国海軍の制服は着ていたが、特に銃や軍刀を携帯している様子もなかった。まさか素手でぶん殴る系? そんな脳筋系とは思えないが……。


「きっと、普通の武器では役に立たないよな……」


 大佐と大尉が追いかけている落し物は、どう考えても幽霊やその手のたぐいのものだ。そして移動しているということは、それなりの意思を持っていると考えられる。どんな形をしているのだろうか。もしかして人や動物?


「どんなヤツか見てみたいなあ」


 近寄るなと言われていたし遭遇もしたくはないが、どんなものなの少しばかり興味がある。いわゆる〝怖いもの見たさ〟というやつだ。捕まえてからでも良いから、見せてもらえないものかと考える。


「あー、でもそんなことを言ったら、バカ者めって言われちゃうか……」


 それにもともとその手の存在は苦手な俺だ。やはりここは、無縁のままの人生を送ったほうが良いかもしれない、と思い直した。


 だが、そんな俺の思いに反して、落とし物を見る機会はすぐにやってきた。夜になって部屋に戻る途中、飛び跳ねながら移動している黒い球体と、それを追いかけている猫大佐と相波大尉を見かけたのだ。


「あれか? 思っていたのと違うな……」


 だがにおいは間違いなくあのにおいだ。やっぱりあれが落とし物らしい。においはともかく、もっと禍々まがまがしいものを想像していただけに、大きな黒いゴムボールのような姿に拍子抜けする。


「さすがにあれは、猫大佐も食えそうにないよな。どっちかといえば、猫パンチで叩きのめしたほうが似合ってる」


 それを想像して、変な笑いがこみ上げてきた。


 しばらくすると、飛んでいった先から黒い物体が戻ってきた。そして俺の前を、跳ねながら横切っていく。


「どう見てもボールだな……」


 だがさきほどよりにおいがきつくなっていた。しかも明らかにサイズが大きくなっている。少し遅れて、猫大佐が悪態をつきながら横切っていった。その後ろを相波大尉が足早についていく。


「お疲れ様です、相波大尉」


 思わず声をかけた。


『ああ、こんばんは。すみませんね、お騒がせしてしまって』


 大尉は立ち止まると、困ったような顔をして微笑んだ。


「俺以外にこれが見えている人間はいませんから。今のところ、艦内ではあの黒いのは目撃されていないので、安心してください」

『においを感じている人は、それなりにいたようですよ?』

「あー、たしかに。そのせいで今、関連部署の連中が壁内の点検をしていますけどね」


 相変わらず見えるのは俺しかいないようだが、比良ひら伊勢いせ曹長はこのにおいに気づいて、どこかで水管が壊れていないか?と言っていた。比良によると、見えないなりににおいを感じている人間は、他にも何人かいるようだ。


「それよりあれ、どんどん大きくなってませんか?」

『逃げ回りながら、艦内に散らばっている小さい落とし物を吸収しているのですよ。こちらとしては落とし物がまとまってくれるので、それなりに助かってはいるのですがね』

『相波、なにを呑気に油を売っている!』


 猫大佐の苛立たしげな声が聞こえてきた。


『申し訳ありません、いま行きますよ。……思いのほか素早いので、大佐はイラついてるんですよ』


 大尉は悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべる。最初は険しい顔をしていた大尉だったが、今はずっとリラックスしている。もしかしたら、そこまで悪質なものではないのかもしれない。


「ところであれ、どうやって追い出すんですか。さすがにあの大きさだと、猫大佐のパンチやキックでは難しいような気がしますが」

『今までの経験から、大佐の尻尾の一振りで問題ないと思いますよ? ま、無理なようなら私が甲板かんぱんから海に蹴り出しておきます』

「はー……なるほどというかなんというか……」


 やはり大雑把おおざっぱだというのが正直な感想だ。


『相波!!』


 廊下の曲がり角から猫大佐が顔をのぞかせた。そしてシャーと怒った声をあげる。


『はいはい。今日中にはなんとかしますから、もう少しの間だけ我慢してください。夕方にも言いましたが、波多野さんはできるだけ近寄らないように』


 大尉はそう言うと、猫大佐の後を追いかけていった。一人残された俺の周囲には、まだあのにおいが漂っている。そのにおいを追い払おうと手をふった。


「近寄らないようと言われても、今みたいに勝手に横切っていくのはどうしたら良いんだよ……ま、人間を襲わないだけマシか?」


 今のところは、だが。


 居住区まで降り、部屋のドアを開けようとしたところで、ドアからいきなりさっきの黒い球体が飛び出してきた。


「うわっ!!」


 さっきまでサッカーボールぐらいだったのに、今はその倍ぐらいの大きさにまで膨らんでいる。そいつは俺の体を通りすぎることなく、正面からぶつかってきた。ブヨンとゴムみたいな感触と下水のようなにおいが鼻をつく。


「くっさ!! ふぁっ?!」


 くさいのを耐えその場でなんとか踏ん張ったが、その直後に飛び出してきた猫大佐に思いっ切り猫パンチをされ、そのまま廊下で引っ繰り返ってしまった。


「なんだよ、まったく! 出てくるなら出てくるって言えよ!」

『邪魔をするな、馬鹿者め!』

「無茶を言うな! あんな状態でどうやって邪魔するなって言うんだ。しかも猫パンチ!!」


 しかも思いっ切り爪が食いこんだぞ?! 痛みが走ったところに手をあてる。血が出ているじゃないか! しかも俺の顔を踏んでいきやがった!


『すみません、あとであらためて謝罪しますから。ああ、これどうぞ』


 後から出てきた大尉が、俺に謝罪しながら横をすりぬけていく。すれ違いざまに絆創膏ばんそうこうを渡された。


「まったく……どう言い訳するんだよ。猫神様に猫パンチされたって? 誰が信じるっていうんだ。それこそ熱があるんじゃないかで医務室行きじゃないか……」



+++



 そして夜明け前、ドスンと体に走った衝撃に目が覚めた。目を開けると猫大佐が俺の胸の上に座っている。しかもケツをこっちに向け、尻尾を振り回している。


「俺の顔を尻尾でたたくな」

『起きていたのか』

「起きていたんじゃなくて起こされたんだよ!」


 二段ベッドの上で寝ている、紀野きの三曹を起こさないように小さい声で答える。


「それで? あの黒いのは片づいたのか?」

『もちろん。海に放り出した』


 そこで疑問に思っていたことを口にした。


「どうして海に投棄するんだよ。おふだで消滅させるとか、お経で成仏させるとかできないのか?」

『お前は映画や漫画のみすぎだ』


 猫大佐は顔をこっちに向けて、呆れたような溜め息をつく。


「じゃあ神棚の神様はどうなんだ? 分業してるんだよな? あの手の神様ならできそうじゃないか」

『あそこの連中は、このふねが安全に航海するために尽力しているのだ。あの手の存在のことは関知していない。それは吾輩わがはいの仕事だ』

「神様も職種が競合していると、役割分担が大変だな……」

『人の世界とたいして変わらない。海自と海保、似て非なる任務。それと同じことだ』


 そう言って俺の顔を尻尾でたたく。


「なるほど……って、尻尾でたたくのはやめろって」


 尻尾が鼻先でふられ鼻がムズムズしてきた。我慢するヒマもなく派手なクシャミが飛び出す。上で寝ていた三曹が寝返りをうち、ベッドがきしむ音がした。


「それで? ふね損傷そんしょうが出たり人的被害は出てないよな?」

『多分な』

「多分ってなんだよ多分て。無責任だな」

『そっちのことはお前達の仕事だろうが』

「それはそうだけど、このふねの猫神様として心配じゃないのか?」


 考えてみればあの黒い物体は、猫大佐や相波大尉と同じでドアを通り抜けていた。ぶつかって物を壊すということはないだろう。なにか被害が出るとすれば、それはたまたま目撃してしまった人間が、俺みたいに引っ繰り返るか、驚いて階段を踏み外すぐらいなものかもしれない。


『とにかく邪魔者はすべて追い出した。吾輩わがはいは疲れたのだ、お前もうるさくせずにさっさと寝ろ』


 そう言うと、猫大佐は大きな欠伸あくびを一つして俺の上で体をのばした。


「起こしたのはそっちじゃないか。ったく……俺はベッドじゃないってのに……」



+++



 次の日の朝、起床時間を知らせる艦内放送が流れ、俺達はいつものように活動を開始した。


「おはようございます、波多野さん。昨日の話、聞きましたか?」

「昨日の噂?」


 朝飯を食べるために食堂に行くと、遅れてやってきた比良が俺に声をかけてきた。


「変な見学者でも来てたのか?」

「いえ、一般公開の時ではなくて夜中の話ですよ」

「夜中? 俺は当直じゃなかったから熟睡してたけどな。なにかあったのか? あ、水管が破裂したとか?」

「そうじゃなくて幽霊騒ぎですよ」

「幽霊?」


 もしかして、相波大尉の姿を見たヤツがいるのだろうか? それとも猫大佐の姿をか?


「しかも人間じゃなくて黒くて丸いヤツだったそうです。それが艦内のあっちこっちで飛び跳ねていたとか」

「それってなんの幽霊なんだ?」

「さあ……ボーリングのボールですかね」


 においだけではなく目撃した人間もいたのかと、驚きながら話の先をうながした。


「それで?」

「深夜のお散歩をしていた艦長に見つかって、艦長が海に向かってそいつをシュートしたとかしないとか」

「ええええ……」


 どうしてそうなる?


 だが食堂でも同じような話で盛り上がっていた。


 艦長が蹴って追い出したらしい、艦長命令で先任伍長がとっくみあいの末に海に投げ入れた、立検隊たちけんたいの誰かが武装してしとめた、いやいや実はまだ艦内に隠れていて、単装砲たんそうほうの砲身の中にいるらしい、などなど。


「それで、本当のところはどうなんですか?」


 あいている場所に座ったところで、比良が俺に質問をした。


「どうって?」

「噂の真相ですよ。本当にいたなら、きっと猫神様が大騒ぎでしょ?」

「あー、そのことか」


 どこまで話したものかなと考える。


「遅くまで追い回していたみたいだった。ほら、くさいって言ってたろ? あれは、その黒いヤツのせいだったみたいだ」

「へえ……それって一体なんなんでしょうね。波多野さんも見たんですか?」

「なんか黒いボールみたいなのが飛び跳ねてたかな」


 比良は、少しだけうらやましそうな顔をした。


「ってことは猫神様が退治したってことですよね?」

「そうなんだろうな。そのへんは俺もくわしく聞いてないけど」


 まさか海に叩き落としただけなんて言えない。そんなことを言ったら、猫神様の株は大暴落だ。


「そのうち猫神様から、その時の様子を聞いてください。そして俺に教えてくださいよ」

「わかった。ま、気まぐれな神様だから、教えてくれるかどうかわからないけどな」

「猫は気まぐれですからね。気長に待ってます」

「もちろん、今の話は俺とお前だけの話だからな?」

「わかってますよ」


 比良は呑気な顔をしながらうなづいた。

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