第十話 落とし物

「ありがとうございました」

「気をつけてお帰りください」


 公開時間終了がせまり、最後まで甲板に残っていた人達が、名残惜しそうに桟橋さんばしを渡っていく。


「あ、副長、あんなところから出てきた」

「あー、いまさら出てくるなんてずるいー」


 昼すぎから、家族が来たと言って甲板から姿を消していた藤原ふじわら三佐が、奥さんとお子さんをつれて、関係者以外立入禁止の扉から出てきた。艦内を隅から隅まで案内していたとしても時間のかけすぎだ。どう考えても、家族を口実に一般のお客さんから逃げていたとしか思えない。


「お疲れ様です」


 俺の横で見学者達の見送りをしていた清原きよはら海曹長が、奥さんとお子さんにではなく、副長の目を見てそう言った。曹長の顔は「なにもかもお見通しですよ」と言っている。


「今日はありがとうございました」

「ありがとー!」


 そんな曹長の顔つきに気づいていない奥さんとお子さんは、ニコニコしながら俺達に声をかけてきた。副長はすました顔で二人の横に立つ。


「気をつけてお帰りになってください。遠路はるばるお疲れ様でした」

「お邪魔しました」

「ばいばーい」

「ばいばい。お母さんのいうことちゃんと聞いて帰ってね」

「はーい!」


 桟橋さんばしを渡る直前、奥さんがなぜか三佐の制服を引っ張った。三佐は奥さんが言いたいことがわかっていたらしく、その場ですぐにうなづく。


「ん? ああ、心配しなくてもいいよ。こっちで調べておくから」


 ふねをおりたところで、お子さんがこっちを見て「パパ、ばいばーい」と言って手をふった。こんな時は、厳しい幹部もただのお父さんだ。ニコニコしながら手を振りかえしている。


「副長の代わりをしていたら、すっかり一日がつぶれてしまいましたよ。こんなはずではなかったんですが」


 三佐と並んで一緒に手を振っていた曹長がぼやいた。


「そうか? 俺はちゃんとお客さんをもてなしてたぞ?」

「奥さんとお子さんは、お客さんのうちに入らんでしょ」

「いやいや。艦長のお茶会に招かれた人達を案内してた」

「どうだか。私は案内をしている三佐の姿を、一度も見ませんでしたがね」


 まったく信じていないらしい曹長の様子に、三佐は顔をしかめる。


「疑うんだったら艦長に聞いてみろよ」

「そうさせていただきますよ。ところで、艦内でなにか問題でもありましたか?」


 さすが地獄耳の先任伍長、さっきの三佐と奥さんの会話を聞き逃さなかったらしい。


「ん? いやね、うちのチビが艦内で変なにおいがするって言ってたんだ」

「変なにおいですか」

「ああ、変なにおい。妻もそれに気がついたみたいで、水管が水漏れをおこしてるんじゃないかって心配してるんだよ」

「なるほど」


 何のことか気になって三佐と曹長の会話に耳をそばだてる。


「ただ、場所的に水管がはしってる場所じゃないんだ。もしかしたら、漏れた水がどこかを伝って、流れてきているのかもしれない。そうなるとかなりの大事おおごとってことだろ?」

「たしかにそうですね。今日までどこからも異常を知らせる報告は上がってきてませんが……点検をするように言っておきます。その場所はわかりますか?」

「あとで場所をチェックしたものを渡すよ。出港までに片がつけば良いんだがな」


 そして最後の一人がふねをおり公開時間が終了した。


「おわったおわったー」

「演習より疲れた」

「腹減ったーー……」


 桟橋さんばしの上り口にロープをはり、最後まで下でお客さん達を見送っていた幹部達が軽口を言い合いながらあがってくる。


「お疲れ様です」


 曹長が彼等を出迎える。


「清原曹長もお疲れ様です。ファッションショーでのアナウンス、なかなか好評だったみたいで」

「副長が隠れちゃうからしかたなくですよ。次は皆さんのうち誰かでお願いしますよ」

「ま、しかたないね、誰だって家族が来たら家族優先だもんな。副長だって例外じゃないってことで」


 さすが幹部同士の結束は固い。清原曹長もそう感じたらしく苦笑いをした。


「これは貸しとして記録しておきますからね、三佐」

「わかりましたわかりました。お礼はいずれまた」


 そう言いながら、若い幹部達を引き連れて藤原三佐は艦内へと戻っていった。


「波多野もお疲れさんだったな。まだ片づけが残っている。最後まで気を抜くなよ」

「はい!」 


 岸壁では、車輛を展示していた陸自も撤収準備を始めていた。その近くには、撤収準備やふねを外から撮っている人達がまだかなり残っている。ここが静かになるのはもう少し先になりそうだ。


 俺達も設置した解説用のパネルをはずし、甲板などに落し物や忘れ物がないかチェックをして回ることにした。


―― ん? ――


 左舷の甲板を歩いていたところで、妙に生臭いにおいが鼻につく場所があるのに気がついた。眼下は海、多少なりともしおのにおいがしてもおかしくはない。だが、このにおいはそれとは違う気がする。


―― もしかして、副長が言っていたのはこのにおいか? ――


 試しに艦内をもう少し回ってみることにした。そして生臭いにおいが漂っている場所がいくつかあることに気づく。何のにおいかよくわからないが、汚水が漏れていると思われてもしかたがないにおいだ。


「朝はこんなにおいしてなかったと思うんだけどな……」


 そう呟きながら鼻をクンクンとさせる。間違いなく生臭いにおいだ。そこで、猫大佐が魚の幽霊を食べていた時に言った言葉を思い出した。


―― そう言えば猫大佐、厄介なのはにおうとか言ってたよな…… ――


 ためしに何名かに声をかけてみたが、彼等はそのにおいにまったく気がついていないようだった。今このにおいを感じるのは俺だけ。つまり、これは猫大佐と相波あいば大尉を見ることができるのと同じ理由からってことになる。


―― 副長の奥さんとお子さん、これに気づいたのか……ってことはもしかして猫大佐がいたら見えてたりしたのかな…… ――


 もう少しにおいの正体を探ってみようと艦内をうろついていると、目の前を猫大佐と相波大尉が通りすぎていった。普段はのんびりした様子なのに、今日はやけに急いでいるように見える。


「おーい」


 周囲に誰もいないことを確かめてから声をかけた。すると相波大尉が立ち止まって振り返った。


『ああ、波多野さん。一般公開は無事に終わりましたか?』

「ええ。今みんなで落とし物や忘れ物がないか確認しているところです。あと、こっそり隠れている人がいないかも」


 笑い話のようだが、実際にあった話だ。某護衛艦で一般公開が終わった夜、巡検をしていた隊員がトイレに隠れていた民間人を見つけて、大騒ぎになったことがあるらしい。正体はスパイではなく、ただのこじらせたマニアさんだったわけだが、かなり厳しい取り調べがおこなわれたということだった。


『それはお疲れ様です』

「そういう大尉と猫大佐はなにを? 急いでるようですが」

『そうだ、吾輩わがはい達はいそがしい。お前の相手をしているヒマはないのだ』


 先に行っていた猫大佐が、苛立いらだたしげな顔をしながら戻ってきた。両耳がペタンと垂れ下がり、見るからに不機嫌そうだ。


「なにかあったのか? あ、まさか魚の幽霊がまた飛び込んできたとか?」

『私達も落とし物を探しているのですよ』

「落とし物?」

『今日ここを訪れた人が落としていったものみたいでね。あっちこっちにいるものだから、私と大佐で探して掃除をしているのですよ』


 大尉の言葉に猫大佐が大きな溜め息をつく。


『まったく。よけいなモノを置いていってくれたものだ。しかも移動するからなかなか捕まらん』

「あっちこっちにいて移動するってなんだよ、怖いじゃないか」


 頭の中で不気味な存在のモノがあれこれ浮かび上がった。


『事実を言ったまでだ』

「そう言えば、うちの副長の奥さんとお子さんが、艦内でにおったって言ってたらしい。もしかしてそれ?」

『それだな。においの強さからして、かなり厄介なのが一匹まぎれこんでいる』

「でもそれって、魚幽霊をほうっておくと大きく育つヤツなんだよな?」


 におう存在になるまで、猫大佐と相波大尉が気がつかなかったなんてあるんだろうか。


『今回のモノはそういうたぐいのモノではないですね。どう考えても今まで隠れていたわけではなく、見学していた人間が落としていったものでしょう』


 大尉は普段の穏やかな笑みとはまったく違う、険しい顔をして言った。


「艦内にいるってことは、中の見学をした誰かが落していったと?」


 ということはそれを持ち込んだのは、身内の見学者か地本が募集した見学者ということだろうか?


『いいえ。甲板にいたものがいつの間にか潜り込んだようです。つまり、落とし主は見学にやってきた不特定多数の人達です。それが艦内のあちらこちらを移動しているということですね』

「それってかれていた人がいたってことですよね。こんなにおうヤツにかれているのによく平気だったな……鼻炎持ちか?」


 しかもそんなものをどうやって落としていくのだろう。まったく見当もつかない。


『恐らく本人は、かれていたことに気づいていなかったのでしょうね。気づいたとしても、急に体が重くなった軽くなった程度しか、感じていないかもしれません』


 もっと詳しく話を聞こうとしたが、俺と相波大尉の間に猫大佐が割り込んできた。


『無駄話はここまでだ。さっさと追い立てて捕まえる。これ以上、大きく成長したら厄介だ』

「まさか食うのか?」

『いや。さすがに吾輩わがはいでも食えんだろうな。叩きのめして海に放り出すのみ』

「意外と大雑把おおざっぱだな……」


 消滅させたりするのかと思っていたが、海に投棄するらしい。それで大丈夫なのか?と聞きたかったが、猫大佐はこれ以上は俺と話すつもりはないようで、そのまま俺から離れていった。その後ろを相波大尉がついていく。


『ああ、波多野さん』

「はい?」


 大尉が立ち止まって振り返った。


『波多野さんはにおいがわかるんですよね? だったらそういう場所にはあまり近寄らないように。中途半端に探知できる人が近づくと、かれる可能性も高くなりますから』


 了解しましたと言ってからちょっと待てとなる。


「え、ちょっと待った。うちの副長の奥さんとお子さん、におってたって気がついてたんだけど! あの二人は大丈夫だったんですか?!」


 俺の問い掛けに猫大佐が振り返った。


『あの二人なら大事だいじない。もとからいている猫達が、寄ってたかって近寄ってきたヤツらを叩きのめしていたからな』

「猫がいている……しかも複数……それが叩きのめす……」


 なんともシュールな光景だ。だがそれでも、副長の奥さんとお子さんが無事だと聞いて安心した。


―― いや待て。これ、解決しないと俺も困るだろ ――


 艦橋に上がる階段近くでもにおう場所があった。そこを通ってかれたら困るじゃないか。


「早く解決してくださいね!」

『気軽に言うな。追い立てることができるのは吾輩わがはいと相波しかいないのだぞ』


 そう言いながら、猫大佐と相波大尉は壁の向こうに消えていった。

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