第九話 一般公開

「なあ、比良ひら


 当日の朝、見学者用の艦内装備の説明パネルを取り付けながら、横で同じように作業をしている比良に声をかけた。


「なんです?」

「猫でさ、全体的に白いんだけど、足と尻尾の先と顔の真ん中あたりが黒っぽいがらの猫って、なんて呼ぶんだ?」

「猫種のことですか?」

「そうじゃなくて、チャトラとかサバトラとかそういうのあるんだろ?」


 比良は俺の言葉に、合点がいったという顔をした。


「ああ、そっちの。それってポインテッド猫のことじゃないですかね」

「ポインテッド」


 そう言われてもピンとこない。


「シャム猫は知ってますよね? 波多野はたのさんが言いたいのは、あんな感じのがらなんじゃないですか?」

「ああ、なるほど。まさしくそれだ」

「なんでまた?」

「いやさ、あのタグにそんな柄の猫が乗ってるから」


 横切っていくタグボートを指さした。


「え、波多野さん、他の船の猫神様も見えるんですか?」

「ああ。艦橋の上に座ってこっちを見ながら尻尾を振ってる。たぶん、うちの猫神様に挨拶してるんだろうな、あれ」

「うらやましすぎる……」

「見えてるだけならなー」


 比良がこっちを見る。


「見えてるだけじゃないんですか? 寝てる時に踏まれる以外に、なにか困ったことでも?」

「それ以外は、今のところなにも問題はないかな。でも猫の幽霊が見えてるんだぞ? 厄介なことに巻き込まれる予感しかしないじゃないか」

「幽霊じゃなくて神様でしょ?」


 比良がそうを指摘した。


「幽霊も神様も似たようなもんだろ?」

「ぜんぜん違うでしょー、幽霊と一緒にしたら、さすがに猫神様に失礼ですよ」

「そうかー? 妖怪と一緒にしないだけでもましだろ」

「えー……」


 猫大佐が怒るので言わないでいるが、正直言うと、俺は神様というより、妖怪のほうが近いと思っている。


 とにかく、今のところ航海はなにごともなく続いていた。だが魚の幽霊のこともある。きっと愉快なことだけじゃないはずだ。そしてこういう時の予感というのは、たいてい当たると相場が決まっている。


「帰港するまで神棚でしっかりおがんでおかないと……ん?」


 そんな独り言をつぶやきながら作業をしていると、艦内放送のスイッチがオンになる雑音がスピーカーから聴こえた。


『十秒前』


「うわっ、もうそんな時間か!」


 艦内放送とラッパの音に腕時計を見れば八時、自衛艦旗をあげる時間だ。


「わー、まだボラードについての注意事項のパネル、全然はれてないです!」

「わかってるって。とにかく作業中断だ、行くぞ」

「はい」


―― あ、猫大佐! ――


 艦尾のポール前に足早に集合する幹部や他の隊員達にまじって、猫大佐の姿が見えた。尻尾をピンと立ててゆったりとした歩調で歩いている。そして艦長の横にくると、さも当然のような顔をしてその場に座った。


―― あれで他の人達に見えてないってすごいな……まったく蹴とばされそうにもなってないし ――


 俺以外には見えていないはずなのに、なぜか全員が、猫大佐をよけるような形で動いているのがなんとも不思議な光景だった。


『時間』


 その声とともに、艦橋の後ろ側のスペースに立っている隊員達が、ラッパを吹いて演奏を始めた。その曲に合わせ、俺達の視線の先で自衛艦旗があがっていく。


 毎朝八時、こうやって自衛艦旗を、船尾のポールに掲揚けいようするのが朝の日課だ。どんな作業をしていても、この一分足らずの時間は、必ず全員が作業の手を止めて姿勢を正す。


―― 猫大佐があそこにいるってことは、相波あいば大尉もどこかで、旗の掲揚けいようを見ているってことかな…… ――


 見える範囲を探してみたが、大尉の姿は見えない。もしかしたら、猫大佐にまた、野暮用を言いつけられているのかもしれない。


「こういう時、猫神様はどうしているんでしょうかね」


 そんなことを考えていると、比良が小さい声で話しかけてきた。


「ん?」

「旗を掲揚けいようしている時ですよ」

「あー……今はあそこにいる」


 比良にしか見えないように指をさす。


「あそこってどこですか」

「艦長の右横」

「マジですか?!」

「マジマジ」


 ラッパの演奏が終わり、旗がしっかりとあがりきった。猫大佐がその旗を見あげ、ニャーンと鳴き声をあげるのが聴こえてきた。そして大佐は艦長を見あげると、ズボンの裾に頭をこすりつける。


―― ああ、待て待て、艦長の制服に毛がつくじゃないか!! ――


 他の人には見えない毛でも俺には見える。最近はただでさえ艦長席の毛が気になっているというのに、これからはそれに加えて、艦長のズボンの裾が気になって困ったことになりそうだ。


『大丈夫ですよ、私がちゃんと大佐の毛をとっておきますから』


 耳元でいきなり声がして、飛び上がりそうになった。こんな不意打ちにも、声をあげずジッとしていた俺は、もっと称賛しょうさんされても良いと思う。


 そして俺以外の全員が、何事もなかったかのように、自分の持ち場へと戻っていく。


―― まったく心臓に悪いよな……相波大尉も、人ってか幽霊が悪い…… ――


 チラッと後ろを振り返ると、歩いていく相波大尉の後ろ姿が見えた。


「どうしました? また新たな猫でも見つけたんですか?」


 比良が俺に声をかけてくる。


「いや、なんでもない。さあ、さっさとボラードの注意書き、貼っちまおうぜ」

「わかりました」


 俺と比良は、任されていたパネルを貼りつける作業に戻った。


「公開時間開始までまだ一時間はあるのに、けっこうな人が来てますね」

「ん?」


 紐を結ぶ手を止めて顔をあげる。


「見学に来ている人達ですよ」


 下を見ると、入口になっている桟橋の階段を先頭に、かなり長い行列ができていた。列ではすでに、スマホやカメラをこちらに向けている人の姿も見える。


「三時までだっけ? 今日はどれだけの人が来るんだろうな」

「それより俺、あの機動車に乗ってみたいです」


 比良が指さしたのは、地本のテントの横に展示されている、陸自の軽装甲機動車だった。


「一般公開が終わった後に、時間があったら見にいけば良いんじゃね?」

「それまでここに留まってくれているかなー」


 パネルを貼りながら、チラチラと機動車に視線を向けている。


「昼休みにちょっと降りてくるとか」


 俺の提案に、比良はとんでもないという顔をした。


「イヤですよ。そんなことしたら、下で見学に来た人達に囲まれるじゃないですか。俺、自慢じゃないですけど、写真写りがすごく悪いんです」

「たしかにそれは自慢じゃないな」

「ほっといてください」

「自分で言ったんじゃないか、写真写りが悪いって」


 たとえ写真写りが良くても、比良がイヤがる気持ちがわからないでもない。なぜなら、俺達はタレントではなく自衛官だからだ。


「制服ならともかく、この作業服のままなら、そうそう囲まれないと思うけどな」

「そんなことないですよ。俺の先輩はこの作業服姿で、マニアさん達に囲まれたって言ってました」

「そうなのか……」


 海自の制服の一番人気は、なんと言っても夏用の制服だ。それと最近では陸警隊の青色迷彩の迷彩服。いま俺達が着ている作業服は、そこまで注目度は高くないと思っていたのだが、マニアからするとそうでもないらしい。


「とにかく俺は、民間の人達がいる間は外に出たくありません。そういうの苦手なんですよ。可能なら部屋からだって出たくないです」

「お前、うちの猫神様と同じようなこと言ってるな」

「だったらその点では、猫神様に大いに賛成です」


 比良は真面目な顔をして、うなづいてみせた。



+++++



「では予定時間より早いが、見学者を乗艦させる。あの行列からして、最初の一時間ぐらいは、かなり混雑するだろう。見学者が危険な目に遭わないよう、それぞれの持ち場で、ちゃんと目を配っておくように。変なところにのぼろうとしたら、きちんと注意しろよ」


 見学者の行列がかなり長くなってきたので、予定より十分ほど繰り上げて開始することになった。開始する前に、清原きよはら曹長がその場にいる全員に、あらためて声をかけて回る。


「制服の展示、立検隊の訓練展示に出る者は、それぞれの開始時間も気にかけておけよ。それから、見学者の皆さんに質問されたら、可能な限り愛想よく応じるように」


 その言葉に、その場にいた全員がいっせい気のない返事をした。普段は、自衛官ばかりの中で生活をしている俺達。自分の身内ならともかく、民間人を相手に自分達のふねのことを説明することには、まったく慣れていなかった。


 そして一般公開が開始され、大勢の見学者が甲板上に押し寄せた。


―― 猫大佐、どこにいるんだろうな…… ――


 自衛艦旗の掲揚の時には出てきていたが、そのあと再び姿を消した。見学者が大勢やってくると落ち着かないと言っていたし、あの口振りからして、ずっと部屋で昼寝を決め込むつもりかもしれない。


―― 俺だって部屋で昼寝したいのに、まったく呑気な神様だよな。やっぱり神様じゃなくて妖怪かもしれん ――


「にゃーにゃー!!」


 俺の前を通りすぎていく見学者達の中に、父親に抱っこされていた子供がいた。その子がいきなり嬉しそうな声をあげて手をのばす。手の先にあるのは単装砲たんそうほうだ。そしてその単装砲たんそうほうの上に猫大佐がいた。


「!! ね……っ」


 周囲に人がいることを思い出し、慌てて言葉を飲みこむ。


 部屋で昼寝をしているだろうと思っていたのに、なんと単装砲たんそうほうの上で毛づくろいをしていた。そして毛づくろいの合間に、その場にいる大勢の見学者達を、胡散臭うさんくさげな顔をして見下ろしている。


―― なにやってるんだよ、そんな場所で…… ――


「にゃーにゃー!! にゃーにゃー!!」

「あれはにゃーにゃーじゃなくて、単装砲たんそうほうっていうんだぞー?」

「にゃーにゃー!」

「にゃーにゃーみたいな耳も尻尾もないだろー?」


 父親と子供が言い合いながら、単装砲たんそうほうの周囲を歩いている。子供の目は、間違いなく猫大佐をとらえていた。


 大佐もそれに気づいたのか、ますます胡散臭うさんくさげな顔をした。だが子供のほうは、大佐が自分を見たものだから大喜びだ。そしてますます〝にゃーにゃー〟と騒ぎだす。


―― つまり、あの子には大佐が見えてるってことか。子供の感受性ってすごいな ――


 その親子を見ていた猫大佐は、飽きてきたのか退屈そうにあくびをすると、後ろ足で首のあたりを乱暴にかきむしった。ここからでも毛がモワッと派手に飛び散るのが見える。


 それと同時に、その下を通りかかったオッサンが派手なクシャミをした。あのタイミング、どう考えても猫大佐の毛のせいだ。


―― 見えないのに、毛に反応することはあるのか…… ――


 思わずニヤけてしまい、あわてて口元にこぶしをあてて咳ばらいをした。

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