第七話 半舷上陸

「おはようございます! ……っ、うぉっ」


 艦橋に入ったところで、足元を猫大佐が横切っていったので、思わずつんのめった。


「おはよう。大丈夫か?」

「大丈夫です、階段を踏みはずしかけました」


 声をかけてきた藤原ふじわら三佐にそう返事をしてから、艦長席に飛び乗った猫大佐を軽くにらむ。ヤツは俺を見てからツンとした表情をすると、そこで偉そうにくつろいで、いつものように毛づくろいを始めた。


―― まったく。急に横切るなってあれだけ言ってるのに、聞いちゃいないんだからな ――


 実際のところ、俺の足が体を踏みつけても、猫大佐にはまったくダメージはないらしい。そのへんは、生身とそうでない存在の違いということなんだが、見える俺としては、頭でわかっていても体がよけようと反応してしまうのだ。猫大佐いわく『見える日常に早く慣れろ』なんだが、そう簡単に慣れるわけがない。


―― 実体化してる時に、うっかり尻尾を踏んじまっても知らないからな…… ――


 心の中で悪態あくたいをつきながら、自分の持ち場についた。前方に小さく白い船影が見えたので、双眼鏡で確認をする。白い船体に青いストライプ。海上保安庁の巡視船だ。


「副長、前方より海上保安庁の巡視船」

「あいかわらず目がいいな、波多野はたの。確認した。航海長?」

「進路確認しました。本艦はコースそのまま。機関室、速度は現状維持」

『了解、現状を維持』


 山部やまべ一尉が機関室に連絡をする。しばらくして艦長が艦橋に上がってきた。


「みんな、おはよう。前方から来るのは海保さんか?」

「はい。出港してきた巡視船からつです。挨拶されますか?」


 藤原三佐が、艦長に双眼鏡を渡しながらたずねる。双眼鏡をのぞきながら、艦長はうなづいた。


「そうだな」


 副長の合図で通信士が相手に呼びかけ、艦長にどうぞと声をかける。


『おはようございます。久し振りですね、みむろがこちらに寄港するのは』

「おはようございます。一年ぶりですよ。今日から二日間、こちらでお世話になります」


 相手から通信が入り、それに対して艦長が返事をかえした。


『そちらの地本さんが積極的に広報をしていたせいか、いつもの場所に、マニアさん達がおおぜい待機してるのを出港時に見かけました。一般公開ご苦労様です』

「そちらこそ、任務お疲れ様です。お気をつけて」

『ありがとうございます。短い時間でしょうが、おかでゆっくり休んでください。では』


 二隻が汽笛を鳴らしながらすれ違う。艦橋にいる全員が、巡視船に向けて敬礼をした。あっちの艦橋を見ると、そこにいる海保の人達も、俺達と同じように、こちらに向けて敬礼をしているのが見えた。


 それまで艦長席で毛づくろいをしていた猫大佐が、艦橋の窓のところに移動する。そして尻尾をふりながらニャーンと鳴いた。なにを見ているのだろう?


―― あ、もしかしてあっちの猫神様に挨拶か? ――


 航海長にとがめられない程度に、視線を巡視船に向ける。よーく見ると、巡視船の艦橋の窓のところに白い猫が座っているのが見えた。そして大佐と同じように尻尾をふっている。


―― おお、本当にいるじゃん!! 尻尾をふるのは、帽振れみたいなものなのか…… ――


 法律以外に船同士でかわす挨拶やマナーがあるように、猫神様同士でも、きちんと決まりごとがあるんだなと変なところで感心してしまった。


 湾内に入ると、接岸作業を手伝うためのタグボートが近づいてきた。


―― あのボートにも猫神様がいるってことだよな ――


 猫大佐は、窓で尻尾をふりながら下を見下ろしている。きっとタグボートの猫神様に、挨拶をしているのだろう。


 タグボートとこっちがもやいのやり取りを開始したのを、猫大佐はそのまま見ているようだ。たまに尻尾をピクッとさせたりパタパタさせては、なにやらブツブツと文句を言っている。どうやら今回の接岸作業が、猫大佐的にはモタモタしていると感じられて気に入らないらしい。


―― しかたないだろ、今回は新人が多いんだからさ。慎重にやらないともやいが切れて、大怪我することだってあるんだからな ――


 ここに誰もいなかったらそう言ってやるんだが、上官達に囲まれているので、ジッと我慢して自分の任務に集中する。


 岸壁では地元の防衛協会の人達が、横断幕を持って出迎えてくれていた。


「明日の一般公開、艦橋はどうするんですか? 限定公開ですか?」


 接岸作業が一段落したところで、山部やまべ一尉に質問をする。このふねは最新鋭のミサイル護衛艦だ。機密事項も多いので、ごく一部向け以外では、艦橋や戦闘指揮所は未公開にしていることが多かった。


「地本が若い子向けに、一般とは違うコースの見学者をつのったそうだ。明日の一般公開では、午前の部で、ここに十人ほど上がってくると聞いている」

「そうなんですか」


 俺の横で、藤原三佐がため息をついている。


「あ、もしかしてツアーの案内役は副長ですか?」

「そうらしい。こういう時こそ艦長の出番だと思うんだけどね」


 三佐の言葉に、艦長は肩をすくめて笑った。


「俺は忙しいからダメって言ったろ? こっち出身の隊員ご家族の接待が待っている」

「ということだ」

「あー、なるほど……」


 乗組員の出身地は様々だ。もちろん、勤務地の希望提出では地元を選ぶこともできる。だが、すべて希望通りになるとは限らない。現にこのふねにも、他府県から単身赴任で基地に来ている人もいれば、家族とともに引っ越してきている人もいた。


 そして、乗組員の家族が近くにいる港に寄港する場合は、艦長がみずからその家族を招待して、おもてなしをするというのが、なかば慣例化していた。艦長いわく、家族をあずかる者としての、当然の責務なんだそうだ。


『ここにも人が入ってくるのか。まったく騒々しくて落ち着かない一日になりそうだ。やってくる人間達が、妙なものを持ちこまなければ良いのだが』


 猫大佐が憂鬱ゆううつそうにつぶやいた。


―― 妙なもの…… ――


 一体どんなものを持ちこむというのだろう。今の季節だと虫か花粉? それともペットの毛とか? ああ、もしかしたら本物の猫の毛とか。自分の縄張りのふねに、よその猫のにおいのするものを持ちこまれるのは、猫的にイヤかもしれないな。



+++++



 接岸作業が終わり、自分の勤務時間が終わったところで、数時間だけだが上陸が許可された。母港に帰るまでは、基本的に寝食は艦内だ。だが、たまに寄港先でこんなふうに上陸を許可されることもあった。


比良ひら、お前は居残り?」


 俺と入れ違いで、艦橋に上がってきた比良に声をかけた。


「残念ながら」

「なにかほしいものがあったら頼まれるけど? エロ本とかは勘弁だけどな」

「今のところは特に。エロ本はいりませんよ」

「だから勘弁なって言ってるじゃないか。じゃあ、あとはよろしく!」

「気をつけて行ってきてください」


 部屋に戻ると、作業服をぬいで着替える。そこへ猫大佐が入ってきた。


『上陸するのか?』

「ああ。特になにかしたいってわけじゃないけど、気分転換に、外の空気を吸ってこようと思ってさ。大佐も一緒に行くか?」


 その問い掛けに、猫大佐は顔を横にふった。


吾輩わがはいはこのふねを離れるわけにはいかない。吾輩わがはいがいないうちに、余計な者が入りこんだら一大事だからな』

「番猫とは神様も大変だな。ずっと艦内ばっかで退屈しないのかよ」

『ここは吾輩わがはいの縄張りなのだ。特に退屈することはない。……だが』

「だが?」


 しばらく考え込む素振りをした猫大佐が、顔をあげて俺を見る。


『一つ、頼まれてほしいことがある』

「なんだ? 神様の頼みごとって難易度高そうだけど、俺にできることか? 時間が限られているから、あまり難しいことはできないぞ?」

『問題ない。こやつの実家の墓参りに、行ってやってほしいのだ』


 猫大佐がそう言うと、軍人さんが姿をあらわした。相変わらずニコニコとおだやかそうな人、じゃなくて幽霊だ。


「あ、なんかめっちゃ久し振りに顔を見た気が」


 ワッチの時に、比良の背中をさすっているのを見て以来かもしれない。


『すみません。色々と大佐に言いつけられて、忙しくしていたものですから』

「幽霊になっても忙しいって大変っすね……」

『過労死しないだけマシかと』

「それ、笑うところですか?」

『さあ、どうでしょう』


 猫神の下で働くのは大変そうだ。しかし、一体どういう事情でこの人は、戦死してから、猫大佐と一緒にいることになったのだろう。


「で、ご実家のお墓はどこに?」

『ここの基地の近くなんですよ。地図があればすぐにわかるんですが』

「あります。ちょっと待ってください」


 自分用のデスクの引き出しから、地図帳を引っ張り出した。


 紀野きの三曹には変わったヤツだと言われるが、俺はエロ本を読むより、地図帳をながめているほうがしょうに合っていた。今は自転車ではなく、護衛艦に乗って日本全国を回っているが、またいつか入隊前に走ったみたいに、自転車で日本一周をしたいものだ。


「えっと、ここの近くの地図はこれです。これでわかりますか?」

『ええ。ここからだと、歩いて三十分ぐらいですね。このお寺です。自転車があれば良いのですがね』

「ああ、だったらこのふねに乗せてきているのを借りますよ。遠縁の墓参りだって言ったら、きっと許可が出るでしょうから」

『よろしくお願いします』

「あ」


 そこで気になることを思いついた。


『はい?』

「まさか、墓参りにいったら、軍人さんの御先祖様達に囲まれるってことはないですよね?」


 自慢じゃないが俺はその手の話は苦手だ。いくら昼間でも、寺の墓で幽霊に囲まれるのは勘弁してほしい。


『さあ、どうでしょう』

「どうでしょうって……」

『私は、今まで行ったことがないもので』

『お前、ついていけば良いではないか』


 その会話を聞いてイヤな予感がした。


―― ついていく? いていくってことか? ――


『私、これでも幽霊ですからね。短時間でも人間の波多野さんにいたら、良くないと思うんですが』

『別に一日中つくわけではないのだ、問題なかろう。見たところ、こいつは頑丈そうだしな。それに万が一のことがあれば、お前が助けてやれるだろ』

「おい、万が一ってなんだよ……」


 今までに見聞きした、あんなことやこんなことな怖い話が、頭をよぎっていく。


『私より大佐がついていったほうが、安心だと思うのですがねえ……』

吾輩わがはいはここを離れるわけにはいかん。それはお前もよくわかっているだろう』

「てか、どっちかがついていかないと問題なことが起きるって確定なのかよ、勘弁してくれよ……」


 俺がそう言うと、猫大佐があきれた顔をしてこっちを見た。


『なんだ、自衛官が幽霊を怖がるとは情けない。こんな話はよくあることだろうが』

「ねーよ! 少なくとも、俺は今まで一度も、そんな現象に、遭遇したことはない!」

『目の前にいるこいつは幽霊だが』


 猫大佐の言葉に、軍人さんは申し訳なさそうに微笑んだ。

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