第六話 F作業

「猫神?!」

「しーっ、比良ひら、声がでかい、誰かに聞かれたらどうするんだよ」


 俺達の話を聞いている人間がいないかと、慌てて周囲を見渡す。


 壁に耳あり障子に目あり。猫がいるなんて噂になったら、それこそ大騒ぎだ。下手したら訓練航海を打ち切って、艦内大捜索になりかねない。


「ああ、すみません。でも、なんで艦内に猫の神様がいるんでしょう」


 比良が声をひそめて質問を続ける。


「知るかよ。しかも人間の言葉をしゃべるんだ。で、自分はこの護衛艦のぬしの猫神って、言い張ってるわけさ」

「へー、それってなにかのアニメみたいですね」

「困ったことに、そんな猫が俺達の部屋に住みついてるんだ。正確には俺のベッドになんだけどな」

「はー……」


 初めて猫大佐と言葉をかわして数日が経った。


 猫大佐は、なぜか俺のベッドを自分の寝床と決めたらしく、毎晩のようにやってきていた。最初のうちは、軍人さんの幽霊がやってきては回収していたのだが、とうとう諦めたのか、ここしばらくは姿を見せていない。お蔭で猫大佐は、すっかり俺のベッドのあるじきどりだ。


 こっちとしては、落ち着かないからよそに行ってほしいのだが、紀野きの三曹がいると文句も言えず、不本意ながら、妙な状況でのベッドの共有状態となっている。


「毎晩きゅうくつだし、事情を知らない紀野海曹には、寝相がおかしなことになってるぞって言われるし、散々だ……」

「でもこれで納得しました。どう考えても波多野はたのさん、猫に踏まれたりすり寄られている感じでしたから。あれ、やっぱり、その猫のしわざだったんですね」


 比良が言っているのは、食堂で話した時のことだ。


 たしかに、猫大佐は俺の前でも、偉そうにしゃべる以外は実に猫らしい仕草をしている。毛づくろいをしたり、耳の後ろを後ろ足で掻いたり、たまに、紀野三曹のたらしたままになっているベルトの端っこにじゃれてみたり。


 そんな様子を見ていると、本当に神なのか?と疑問に思わないでもないのだが。


「なあ、比良」

「はい?」

「どうしてそこで、疑うことなくすぐ納得できるんだよ。お前、俺の頭がおかしくなったとは思わないのか?」


 〝熱でもあるんじゃないか?〟とか〝三半規管さんはんきかんが壊れでもしたのか?〟とか。俺だったら間違いなくそう言うはずだ。なのに比良はまったく疑うこともせずに、すんなりと俺の話を受け入れた。


「波多野さんは嘘を言うような人ではないですから。その波多野さんが猫がいると言うのなら、本当にいるんだと思います」

「なんでそんなに許容範囲が広いんだよ……広すぎだろ?」


 断言する口調にあきれてしまった。ここまで素直なのもどうかと思うんだが、そこが比良の比良たる所以ゆえんなのだろう。


「そんなことないですよ。船の守り神が猫という話は昔からありますしね。それに、うちの基地ではないですけど、めちゃくちゃ野良猫に好かれてる幹部がいるって、話も聞いたことがあります」

「あー、そう言えばどこかで聞いたな、その話」


 たしかその幹部が歩くと、後ろに野良猫が大名行列並みに行列を作るとか作らないとか。そんな噂話だったはずだ。


「猫と船乗りは、切っても切れない縁があるんですよ、きっと。うらやましいな、波多野さん。俺も一度ぐらい見たいです、猫神様」


 比良の目がキラキラとしている。これは、本気で俺のことをうらやましがっている顔だ。


「できることなら、俺もお前にかわってやりたいよ……」

「それはきっと、俺達では勝手に決められないことなんでしょうね。それで、今もいるんですか? その、足元に」


 比良は興味深げな顔をして、俺の足元を見てからたずねてくる。


「いや。今日は朝から俺のベッドで寝てるよ。ほんと、そのへんはまったく普通の猫なんだよな。俺、猫が大の字になって寝る姿なんて、初めて見たぞ」

「つまりヘソ天で寝てると……やっぱりうらやましすぎますよ、訓練航海中にそんな癒しの時間が持てるなんて」

「そうかあ?」


 本当にかわれるものなら、かわってやりたいんだけどな、これ。



+++++



 その日の海士長有志の学習会を終え部屋に戻ると、猫大佐が床でなにかピクピクと動いているものを口にくわえていた。紀野三曹は深夜からの当直で不在だったから、遠慮なく猫大佐に声をかける。


「……なんだよ、それ」

『トビウオだ』


 猫大佐は、それをくわえたままふりかえる。


「トビウオ……」

『正しくはトビウオであったモノだな』

「つまり、それってトビウオの幽霊ってことでOK?」

『そんなところだ』


 そう返事をすると、ムシャムシャと食べてしまった。


「おいおい、そんなもの食って大丈夫なのかよ、腹を壊しそうだけど」

『新鮮なうちに食べておけば、問題ない』

「幽霊に新鮮とかそうでないとかあるのかよ……」

『人間の尺度では、はかれない時間ではあるがな』


 食べ終わると、猫大佐は満足げに舌でペロリと口の周りをなめた。


『生きているトビウオなら問題ないのだ。それがふねに飛び込んできても、お前達が見つけて海に捨てるから。だがこいつは吾輩わがはいにしか見えんトビウオだからな。吾輩わがはいがどうにかするしかない』

「それって除霊と同じことなのか?」

『それに近いものかもしれんな』


 長いこと航海していると、甲板にトビウオが上がってくることがあった。今のような設備がなかった昔は、そういう魚もありがたく食べていたらしい。だが今は衛生上の問題もあり、非番の時におこなわれるエフ作業 ―― 世間でいうところの釣り ―― で釣った魚も、一部を除いてほとんどが、キャッチアンドリリースという規則になっていた。


 まさかその中に、魚の幽霊が含まれているなんて驚きだ。


『一匹程度ならなんの害もないが、こういうたぐいの霊を船に溜め込むと、ロクな事がない。面倒な存在になる前に、さっさと食べておくに限る』

「溜まったらどうなるんだ?」

『集まって大きくなると、タチの悪いものを引き寄せて厄介な存在になる。だから無害な存在のあいだに、吾輩わがはいが取り込むのだ』

「食べ過ぎて腹を壊したりしないのか? ここにいる猫神って猫大佐だけだろ? あ、まさかあの軍人さんも一緒になって食べるとか?」


 七輪で魚を焼いている軍人さんの姿が頭に浮かぶ。新鮮なら刺身でもいけるんだろうか?


『こいつらを食べるのは吾輩わがはいだけだ。いまのトビウオも取り込んで吾輩わがはいの力となる。どれだけ食べても腹を壊すことはない』

「言ってることが、神様っていうより化け猫っぽいな……」

『失敬な。これも大事な吾輩わがはいの役目の一つだぞ』


 そう言いながら、顔を前足で洗いはじめる。そのしぐさはどう考えても、ご飯を食べて満足しきっている猫のしぐさだ。


吾輩わがはい達のご先祖は船倉のネズミ達を狩り、船員たちから報酬として魚をもらって食っていた。そのネズミが、この手の雑多な霊体になっただけのこと』

「じゃあ今の時代の報酬は? 魚の幽霊を食うかわりに、俺達の生気をよこせとか言わないよな?」

『バカ者め。吾輩わがはいをそのへんの妖怪と一緒くたにするな。報酬なんぞ不要だ』

「それを聞いて安心した」


 気がついたらこのふねに乗り込んでいる全員が、生気を吸い取られてミイラ化してしまった、なんてことになったらシャレにならない。


 ホッとしながら寝るしたくを始める。明日も夜明け前から当直だ。そろそろ寝ておかなければ。


「さっきのは小さなトビウオだったろ? もっと大きなヤツが飛びこんでくることもあるのか?」

『たまに、船にぶつかって死んだマンボウの霊体も飛び込んでくるな』

「マンボウ……」


 あのゆったりと泳ぐやつが護衛艦に飛び込んでくるなんて、まったく想像できない。


『あとはマグロやサメと言ったところか』

「サメ……でかいどころの話じゃないな」

『霊体だから、お前達に害はおよばん。安心しろ』


 ベッドに座りズボンを脱いでいる俺の前で、猫大佐は急に後ろ足で立ち上がった。そして宙に見つめると、ジャンプしてなにかを捕らえたようなしぐさをする。床に着地した猫大佐の口には魚がくわえられていた。


「またトビウオ?」

『自分がすでに死んでいることに気づかず、こうやって飛び込んでくるのだ』

「そしてそれを猫大佐が食べると」

『そういうことだ』

「けっこう頻繁ひんぱんに飛び込んでくるんだな」

『普段はここまで多くはない。船がちょうどそういう潮目の場所にいるということだ』

「なるほど」


 うなづいてみたものの、イマイチわからなかった。だが、実際の潮流とその手の潮目が、どう重なっているのかは興味がある。当直に立った時に、海図を見て確認しておこう。


 ムシャムシャとトビウオを食べている猫大佐をながめながら、あることが気になり始めた。


「なあ」

『なんだ』

「まさかその魚を食って、魚くさいとかないよな。一緒に寝るのに、魚くさいのはちょっとかんべんしてほしいんだが」

『心配するな。霊体だ、よほど悪質なものでないかぎりにおわん』

「それを聞いて安心した……って、おもっ」


 猫大佐が俺の腹の上に飛び乗ってくる。


「絶対に食いすぎで重たくなってると思うぞ! 猫神じゃなくてデブ猫だろ!」

『失敬な。吾輩がデブ猫になんぞなるものか』


 そう言って俺の胸元にドスンと座った。


「なんでそこ!」

『やかましい、さっさと寝ろ』

「こんな状態でどう寝ろって言うんだ……」


 一通りお互いに文句を言い合って、やっと寝る態勢に入る。やれやれ、まったく困った猫神様だ。


 そして寝落ちする寸前に〝ん?〟となった。


―― つまり、艦内で生臭いにおいがしたら、悪質なのがいるってことで要注意なんじゃ? ――



+++++



「どうしたんですか?」


 昼飯を食っていると、俺の前に座った比良が、首をかしげている。


「……え? いやまあ、魚だなあって」

「魚のフライが出ることなんて、珍しくないでしょ?」

「そうなんだけどな……」


 なんとなく前の晩に見た、猫大佐が食っていたトビウオが頭に浮かんでしまって、はしがすすまない。


「残したら、厨房の奥から怖い人が出てきて、プレートで張り倒されますよ」

「わかってるよ」


 箸でツンツンとフライをついてみる。これは幽霊魚じゃなく、間違いなく実体のある魚だ。


―― あ、でも俺は猫大佐のことも触れるわけだから、この魚にさわれたからって、これが幽霊魚じゃないって証明にはならないんだよな…… ――


 そんなことを考えながら、さらにフライをつつく。


「波多野さん、フライがバラバラになっちゃいますよ」

「!! あ、しまった」


 空中分解寸前の魚のフライを、慌てて口にほうりこむ。


―― ま、出港の時に積み込んだ冷凍の食品が、幽霊魚なわけないよな…… ――


 そう自分に言い聞かせ、口にほうりこんだ魚フライを飲みこんだ。

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