第86話

 上村は俺を見つけるや否や肩に腕を回して言う。


「おいおいそんなに睨むなよ。まるで俺が人を殺したみたいな目じゃねえか。これから一緒にサバイバル生活をする仲だろ? 大目に見てくれって。それよかを村間先生にバラしてないだろうな? 俺、実は先生のことも狙っててよ? 鈴木先生と交換してくれね?」


 虫酸が走るより先に考えなければいけないことがドッと脳裏によぎってくる。

 まずはもう一度痛覚が機能しているか頬をつねってみる。

 痛い。正常だ。つまり夢や幻ではないということ。


 次にこの光景、上村の言動に強烈な既視感を覚えている点。

 やはり、大原に全滅させられた現実は本物だったと考えるべきだろう。

 すなわちタイムリープ。


 突然のSFに理解が追いつかないが、を経験してしまっている以上、いつまでも混乱しているわけにはいかないだろう。


 早急に対策する必要がある。原因究明や原理を考えるのはその後からでも遅くない。


 問題は一周目(タイムリープを受け入れた以上、この手の表現を使わせてもらう)と展開が変わっているということ。

 世界線が変わったとでも言えばいいのか。


 上村の言葉一つ取っても

 俺は他人よりも記憶力が良いが、今日ほどこの長所をありがたいと思った日はない。

 との比較にそこまで苦労しないのは大きな武器だ。


 とはいえ、鈴木先生、橘真司、工藤瑛太、町田舞、西野春奈、小山奏の計五名の追加。

 彼らが俺の知っている世界線にどう影響してくるのかが、まったく予想がつかない。

 

 いずれにせよ考えなければいけないことは山のようにあることだけは事実。

 長考する時間が必要だ。


「……はぁ。ほんっっと最悪。よりによって田村までいるとかマジ萎えるんですけど」

 と香川。


 刺すような視線。

 それは誰がどう見ても嫌悪している相手に向けられたものだったが、俺は泣き叫んでしまいそうだった。

 死んだはずの戦友が目の前にいるのだ。

 本当は抱きしめて感謝と謝罪を伝えたかった。俺と一緒に大原と戦ってくれてありがとう、と。最後の最後で助けられずに本当に悪かったと、そう口にしたかった。


 けれど俺に向けられた敵意から考えても、閉じ込められた鍾乳洞で脱出するため手を携えた記憶はないと思っていいだろう。

 また一から。

 その現実に思うところもあるが、生きていてくれるならきっとまた分かり合えるはずだ。今はただそれだけでいい。 


「理沙の言う通りね。まさかぼっちと遭難だなんて……貞操の危機を感じるのだけれど」


 続いて司。

 正直に言えば彼女を視認するや否や、俺はきっと両目を潤ませていただろう。

 まともに目を見ることができない。


 この島でのサバイバル生活において司の存在はどれだけ俺にとって大きいものだったか。

 彼女が傍にいてくれるだけでどれだけ心強かったか。


 もちろん目の前にいるのは吃音症になる前の――俺を全力で嫌っている黒石司だ。


 それでも司の最期が俺を庇ってくれたものだったことを思い出すと、涙腺が崩壊してしまいそうだった。


 しかし、ここで号泣するわけにはいかない俺は目頭をつまんで我慢しようとしたのだが、

「おいおい。田村のやつ女子にちょっと冷たくされただけで泣いてんじゃん! 泣き虫くんかよ!」


 揶揄うようにして言ったのは熊に食い殺されたはずの中村だった。

 よもやこんな再会になるなんてな。

 もしも俺の身に起きている奇跡に定められた運命というものがないならば、今度こそ助けてやりたい。


 暗闇に一人残されたあげく身体が冷たくなり、硬直していく思いはきっと言葉にできないほど辛かったはずだ。

 

「それにしても一輝くんぱないわー。黒石さんたちの救命胴衣だけじゃなく、僕たちの分まで運ぶとか神じゃん。あざますー!」


 本来中村が言った台詞を口にしたのは追加メンバーの橘真司だった。

 彼は上村グループのNo3。上村ボスにくっついて離れない小判鮫のようなやつだ。

 言うまでもなく橘は俺を下に見ている。

 なんなら上村から受けた理不尽な仕打ちのストレスを俺をはけ口にするような男だ。


 橘の言動から察するにこの世界線で彼らの救命胴衣を運んだのは上村――ということか? 


 橘の言葉に急いで反応したのは言うまでもなく上村だった。


「おいおい真司。それは言わない約束だっただろ。友達のために命を張れるのが真のダチじゃねえか」


「なにそれ。ちょっと台詞がくさいんじゃない? でもまっ、ありがと一輝。私たちのために救命胴衣を取って来てくれて。あれがなきゃ今頃私たちどうなってたかわからないし」


 金髪に指をくるくると巻きながら言う香川。

 心なしか頬が赤い。

 そんな香川の言動に慌てた司も、

「わっ、私だって一輝に感謝しているわよ」

 照れくさそうに言う。

 やはりこっちも頬が赤い。


 そうか。やはり彼女たちの中には俺と過ごした記憶はないのか。

 超常現象だけに覚悟はしていたつもりだが、これは予想以上にくるものがあるな。

 メンタルを壊さないように気をつけなければいけない。


「感謝なら私もしているからね一輝くん」

 町田舞が猫撫で声でそう告げる。

 彼女の傘下にある西野春菜と小山奏はリーダーである町田の顔色を窺うように黙りを決め込んでいた。

 なんとなくこの展開が予想できていた俺はわかっていることを整理してみる。


 教室内に社会の縮図――派閥ができていることは空気が読めない俺でも把握している。

 顕著なのは男子よりも女子。

 町田は司や香川、大原のグループとは別に独自のそれを率いている。

 そして町田が上村に惚れていることはこれまでの学生生活で一目瞭然。

 さらに西野春奈、小山奏も中村や橘たちに気があることからわかりやすく敵対関係にあると言っていいだろう。

 彼女たち追加メンバーが俺を毛嫌いしていることは言うまでもない(どれだけクラスで浮いてたんだよ俺は)

 

 つまり。

 俺の知っている展開――田村ハジメ&村間先生、上村グループという二手に別れてサバイバル生活を送るかどうかは、鈴木先生の出方次第ということだ。


 俺のことを忘れ、上村を好いている司と香川があちらに残ることは必至。

 当然、恋敵が上村たちと過ごす以上、町田も俺につく道理はない。西野や小山もしかりだ。わざわざリーダーの命令に背くメリットはないはずだ。


 だが何より一番の問題なのは大原。

 同様、ずっと俯いている。

 何か言いたそうに見えるのは気のせいか?

 

 ……ならいっそ揺さぶりをかけてみるか?

 何か言いたいことでもあるのか、って。

 いや待て。落ち着け。すぐに対策を練らなければいけない状況であるのは間違いないが、焦り過ぎてポロを出すのもマズい。


 俺が知る限り断トツにヤバいのはあの女だ。接触の仕方を間違えた瞬間に全滅という未来も十分考えられる。

 なにせ記憶の改竄さえもやってのけてしまう女だぞ?

 それにという保証もない。


 何より頭が痛いのはタイムリープという超常現象――

 仮に大原に記憶があるというなら、選択を誤ることは絶対にできない。

 真っ先に繰り広げられるのは拳銃と火薬ダイナマイトの争奪戦だ。


 最も不利なのはそれらがある場所を俺は知らないということだ。

 つまり大原を見張り横取りすることになる。

 その展開は確実に前回の世界線と異なる。この先起こり得るであろう未来予測――すなわちアドバンテージをドブに捨てることになる。

 とはいえ、勝負に出るタイミングを見誤れば再び窮地に追いやられることは必至。


 クソッ!

 どうして二周目にも拘らず、開始早々いきなり頭がパンクしそうになっているんだ。


「どういうこと上村くん?」

 問い詰めるような視線の村間先生。

「チッ。お前さえいなければ村間先生も手に入ったってのに」

 上村は俺にだけ聞こえる声で耳打ちをする。

 この言動……。


 救命胴衣の件に関しては一周目同様、送り届けたのは俺と村間先生――という延長線上にいるということか。


「でどうすんの一輝。ぼっちくんも引き連れて生活すんのか?」

 と中村。やはり俺の知っている展開で話が進んでいる。

 これはどう捉えればいい?

 

「あったりまえだろ。俺たちはクラスメイトだぞ? これから協力し合って生き延びていく仲間じゃねえか」


「はあっ? ちょっ、何言ってのよ一輝。閉鎖された島で一緒ってだけで嫌なのに何が悲しくて団体行動しなきゃならないわけ? あーし、絶対に反対なんだけど。襲われたらどうすんの?」


「理沙に同意だわ。この島には私たちを守ってくれる警察だっていない。何かあってからじゃ遅いのよ? 断固として反対だわ」


「はいはーい。舞ちゃんも反対でーす」


 早速心が壊れそうだ。これは想像していた数千倍キツい。

 上村の変貌、中村の死、司の身に起きる強姦未遂と吃音症、大原による復讐とそれを一身に受ける香川。


 これだけの現実を知っているのが俺だけだとしたらどう考えたって荷が重すぎる。

 事情を知らない相手に「実は――」「この先お前には◯◯が待っている」なんて口にするのはインチキ臭い詐欺師と変わらない。


 黒石や香川との信頼関係もリセット。

 追加メンバーからの好感度も決して高くなく(むしろ低い)出方が未知数。


 さて、どうしたもんか。

「いい加減にしなさいよ。一体誰が貴女たちの命を――」

 一周目と同様、村間先生の手を取り、「いいから」と目でサインを送る。

 救命胴衣の真相が明かされることで黒石と香川たちの好感度が急上昇するなら話は別だが、ここで今すぐ俺の知っている展開から逸れる必要もない。状況が好転する未来が見えない。


 ここは二手に別れられるよう俺自身もそう持っていく必要がある。

 油断はできないが、上村の変貌は中村の死後だ。注意深く観察した限り、殺人に快楽を覚えている気配はない。


 中村の親熊に食い殺されるのもまだ日があるはず。仮に二周目が一周目と違って漂流初日で襲われる運命にあったとしても俺にそれを知る術はない上に説得のしようもない。

 対策を考えるとしても時間が必要だ。


 黒石の強姦未遂も同じだ。

 町田たちがあちら側につくことで人目は多くなるはず。上村もそう簡単には手を出せないだろう。

 ことに及ぶとしても他の人間が寝静まった頃になる。

 

 大原は香川への復讐が第一。

 もしも一周目の行いに俺が反省する点があったとすれば彼女と敵対してしまったこと。それに尽きる。

 その展開はまだまだ先のはず。現状は野放しにしておいても大丈夫だろう。いや、大丈夫だと思いたいだけ。願望か。


 いずれにしても俺の答えは決まっている。

「せっかくだけど俺はいい。別行動でいこう」

「「「「「当然/でしょ/だわ/です」」」」」

 女子陣はまさかの満場一致。

 クラスで浮いただけでここまで嫌われるのか。


「で? 村間先生はどうします? ぶっちゃけ俺の方が頼りに――」


「――お断りよ。私は田村くんと一緒にいるわ。?」


 どうやって鈴木先生を上村たち側についてもらおうか必死に脳をフル回転させていると村間先生が二手に別れることを鈴木先生に提案する。


 教師と生徒とはいえ、若い男女が漂流した島で二人きり。

 とはいえ、俺と上村たちの確執はこれまでの言動を見聞きしていれば火を見るよりも明らかだ。

 

 教師としてはこれまで〝一致団結して――〟なんて口にしているが、極限状態の中で不協和音が生じることのストレスは相当のものだ。


 仮にもここで一個体として寝食を共にしよう、などと口にすれば女子陣営から不満は避けられない。もちろん俺と村間先生の反発も買うことになる。


 集団行動を提案した以上、教師という立場かつ最年長、男性というあらゆる点から考えてもリーダーに近い役割を求められることは想像に難しくない。


 その負担は決して軽くない、どころか相当重くのしかかるはず。

 束ねるなら不穏因子が混じっていないグループの方が圧倒的にやりやすい。


 鈴木先生の脳内を覗くことができればきっと教師としての判断か、大人としての判断か迷っていることだろう。

 いや、もしくはすでに答えは決まっていて悩んでいるふりをしているのかもしれない。

 

 教師という身分がある以上、俺の方につくとは言い出しにくい空気だろう。

 一人の生徒に教師が二名。その他大勢の生徒は好きにやってくれ、ということになる。


 小考してみせたのち、ようやく鈴木先生が答えを口にした。

「…………わかりました。では私は上村くんたちの傍につきましょう。人数から考えても私の役目でしょう。ですが、定期的に情報交換します。あくまで我々は手を携えて協力するべき関係ですから」


「よっしゃ、決まりだな。まっ、俺たちはいつでもウェルカムなんで困ったことがあったらいつでも言ってくれ。じゃあな」

 別れの挨拶を残し、踵を返す上村。

 その後姿を追うようにして他の生徒も立ち去っていく。


 ようやくまともに息が吸えた気がする。

 問題はむしろここから、か。

 これからのことに思考を割こうとする俺だったが、振り向くとそこには目に涙をためて、ぷるぷると震える村間先生がいた。


 ああ、そう言えば俺の一番最初の仕事って――。

「ええっと……」

 たしか村間先生を落ち着かせることからだったな。

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