第81話

 希望と絶望は表裏一体。

 そんな言葉を俺は思い知ることになる。

 長時間の探索の末、俺と香川はようやく鍾乳洞の出口らしきものを見つけ出していた。

 光が差すそれを視認してすぐになんとあの香川が俺に抱き着いて来た。


「やった、やった! あれ絶対出口っしょ! やったじゃん田村!」

「ちょっ、落ち着け! 落ち着けって香川! 重い、重い!」


 全身に広がる柔らかい感触。

 それが上半身裸で暖を取ろうとしてくれた光景を鮮明に思い出せていた。

 否応なしに鼓動が速くなり、おもわず鼻血が垂れてしまいそうになる。


「ちょっ、レディに重たいとかありえないんですけど。ふつー、柔らかいとか、当たってる、とか言って照れる場面だかんね?」


 目と鼻の先でジト目で睨んでくる香川。

 どうやら俺の本音と建前に気が付いていない様子だった。

 本音はお前の言う通り、柔らかいとか、当たっている、なんだよ! 一緒に探索している相手が戦友であると同時にやっぱり女なんだなって思い知らされていた。


 だからこそ余裕のない脳みそで女に禁句の重い、なら離れてくれると思ったんだよ!

 なのにより体重をかけてくるとかどういう神経してんだ! 村間先生や黒石とはまた違った思考回路で対応に困るつうの!

 俺の人生にお前のようなタイプと好意的に話す機会がなかったせいでどの引き出しを開けても解決策が出て来ないんだよ!

 

「……にしし。柔らかいでしょ?」

「ノーコメントだ」

「あー、はぐらかした! これだから童貞は」

「わかった! わかったから離れてくれ! お前の言う通り柔らかいし、当たっているし、それにいい匂いだよ」

「なっ……!」


 何気なく最後に付け足した感想は効果的面で俺から爆ぜるように距離を取ってくる。

 なぜかあの香川が一瞬で怒髪天をつくとばかりに真っ赤っか。

 羞恥に打ち震えるように全身をプルプルと振るわせていた。


「これだからデリカシーのない男は」

「いやいやいや! 元はと言えばお前が突然抱き着いて来たのが発端だろうが」

「花も恥じらう乙女が鍾乳洞で何十時間も探索してんの! 匂いとか気にするじゃん」

「はっ、はぁ……? 別に気にすることでもないだろ? それにお前、全然臭くなかったぞ。むしろ、いい匂いで戸惑ったぐらいだ」

「……きも」


 両肩に手を置いてジト目で俺を睨んでくる香川。

 なんでだよ!


「おい。なんで俺が侮蔑の眼差しを向けられてんだ」

「田村ってもしかして匂いフェチだったりするわけ?」

「はぁっ⁉︎」


「まともにお風呂も入れていない女の子にいい匂いとか、ほんっっっっっっっっと無理なんですけど」

 ため過ぎだろ。

 というか、さっきから理不尽すぎる。

 ダメだ。この話題は不毛だ。

 離脱しよう。


「ほら行くぞ香川」

「誤魔化すなし!」

 さすがにしつこいだろ。お前は俺をどんだけ変態にさせたいんだよ。


 ☆


 光が差し込む方へ辿り着く俺と香川。

 どうやら潜水や探索している間にずいぶんと降下してしまっていたらしい。

 この鍾乳洞から出るためには人間が一人通れるか、通れないかぐらいのギリギリの空洞を登らないといけないようだった。

 俺は視線で香川に確認する。


「……変態。どこ見てんのよ?」

「見てねえよ! お前、どうしても俺を変態扱いしたいみたいだな!」

 胸を隠すようにして引く香川。逆にそれが強調されていた。

 俺は慌てて視線を逸らしため息混じりに聞き直す。


「俺が視線で聞きたかったのは登れそうかって、ことだ」

「はぁっ? あんた誰に口きいてるわけ? 溺れかけていた誰かさんを助けてあげたのはあーしだってこと忘れてんじゃないの?」


 無意識に俺を刺してくるなよ。

 男の俺の方が先に息が保たなくなるって、実は結構ショックを受けてんだから。

 まあ俺のハイパーベンチレーションはガキの頃に見様見真似で覚えたそれだし、色々とやり方も間違ってたりするんだろうが。


 内心でちっとばかし落ち込む俺をよそに香川が言い淀み始める。

「その、あーしってバカだけど、こう見えてスポーツとか身体を動かすのは得意だから、その、魚のや山菜の調達なら自信があるっていうか、えっと、あの」


 突然、言葉に詰まり始めた香川の真意に脳を回転する俺。

 あー、そういうことか!

 多分、彼女はこの空洞を駆け上がることぐらい造作もないことなんだろう。

 

 だから、香川はその先を見据えている。

 ここから脱出したあとの生活だ。

 つまり語弊を恐れずに言えば売り込みってことだろう。


 元々、俺と香川は犬猿の仲だった。

 大原という共通の脅威に手を結び、共に立ち向かう仲になったのもここ十数日間のこと。

 

 親友に裏切られた途端、俺と――俺たちとの生活を望むことに罪悪感や後めたさを感じているに違いない。

 なにせ香川は中村の死後、上村の脅威に対抗するために俺が伸ばした手を払いのけている。

 一体どの面を下げていまさらお願いしてんのよ、きっとそういう気持ちがあるのだろう。


 もちろん俺だって人間だ。それに対して思うことは多少なりともある。

 けれど事情が事情だ。

 裏に大原という黒幕が潜んでいたこともしかり、極限状態の環境に突然置かれれば半信半疑にもなるだろう。


 だからこそ俺は都合の良い女、なんてことは一才思わない。

 むしろ、こうして俺と、俺たちと一緒に生活をしたいと思ってくれていることの方が嬉しかった。

 頑張って来て良かったと、心の底からそう思う。それはきっと黒石との約束を果たすことができたこともあるだろう。


『助けてあげられるものなら助けてあげて欲しい』

 黒石はすごく申し訳なさそうにボードを見せてきた。きっと複雑な心境だったことだろう。


 それを達成できたことが俺は何より嬉しかった。

「安心しろ。この鍾乳洞から出たあとは身体で払ってもらうつもりだ」

「なっ、ちょっ……いや、まあ、覚悟はその、してなくもなかったというか? 田村がその、求めるなら、お礼も兼ねて応えてあげてもいいかなー、とは思ってたけど、そんな直接――」


「――おっ、そうかそうか! 一応は考えてくれてたんだな! そりゃありがてえ! けど、覚悟しておけよ香川。俺はこう見えてタフだからな。とことん使い込んでやるからな」


「たっ、タフ⁉︎ つっ、つつつ使い込んでやる⁉︎ あんたまさかあーしのこと」

「いやあ、マジで助かるぜ。言っても食材の調達や身体を使うのは男である俺がメインだったからな。サブがいてくれるだけでどれだけ心強いか。期待しているからな香川。むしろウェルカムだ」


 ようこそ俺たちのチームへ。そんな気持ちで手を差し伸べる俺だったが、当の本人はジトッとした目で睨んでいた。

 しっ、しまった……! 

 やっぱり女に肉体労働を期待しているぜ、なんてのはマズかったか⁉︎ 

 いや、俺としては他意があったわけじゃなく、できるかぎり香川の気持ちを汲んだ上で手を差し伸べたかっただけなんだが。

 自分で身体を動かすのが得意だって言ってたしな。


「あんたさ……司や村間先生からヘタレだって言われてんじゃないの?」

「突然なんだよ⁉︎」

「それか鈍感? 唐変木? まあそんな感じの言葉を何度か浴びせられたでしょ?」

「ん? んんん?」

「……はぁ。先が思いやられるわね。参加することになれば強敵が二人だし……言っておくけどさ」


 そう言って香川は指を差して、

「あーし、負けるつもりないから」

 ……負けるつもりがない?

 食材の調達数を? ずっ、ずいぶんとやる気満々だな。いや、その方がありがてえけどよ。けど肩のチカラを抜くことも大切だぞ?


 そんな俺の胸中をよそに手を握り返してくる香川。

 こんな日が来ようとはな。漂流した日からは想像だにしてなかったよ。


 俺は口の端を釣り上げて言う。

「これからよろしくな香川」

「よろしく。それとあーしのことは理沙って呼ぶこと」

「了解した理沙。俺のことも好きに呼んでくれ」

「そう? じゃ、タムタムね」

「タムタム⁉︎」 

「で、なに? この空洞を登れるかだっけ? 笑止だっての。余裕に決まってるしょ」


「じゃあ理沙、前をお願いしてもいいか?」

「……………………えっ?」

 俺の確認に素っ頓狂な声を漏らす香川。

 いやいや、そりゃそうだろ。

 場合によっちゃ空洞は滑るかもしれない。下手すりゃ登っている最中に上から下まで真っ逆さまだ。足を滑らせたときに受け止める人間がいないとマズいだろ。

 ましてや俺が先に上がるのはご法度だ。

 俺が足を滑らせたにも拘らず、その失態を身体で受けるのは当人じゃなく香川になっちまう。それだけは我慢ならなかった。


 俺としてはその辺のことは言わなくても理解してくれていると思っていたのだが、

「……変態。パンツが見たいなら堂々とそう言いなさいよ」

「ああっ、そういうことか!」

 ようやく香川とのすれ違いを把握した俺は説明すると、


「事情は理解したけど、絶対に上を見ないでよ! 約束だかんね?」

「いやいや、さすがにそりゃ無理だろ」

「はぁっ⁉︎ じゃあやっぱりあーしのパンツが見たいだけじゃん! 変態! タムタムのど変態!」


「出口を目指して足や手をかけるところを目で追わなきゃなんねえんだぞ? 仕方ねえだろ!」

「さいっっっっっっっってい!」

 だからため過ぎだろ。


 結局、どちらが上か下かで口論したあと、決して折れなかった俺が下になることに。

 俺には水中で酸素を譲ってもらったこと、シマウマヘビに噛まれたときに看病してもらったことなどの恩がある。

 出口という希望を前にして転落という絶望を味わせるわけにはいかない。なにより俺が先に登って足を滑らせてしまったときのこと、反対に俺は無事に登り切ったものの、香川が転落してしまった光景を想像するのが耐えられない。


 クッションになるのは誰がどう考えても男である俺の役目だ。

 もちろん女子高生のスカートの中を同級生に常に覗かれるという羞恥プレイは堪えるものがあるだろうが、足の一本や二本折れるリスクに比べれば安いもんだろう。そう説得させてもらった。


 ちなみに香川曰く、下からパンツを凝視されることは決して安くないとのことだった。

 見た目に反して純粋なのな。こんなのただの布切れじゃん、とか言いそうなのに。


 そんなわけで空洞を駆け上がっていく俺と香川。

 登るまではあんなにキャンキャン言っていた香川もいざ上に向かい始めてからは真剣モードになっていた。

 それは下に俺がいることを考慮してくれてのことだろう。自分が落ちれば田村が犠牲になる。きっとそう思ってくれているに違いない。

 

 なにより自分で言うだけあって、香川の身体能力は目を見張るものだった。

 どうやらロッククライミングの真似事もバッチリだ。

 むしろ香川のスピードに俺の方が着いて行けないレベルだった。

 さらに先導をし始める始末。ここの岩が滑るから、とか、脆そうだからここには体重をかけない方がいいとか、足はここにかけた方がいいだの、いやお前、マジで運動神経良すぎだろ。


 結局、香川が先に脱出することになった。

 鍾乳洞を出る寸前に「あーしのことは心配いらないからゆっくり来なさいよ」とまで声をかけられていた。

 うん、やっぱり俺が後ろでよかった。

 数分遅れでようやく顔を地上に出した俺は、近くで待ってくれているであろう香川と視線を合わせるため、顔を上げた瞬間。


 すぐに地獄に落とされた。

 香川の「マジで遅すぎでしょ。どんだけ待たせたら気が済むのよ」なんて軽口を期待して見上げたそこには――、


 銃口を香川の額に突きつけた大原の姿があったからだ。

 

「もう、遅いですよ田村くん。レディを待たせるなんて悪い男の子ですね」


 なんでこの島からまだ脱出していないんだ。そんな気持ちでただただ彼女を睨みつける俺。

 

 こいつはもう殺さなければいけないかもしれない。

 無意識にそんな危険な思考がよぎった瞬間だった。


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