第82話
香川を人質に取られた俺は砂浜に移っていた。
そこは俺が上村と雌雄を決した場所だった。
真意は決着をつけよう、ということだろう。
到着するや否や、両腕を縛られて口に竹を咥えさせられた村間先生と黒石が目に入る。
無事だったか……!
もちろん村間先生のことを信用していなかったわけじゃない。
彼女なら――またみんなで会いましょうと言って俺の背中を押してくれた先生ならきっとやってくれると信じていた。
決して油断できない状況だが、二人の顔をもう一度見れただけで泣き出してしまいそうだった。
ああ、ダメだ。
俺はもうあの二人無くしては生きていけないかもしれない。
本気でそう思ってしまうほど大切な存在になっていた。
どうやら二人も俺の無事を喜んでくれているのか、視線が合うや否や目が潤んでいるように見える。
待っててくれ。あと少しの辛抱だ。
彼女たちの顔を見てようやく決心する。
もしも大原が真相を知ってなお、改心しないなら、ここで殺さないとダメだ。
もうこれ以上村間先生や黒石が危険な目に遭うところを目にしたくない。
もう嫌なんだよ。心臓を握られたようなプレッシャーは。懲り懲りだ。これ以上は胃に穴が開きそうだった。
もちろん殺人は赦される行為じゃない。断じて赦されない。
ましてや命を救うために医者を目指している人間の対局にある禁忌。
だからもしもこの手を黒く染めるようなことになった場合、この島を脱出することができたなら、きちんと罪を告白し、償ってからもう一度出発しよう。
それぐらいの覚悟ができるぐらいには大事な存在だ。
だからこそ彼女たちの自由を拘束し、人質としてこの場に用意した大原のことが憎くて憎くてたまらない。
拘束されている村間先生と黒石は定位置から動けば射殺するとでも脅されているのか。
こっちを視認しても逃げ出す素振りは一切なかった。
「それにしても本当に流石です。凄いですよ。田村くんだけならまだしも脳筋の理沙ちゃんまで無事に脱出させるなんて。さすがの結衣ちゃんでも同じことを出来る自信はありませんから。でも信じていましたよ。必ず探索を成功させるって」
「……この島から脱出するんじゃなかったのか?」
「復讐を果たす前に逃げるわけないじゃないですか。貴方はあの程度のことでくたばるような弾じゃないですし」
あの程度のこと……?
脆くなった鍾乳洞の入り口をダイナマイトで爆発させ、潮が満ちるそこに閉じ込めことが、あの程度だと?
いや、待て。大原はあの爆破で確実に俺たちを仕留めたと確信していたはず。
なのに信じていた? 俺と香川が鍾乳洞から脱出することを?
おかしい。大原らしくない言動だ。
なにせ俺たちが脱出して来た鍾乳洞は香川に復讐を果たすために選んだ監所だ。
抜かりのない大原なら念入りに調査した上での選定だろう。
ほんの少し、何かが噛み合わなかっただけで命を落としていた場面だって何度もあった。
鍾乳洞から踵を返す際に感情を吐き出してから去ったことを思い出してみても、生きて帰ってくると信じていた、なんて言葉が出てくるだろうか。
大原にしては一貫性がない言動だ。
まさかこいつ……記憶そのものを改竄して⁉︎
衝撃的な疑惑がよぎった俺は裏付けの確認も含めて口を開く。
「よく言うぜ。鍾乳洞を爆破したようなやつが」
「……はい? 鍾乳洞を爆破? いやいや、何言ってるんですか。私がそんなことするわけないじゃないですか。田村くんが冗談だなんて珍しいですね」
……大原結衣という女は確実にサイコパスだ。
関わっちゃいけない。自分に不都合な記憶でさえも抹消できるなんて本当に手に負えない。
仮にもしも香川に復讐を果たす憎しみが綺麗さっぱり消すことができるとしたら、ただの少女に戻るのか?
だが、そんな殺人鬼に戻るか分からない人間と共同生活を送る?
ダメだ。どうやってもその光景が今の俺には想像することができない。
「……あーしはどうなってもいいから村間先生と司を放してあげて。お願い結衣」
「死んでもお断りです。……まったく。鍾乳洞で理沙ちゃんだけ殺す計画が台無しですよ。田村くんだけで良かったのに」
「結衣。お願いだからもうこれ以上田村を苦しめないで。元はと言えば私とあんたの確執でしょ? あいつは関係ない」
「おい理沙! 何言って――」
「理沙ぁ? ふふふ。あっははは! いやぁ、本当に凄いです田村くん。あんなに嫌悪し合っていた仲だったのに、もう互いを気遣う関係なんですか。結衣ちゃんいうものがありながら、ハーレムでも作る気ですか? 正直言って不愉快です」
「やめろ大原!」「やめて結衣!」
俺と香川の悲痛な叫びが重なった次の瞬間だった。
俺の脳内から〝思考〟という二文字が完全に抹消された。
――バンッ‼︎
と銃声が響いたかと思いきや、香川の額に向いていた銃口が下を向いていた。
恐る恐る視線をゆっくり降ろしていく俺。
胸いっぱいに広がる気持ち悪さ。渦を巻いているそれに吐き気を催していた。
ようやく脳が状況を理解したのは香川の脚から大量の出血しているところを目にしてしまったときだ。
香川は唇を噛み締めながら苦痛に満ちた表情で膝をつく。
はっ、はっ、はっ、はっ、はっ……!
なんだ、何が起きて……香川の足から血が、ああああ……止まらない血が、血がどんどん溢れて、嫌だ、なんだこれ、なにが起きて、ああ、あああ、ああああああああっ!
呼吸がどんどん浅く、過剰なスピードになっていく。
息苦しさと立っていられない目眩。まるで砂浜がぐにゃりと歪んでいくような錯覚。
過呼吸。
そんな言葉が脳裏によぎる。
本能が、本能だけが、この場で意識を失うことのマズさを訴えかけていた。
俺は右肩に爪を立て、えぐる。
痛みでパニックを回避しようと試みる。
ダメだ。痛みが足りない。もっと痛みがないと途絶えてしまう。
俺は唇をチカラいっぱい噛み締める。
途端に広がる鉄の味。
ようやく痛みを感じることができた。
「……痛っ……ああっ、大丈夫だから、大丈夫だから落ち着きなって。こんなのあんたがヘビに噛まれたときに比べたら、ただの擦り傷じゃん」
香川は足首に被弾しておきながら恐怖と不安に支配される俺の方を心配していた。
その光景が俺をさらに困惑させる。
「理沙、血が、出血が……!」
「しっかりして田村! あんたがあーしに言ったんじゃん! 思考を停止させるなって。大丈夫だから」
「理沙ちゃん。貴女という人はどうしていつも私を不快にさせるんですか。私から恋人を奪ったくせに……!」
痛みで膝をつく香川の髪を引っ張り額に銃口を突きつける大原。
「やめろ大原! やめてくれ! 想い人が自殺したのはお前のためだったんだぞ⁉︎」
「……はい?」
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