第76話

 香川の意識が戻ってすぐ。

 まずは冷えた身体を温めるために、火を起こせそうな場所や道具を物色しながら先に進む。

 ……おそらく鍾乳洞で香川と一夜を過ごすことになるな。


 九死に一生を得た俺たちだが、危機的状況には変わりなく。

 後戻りができない以上、前へ進むしかないわけだが、先がどうなっているのかなんてのは神のみぞ知る世界。

 何より心身ともに疲弊しきっている状態で脱出を試みるのは無謀だろう。


 まずはゆっくり身体を休め、英気を養える場所があればいいんだが……。

「くちゅん……っ! うー、さっむ」

 くしゃみをして両肩をさする香川。体温は男に比べて女の方が低い。まして彼女は親友だと思っていた人物から裏切られ、殺されかけたわけで。


 長い時間、潜水していたことと相まって、のしかかっている心労は想像している以上のはず。

 ここは俺がしっかりしないと……。

 まずは浸水しないかどうかだが、俺の背丈ぐらいの壁を確認したところ、浸食されている気配はない。なにより今回は蓋がされていない。当然だ。光が差し込んでいるだから。


 ここで寝食すること自体は問題がなさそうだった。

 火を味方につけるために役に立ちそうな物を拾いながら進んでいると、休憩によさそうな窪みを発見する。

 ベンチのように平坦で一人ぐらいなら横になれるかもしれない。

 床が硬いのが難点だが、凸凹している地面に寝転ぶよりはよっぽどマシだろう。香川にはあそこで休んでもらおう。


「香川。少し休憩しよう」

「りょーかい」


 ☆


 今回は原始的な方法で火を起こすことにした。光は差し込んでいるものの、外に比べたら決して強いとは言えず、凸レンズは難しい。そこでハンドドリルだ。

 

 乾燥したファイヤーボードに丸い窪みを掘り、そこに木の棒スピンドリルを押し付けて回転させる。摩擦熱を利用する。


 焚火と言っても色んな型がある。

『リーントゥー型』『ロングファイヤー型』『ログキャビン型』『ピラミッド型』『クロスディッチ型』『スターファイヤー型』


 今回は『ティーピー型』で行く。

 火口と焚き付けをティーピーテントのように薪が囲むような絵だ。

 利点は、薪が内に落ちていくため、炎が広がらないことと、全方向から空気を取り込むため、燃焼効率がめちゃくちゃ高い点だろう。


 上昇気流に乗った炎が薪全体に行き渡り熱伝達が抜群だ。三百六十度から空気を取り込めるから燃焼効率もいい。可燃ガスを多く放出してくれるから湿った薪でもよく燃えてくれる。資源を選り好みできるような状況じゃないからこそ、ありがたい。


 焚火は使う、温まる、魅せると用途に応じて使い分けるのが通らしい。

 なんにせよ、読書のコスパは計り知れない。たかが千円程度で命が守れるなら破格も破格だ。


 ☆


 なんとか火を確保する俺だったが、ここで全く予期していない、想像の範囲外が起きた。

 なんと香川はシャツを脱ぎ捨て下着姿で温まり出したんだ。

 パステルイエローのそれが視界に入るや否や、童貞よろしくすぐに視線を逸らす俺。


「ちょっ、お前……!」

「はいはい。下着ぐらいで騒がない。こんなの水着と肌面積は変わらないっての。田村もシャツ脱いだ方がいいよ」


「はぁいっ⁉︎」

「服が濡れたままだと熱を持っていかれる――なんてあんたなら言われるまでもないと思ってたんだけど?」


 ジロリ。そんな擬音が聞こえてきそうな視線で俺を刺す香川。

 シャツを絞って水を絞り出す。

 焚火を用意できたとはいえ、すぐに温まるわけじゃない。わざわざ冷たい衣を纏っていなければいけない道理はないだろう。

 わかっちゃいるが、それを堂々とやるか普通? 


 とはいえ、女の香川が嫌いな俺に肌を見せてまで『早く乾かすべき』と助言してくれているのだ。ここで素直に厚意を受け取らなければ男が廃る。


 こうして俺たちは服を乾かしながら身体も温めること十分。

 で温まってきた香川が切り出してくる。


「……聞かないわけ? あーしと結衣のこと」

 感情の読み取れない表情で焚火を見つめる香川はこちらに視線を向けることなく聞いてくる。

 俺は薪を補充しながら答えることにした。

「……聞いてもいいのか?」


「女から切り出したってことは聞いて欲しいの。だから田村はモテないのよ」

 ただの悪口! 理不尽にもほどがある。

 けれど、敵意100%だった頃と比べてそこに侮蔑の色は込められていなかったように思う。

 上村たちと接するときのような揶揄う感じの匂いがした。


 俺も少しは頼りになる男だと、彼女の信頼を勝ち取ることができたんだろうか。

 まっ、そんなことはどうでもいいんだが。

「親友――だったんだよな? お前たち」

「そっ。まっ、そう思っていたのはずーっとあーしだけだったみたいだけどね。とんだ道化ピエロだっつうの」


 あの香川が珍しく自虐で笑っていた。

 しかしその瞳には悲しさや後悔が色濃く滲み出ているように俺には感じられた。


「――まっ、思い当たる節はあるつうか、あり過ぎるわけだけど」

「………………イジメと自殺の件か」

  

 俺の確認に目を丸くする香川。

 彼女の次の言葉は予想するのは簡単だった。

「やっぱ結衣に聞かされてたんだ。で? どこまで聞いたの? ううん、どういう風に聞かされたわけ」


 俺は大原から聞いた通りのことを答えることにした。

 願わくば大原の言うことは嘘で、間違っていると。ただの逆恨みだと彼女から主張を待っている自分がいたことを自覚する。


「……ふーん」

 香川はやはり感情の読み取れない表情で焚火を見つめていた。体育座りをしているせいでぐしゃりと押し潰れている乳房も今となっては何も思わなくなっていた。スタイル抜群の美少女の下着姿よりも、真実を追い求めていたからだ。


「香川?」

「結衣が田村に打ち明けたことは何一つ間違ってない」

「えっ?」


 心臓を握られた気分だった。複雑な感情を抱いていた。

 大原の言っていることが事実なのだとしたら、色々と感情の整理が必要だったからだ。

 復讐は悪。何も生まない。

 その理論は理解できる。けれど今の俺に――例えば村間先生や黒石が間接的に殺害されたとき、俺はその人物を許せる自信がなくなっていた。


 上村の言葉が脳裏にフラッシュバックする。

 守るべきものがある人間と守るべきものがない人間。どちらが強いのか。

 俺は先生たちがいるからこそ踏ん張れるのと同時に、大切だからこそその存在を失ったとき欲望に呑まれてしまいそうだとも思っていて。暴走してしまうのも納得できてしまっていた。

 

「殺される覚えはない! って断言したいけど、そうも言ってられないみたいね」

 顔を――視線を合わせない香川。

 けれど今度ばかりは全身から漂う哀愁を感じ取る俺。


 全く根拠がないにも拘らず、何かあると思い込んでいた。

 俺は下心なく、彼女の傍に寄る。

「ちょっ、なによ田村! 変な気を起こしてんじゃ――」


「――言いたくないことや言えないことなら無理して言わなくていい。ただ、医療の世界にも他人に話を聞いてもらうことで心理的に効果があることは実証されているらしい。忘れろと言うなら忘れるし、何も聞いてないことにしてくれと言うなら何も聞かなかったことにする。デクの棒だと思って独り言を呟いたっていい。もちろん、このまま静かに温まってもいいと思う」


 焚火を一点に見つめながらそう告げる。

 全てが本心だった。

 香川がもし本当に何かを隠しているのだとしたら――それを打ち明けることで彼女の心が軽くなるならそれがベストだ。これからどれだけ鍾乳洞で過ごすことになるのかは俺にだって予測できない。ぶっちゃけ出たとこ勝負になる気がしていた。


 だからこそ取り除ける疲弊は払っておいてあげたかった。女は生物学的上、男よりも我慢強い。出産が起因しているのではないか、とのことだ。


 けれど、溜め込んだそれはいつか爆発する危険もあるわけで。

 数分の沈黙が経った頃だろうか。俺のすぐ傍で息を吸う音がした。


「結衣と付き合っていた彼はあーしの元カレだったの」


 香川の告白は大原でさえ知らないであろう衝撃的なものだった。

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