第25話

「弁解があれば先に聞いておく」

「おいおい。お前の大事な村間先生の首を絞めてたんだぞ?言い訳をして許してくれるのかよ?」

「愚問だったな」


 この状況で今さら言い訳など通用しない。

 再認識した田村は容赦なく上村に拳を向ける。

 狙いは顔面。ブンッと空気を切り裂く鋭い一撃。


 しかし動体視力の良い上村はそれを身体を大きく仰け反ることで回避し、

「食らわねえよ」

 すかさず裏拳で反撃。


 躱されたことを視認していた田村はカウンターを警戒しており、腕でブロック。

 上村の反撃に腕がジンと痛むものの、致命打にならない。

 顔を見合わせ鋭い眼光を飛ばし合う田村と上村。


 田村の額からつう、と一滴の汗が滑り落ちる。

 やがてそれが落ち葉を濡らすと同時に、


 ――ダンッ!


 互いに駆け出す。

 木々を挟みながら接近するタイミングを伺う二人。

 ところどころに巨木を挟むため、田村の視界では上村の姿が消えては現れる、を繰り返していた。


 間合いを見定める田村。最初に仕掛けたのは上村だった。

(なっ、いない――⁉︎)

 木を挟んで走っているため、上村の姿が一瞬消えたことは何度もあった。


 しかし木を走り抜けても上村が視界に入って来ない田村はコンマ数秒、理解が遅れてしまい、行方の確認がおろそかになってしまう。


 その隙を上村が逃すはずもなく、

「オラァッ!」

 田村の横腹を襲撃したのはドロップキック。


 がら空きのそこに綺麗に入ってしまう。

 上村が仕掛けたのは木の裏で急停止したあと、田村が走り抜ける逆方向に全力疾走。

 上村が出てくるはずの方向しか見ていなかった田村にとって逆方向からのキックは想定外の奇襲だった。


 それら一連の動きにより一撃をもらってしまったのだと田村が理解したのは、大きく吹き飛ばされ木に背中をぶつけたときだった。

「げほっ!げほっ!」


 内臓を直接蹴り飛ばされたような衝撃と痛み。

 横腹を抑えて口から唾が漏れる田村だったが、休憩をする暇など与えられなかった。


「どうした?俺は死んだ方がいいんだろ?」

 襲撃。今度は勢いがついた、かかと落としで迫る上村。

 頭上に迫るそれを両腕を交差することで受け止めた田村は、


「おっ?」

 そのまま上村の足を掴んで身体を大きく捻る。

 勢いよく半回転し、上村を投げ飛ばす。


 と同時。今度は田村が攻めに転じる。

 投げ飛ばした方向に駆け出し、連撃を浴びせにかかる格好。

 しかし、予想外だったのは


 彼は空中で身体を一回転させ、足から木に着地。

 すぐさま木を蹴り飛ばし、向かってきた田村にロケットのごとく、頭突きを浴びせてきた。

 さすがの田村もその身のこなしは予想できず、慌てて腕で防ごうとするものの、衝撃は殺しきれず、チカラに負けてよろめき、尻餅をついてしまう。


 上村はゆっくりと立ち上がり、言う。

「俺ってさ、顔が良いだろ?」

 突然何を言い出すんだ。意味が分からない。そんな表情で田村もすぐに立ち上がる。


「だから親がジャニーズに入れようと必死でさ。小さい頃からアクロバット教室に通わされていたわけ。だからまっ、空中で回ったり、バク転とか、得意分野なんだよ」

「そうか」


 短く告げる田村だが、内心では焦り始めていた。

 上村がボクシング経験者であることはクラスメイトから漏れ聞こえてくる会話であらかじめ知っていた。

 だからこそ決定打――失神するほどの一撃をもらわないよう常に警戒してきた。


 しかし想像以上に上村が。身のこなしが軽いのだ。

 田村の反撃が思いの外、通らない。

 ちなみに田村の戦闘力は決して低いものではなかった。


 いや、むしろ頭を回転させながら相手の次の動きを予測できる分、本気で彼と喧嘩をして勝てる男子生徒は彼の通う学校にはいないと言っても過言ではない。


 なぜならボクシングや格闘技を経験しているのは上村だけでなく、田村も同様だからだ。

 柔道では県代表候補にもなったことがある(田村がとある理由で辞退した)実力者。


 だが、田村にとって最も想定外だったのは上村の恐怖心の欠乏。

 本来人間とはにより、人間的な癖や思考、動きが出るものである。

 田村が強いのは一歩引いたところで観察し、だ。


 けれど今の上村にはそれがない。恐怖心を抱いている様子が一切感じられない。

 それどころこの状況を楽しんでいる節さえあった。

 田村ハジメがやりにくいと思い始めていたとしても無理はないだろう。


(……ふぅ。落ち着け。身体は熱くなっても、頭の中だけはクールに。冷静に判断するんだ。この二日の間に上村の身に何があったのかは分からないが、少なくとも熊を見て逃げ出していた彼とは別人だということを認識しろ田村ハジメ。恐怖心や躊躇いがないなら、それを踏まえて動きを見切るだけ。大丈夫。俺ならできる)


 しかしこのときの田村の思考は甘いと言わざるを得なかった。

 なぜなら上村にはすでに人間の心がないのだから。


 田村が危険を察知したのは上村が三角状の尖った石を軽く上げては手のひらで受け止めていたときだった。


 危険を感じた特別な理由はなかった。

 しかし、本能が告げてきたのだ。

 マズい――! と。


「昔読んだ本の中によ、守るべきものがある人間と失うものがない人間、どっちが強いのか。それを題材にした小説があったんだ。田村、お前はどっちだと思う?」


 そう言ってモーションに入る上村。

 彼は身体を大きく捻り、手裏剣の要領で石を村間加代に投げつける。

 凶悪なまでに回転スピンのかかったそれは本物の手裏剣に匹敵するほど。

 

 その威力は折り紙つき。

 小動物ですでに試し済みの上村は悪党のような笑みを浮かべてリリース。

 鋭利な石は凄まじい回転により速度を増していく。


 たとえ石でもそれなりの損傷は免れない速度と回転数。

 田村ハジメは上村がモーションに入りかけた次の瞬間にはもう駆け出していた。村間加代を庇うために。


 村間加代も何かを投げつけてられたことは認識していたが、恐怖心と上村の躊躇いのない速投に動けないままでいた。


 ――当たる! そう村間加代が痛みを覚悟して目を瞑り、うつむいた瞬間だった。


 ――ザクッ!

 そんな擬音が聞こえてきそうな衝撃が田村のとある部位を襲った。


「田村……くん……?」

 恐る恐る目を開ける村間加代。そこには彼女を身を呈して庇う田村の姿。

 しかし赤い液体が溢れ落ちていく光景が目に入るまでに時間はかからなかった。


「上村……お前っ!」

「あっはっはっ! すげえ、すげえよ田村! よく追いつけたな俺の石手裏剣に。いやあ……マジ驚愕だわ。けどその右手でどこまで張り合えるんだ? なぁ、田村さんよ」


 田村ハジメの右手の甲には上村一輝が投げつけた石が

 容赦無く右手を滑り落ちていく赤い液体。

 だが、田村ハジメは痛みよりも怒りの方が勝っていた。


 なぜなら彼の右手は村間加代の頭部の位置にあるからである。

 それはつまり田村ハジメが庇わなければ彼女の額に直撃していたことを意味していた。


「田村、くんっ……!田村くんっ!」

 自分のせいで怪我を負わせてしまったことを視認した村間は分かりやすく狼狽する。

 彼にはいつも助けてもらってばかりなのに、今度は怪我まで負わせてしまった。その現実が村間加代の胸を締め付けあげていた。


「大丈夫ですよ先生……これぐらい唾をつけておけば治ります。それよりこれから俺の言うことを忠実に守ってもらえますか」

 ……はぁ、はぁと肩で息をする田村。

 猛スピードで迫る石に追い越すため、全力疾走したのだろう。それが彼の心臓に大きく負担をかけていた。


「いいですか。ここに駆けつけてくる前に黒石をあちらの方向に置いて来ました。彼女には絶対にこっちに来ないよう姿を隠しておくよう伝えてあります。『ハジメが始めました』というくだらないダジャレが聞こえてきたら姿を出すよう言い含めてあります。ですから今すぐ彼女を連れてここから逃げてください。それと彼女はいま訳があって言葉を発することができません」


 目に涙を浮かべながら首を横に振る村間。

 とてもじゃないがその依頼には応えられない。そんな表情である。

 しかし緊急事態であることを本能で理解している田村は構わずに村間に指示を送る。


「黒石と合流したあと、すぐに香川と大原と合流し現状の共有を図った上で先生を筆頭に作戦会議を開いてください。議題は俺が洞窟に戻って来なかった場合、どうやって上村から身を守るか、です」


「嫌ぁっ……!」

 さっきよりも涙の粒が大きくなり、首の振りが大きくなる。

 そこにいたのは泣き出してしまいそうな女の子だった。


「安心してください。俺だってこのままやられるつもりはありませんから。けれど何が起こるか分かりません。リスクヘッジです。ここで別れれば全滅は避けられます」


 できるかぎりやさしい笑顔を心がける田村だが、余裕はなさそうだった。


「ここで田村くんを置いて逃げるぐらいなら私も一緒に死ぬわ!」

 その叫びに内心、嬉しくなる田村。だが彼は心を鬼にして叫び返す。


「甘えんなっ! あんたも教師なら一人でも多くの生徒の命を守るために働け!ここで死んでもいい?ふっっっっざけんな! ここで先生が死んだら黒石はどうなる? あいつはいま言葉を発せないんだぞ⁉︎ そんな生徒を誰が守るんだ? お前だろ! 黒石だけじゃない! 何も知らない香川と大原だって命の危険にさらされるんだぞ⁉︎ そもそもあんたがここに残るだけで足手まといなんだよ!この手を見たら分かるだろ! 分かったらさっさと行けぇぇッ‼︎」


 村間加代の胸ぐらを掴み、冷たく突き放す田村。

 それは彼なりの彼女への鼓舞でもあった。

 ここで上村を阻止できなかった場合、待っているのは快楽殺人による全滅。


 それだけは絶対に避けなければいけない。

 田村ハジメの頭の中にはそれしかなかった。

 初めて見る彼の気迫に押された村間は戸惑いながらも、立ち上がり、意を決して黒石の方へと走り出す。


 村間加代にとっても田村ハジメの覚悟を前にして動き出すわけにはいかなかったのだろう。


 それでいい。ほっと胸を撫で下ろす田村。

 ゆっくりと立ち上がり上村の目を見据える。


「……えっと。お涙ちょうだいはもういいのか?」

「ああ。悪かったな待たせて」


 田村VS上村の第2ラウンドが始まった。

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