第24話
【田村ハジメ】
早朝。遭難してから二日が経った。
黒石と逸れてしまった日からもう一日、体力を回復するために休憩した形だ。
本当はすぐにでも森からの脱出を試みたいところだったが、途中で倒れてしまっては元も子もないからな。苦渋の選択だった。
とはいえ、おかげで体力も元通り。
沢には食べられる植物や川魚も泳いでおり、食料の調達もそこまで困ることもなかった。
あの絶望的な状況で拠点を見つけられたのはやはり運が良かった。
こればかり森林洞窟の前住人に感謝してもしきれない。
というわけで今日は森を抜けるため、セカンドアタックだ。
問題はその方法だが、
「よし。水の確保もOK。それじゃ出発するけど準備はいいな?」
こく、こくと頷く黒石を連れて森林洞窟から出る。
「昨夜色々考えたんだが、川を辿ってみようと思う。運がよければ海に出られるかもしれない」
シンプルだがそれが俺の答えだった。
森の中を突っ切ることも考えたが、沢を辿る場合は海に出られなくても引き返すことで森林洞窟に戻って来れる利点が大きい。
しかも黒石に聞いてみたところ、森に進む場合はすぐには抜けられそうにないということも分かっている。言葉に詰まりながらもそう教えてくれた。
それに熊の存在がある以上森の中で野宿することはよっぽどのことがない限り避けたい。
俺の意見に黒石は賛同を示してくれる。
よし。今日こそ森を抜けて村間先生と香川、大原の安否の確認だ。
そう意気込んで出発する俺たち。
だがこのときの俺たちはまだ知らなかったんだ。
最悪な再会が待っていようなんて。
☆
田村ハジメの所在を確認する質問に鋭いガンを飛ばす上村一輝。
彼はゆっくり村間加代に近付きながら口を開く。
「田村がどこか、ねえ。そんなもん俺が一番聞きてえよ」
「聞きたいって……田村くんと会ってたんでしょ? どうしてそのあなたが分からないのかしら」
ポケットに忍ばせたカッターナイフを握る手が一層強くなる村間加代。
手汗が止まらなくなっていた。
「まぁ……そうっスね。田村たちとはちょっと前まで一緒にいましたよ。ちょっと前までは」
「
「死んだんです」
「えっ⁉︎」
不吉な言葉に動揺を隠しきれない村間。
地盤が緩んでしまったかのような錯覚に襲われる。
「どっ、どういうこと上村くん! まさか田村くんに――」
「おう、おう。ちょっと落ち着きなって先生。田村ごときに必死過ぎ。えっ、なに? もしかして教師のくせに惚れてんの?あっはマジかよ。もしかして欲求不満だったりするわけ? 俺が慰めてやろうか」
気味の悪い笑みにゾクッと悪寒が走る村間。
本当は今すぐ逃げ出したい気持ちを抑え、強気を装い続ける。
「勘違いしないでもらえるかしら。私と田村くんはそんな関係じゃないわ。彼は私にとって大切な生徒というだけよ。あなたと違ってね」
売り言葉に買い言葉。珍しく挑発に乗ってしまう村間。
やはり「死んだ」というワードで平常心を保てない様子である。
「あアん?」
「もう一度聞くわ。田村くんはどこにいるの? 死んだなんて嘘をつかずに本当のことを教えなさい」
「別に嘘なんかついてねえよ。あの夜たしかに二人死んだんだから」
「うそよ……」
「嘘じぇねえっての! まず一人、中村が死んだ」
「えっ?」
素っ頓狂な声を漏らす村間。何を言い出すの? そう顔に書いてあった。
「熊に襲われちまって……まあ正確には息絶えたところまで見たわけじゃねえが、全身血塗れになってたし、たぶん肋骨もイッちまってたからな。ありゃ死んでんだろ」
まるで他人事のように淡々と告げる上村。
その光景に村間加代は違和感を覚え始めていた。
本当に目の前にいる少年は上村一輝なのだろうか、と。
醸し出す雰囲気が彼女の知っているそれではなかったのである。
一体この二日間に何があったのだろうか。
「本当、なのね……?」
「ええ。俺が嘘ついたことなんてありました?」
(どの口が言っているのよ)
村間加代は田村ハジメが送り届けた救命胴衣を上村が自身の手柄にしたことを知っている。
だからこそ怒りを抑えるのが難しいようだった。
「もう一人……もう一人は誰なの?」
恐る恐る確認する村間の心臓は早鐘のようになっていた。
不謹慎とは分かっていながらも田村ハジメではない誰かを望んでいることは彼女がこれから墓まで持っていく秘密である。
「もう一人は――」
「もう一人は?」
「――俺の息子だ」
「はっ?」
上村の言葉に困惑を隠せない村間。そもそも彼は十代の学生。
子どもを持つには早すぎる。それにもし本当にいたとしてこの島にどうしているのか。
どういう経緯でそうなるのか全く理解が追いつかない村間。
それを察した上村はすかさず補足する。
「ははっ、その顔……まさか俺に子どもがいるとか思ったの? いやいや、さすがに学生の身分でそれは無理でしょ」
「……えっ、ええ。だから言っている意味が分からないのよ」
「息子ってのは俺のココのことですよ」
そう言って股関を指す上村。それで村間もようやく彼が言わんとしていることを理解する。
「まっ、目の前でダチが熊に食い殺されるとか一生もんのトラウマですし? 俺の場合、蜂に刺されて、崖から落ち、最後には熊に左腕を噛まれたんで何か変な病気をもらったんじゃないですかね」
村間加代の上村一輝に対する評価は生徒から
「本当は女の味も味わってみたかったのに……あんなにヤル気満々だったのにすっかり萎えちゃいましたよ。ぶっちゃけ残念ですけど……でもその代わり、女なんかよりすごい快感を味わえれたんで全然気にしてません。あっ、これはマジなやつですよ? 負け惜しみとかそんなんじゃありませんから。いやー、それにしても先生ってツイてますよね。俺がEDになってなかったら犯されているところでしたよ――司みたいに」
その言葉で村間加代の堪忍袋の尾が切れた。
そして同時に田村ハジメがあの日、深夜に飛び出した理由についても察してしまう。
きっと彼は黒石司のピンチ、いや、危険が迫っているところを目撃してしまったのではないか。
心優しい田村ハジメのことだ。もしその推測通りなら彼が放っておけるわけがない。
だとすれば色々と辻つまが合う。
「もういいわ上村くん。あなたとはこれ以上話したくないわ」
「ええー、先生から話しかけてきたくせにそれはないですって。つーか、俺が覚えたもう一つの快楽の正体が未だですよ。知りたくないんですか」
「結構よ」
「そうですか……残念です」
そこで上村は村間加代とは別の方向に視線を向ける。
何かを見つけた彼は口の端をつり上げ、突然村間へと疾走する。
「――きゃっ‼︎」
一瞬で村間の懐に飛び込んだ上村は村間加代の首を絞めつけながら、さっきよりも大きな声で話しかけていく。
「熊を殺してからというもの、生物を殺すことがたまらなく気持ちいいんですよ先生。なんで説明すればいいかな。命の奪い合い? あれは良かった。死への恐怖と生への執着のぶつかり合いって言うんですかね。熊と
上村の村間の首を絞めるチカラがより強くなっていく。
ボクシングで鍛え上げた腕は筋肉で盛り上がっており、村間の足が地面から少し離れていく。
「……うっ、ぐっ」
「だから先生が教えてくださいよ。俺を男にさせてください」
「……おっ、お断りよ。わっ、たしの……初めては田村くんに捧げるつもりだもの」
「なんだ。やっぱりそういう関係じゃないですか。じゃっ、生徒に手を出そうとする悪い教師を成敗するということで――死んでください」
上村が華奢な首を握り潰そうとした次の瞬間、
――ブンッ‼︎と。
空を切る大きな音がした。
何者かの拳を村間から手を離すことで
邪魔をされたはずにも拘らず、その表情は嬉しそうである。
「上村――お前はもう死んだ方がいい」
「そうか。じゃあいっそお前が殺してくれよ――なあ、田村?」
村間加代の絶対絶命にギリギリ間に合ったのはやはり、田村ハジメだった。
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