第23話

 ――二重遭難。

 田村ハジメと黒石司を取り巻く環境はまさしくそれだった。

 森林洞窟に戻ってきた黒石の顔は真っ青。血の気が引いている。


(どうして……どうして田村が洞窟の中にいないの⁉︎ 私が何も言い残さなかったから? もしかして置き去りにされたと勘違いしたのかしら? どうしようこれじゃ完全に――)


 狼狽する黒石。

 どうしていいか分からない現実に腰のチカラが抜けて女の子座りになる。


(今から周辺を捜索……この広い森を? それも日没し始めているこの時間帯に? いくらなんでもハードモード過ぎないかしら。どうして私ばかりこんな目にあうのよ)


 張っていた糸が切れてしまったのか。

 長いまつげが濡れる黒石。

 しかしこの絶体絶命に彼女以上に危機感を抱いていたのは田村ハジメだった。


(……はぁ……はぁ。クソッ、どこにもいない! このままじゃ日が暮れちまう! 探索を諦めて無事に戻って来てくれればいいが)

 シャツと下着が絞れるほど汗をかきながら必死に黒石司の行方を追っていた。


 田村ハジメの頭の中に置き去りにされた、という考えは無い様子。

 それは恩人に置いてけぼりをくらわせるわけがない――というものではなく。

 黒石司が出発する直前、朦朧とする意識の中で田村は手が握られた気がしたからだ。


 田村は黒石が看病のため、村間先生を一人で呼びに行ったのではないか、そう踏んでいた。

 なぜなら村間は保健・体育の教育実習生。

 合流できれば心強い。黒石ならそういう思考パターンで動いていてもおかしくないだろう。


 とはいえ確証はない。

 さらに黒石は言葉を発せなくなっている。

 熊はもちろん、上村との再会は最悪の事態に直結する。


 悪い予感が頭にこべりついて離れない。

 何より今回は田村のせいで黒石がリスクを負っている。

 もしも彼女の身に何かあったらと思うと居ても立っても居られなくなっていた。


 故に田村ハジメもまた黒石司の行方を全力で探していた。

 この絶望的なまでに救いのない状況が解決したのは田村ハジメが一旦、森林洞窟に戻ろうと意思決定したときだった。


 ぺたんと地面に足をつけて手で顔を覆う彼女の姿が目に入るや否や、

「黒石っ‼︎」

 無意識に名前を叫んでいた。


 明らかに黒石の様子は困惑している。

 それは田村ハジメも十分理解していた。

 しかしこのときの彼はよっぽど切羽詰まっていたらしく。


 珍しく感情に突き動かされるまま、黒石を非難する。

「バカ野郎ッ‼︎ なんで勝手に一人で出て行った⁉︎ 中村がどんな目にあったかお前だって見ていただろ! ちゃんと考えてから行動しろっ!」


 ぜーはーと肩で呼吸する田村ハジメ。

 激昂の彼に対して思うところがあるのは黒石司も一緒である。


(なによ。そんなに怒らなくてもいいじゃない。私は田村のために村間先生を――)


 そう胸に抱いたのもつかの間。

 黒石司の視界に田村ハジメが異常なまでに汗をかいていることに気がつく。気が付いてしまう。


 それは出発する前に熱でうなされていたときとは比べ物にならないほどである。

 このとき彼女は批難の真意を理解する。


(ああ、そうか。田村はこんな私のことでも心配してくれてたんだ……怒られているのに嬉しすぎて顔が緩んじゃうじゃない)


 田村の怒りの原因が黒石が心配だったことを悟った彼女は怒鳴り散らされているにも拘らず、胸に嬉しさが込み上げてくる。

 不謹慎であることは理解していそうだが、口の端が緩んでしまった顔を見られないように手で隠す。


 やがてその様子を見た田村ハジメは怒りの矛先が過酷な目にあってきた少女であることを再認識したのか、


「あっ、いやすまん……黒石は俺のことを想って探索してくれたんだよな……それはわかってる。わかってるんだ。でも危険な森を女の子一人で出かけることがどれだけリスクが高いのかはわかってくれ」


 顔を隠したまま、こくっ、こくっと頷く黒石。

 彼が片膝を落として話しかけてくれていることを指の間から覗き見ていた。


 一方、田村からすれば涙を流し、悲しんでいるように見えるものの、


(――きゃあああ! もうやめてもらえるかしら! なにこれ! もう嬉しすぎるのだけれど。生きてて良かったわ)


 ものすごく喜んでいた。

 多幸感に包まれる黒石だったが、田村の発した言葉の何かが引っかかっていた。

 何か重要なことを見落としがいるような、そんな感覚である。


(あれ……デジャブかしら。つい先日も似たようなことがあったような……ああ、そっか。私たち女子グループが森の中で水と食料を調達していたとき――っ!)


 黒石の全身に雷に打たれたような刺激が駆け巡る。


(ちょっ、ちょっと待ちなさいよ。あのとき田村は何て言ってた?)


 脳に検索をかける黒石。必死に頭の中から過去を引っ張り出す。


『「お前らなんで森の中を……というか上村と中村はどうしたんだよ」』

『「そうはいくか。答えによっちゃストーカーだと罵られようが着いていくぞ」』

『「よし。なら取引をしよう。それも黒石たちに得しかない取引だ」』

『「黒石たちが探しているのは水だろ?いや、食料か?それなら俺が人数分を用意してやる。だから今日のところは上村たちのところに戻って――」』


(……嘘でしょ?じゃあ最初から田村は私たちのことが心配で声をかけてくれたってこと?でもさっきも『「危険な森を女の子一人で出かけることがどれだけリスクが高いのかはわかってくれ」』って言ってたしそういうことよね?)


 嬉しい気持ちから一転。今度は後悔し始める黒石。


(……ははっ。私って……私たちって最低な女じゃない。田村は最初から私のことを心配してくれてたんだ)


 黒石司はようやくあのとき田村ハジメの言動を理解する。

 森の中で遭遇したとき真っ先に男である上村と中村がいないことを確認した理由。

 ストーカーとだと罵られても着いていこうとした理由。

 取引をしようと言って私たちを森の中から出させようとした理由。


 そして、当時森の中には一緒に行動していたはずの村間加代がいなかった理由。

 それらは全て田村ハジメの優しさから来ていたことを理解してしまった。


(ああダメね。気付いてからこんなことを思うのは卑怯だって分かっているけど、私は――黒石司は田村ハジメのことが本気で好きだ。誰にも渡したくない。絶対に私のことを選んでもらおう)


 黒石司は意を決して言う。


「……すっ、すすす、つ、き」

「ん? 月……ああ、そうだな。そろそろ日が落ちる。とりあえず今日は洞窟に戻ろう」

 空を見上げる田村。黒石の好きは月に聞こえたようである。


(……今は仕方ないよね。でもいつか必ずこの気持ちを――想いを田村に伝えてみせるわ)


 遭難一日目。

 森からの脱出は叶わなかった二人だが、彼らの関係が深くなったことは言うまでもなかった。

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