第2話『泥が付いた野菜から』

 私の背中の泡を落としてくれている優しい手がまた止まった。


「ねぇユムル。貴女の傷を治していいかしら。」


「な、治していただけるのですか…?」


「えぇ、アタシを誰だと思ってるの。美しき魔王、ティリア=イヴ=ヴィランローズよ。

アタシに不可能なんて無いわ。ほら、見てなさい。」


ティリア様が私の右肩を掴み撫で下ろすとあっという間に打撲や切り傷が消えた。


「!」


凄い…!


「どう?綺麗な肌に戻ったわよ!これで全身…はダメね。変態になっちゃう。だから残りの左と背中の傷をアタシが消すわ。前にも傷ある?」


「は、はい…。」


「そっか。うーん…じゃあ塗り薬渡すからちゃんと塗りなさい。貴女のお世話係はチュチュに頼むわ。あの子元気で少しおっちょこちょいだけどとても良い子なのよ。」


あ…本当に嬉しそうに笑っていらっしゃる…。


「…はい。見てわかりました…とても良い人だと…。」


「そう?あの子人間じゃなくて魔族だけどね。」


「あ…そう、ですか…。」


そうか、このお城に人間は…


「あっ!で、でも良い子なのは本当よ!大丈夫よ!アタシが保証する!」


「は、はい…。」


「…もし怖かったらちゃんと言って?アタシ、貴女の笑顔が見たいわ。女の子は笑顔が1番なのよ。」


「笑顔……すみません…ご期待に添えるかどうか…」


笑顔なんてここ10年は作った覚えがない。

笑う時なんて無くて笑い方を忘れてしまった。


「何でそんな重く受け取るの。」


「あいたっ」


優しいチョップが頭に…。痛くないのに反射で痛いと言ってしまいました。

ティリア様は溜息を吐いてから口角を上げた。


「直ぐにとは言ってないでしょ?これから時間はたっぷりあるんだから…貴女の笑顔を見る為にティリア様頑張っちゃうわよ!…ついでに人間の好きな事とか文化を教えてちょうだい!」


「私の…笑顔の…為に?」


「えぇ。ユムルの為に。」


やっぱり疑問です…。どうして会ったばかりの私なんかの為に…。


「よし!洗えるところは洗ったわ!後は自分でお願いね!」


「え」


「あら。それともなぁに?洗って欲しいの?」


意地悪な笑みを浮かべるティリア様。

それは恥ずか死んでしまいます…!!


(ぶんぶんっ)


「っふふ…冗談よ。アタシは色々準備するから…チュチュを代わりに向かわせる。怯えなくても大丈夫だからね。ゆっくりお風呂に浸かりなさい。」


「あ、待っ」


私の声が届かずティリア様は出ていかれた。置かれた洗剤に目を移すけれど…


「字が読めません…。困りました…。」


 …


「あ、おーい!チュチュー!」


「あ、アズ君!ねぇ聞いてよ!主様が人間の女の子連れてきたんだよ!!」


「俺も見た!でさ、若様からチュチュが持ってる新品の服が欲しいってよ!」


「あ、そっか!あの子お風呂に入れるって言ってたから服が必要なんだ!…あれ?主様なら魔法で作れるんじゃ…」


「実はさ、若様…人間1人に珍しくテンパっててさぁ!」


「あ、やっぱり?ほら、見てよこれ主様が外行かれる時にお召しになっていたローブとベストなんだけど…」


「ん?どれ?」


「ほら、ここに泥がついてるの。あの子の頭から身体の部分と右手の部分に。いつも服が少し汚れるだけでカンカンになるあの主様が怒らずに服を渡して泥だらけのあの子に笑いかけてしっかり手を繋いでいたの!…てことはぁ…?」


「やっぱりぃ…?」


「主様はあの子に惚れた!!?」

「若様はあの子に惚れた!!?」


「きゃーっ!種族を越えるラブストーリー!!胸が踊るーっ!!」


「あんな外面取り繕ってる若様なんてレア中のレアだぞ!」


「っふふ!あの子、主様の正体知ってるのかな。もし主様と一緒に居てくれるのなら…嬉しいな!」


「どんな子なんだろうなー。」


「チュチュ!」


「「ふぎゃあっ!?」」


「何でアズも驚くのよ。…もしかして、アタシの悪口でも言ってたのかしらぁ…?」


「「違います違います!!」」


「主様があの子に惚れたんだなぁって話をしていただけなのですっ!」


「あっおいコラ馬鹿チュチュ!!正直に話すやつがいるか!」


「このアタシが…あの子に…?…………そ、そう…なのかしら…。確かにあの子を欲しいと思ったわ…。どんな手を使っても…。それって……」


「若様…顔真っ赤ですよ。」


「あぁん!?」


「すみませんっっ!」


「っ…揶揄うつもりなら分かってるわね……!まぁいいわ!チュチュ、浴場にあの子が居るわ。あの子、今日からウチの子になります。」


「「!」」


「チュチュにあの子の…ユムルのお世話係になってもらいたいのだけど良いかしら?」


「も、勿論でございます!お着替え持って行ってきます!!」


「あ、おいチュチュ!洗濯途中やり…」


「じゃあアズは洗濯ね。さて次は何をすればいいかしら…♪」


「……(あんな楽しそうな若様初めて見たかも。)」


 …


「たのもーっ!!」


「!?」


 女の子の声がお風呂場に響く。その声の正体はオレンジ髪の女の子…チュチュさんだ。


「主様からのご命令でユムル様のお世話係になりました!

チュチュ=フォルファクスと申します!」


ユムル…様!?


「よ、宜しくお願い致します…。あの、チュチュさん…様付けは…やめてください…。私なんかがそんな…」


「何を仰いますか!ユムル様はユムル様です!チュチュに何でも言ってくださいね!

さぁ!まず頭を洗いましょう!お風呂に浸かりながらで結構ですよ!さぁさぁ!」


タオルのボタンをとめて下さったチュチュさんは私を立ち上がらせた後、ぐいぐいと背中を押して湯船に入るよう促した。断るのも失礼ですしまず断れなさそうなのでお言葉に甘えた。


「お湯加減どうですか?」


「ちょ、丁度良いです…。」


あったかい…ずっとシャワーだけだった私が湯船に浸かれるなんて…。


「良かったです!ではこちらに頭乗せてください!主様のシャンプーとリンスとーコンディショナーは…あ、置いてきちゃった。持ってき」


次の瞬間、チュチュさんの足がつるりと滑り、顔から思いっきり転けた。額を打った鈍い音が辺りに響き渡る。


「チュチュさん!!」


あんな音がするなんて!最悪の場合骨に罅が…


「ふぇええっいたぁあい!!」


起き上がったチュチュさんの額は…


無傷だった。


「だ、大丈夫ですか…!?」


「ぐすっ…だいじょぶです…いつもなので…。」


無傷なのに涙目…痛覚はあるのですね…。


「ご心配をおかけしました…。チュチュは平気です!さぁ、頭を洗いましょうっ!力抜いて〜。」


人に頭を洗っていただいてる…。とても気持ちいい…。


「痒いとこありませんか〜?」


「あ、な、ないです。」


「はぁーい!」


ど、どうしよう…何か話した方が良いのでしょうか…。


「あ、あの…チュチュさん。」


「チュチュで良いですよ!」


「私なんかが呼び捨てだなんてとんでもない…チュチュさん。お聞きしたいことがあります!」


「は、はい!どうぞ!」


「ティリア様はどうして人間と仲良くなりたい、と仰るのでしょうか。」


するとチュチュさんの手の動きが遅くなる。


「ユムル様はティリア様の正体をご存知ですか?」


「ま、魔王様…ですよね?」


チュチュさんは先程とは対照的で静かに頷いた。


「はい。魔族、魔物を従え人間に恐れられている美しき魔王様です。魔族は争い事を好み、下の者を力でねじ伏せようとする方ばかりなのですが、ティリア様は昔から争いを好みません。我儘なところはありますが平和が1番という魔族らしからぬ考えを常にお持ちでして。だから魔族に怯えている人間と和解して仲良くなりたい、なってみたいと思っているそうですよ。」


「そう…なのですか。」


「はい。ですが人間というのは脆く、醜い。自分の保身の為には他者を平気で蹴落とそうとする。心と口がある分、魔物よりも醜い。ですからチュチュは反対してました。そんな種族と仲良くなる必要なんてないと。」


「!」


やっぱり私が居てはいけないのでは…!?


「ですが。ユムル様はその人間の穢い部分が無いとお見受けしました。ティリア様、人を見る目が凄いのですよ!それもあってチュチュはユムル様を大歓迎でございます!お優しいですし!」


「チュチュさん…。」


笑顔のチュチュさんは私に可愛らしい顔を近づけ


「それにティリア様、ユムル様に惚れちゃったみたいですし!」


と小声で言った。


「えぇっ!??」


つい驚いて身体を起こそうとすると慌てて止められた。


「だ、ダメですよ起き上がっちゃ!まだ泡を流してませんから!」


「す、すみません…!」


「良いんですよ!」


再び頭の泡立たせてくださる。


「…あの、魔族と人間って仲良くなれるのでしょうか。」


「うーん…チュチュには分かりません。人間は魔王と聞くだけで震え上がるほど恐れていますし…それほどの事を先代様はやっていました。人間が歩み寄ってくれるとは思いません。」


チュチュさんのような明るいお方でもやはりそのようなお考えに…


「でも、ユムル様はティリア様の手をとって下さいました!だから不可能では無いと思います!チュチュはティリア様の夢を応援すると決めましたから!」


眩しい笑顔に私の心が少しだけ前を向いたような気がした。


「…私も応援、を…」


第1歩、ティリア様はそう仰っていた。

という事はまだ…だから私も、応援したい。

こんな私でも誰かの力になれるなら。


「ふふ、ユムル様も既にティリア様に協力して下さっているのですよ。どうか私の主様を末永くお願い致します!」


「…私は置いていただく立場なので…私がお願い致します…。」


そう言うとチュチュさんは頬を膨らませた。


「ユムル様ってさっきからほんっとうに自分を下にしますよね。もっと自信をお持ち下さい!美しい主様が惚れるほど魅力的なのですから!」


「…そんな…私なんかが…」


あ、また頬が大きくなった…。


「私なんかって聞き飽きました!主様はユムル様が良いと仰ったのではありませんか!」


「それは…」


そうですが…。


「それって凄い事ですからね!?普段の主様って服に少しでも汚れが付くと激おこになりますし少し思い詰めていらっしゃったりしてたのにユムル様が来たあの時、それが無くなったのですよ!!」


「え…汚れが付くと…?」


「えぇ、激おこです!床を踏み鳴らしてお靴のヒールをバキッと折るくらい激おこです!」


でもあの時…


“お召し物が汚れてしまいます!”


“だから何?”


「…っふふ!愛の力は凄いですね!よっしゃ!泡流しますよー!」


それからチュチュさんは優しい手つきで頭を洗ってくださった。


「出来たー!あとはお身体ですね!私が洗っ」


「じ、自分でやります!!か、身体を洗う物はどれですか!」


驚いているチュチュさんが手だけを動かして容器を渡してくれた。


「こ、これですっ!!」


「ありがとうございます!!」


ティリア様に驚かれた傷をチュチュさんに見せる訳にはいきませんから…!


「では更衣室でお待ちしてますね!」


「あ、ありがとうございます!!」


待たせちゃダメ、急がなきゃ…!


 …


 急いで身体を洗って更衣室に戻った。


「お待たせしました…!」


私を見たチュチュさんの髪の毛が重力に逆らうようにピンッと上を向く。


「え、はやっ」


「そうですか…?家ではいつも遅いと怒られていたので…」


再びチュチュさんの頬がぷくっと膨れる。


「何ですかその酷いお家は!さ、身体を拭いて下さい!そしてこれがお洋服です!ちゃんと新品ですのでご安心を!着替え終わったらこちらへ!髪の毛乾かしましょー!」


「は、はい!」


ピンク色の高そうなワンピースを私に…!?

と、とにかく待たせちゃダメ、早く着替えないと!


「焦らなくて良いんですよ!ユムル様!誰も怒りませんから!チュチュなんていっつもコケたりして皆を待たせてますけど笑って許して下さるんです!それだけいい人達ですよ!」


何でそんなに優しくして下さるのでしょう…。とても、とても嬉しい……。


「うぅ…っ」


また涙が…。


「!!?ユムル様!?チュチュは何か変な事言ってしまいましたか!?」


「ちが、違います…すみません…!」


「謝らないで下さい!泣きたい時に泣きましょう!チュチュもそうしてますから!とにかく濡れた髪を乾かしますよ!」


「あ、ありがとうございます…。」


 …


「ふーっ!綺麗になりました!どうですか!ユムル様!」


 鏡に映った自分は今までと違い、黒髪が艶やかになり、肌の汚れも取れて別人のようだった。


「チュチュ〜!アタシよー!入っていいかしらー!」


ティリア様の声が扉の向こうから…


「はーい!大丈夫でーす!」


チュチュさんの返答を聞いてから入室したティリア様と目が合った。途端に動きが止まるティリア様。


「………。」


「どうですかティリア様!ユムル様めっちゃお綺麗になりましたよ!」


「………。」


 バタンッ


あ、部屋から出て扉を閉めてしまいました。やっぱりお気に召さなかったのでしょうか…。


「大丈夫ですよユムル様。主様のアレは…

照れ隠しですから♪」


「…!(何このドキドキは…!拾った野菜がダイヤモンドになって…こんなの知らない…!胸が苦しいわ!何なのかしら!?キュンキュンする…!びょ、病気かしら!??)」

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