第39話 『私も同じ気持ちだった』

 ++ビリー視点++


 二人が目を覚まさないまま三ヶ月が経った。


 季節は三月、屋敷の妖精達の精神的疲労はピークを過ぎて久しく、皆が無表情で過ごしている。プリアさんの兄であるプリポも笑顔を無くし、私は人生の終わりを感じていた。


 結局、女王が屋敷に来る事は無かった。

 一通の手紙だけは届いたが、今更謝罪した所でどうなる? 祖父もプリアさんも意識が戻らないのに。自分達を優先して私達を苦しめて、結局自分が可愛いから私達を見捨てた女王に、この国に……もう未練なんて無かった。


 プリアさんの浅い呼吸は日に日に弱まっていく。

 祖父は大丈夫だとプリポが言ってくれたが、プリアさんは……そう遠くない日に消えていなくなるだろうと教えてくれた。


 冷たくなった小さい手をそっと握り締め口づけする……愛しい人、愛する人……貴女がいない世界なんて私にはもう必要ない。

 その時だ――。



『私も同じ気持ちだった』



 知っているような、知っていないような……けれどどこかで聞いたことがある声が頭に響く。私は気が触れてしまったかと思ったけれど、その声はそれでも言葉を綴る。



『ローレルを助けられなかった私は自分を呪い、彼女の呪いの歌を受け入れてしまった。あんな辛い思いをするのは私達だけで十分だ。そして、貴方は魔王になるべきでは無い。きっと希望は残っている。

 ――ああ、ローレルの気配を感じる。祈りは届いたんだね……愛しい人、私の【Caroカロ laccioラッチョ】私を抱きしめておくれ……』



 ――ローレル?


 脳裏に響いた言葉に目を見開くと、私は辺りを見渡した。

 その時、握っていたプリアさんの手が微かに動き、私は驚いてプリアさんを見つめた。

 薄っすらと開いた漆黒の瞳は暫くの間視線が定まらなかったけれど、私を捉えると優しく微笑んでくれた。



「ビリちゃ……?」

「プリアさん!!」



 大きく叫んだ声は屋敷中に響き渡り、アンゼさんを含む全員が祖父とプリアさんの眠るベッドへと駆けつけてくれた。



「お……おぉ……戻って来たか」

「アルベルト様!」



 アンゼさんの感涙したような声に祖父が苦笑いを浮かべる。他の皆は涙を流して泣きじゃくり、私も涙が止まらず覆いかぶさるようにプリアさんを抱きしめた。

 僅かに温かい体温。冷たい手ではあったけれど、それでも生きて私の前にいてくれるという幸福。胸の上にあった蝋燭は光に包まれて消え、空中にあった光の玉は私とプリアさんの周りを一周した後プリアさんの身体へと吸い込まれていった。



「心配させて……っ私の所為で二人が死んでしまうのではないかと、生きた心地がしませんでしたよ!?」

「ああ……すまなかったなビリー。ワシが肩代わりした呪いは浄化されたよ。プリアの身体に宿った呪われた世界樹の実も、今は優しい光りを放っているだろう? それは、祝福を受けた世界樹の実になったのだよ」



 祖父の言葉にプリアさんの右手を見ると、世界樹の実は淡く優しい光りを放っている。呪われた世界樹の実では無くなったのならプリアさんはきっと助かる! 感動で身体が震えたが、プリアさんは少しだけ寂しい微笑みを浮かべると静かに言葉を口にした。



「ビリちゃん、桜の苗を用意してくれる?」

「桜……ですか?」

「うん、今すぐ欲しいの」



 そう言って困ったように笑うプリアさん。涙を拭ったイモさんが走って外へと向かい、暫くして息を切らしながら戻ってくる。息を整えた彼は桜の苗をプリアさんに手渡すと「これで良いか?」と確認する。


 私がプリアさんから離れたくない事を理解した上での行動にお礼を言うと、イモさんは今にも泣き崩れそうな表情でプリアさんを見ている……。

 アニスさんやキッドさんも同じだ。

 涙を流し、声を殺して泣いている……不安に思いプリアさんを見つめると、プリアさんは小さな手を伸ばして私の頭を撫でた。



「他のお願いはお爺ちゃんが聞いているんだけど、私からもお願いしたい事があるの」

「何でしょう? 私にできることなら何でもしますよ」



 不安は拭いきれないが、やっと目を覚ましてくれたのだ。プリアさんの願い事はどんな事でも叶えてあげたい。そう思いプリアさんの小さな手を握り締めると――。



「私を噴水近くの庭に連れてって」

「分かりました。ずっと部屋の中にいたのですから、外の空気が吸いたいですよね」



 きっと春になりつつある外の空気を吸いたいのだろうと思い、プリアさんを抱き上げて部屋を出ようとすると……祖父もアンゼさんとプリポに支えられて何とか立ち上がり一緒についてくる。


 ――そう、皆が着いて来た。


 それはまるで今から結婚式が始まるような……お葬式が始まるような、そんな何かを感じずにはいられない光景だ。


 屋敷の中でも見晴らしが良い噴水近くの花壇に辿りつくと、プリアさんは地面に降り立ち桜の苗を植え、そっと両手を握り締めて祈りを捧げている。まだ蕾も小さい桜の苗に祈りを捧げるプリアさんの表情は真剣そのものでもあり、慈愛に満ちた表情でもあった。



「それとね、桜の苗の近くにお墓を作って欲しいの」

「お墓……?」

「うん、ビリちゃんが倒した魔王さんのお墓……」



 予想もしない言葉に驚いたが、プリアさんが望むならと強く頷いた。



「良かったね、ローレル」



 プリアさんの言葉に世界樹の実が反応するように光り、水色の美しい髪をした水の妖精が現われた。彼女があの異形となっていたローレルなのだろうか。



『願いを聞き届けてくれてありがとう。名前を彫る時はアタシの名前と一緒に、彼の名を刻んで。私の愛した彼の名は……ロディって言うの。アンタと同じ錬金術師だったわ』

「ロディとローレルで名を彫れば宜しいのですね。承りました」

『ありがとう……これでアタシはプリアを導く事ができる』



 ――導く?

 その言葉にキッドさんとアニスさんが大声で泣きじゃくった。

 まさか、そんな筈は無い。


 プリアさんの右手に埋まった世界樹の実は祝福されたと……それなら人間になる事だってできる筈なのに何故――。



『もうプリアの命は限界なんだよ……良くここまで耐えたね』



 プリアさんの命が、限界?

 力を失った私が膝をつくと、プリアさんは私の両頬にキスをして優しく微笑む。



『大丈夫、プリアは世界樹にはならない。本体はプリアが担ってしまうけれど、魂までは縛られたりしない。その役目はアタシが引き受けたよ。だからアタシはプリアの願いが叶うまでずっと唄う。祈りの唄を、愛の唄……【Caroカロ laccioラッチョ】を。

 アンタは知らないだろうけどね、【Caro laccio】は遥か昔に唄われた愛の歌なんだよ。それをとある錬金術師が宝石にした。絆が途切れないように想いを込めて、いとしい絆で結ばれるようにね』

「だからビリちゃんも私との絆を守って……」



 そう言うとプリアさんは左手を差し出し、私の掌に何かを落とした。それは間違いなく私の持っている指輪から消えた宝石【Caro laccio】だった。



「お願いね、ビリちゃん……私は戻ってくるから、待っててね」

「プリアさん……駄目です! 私を、私を置いていかないで!」



 あまりにも唐突で、あまりにも受け入れる事ができない話。

 私がプリアさんを強く抱きしめると、彼女も私を抱きしめ、頬に温かい涙を感じた。



「絶対、自分から命を絶ったりしちゃ駄目だよ? お願い…私が帰ってくるのを待っててね……どうか、お願い……決して自ら命を絶たないで……」



 力なく小さな両手を私の首に回して抱きしめるプリアさんに、何度も何度も首を横に振り彼女を強く抱きしめた。


 声にならない声が私の喉から吐き出される。


 言葉にしたくても言葉にできなくて、溢れ出る涙を抑える事ができず、プリアさんに縋りつくようにして彼女を抱きしめる。



「……きえな……消えないで……置いていかないでっ」

「……ごめんね」

「一人にしないで……側に居て下さいプリアさん!」



 彼女を強く抱きしめ、悲鳴のように叫んだ言葉。けれどプリアさんは首を小さく横に振り、精一杯の力で私を抱きしめた。



「ごめんねっ……ごめんねビリちゃ……戻ってくるから! 必ず戻ってくるから!! だから祈りを止めないで、生きる事を諦めないで! 私は桜と一緒に帰ってくるから……桜が咲く頃戻って来るから!」



 ああ、その為に桜の苗を欲しがったのか……。

 そう思考する私は感情の奔流に飲まれ、一言も発することが出来ない。プリアさんと過ごした日々を思い出すと喉が焼けるように痛くって、もう声すら出てこない……。


 涙の所為でプリアさんがハッキリとは見えないけれど、プリアさんは必死に笑っている。

 最後に見せる姿が泣いている姿は嫌だと伝えたかったのかも知れない。



『時間だよ……プリア』

「……うん」



 ローレルの言葉に頷いたプリアさんは私から少し離れると、淡い光りを放ち始める。次第に後ろの背景が透けて見えてくるとプリアさんの腕から世界樹の実が零れ落ち、彼女が放つ光を吸い上げるようにして眩しく光っていく……。



「お爺ちゃん、私に優しくしてくれてありがとう。アンゼさん、皆をお願いね? キッドちゃんはアニスちゃんとあんまり喧嘩しちゃ駄目だよ? アニスちゃん、火傷の痕治って良かったね! 鳳亭の皆にも宜しく! イモちゃんはお爺ちゃんの跡を継いで、妖精達を守ってね!」



 ――最後の力を振り絞って紡がれる遺言。

 皆は泣きながら強く頷き、プリポは涙を流しながらその様子を見つめている……。



「ビリちゃん……大好き。ずっとずっと大好き! だから、戻ってきたら私をお嫁さんにしてね?」

「――何を当たり前の事を仰っているのですか! 私が愛し、妻にしたいと思う女性は、プリアさん……貴女だけですよ?」



 震える声を搾り出して返事をすると、プリアさんは弾けるような笑顔を見せてくれた。



「……行って来ます! 帰ってきたら鳳亭のキノコ食べに連れてってね!」

「こんな時まで貴女は……待っていますから、必ず私の元へ帰って来て下さいね?」

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 苦痛の表情はそのまま、涙を流しながらも何とか別れを口にし、せめて笑顔をと思ったけれど苦笑いしかできなくって……。プリアさんは一筋の涙を流したまま優しく微笑み、駆け寄って私を抱きしめた途端――泡のような光になって消えた。


 光をかき集めるよう必死に両手を動かしたけれど、無数の光になったプリアさんを掴む事はできなかった。プリアさんが遺した光は世界樹の実に吸い込まれていく。


 光を吸いきった世界樹の実は眩しく光って桜の苗の近くに舞い降り、その場で目も眩むような強い光を放つ。私達が目を開けると……巨大な世界樹がそびえ立っていた。


 その世界樹は普通の世界樹とは違う……真珠色をした世界樹だった。

 神秘的な世界樹は風に揺れると優しい音を奏で、真っ白な葉はまるでプリアさんの清らかさを表しているようだった……。



『この世界樹は希望の光……アタシ達妖精の希望の祈り。決して、王族には渡さないで』

「……渡す筈が無いでしょう? この世界樹はプリアさんの清らかさそのままです。守る為に必要なら、王族だって皆殺しにして見せます」



 立ち上がり真珠色の世界樹を見つめたままローレルに返事をすると、彼女は『頼もしい言葉だねぇ』と笑って見せた。



『アタシはこの世界樹から世界中に向けて祈りの歌を唄う約束をしたの。でも、アタシの歌声はプリアが帰ってくるまではアンタ達の物よ。だからアンタはアンタの成すべき事を成して頂戴』

「私の成すべき事……」

『アンタが持ってるっていう使?』



 そう言って微笑むローレルに私は大きく息を吐き「そうですね」と答えた。


 この時の為に用意されたような命令権だ。私がこれから成すべきは、この世界を少しでもプリアさんが望む世界に近付ける事。



『詳しい話はアルベルトから聞くと良いわ。でも、墓の事は絶対忘れないでね?』

「ええ、約束します」

『ありがとう。これで心置きなく歌を唄えるわ……』



 そう口にしたローレルは、沢山の想いを込めて唄いだした。

 その歌声は今まで聴いた事が無いほど美しく、その旋律は愛に満ちている。




 愛する絆、優しい絆

 それはあなたが私の思いを縛り付けた

 私は知っている 私が苦しんで、それでもそのことを楽しむことを

 私が満足して捕らわれていることを




【Caro laccio】の唄だとすぐに解った。


 甘美で優しく愛おしい……まるで私とプリアさんの事を詠っているような内容だった。

 彼女の唄はプリアさんが植えた桜の苗木に優しい光を降り注がせている……。

 涙を拭い立ち上がると、私はもう一度真珠色の世界樹を見つめた。



 ――さぁ、前に進もう。

 ――成すべき事を成す為に。

 ――私にしかできない事を成す為に。

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