第38話 「君達もまた、幸せになるべきだ」
気がつけば、俺は大きな真珠色をした世界樹の前に立っていた。
ここはどこだろう……涙が止めどなく流れて周囲が歪んで見える。
「ホリデイ!」
聞こえた声は懐かしく、声のした方向に顔を向けるとアルベルトが駆け寄ってくる姿が見えた。
「ああホリデイ……お前がこの場所に来るなんて」
「アルベルト……」
力なく出た声に、アルベルトは驚いた様子で俺を見ていた。それもそうだろう。
俺は涙を抑える事ができず、嗚咽を零してその場に座り込んでしまったのだから。
本来ならこの場所にはマーレインが来る筈だった。それなのに、それなのに――。
打ちひしがれ泣いている俺に、アルベルトは戸惑いどう声を掛けていいか迷っているようだ。
俺は自分の不甲斐なさを悔やまずには居られなかった。
最後に聞いたマーレインの声は幸せそのもので……もうこれ以上の幸せはいらないんだって、拒絶しているようにも感じられた。
そんな事は無いのに……必ず見つけるって約束したのに……!
「マーレイン、何で……っ」
幾つもの涙が地面に落ち、弾けて消える。
歯を食いしばり泣いていると、俺の背後に誰かが立つ気配がした。
「彼女の魂は大丈夫だよ。空間が消滅しただけで、彼女はちゃんと君が連れてきてくれた」
その言葉に後ろを振り返ると、少年の隣に柔らかい光が浮いていて……それは俺の周りを一周すると涙で濡れる頬にくっついた。
「マーレイン……?」
そう口にすると光は少年の下へと飛んで行き、少年は優しく微笑んだ。
「祈りの祭壇へと続く道はね、人の姿をしている限りは一人用なんだ。でも、こうやって身体を捨てて魂だけになれば……一緒に着いて来る事ができる。君が伸ばした手を、彼女はちゃんと掴んでいたんだよ」
裏技みたいなものだけどね、と続けて話す少年。俺は涙を乱暴に拭って、マーレインの魂だという光の玉を両手で包み込んだ。
「空間が消滅するその瞬間まで、君の姿を見ていたかったんだね。ギリギリだったけど、マーレインは君と一緒にここに来る事ができた。彼女は身体を捨てて君の為に着いて来たんだよ。約束を守る為にね」
少年の声に反応するようにマーレインの魂が震える。俺の手から離れると、嬉しそうに飛び回っては俺の元へと戻ってくる。
良かった……マーレインが消滅してしまったかと思った。
でも、こうして彼女の魂は俺の傍に居てくれている。
「心配掛けやがって、この馬鹿野郎!」
そう怒ると光りの玉はビクンと動いた後、俺の頬に擦り寄った。
その動きがマーレインそのままで、俺は右手を光りに添えると「心配かけさせやがって」と悪態をついた。そんな俺の様子を見て驚いているアルベルトには申し訳ないが、俺は噴出すように笑い始める。
「悪いなアルベルト。どうやら俺は
「ホリデイ?」
「これが初恋っていうのかな? ビリーを通して知った事だけどさ。こんなにも幸せで、こんなに大事で……こんなにも切ないんだな」
そう言ってマーレインに口づけをすると、彼女は恥ずかしそうに俺の手からすり抜け、周りをグルグル回っている。その様子に俺が笑うと、プリアが俺の元へと駆け寄って来た。記憶でしか見た事がないが、確かにビリーが恋をするには十分すぎる程可愛い女の子だ。
「それで? この場所が祈りの祭壇へと続く道だって事は知ってるけど、祈りの祭壇なんてどこにあんだよ」
辺りを見渡しても祭壇らしきもなんてどこにもない。これじゃ祈りを捧げようにも捧げられないじゃないかと思っていると、マーレインの事を教えてくれた少年が俺の前に立ち、柔らかく……そう、まるでビリーのような顔で微笑んだ。
「僕が祈りの祭壇だよ。そして祈りの歌を唄っていたのはローレル」
少年がそう口にすると、一人の美しい水の妖精が俺の元へと歩み寄った。
途端、マーレインが激しく動いてローレルの周りを飛び回る。どうやら喜んでいるようだが……彼女が言っていた歌姫とは、もしかしたらローレルの事では無いだろうか?
「ローレル、あんた女の子にイチゴ飴渡したことあるか?」
『挨拶もなしにいきなりそれかい? ……ああ、あるよ。金髪の可愛い女の子だったかな、アタシが持っていたイチゴ飴に興味を持ったみたいでね。家が近所にあるからアタシの歌声が良く届くって言ってたっけ』
間違いない。マーレインが言っていた歌姫とは彼女の事だ。
世間ってのは狭いなって思ったけど「そうか」と返事をするだけでその会話を終わらせた。
マーレインに小さな幸せをくれたローレルには感謝の気持ちで一杯だったが、事実を知ればローレルが悲しむ可能性がある。それでも――。
「アンタのお陰で心を救われた女の子がいる。たった一つのイチゴ飴で救われた女の子がな。その子の代わりに礼を言わせてくれ。……ありがとな」
八重歯を見せて笑うと、ローレルは困ったような笑顔で溜息を吐き『幸せのお裾分けができて光栄だよ』と口にした。勘のよさそうな妖精だ、その少女の事がマーレインだと分かった上でそう言ったのだろうという事はすぐに理解できた。
「祈りの歌のおかげで、呪いの世界樹の実は祝福された世界樹の実に生まれ変わる事ができた。けれど……プリア、君は一度死ななくてはならない」
その言葉に、少年を除いた全員が目を見開いたが、プリアはその事を察していたようで「やっぱりそうだよね」と苦笑いを零した。簡単に死を受け入れることができるプリアを怒鳴ろうとした俺は、アルベルトに口を塞がれてしまう。
「身体に負担が掛かり過ぎたのは分かってたんだ……もう私の寿命は殆ど残って無いの」
「そんな! だとしたら残されるビリーはどうなる!?」
俺の悲痛な声にプリアは顔を背けたが、妖精としての寿命がもう残っていないというのなら消えるのは時間の問題だ。残されるビリーを思うと胸が引き千切られるようだ。
「でも貴女が死に、世界樹になる事を僕は望んでいない。……ローレル。君に、世界樹になって欲しいと思うのは僕の我が侭かな?」
少年の言葉に一瞬驚いた様子を見せたローレルだったが『そりゃ大役だねぇ』と口にして頭を掻くと、プリアの前に立ち小さな手を取った。
『プリア、アタシはアンタの代わりに、祈りの歌を唄う世界樹になって良いという許可を貰いたい。大樹の本体はアンタになるのだろうけど、アンタの魂までは束縛させない。アタシが世界樹の魂になる。……どうだい?』
「祈りの歌を唄う世界樹……? ローレルは本当にそれでいいの?」
まさか、すんなりと了承するとは思っていなかった俺が驚きに目を見開くと、ローレルは笑顔を絶やさずプリアに話しかける。
『構わないさ、アンタが願う姿で生まれ変われるように歌を唄うわ。アンタの為だけに、アンタがビリーと再会する為にずっと唄う。だから、現実の世界に戻ったら世界樹の近くにアンタの好きな植物を植えて頂戴。その花に祈りを、ありったけの想いを込めて唄うから。それがアタシにできる二人への贖罪よ』
そう口にするローレルは、少しだけばつが悪そうな顔をすると続けて小さく呟く。
『それと、一つだけお願いしたい事があるの。世界樹に寄り添うように、私の想い人の墓を建てて。どうか、お願い……』
ローレルの頼みを聞いたプリアは「好きな人の近くにいたいもんね」と笑顔で頷いた。
自分の寿命が短い事を分かっているのに、それでも尚他人の想いを受け止めるプリア。その心の優しさこそ、ビリーが彼女を好きになった理由なのだろう。
「アルベルト一家には、世界樹の守り人になって欲しい。沢山の妖精達を受け入れ、育て、愛し、癒し……彼らが帰る場所にして欲しい」
「その願い、確かに承った」
「最後にホリデイとマーレイン」
まさか俺達が呼ばれるとは思ってなくて背筋を伸ばす。少年は俺の前に立ち微笑んだ。
「僕にできる二人への祈りだ。君達が必ずまた出会えるように、生まれ変わっても幸せになれるように、糸を巡らせるよ」
言い終わるのと同時に、俺の薬指とマーレインの柔らかな光の間で優しくて暖かい光の筋ができる。それを見た少年は微笑むと俺の頭を撫でた。
「……君には心の底から感謝している。だから特別強い絆を、いとしい絆【Caro laccio】を贈るよ」
「いとしい絆……」
「君達もまた、幸せになるべきだ」
その言葉に目頭が熱くなったが、少年は優しく微笑んだまま俺達から離れた。
「最後に……本当なら両親が揃って考えた上で名前を貰いたかったけど、今は時間が無い。プリア、僕に名を付けてくれ」
思わず全員が目を見開いた事だろう。
今俺達の目前にいる少年はつまり――ビリーとプリアの子供だという事だ。
プリアも驚き言葉を失っているようだが、アルベルトの手が両肩に添えられるとハッとして、暫く悩んだ後に叫んだ。
「リアン……リアンだよ“
「ありがとう……素敵な名前だ」
その言葉が聞こえると同時に俺達は光に包まれ――その後の事は分からない。
けれど、俺の傍にはずっとマーレインがいてくれる気配がしていた。
必ず見つけるよ、いとしい人。
必ず守るよ、いとしい人。
必ず駆けつけて抱きしめるから――。
「待っていくれよな」
最後に口にした言葉に、マーレインがそっと俺の掌に舞い降りる。
俺がマーレインを包み込むとそのまま二人一緒に光に包まれ、弾けて消えた……。
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