第37話 『ホリデイは何で死んだの?』

 ――それから、現実世界の時間は一週間程度経ったと思う。


 ちゃんとした日数が分からないのはもどかしいが、結構な日数が経っているように感じられる。

 俺と少女の周りは優しい光に溢れ、祈りが俺達に蓄積されているのだと思った。牢屋の光景も徐々に歪んで、時折古い民家の光景が映し出されることがあった。少女の心が解き放たれようとしているのだ。


 少女はそんな光景が映し出されるたびに「あの扉は私の部屋だったんだよ」とか教えてくれたし、きっと幸福だった頃の記憶が呼び戻されているのだと思う。

 俺は彼女の言葉に頷きながら返事し、お互いに離れる事がないまま、他愛のないやり取りをしては笑い合っていた。


 俺とアルベルトがしてきた冒険の事だって沢山話した。火を噴く大きなドラゴンと戦った! 沢山のオークに囲まれて絶体絶命! そんな話を興奮しながら聞いていた少女は、まるで一緒に冒険しているかのように楽しそうに笑っていたし『それでどうなったの!?』と聞いてくることが何度もあった。


 だから、そう遠くない時に祈りの祭壇へと続く階段が現われる。それで俺の役目も終わりだ。祈りの祭壇で祝福を受ければ、この子は魂ごと許されて救われる。さて、そうなった時俺はどうなるだろう?


 祈りや祝福が少女に届いていなかった頃は、俺と二人で安息の闇に堕ちるのだと思っていた。けれど今は状況が違う。残される俺はどうなるだろう……ふとした瞬間にそう思ったが、考えるだけ時間の無駄だ。本来、妖精は死ねば光に包まれて消えるのに、俺は魂だけがヒビ割れたコインに宿ってしまった。きっとまたコインに魂が戻るだけ……前と同じ生活に戻るだけだと思っている。



『いのりのうた、綺麗ね……』



 少女が不意にそう口にする。聞こえてくる歌声は本当に綺麗で、歌のことなどよく分からない俺ですらウットリしてしまう程美しい。



『まえにすんでたお家のちかくでうたう、綺麗なようせいさんがいたのよ』

「へぇ……」

『いちどだけ会ったことがあるの。みんなからは歌姫って呼ばれてたの。とっても綺麗なみずいろの髪をしていて、すごくすごく綺麗なの。わたしに飴をくれたのよ? 甘い甘いイチゴ味だった』



 幸せそうに笑う少女を見て、昔ビリーにイチゴを上げた時の事を思い出した。まだビリーが小さい時で、建国記念日ケーキのイチゴをあげた時は凄く嬉しそうな顔をしてたっけ。



「俺達妖精は子供を作る事ができないけど、妖精は皆子供が好きなんだぜ」

『そうなんだ』

「アルベルトとは古い付き合いだけど、アルベルトに娘が生まれた時は驚いたもんだぜ。人間の赤ちゃんはあんなに可愛いのかって、目を見開いちまった。

 アルベルトに似なくて良かったな! って言ったらスゲー怒られたよ。次第にその娘もでかくなって、恋をしてさ。ビリーが生まれた時は将来スゲー格好いい男になるって思ったもんだ」



 将来有望、絶対女ったらしになるなってアルベルトに言ったら、俺の孫だから大丈夫とか根拠も無い事を言ってたっけな。

 根拠の無い言葉だった筈なのに、プリアにしか興味を示さない紳士的な大人に成長したのは凄いと思う。アレだけのイケメンなら、女なんて選びたい放題だっただろうに。



『ホリデイは何で死んだの?』



 その言葉に一瞬肩が揺れる、あまり思い出したくはない出来事だったからだ。



「……俺か? 俺は勇者のように戦って、守るべき者の為に果てたのだ!」

『ホリデイは勇者なの?』

「ただの例え話だよ。俺はただの冒険者。ただ……守りたいものがあったから戦って、力が足りずにそれを失って……それでもアイツだけは助けたくって身代わりに死んだのさ」



 ――本来なら俺は助かる筈だった。


 でも、親友の大事な一人娘を守れず、婿も守れず……。

 ビリーまで失ったらアルベルトが壊れてしまうと思ったんだ。


 アイツが絶望する姿は見たくもないし、想像だってしたくもない。大事な妹のように可愛がったアルベルトの娘を守れず、子供のビリーまで失うくらいなら俺は命を差し出したって構わなかった。実際、俺はビリーの身代わりに死んでしまったんだがな。


 その事実が幼いビリーの記憶から両親や俺との記憶を消してしまったが、あいつを守りたい気持ちにウソは無いし、幸いビリーは記憶が無くても強く生きてくれた。



「大切な人の為に死ぬ事になったが、俺は後悔なんかしちゃいない。それはむしろ俺の誇りだ。守れない事を、守れなかった事を後悔したとしても……俺はできるだけの事をして果てた。そんな俺をバカだと思うか?」



 そう問い掛けると少女は首を横に振って、俺の首に両手を回して抱きついた。



『……がんばったんだね』

「……ああ。でもお前もよく頑張ったよ。偉かったな」

『ねぇ?』

「うん?」

『もし生まれ変われたら……その時は私の王子様になってね?』



 思いもよらない言葉に目を丸くすると、少女は頬を染めて嬉しそうに微笑んでいる。



『やくそくだよ?』

「お? おう……俺で良ければどんなに遠く離れていても見つけ出して、嫁にしてやんよ」



 少女とは言え女だなと苦笑いが零れた。少女は嬉しそうに微笑んで俺に再度抱きつく。



『やくそくね』

「ああ、約束だ」



 お互いの額を当てて微笑み合う。

 もし本当に生まれ変われる事ができるなら、俺はこの子を探して守ろうと思った。

 もう二度と、辛い目に遭わないように……もし辛い目に遭っていたのなら、俺が守れるようにと思ったんだ。



『……うれしい……やくそく……うれしい』



 涙を零して微笑む少女の頭を撫でてやると、大粒の涙が幾つも服に落ちていった。



「泣いているのに笑っているなんて、器用な奴だな」

『ふふふ!』

「でもお前のそう言うところ、可愛いと思うぜ」



 八重歯を見せて笑うと、少女が嬉しそうに微笑む。それはまるで花が咲くようで――。


 その時だった。歪んだ部屋が光に包まれ、俺達はいつの間にか真っ白な場所に浮いていて……目の前には光の階段が伸びている。

 祈りの祭壇への道が俺達の前に現われてくれた。俺は少女を抱き上げて喜び、少女は少しだけ寂しそうに微笑む。



「祈りの祭壇への道だ! やったな、譲ちゃん!」

『……うん』

「これでもう大丈夫だ! ほら、行けよ」



 そう言って少女の背中を押すと、少女は一歩踏み出して立ち止まった。

 すると――。



『……わたしのなまえは、マーレイン』



 この時初めて少女の名前を知った。そういえば名前を聞いていなかったのだと思っていると、少女は踵を返して俺に抱きつき、強く抱きしめてきた。



『なまえでよんで?』

「……マーレイン」

『うん……ぜったいみつけてね? わたしを……みつけてね?』

「ああ、約束だ。世界中を旅してでも、マーレインを必ず見つけて守ってやる。だから、待ってるんだぞ……絶対に希望を捨てんなよ」



 そう言って少女の頭を撫でた。お別れの時間だと分かっているのだろう。

 マーレインはもう一度強く俺を抱きしめ……離れる瞬間、俺を祈りの祭壇への階段へと突き飛ばした。



「なっ!?」



 突然の事に驚き、呆然とマーレインを見つめるが、彼女は今にも泣きそうな笑顔で俺を見つめている。



『ありがとうホリデイ……もうわたしはだいじょうぶよ』

「マーレイン?」

『もう、だいじょうぶなの。もうこわいことは……おわったの』



 そう言って涙を零しながら微笑むマーレインに駆け寄ろうとしたが、祈りの祭壇へ向かう光は俺を掴んで離さない。



「駄目だマーレイン! やっと幸せになれるのに、何でっ!?」



 必死に手を伸ばしたが、マーレインは微笑んだまま俺の手を取ろうとはしない。何度も彼女の名を呼んだが、首を横に振り、決して俺の手を取ってはくれなかった。次第に祈りの祭壇の光が強くなり、俺の視力を奪うかのようにマーレインの姿を見えなくする。



「マーレイン!!」

『ホリデイ、しあわせをありがとう……』



 満足した声色に、俺は何度も首を振り必死に手を伸ばした。けれど、祈りの光はその腕すら掴んで離さず、身動きが取れなくなってしまった。



『ホリデイ、わたしの為にわらって? わたし、ホリデイのわらった顔がだいすき!』



 涙が溢れて止まらない俺にそう呼びかけるマーレインに、もう光で彼女の姿は見えないのに……俺は涙でぐちゃぐちゃの顔で精一杯、今できる限りの笑顔を見せた。

 彼女の為にできる最後の事なのに……不恰好な笑顔しか浮かべることができなかった。



『とってもしあわせ! だから、つぎがあるならきっと――』



 ――その続きを聞く事はできなかった。

 俺は光に包まれ、上へ上へと飛んでいく。


 マーレインのいた場所が微かに見えたが……そこは闇に呑まれるようにして消滅した。


 声にならない声でマーレインの名を叫んだが、もうその声は届かない……俺は光の中で絶望し、膝をついて声を上げて泣き……。



「マーレイン――!!」



 ――最後に彼女の名を叫んだ。

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