第36話 「お前は幸せになれよ……それだけの権利があるんだからさ」
祈りの唄に込められた想いが強くなった……淡い光は俺と少女を包み込んで、まるで母親に抱きしめられているような感覚に目を細めた。
周囲の風景は牢屋のままだけれど、少女は目を閉じたまま俺を抱きしめて放さず、俺の服を握る小さな手は強く握り締められている。
痛々しかった傷跡は元に戻り、やせ細った身体は年頃の少女らしい身体へと変わっていた。しかし、心の傷が癒えるにはまだまだ時間が掛かるだろう。それだけ辛い思いをしてきた少女を強く抱き寄せると、少女は薄っすらと目を開けて俺を見つめてきた。
『あったかいね……ママにだきしめられた事をおもいだしたよ』
「そうか……」
『でも、ママのことは嫌い……わたしのことを捨てたママはもうわたしのママじゃないの……いまでもおぼえてる。ママがわたしを牢屋において、背中をみせていなくなったの……。なんどもママをよんだけど、ふりむいてくれなかった』
子供にとって、親の存在とはとても大きな存在であり、強い影響力を持つ。
彼女の心を踏み躙った母親の罪はとても重いだろう。自分が可愛いあまりに少女を捨てた罪は、死んだとしても永遠に消えはしない。
――親の愛情にも色々ある。
子を守る為の愛情、子が成長する為の愛情、時に厳しく接する事があったとしても、これからの人生を生きていく為に必要な厳しさがある事も事実だ。
しかし、過剰な愛情は時に子供を締め付ける。
そして、それと同じかそれ以上に、見捨てられる事は子供の心を強く締め付ける。
幼少期に受けた親からの傷跡は大人になっても残り続け、呪縛のように身動きが取れなくなるのだとアルベルトは言っていた。
男の子なんだからシッカリしろとか、女の子なんだからもっとお淑やかにしろとか。何かができないとまるで欠陥品のように、自分に価値がないように感じてしまう。大人になってもその記憶が色濃く残り、人生を狂わせることすらある事を知らない親も多い。
例えるなら「お姉ちゃんなんだから」「お兄ちゃんなんだから」「年上なんだから」「年下なんだから」といった言葉に囚われた子供も多いだろう。
確かに我慢を覚える事は大事だ。しかし、そこで感じる苦しみをフォローできる大人がどれだけいるだろうか。この世には子供に優劣をつけて育てる家庭もあるのだとアルベルトから聞いた時は、言葉にならないくらい驚いたもんだ。
――子供に優劣は必要か?
――優秀な方が何かと便利だし、世間体にも良いだけだろう?
劣っていると見下される子供の負担を考える事もできない親を、俺は親だとは認めない。
そんな事を思って強く少女を抱きしめると、少女が不意にクスクスと笑い出した。
『ねぇホリデイ、わたしね? むかしママにかってもらった絵本をおもいだしたの。ホリデイはまるで幸福の王子みたいだね』
「幸福の王子?」
絵本に疎い俺が少女にそう問い掛けると、少女は嬉しそうに微笑んで頷いた。
『とっても優しいおはなし。でもとっても怖いおはなしで、とっても悲しいおはなしなの』
「複雑な話なんだな」
そう答えると少女は小さく頷いた。
「でも残念ながら俺は王子ってタマじゃねぇや」
『わたしにとっては王子様だよ?』
「ははは!」
真剣な表情で俺を見つめる少女に声を上げて笑うと、少女も優しい微笑みを浮かべて俺を見つめていた。俺が王子様だとしたら、そいつはとんだヤンチャ野郎だなって思った。
物語に出てくる王子ってのは、ビリーみたいに紳士的な奴の事を言うんだよ。
「じゃあ、お譲ちゃんはその話で言うと何になるんだ?」
『ツバメかな?』
「へぇ……空が飛べるのはいいな」
『うん、空が飛べるから……』
それ以上は口にしなかった。何か間違った事でも言ってしまったかと思ったが、少女は苦笑いを浮かべると俺の胸に顔を埋めた。
少女が何を思っているのかは分からない。けれど、それがあまり良い事では無いのは何となく感じ取る事ができた。俺にできる事といえば彼女を抱きしめる事くらいだけど、それで安心してくれるなら、祈りと祝福を貰ってくれるなら、それに越した事はない。
『そういえば、おじいちゃんが昇っていった階段はひとりよう?』
「ん? ああ、あれは一人しか昇れないぞ?」
『そっか』
「?」
『また降りてくるといいね』
そう口にした少女に「そうだな」と答えた。
そんな言葉が出てきたという事は、心の傷が少しでも癒えたという証拠だろう。祈りと祝福が少女を満たせば、少女はアルベルトと同じように祈りの祭壇の前まで行けるはずだ。辛い人生を歩んだこの子は、今度こそ祝福されるべきだ。
「お前は幸せになれよ……それだけの権利があるんだからさ」
その言葉に返事は無い。けれど少女は俺を抱きしめてくれた。
それが少女にできる精一杯の返事なのだと思った……。
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