第五章 本当の心

第35話 「お爺さんがプリアの為に引き受けた呪いは……もう解けたよ」

 真珠色の世界樹の前、祈りの祭壇の前でひたすらに唄う祈りの歌……。

 生きていた時よりもずっと……心の底から楽しみ、想いを込めて言葉にできる歌。



 ああ……彼もアタシの唄が好きだった。



 アタシが唄うと、彼は優しい微笑みをアタシに向けて「綺麗で優しい歌声だ」と褒めてくれた。そんな彼の優しい微笑みと声が大好きだった。


 ずっとずっと続くと思っていた幸せ。

 誰にも邪魔されず、彼の傍で生きていける筈だった。

 それなのに……それなのに――。


 無理やり城に連れて行かれ、綺麗な部屋に閉じ込められて国王の為だけに唄わされる苦痛。何度、喉を切り裂いて死のうと考えた事か、今となってはもう分からない。


 けれど――死のうとする度にアタシの歌を好きと言ってくれた彼の顔が脳裏に浮かび、どうしても喉を掻っ切る事ができなかった。


 己の弱さから彼を魔王にした事は許されることではないけれど、彼との優しい思い出が……あの時の幸福な気持ちが、まるで時が止まったように存在している。彼の優しい声は、そのままアタシを抱きしめてくれている。



 呪ったのに、怨んだのに。その所為で彼は拷問を受けて魔王になってしまったのに。

 ――アタシの罪は消えない。消えるはずがない。

 それでも彼の為に、そして今苦しんでいる彼らの為に、唄う事を止めない。


 ずっと唄うわ……祈りの歌を。

 ずっと唄うわ……愛した人への愛の歌を。

 あの幸福だった時のまま、時間を止めた心のままに。沢山の想いを込めて唄うわ……。


 ああ、何て身勝手なんだろう。

 身勝手と分かりながらも愛さずにはいられない。


 長い階段は天に届くかのように伸びていて、真珠色の世界樹は光を発しながらアタシの歌声を届けていく。

 どのくらいの時間が経っただろう。

 ふと見ると、天まで伸びた階段から一人の老人が降りてくる。その人はアタシ達を見て驚いたようだけれど、プリアは老人の姿を見た途端、足をもつれさせながら駆け出してその老人に抱きついた。



「お爺ちゃん!!」

「プリア!」



 抱き合う二人を見ても唄う事を止めないアタシに、祈りの祭壇は苦笑いを浮かべた。それもそうだろう、階段を降りてきた彼からは僅かな穢れを感じ取れる。

 アタシの歌声で老人を少しずつ浄化していくと、老人を包んだ光は空に上って弾け、光の雨が降り注いだ。これでもう大丈夫。ホッとする私達を他所に、老人は私達を、そしてこの場所を見渡して驚いているようだった。



「ここは……」

「プリアの心の中だよ」



 そう口にして老人に歩み寄った祈りの祭壇は、プリアの隣に立つと深々とお辞儀した。



「貴方が呪縛から解き放たれて良かった……僕ではどうする事もできなかったんだ」

「お前さんは……?」

「僕に名前はまだない。でも、近い将来生まれてくる存在」



 それ以上言葉を続けない事には理由があるのだろうけれど、アタシはそんな事を気にしない。アタシがやるべき事は……マーレインと世界樹の実を癒す事。祈りの唄を止める事はできなかった。



「お爺さんがプリアの為に引き受けた呪いは……もう解けたよ」

「……ホリデイが身代わりになったのか?」



 辛そうな言葉に、一瞬唄う事を止めてしまう。老人は両手で顔を覆い、膝をついた。



「身代わりとは違うよ。彼はマーレインを彼女があるべき場所に導く為に貴方と入れ替わっただけに過ぎない」



 そう淡々と口にした祈りの祭壇。その表情は少しだけ辛そうだった。



「本来地獄に堕ちる筈だった彼女を安息の闇へ。永遠の苦しみに囚われる筈だった女の子を、ただの眠り姫にする為に残ったんだ。彼女が受けた辛さと悲しさ、その全てを受け入れる事を選んだのは彼の優しさだ。それは、貴方が一番よく知っている筈だよ?」



 祈りの祭壇がそう口にすると、老人は顔を覆っていた両手を取り、涙を乱暴に拭うとアタシ達を見つめて「困った奴だな……本当に」と呟いた。


 誰かを思う気持ちはとても清らかで優しい。

 一片の邪心もなく純粋に誰かを思う気持ちは、吸い込まれるようにアタシの心に入ってくる。呪いも怨みも悲しみも……まるで包み込むような優しさを感じる事ができた。



『人って……アタシ達妖精を導く事も癒す事もできれば、壊す事もできてしまう』



 思わず、唄を止めてそう口にした。アタシは親指にある指輪に口づけると、大きく息を吐いて続ける。



『人間の心も、妖精であるアタシ達の心も、繊細で壊れやすいわ。彼が言っていたの、心は大事な壊れ物だって。本当にそうだと思うわ。壊れてしまったら治るのにとっても時間が掛かって、とっても沢山の人を苦しめて……とっても大きな傷を自分に残してしまう』



 だからこそ気をつけなくてはならない。

 皆が皆、聖人のように生きていく事ができないとしても。

 他人の心を踏み躙るような真似をしてはならないのだと、彼は教えてくれた。

 それでも傷つけてしまったのなら、心の底から謝罪をするのだ、とも……。



『命は誰であっても同じ重さを持つわ。軽い命なんて無い……だって、誰だって自分の命が軽いとか思わないし、誰だって簡単に命を差し出したりしないでしょう? 命はとっても重いわ。人間なんて、母親の胎内で十ヶ月と十日かけて育って、母親が命懸けで生むんでしょう? それで軽いなんて言ってたらとんでもない罰当たりよ』



 ――でも、それは私達妖精だって一緒。

 母親である木々は妖精を心から愛して育んでくれる。堕胎する事がどれ程苦痛かもアタシ達妖精は知っている……命の重さは人間も妖精も一緒だ。



『アタシ達の人生は花と一緒ね。人間も妖精も花を愛でるでしょう? まるで自分達の人生を見ているように思えるから愛でるのよ。花が芽吹くのは命が生まれるのと同じ。花の人生に自分を重ねるの。だからこそ、死者に花を手向けるの……』



 そう教えてくれた彼はもういないけれど、彼の言葉はアタシが存在する限り生き続ける。ずっとずっと枯れない花のように、アタシの心の中で咲き続ける。


 もし、アタシが存在する事が叶うのなら――彼の為に墓を作って花を手向けたい。そしてずっとずっとその墓を守り続ける……許して欲しいなんて思わない。けれど、ずっと傍にいさせて欲しい。


 アタシはこの溢れるような気持ちを声に乗せ、祈りの唄を紡いでいく。

 愛を感じれば優しくその気持ちを唄い、希望を感じれば励ますように言葉を紡ぐ。

 生前歌姫と呼ばれたアタシの歌は、決して誰かを独りにしない。


 マーレインがもう闇に囚われる事がないように。彼女を癒す為に残ったホリデイの優しさを無駄にしないように、アタシは祈りを込めて唄い続ける。


 望まれてこの世に産まれて、辛い事も悲しい事も沢山乗り越えて……そうやってアタシ達は育ち、ここに存在しているのだから。

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