第31話 『さぁ……アタシが唄う歌は何?』

 曾爺様の蝋燭の中は――牢屋だった。


 父の記憶にある、呪いの世界樹の実が保管されていた忌まわしい部屋。

 部屋を見渡しても曾爺様の姿は見当たらない。

 その代わりに、小さな動物が入るような檻から視線を感じた。



『だぁれ?』



 幼い声と共に檻からズルリと這い出てきたのは、四歳くらいの女の子だった。

 あちらこちらに火傷の跡が見え、悪臭すら漂ってくるが、僕は顔色一つ変えず少女と向き合った。



『おじいちゃんを探してるの? それなら奥にいるよ?』



 そう言って笑いながら案内した場所は牢屋の中。曾爺様は縫いぐるみの首を毟り取って遊んでいた。



『さっきまでいっしょにお人形遊びしてたの! あなたもいっしょにあそぶ?』



 そう言って手を伸ばした少女の腕は、僕に触れる事はできずに吹き飛んだ。

 ああ、この子は祈りの祭壇の前に立つ事も許されないのだ……。



『おかしいなぁ……なんであなたには、さわれないの? いっしょに遊びたいだけなのに。もうひとりはイヤだから、あなたもいっしょに遊ぼうよ』



 吹き飛んだ両腕など気にもせず、僕に近寄る少女は目の焦点すら定まらないようだ。

 このような存在を世間ではどう言うか。僕の中にある父の知識では、悪霊と言う。



「――君は、祈りも祝福もいらないの?」



 そう口にした途端、少女は伸ばした手を止めた。



「今のままでいいの? 今のこの現状で満足しているの?」



 そう口にすると少女はクスクスと笑い出し、定まらない目線を僕に向けた。



『いのりってなぁに? しゅくふくってなぁに? その二つがあれば、



 ――不味いと思った。

 この子に普通の言葉は通じないと察した瞬間、僕は一歩後ろへと下がったが、この少女はそんな事は気にも留めず、僕に向けて一歩、また一歩と歩み寄る。



『わたしはずっとママを呼んだよ? でもママはきてくれなかった』

「君のママは……」

『わたしは売られたんでしょ? ママはわたしをお金にかえたんでしょ? だからたすけにきてくれなかったんでしょ? もうママをしんじることなんてできない……ずっとずっと助けてってさけんでたのにママはわたしをすてたんだもん!』



 その言葉には、僕を部屋の隅まで吹き飛ばす程の威力があった。

 祈りの祭壇である僕をここまで拒絶するという事は――。

 そう思いつつ牢屋の奥で人形遊びをする曾爺様に目を向け、僕はあまりの驚きに目を見開いた。



 人形の頭に噛り付き、そのまま引き千切るその姿は……母の記憶にも、父の記憶にも存在しない曾爺様の姿だった。



「曾爺様!」

『あなた……あの人の家族なのね? だったらなおさら返さない! もうひとりはイヤ! もう痛いのもイヤ! わたしはあのおじいちゃんとずっといるの! 邪魔をするならあなたをころしてあの小屋にとじこめてやる!!』



 そう息巻く少女は無理やりに僕の腕を掴もうとした。例え腕が弾け飛ぼうとも気にしない。

 次々と伸ばされる腕は引き千切れ、血飛沫を飛ばすのだが、少女がそれを気に留めることはなかった。



『手がダメなら、口があるよね……』

「やめ――っ」



 少女が飛び掛ってきた瞬間、僕は目を閉じてしまった。



 パンッと言う音が聞こえ、きっと少女の顔は吹き飛んでしまったと思った。

 思い切って目を開けると……そこにはローレルの姿があった。



「ローレル!」

『心配になって来てみれば! アンタに死んで貰ったらアタシが困るのよ!!』



 そう怒鳴りつけるローレルは僕の腕を掴み、曾爺様の蝋燭から抜け出すと母の蝋燭へと飛び込み、真珠色の世界樹の元へと降り立った……。

 ローレルは僕の両頬を掴むと、身体に傷が無いかどうか隈なくチェックしていく。



『全く! あの子に言葉が届くとでも思ったの!? 父ほど甘くないとか言っておきながら、実際はどんだけ甘いのよ!』

「ローレル……いや、正直助かったとしか言えない」

『当たり前でしょ!!』



 怒鳴りつけるローレルをなだめた僕は、溜息を吐くと同時にあの狂った曾爺様を思い出して地面に座り込んでしまう。

 ――まさかあんな状態になっているとは思ってもいなかった。

 尋常では無い速度で蝋燭が磨り減る訳だ。

 そう理解した時、僕の前で胡坐をかくローレルが大きく溜息を吐いた。



『……まさかこの程度の事で祈りの祭壇の前に座れるとは思わないけど! でもね! 私だって呪いや怨みだけで存在している訳じゃないのよ!!』

「……」

『人間の負の感情は、妖精よりも大きいし重いのよ。特に小さい子供なんて手に負える相手じゃないわ。それを分かっていてあの老人を救うつもりなの!? アンタ死ぬわよ!』



 叱咤するローレルに言い返す言葉も無く、僕が俯いていると小さな溜息が聞こえ、続いて頭を撫でられる感触がした。



『生まれる前に死んだりしたら……アンタの両親は悲しむでしょうね』



 その言葉に顔を上げると、辛そうな表情のローレルが僕を見ていた。



『……アタシにできる事はある?』

「え?」

『アタシができる事と言えば唄う事くらいしかないけど! けどそれでアンタの曾爺様が助かるなら、声が潰れたとしても唄ってあげるわ』

「ローレル」

『アタシの唄があの子を導く道筋を作れるって言うなら、幾らでも唄ってあげるわよ!! もう良いの。アタシの罪の大きさは自覚してるわ。愛した人を魔王にしたんだから、一緒に助けて欲しいなんて愚かな事を言える訳無いでしょ!』



 そう言って顔を背けるローレルは大きく息を吸うと『どうなの!』と再度聞いてくる。



「君が歌を唄ったとしても……今後もずっと、生贄のように唄う事を強いられるのに?」

『愛を唄えるなら幾らでも唄うわ……私の罪を償う為に、愛する人の為にも歌を唄うわ。もう私を独りにはしないんでしょう? 貴方が生まれれば私を導いてくれるんでしょう? 私からこの指輪を奪ったりしないでしょう?』



 そう言って親指にはめられた【Caroカロ laccioラッチョ】の宝石がついた指輪を見せる彼女は、指輪に何度も口付けて『だから良いのよ』と口にする。



『人は欲に貪欲なのよ。その気持ちが少しでも和らぐのなら、アタシは唄ってあげるわ』

「ローレル……」

『さぁ、祈りの祭壇としてアタシに命じて頂戴。アタシに歌を、祈りを! 贖罪を唄わせて頂戴……! 例え裁きの雷に撃たれようと、アタシは唄うことを止めないから! だから、アンタの家族をアタシに守らせて! ……ね? お願い』



 目に涙を湛えたまま微笑んだローレルに、僕は言葉を失った。祈りの祭壇としての役目と、曾爺様を守りたい気持ち、そしてローレルにどれ程の負担が掛かるかを考えると頼むことなど出来ない。

 曾爺様を助けたい気持ちは強い。


 けれど――歯を喰いしばり拳を握り締めても言葉が出てこない。

 人間がローレルを殺し、ローレルの想い人を魔王にしたのに。

 これでは僕たちのエゴで彼女を再び苦しめてしまうじゃないか。

 そんな事、誰も望んでなんか――!!



『アタシは想い人が、アタシの所為で魔王になった彼が救われれば、それで良いから……』

「……」

『アタシに唄う喜びをもう一度思い出させて……アンタに頼まれたいの』



 その言葉に嘘は無い。

 顔を上げた僕がローレルを見つめると、彼女は幸せそうに微笑んだ。



『さぁ……アタシが唄う歌は何?』



 その言葉に……僕は――。

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