第30話 「やぁ、初めまして。僕にはまだ名が無いよ」
++???++
光から生まれた僕は、生まれてすぐ問題に直面した。
目の前で父が泣いている。母も苦しんでいる。
そして曾爺様までが苦しんでいる。
その原因はすぐに分かった。
ああ……なんて悲しい事なんだろう。
苦しんでいる二人を何とか助けたくて結界を張った。
けれど、完璧に守る事はできなかった。生まれたての僕では力が足りないのだ。
それでも、そんな僕に縋る父を愛しいと思う。
そうか、僕にしかできない……今の僕でしかできない事があるのだと確信した。
僕はまず母の蝋燭の中に入る。そこは綺麗な……真珠色の世界樹がそびえ立っている。
穢れを知らない真珠色の世界樹、その麓で一人の女性が泣いている……。
地面に降り立つと、僕は人間の姿になる事ができた。見た目は十歳くらいだろうか? 母と同じ真珠色の髪と漆黒の瞳、父に良く似た顔立ちは二人の愛の結晶だと思う。
『誰!?』
声を掛けられた。目を向けると、美しい水の妖精が座り込んで泣いている。
「やぁ、初めまして。僕にはまだ名が無いよ」
そう、名前が無いのだ。
けれどそれも仕方なのない事……何せ僕は生まれたばかりだ。
曾爺様が母への負担を減らし、父が指輪を返した事で生まれた、たった一つの希望と言っても過言では無いだろう。
「僕はきっと、そう遠くない未来で産まれる筈の存在。でも僕は貴女を知っている。ローレルと言う名の水の妖精。愛した人を魔王にせざるを得なかった悲しい女性」
僕が微笑みながらそう口にすると、ローレルは立ち上がり僕を睨み付けた。けれど、僕をジッと見つめた彼女は次第に驚きを隠せなくなる。
『まさか……ああ、そんな筈はっ』
そう口にした彼女は僕に駆け寄り、僕の両頬を両手で包んだ。
『“祈りの祭壇”が自ら来るなんて……』
「まだ、なり切れてない未熟者だよ。けれどローレルのおかげで僕はここにいる。祈りの祭壇は真珠色の妖精からしか生まれない」
そう、その真珠色の妖精こそ母だ。
僕が人として生きていく事になれば……両親の血はずっと祈りの祭壇として生きていく事になるだろう。
「全ての妖精にとっての祈りの祭壇であり、人にとっての贖罪ともなる僕は……きっと尊い存在なのかも知れないね?」
――それが苦になる事もあるだろう。
――それが煩わしくなる事もあるだろう。
「けれど残念ながら、僕は母のように甘くはないんだ。
そう言って笑うと、ローレルはその場に座り込み、僕を見つめたまま固まっている。
「父は悔やんでいたよ? 魔王を倒すべきではなかったと。そして魔王も倒されるべきではなかったと思っている。それはローレルも一緒だよね?」
そう問い掛けるとローレルは小さく頷き、それを見た僕は満面の笑みを浮かべた。
「どっちかが死ねば世界は一つになるなんて事はありえないだろうけれど、僕は父のした事を誇りに思っている。そうじゃないと、前国王の腐った政治が今も続いている事になってしまう。
愚かな国王は裁かれるべき存在であり、地獄に堕ちるべき存在だ」
祈りの祭壇が僕みたいな存在で、妖精の皆には辛い想いをさせるかも知れない。
けれど僕は僕だ。自分を偽る事はできない。
「時間は有限だけど、ローレルの話はできる限り聞くよ。マーレインの事もあるからそれほど多くの時間は使えないけどね。……それにしても、折角祈りの祭壇が目の前にあるのに君は悔やんでばかりだね」
『そんな事は!』
「君は悔やんでばかりだ。もっと早く前国王の元から去る事ができた、もっと早く逃げ出す事ができた、もっと早く助けを求める事ができた、そんな後悔ばかりで祈りが届くとでも思っているのかい?」
僕の言葉にローレルは何かを言おうとしてそれを飲み込んだ。仕方の無い事だろう。
それが彼女の事実なのだから。
「君の行動の遅さが、自分を破滅へと追い込んだ挙句魔王を作ることになったんだよ? いい加減自覚したほうが良い」
『――っ』
「僕は父ほど甘くもないし、母ほど聖人でもないんだ。それが分かったなら、君も罪を償うべきだよ」
こうまでして彼女を救うのは母の為だ。
それ以外の理由なら、僕は彼女を見捨てているだろう。
生まれたての僕はまだ存在が不安定だ。それでも、両親を守りたい。
「まぁ、自分の中で感情を整理したいなら時間をあげる。想い人に祝福が欲しいなら、まずは自分を納得させる事だね。じゃないと【Caro laccio】の名を持つ宝石が可哀相だし、魔王に堕ちた想い人もいっそ哀れというものだよ」
『待って!』
その呼び声に立ち止まって振り向くと、ローレルは立ち上がり、魔王が持っていた指輪を震える手で握り締めている。
『アンタは、本当にアタシ達が祝福される終焉へ歩めると思っているの?』
「……君は無理だろうね」
あっさり切り捨てた僕に、ローレルは目を見開いた。
「さっき言っただろう? 罪には罰が必要だって。僕では君の罪を半分しか浄化する事ができないよ。想い人を魔王に堕としたのに、自分も一緒に祝福を手に入れられるとでも思ったの?」
僕の言葉に、声にならない叫び声を上げて座り込んでしまったローレル。
なんて哀れなのだろう。君は僕の母を、父を、曾爺様をこんなにも苦しめているじゃないか……。
――理由はどうあれ、僕が許す事は有り得ない。
「気の毒だとは思うよ? でも、君は祈りの祭壇の前に立つ者にしては罪を犯しすぎた。だから君には別の方面で罪を償って貰う。 大丈夫……君ひとりと言う訳では無いから。
それに、僕が生まれることができれば君を導くこともできる」
微笑んでそう口にすると、ローレルは涙をそのままに僕を見つめた。
「僕を信じて。これから頼む事は、君にしかできないんだ」
『私にしかできないこと……』
「そう、君のその歌声が必要なんだ」
無慈悲なことだ。生贄になった理由である歌声が、今更必要になるとは思ってもいなかっただろう。
けれど、その歌声こそが世界を導く歌声になる事を、君はまだ知らない。
そして、僕もその事を伝えない。
「僕からのせめてもの償いとして、その【Caro laccio】は君にあげるよ。大丈夫、奪ったりはしないし、誰にも奪わせはしない」
――この世界の命を繋ぐための歌声を枯らす訳にはいかない。
その為に必要だと言うのなら【いとしい絆】の名を冠する宝石はそのまま君にあげる。
これは魔王を生み出した君にしかできない贖罪。君がするべき贖罪だ。
「僕に会う覚悟ができたならもう一度呼んで。それまでは考える時間をあげる。あくまで有限の時間だけどね。良い返事を待っているよ」
そう言い残すと僕は母の身体から離れ、眼下の両親を見据える。
疲れ果てた父は、母の小さな手を握り締めて椅子に座ったまま眠ってしまっているし、手を握られている母も、涙を流しながら眠っている。
両親にこれだけの負担を掛けているのだ。ローレルを手放しで許す事はできない。
それ以上に問題なのは――曾爺様に取り憑いたマーレインだ。
曾爺様の蝋燭はジリジリと溶け出し、今この瞬間にも寿命が縮んでいるのが目に見えて分かる。残された時間は少ない……それでも何とかしないと曾爺様が死んでしまう事は嫌でも分かっていた。
確かに曾爺様が死ねば、マーレインは引き摺られるようにして地獄へと堕ちるだろう。
けれどそんな事を母が、父が、そして曾爺様が望むか? 答えは問うまでもない。
僕は覚悟を決めて曾爺様の蝋燭に触れ、その中へと入って行った。
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