第29話 「誰か……誰か助けてっ」
『あらあら、もうお手上げかしら?』
打ちひしがれ、顔を伏していた私に聞こえてきた声に顔を上げると、そこには人の形をしていたのであろう異形の者が立っていた。
『勝ち取った世界樹の実が呪われていたなんて、思いもよらないわよねぇ?』
「……返す言葉がありませんね。思い上がった国王に裁きが下ったとしても、償いきれる問題ではありませんから」
『その様子だと、アタシ達がどうやって死んだかもご存知のようね?』
そう唄うような口調で話す彼女に頷くと、彼女は蠢きながら喜びの声を上げた。
『愛した人の前で犯される苦しみが貴方に分かる? 愛した人の前で蛆虫のように這い回るしかできない惨めな姿がどれ程辛いかお分かり?
愛した人が目の前で舌を切り落とされ、体中の皮膚をメスで一枚ずつ剥がされて……彼の綺麗な顔を剥ぎ取らされるさまを見せつけられる苦痛が……綺麗な世界で生きてきた人間達に分かるはずがないわ!』
「
私が口にした言葉に、異形の姿がビクッと動き、赤い瞳が射るように私を見つめてくる。
それでも私は立ち上がり、彼女と向かい合うと推論を口にする。
「だから……
『……何故その事を』
「貴女が唄った呪いの歌は……
資料に記されていた日付を見た時、私は偶然かと思った。
男が死んだ日、彼女が呪いの歌を唄ったその日は、魔王が復活した日と同じだったからだ。
「世界樹が切り倒された日とも違う。本来なら、世界樹が切り倒された時点で魔王が復活すると思われていた。けれど本当は違った……貴女は呪いの歌を唄う事で想い人を魔王にしたのです。
そうまでしても人間を滅ぼしたかった気持ちは分かります。魔王を討伐した私が言うのも少々憚られますが、彼は魔王と呼ぶには少々優しすぎた。
それ以上に……人間を怨み恨んでいましたがね」
私はそう口にすると、鞄から一つの指輪を取り出した。
それは魔王を討伐した際に回収したものだが、魔王が持つには相応しくない指輪だった。
『それは……返して! その指輪を返して!!』
「言われなくてもお返しします」
そう言うと異形の者に指輪を投げ渡す。
異形の者はドロドロに溢れては溶ける手らしきもので指輪を受け止め、抱きしめているようにも見えた。
魔王の息の根を止めた時、魔王の掌から零れ落ちた指輪は……私とプリアさんが持っている【
とても古い錬金術の本にしか製法が載っていないというのに……。
仮にその作り方を知っていたというのであれば、魔王の正体はあの本の持ち主か、もしくは作り方を知っていた錬金術師だと推測される。
「私では貴女達を導く事は……無理でしょうね」
『……そうね、貴方では無理。アタシと
マーレインとは、きっと祖父に取り憑いた少女の名だろう。
『けれど、アンタがいないとアタシ達を祈りの祭壇へ連れて行く事はできない』
「どういう事です?」
『精々苦しむといいわ。ただし、決して自ら死んではいけない。アタシ達を導くには貴方の力も必要なのだから。アタシ達が欲しいのは安息と祝福よ。
世界樹の実の生贄としての生涯ではなく、正しく生きていて良かったのだと思えるだけの許しが欲しい……』
ローレルは質問に答えないまま姿を消し、部屋に残ったのは荒い息遣いの祖父とプリアさんと私のみ。
『……宝石を、指輪を返してくれてありがとう……それだけは伝えておくわ』
誰もいない空間から聞こえたローレルの声はどこか悲しげで、私はその言葉に対して答える事ができなかった……。
私がローレルの名を呼べたのは、私が受けた呪いのおかげだ。
元々私は彼女の名前など知りもしなかった。
あの時自然と彼女の名を呼ぶ事ができたのは、想い人である魔王の呪いを受けていたからに他ならないだろう。
愛した女性に魔王にされた彼は、何を思って世界の終焉を願ったのか。
それは彼の境遇を知った今では容易に想像ができたし、私でもその唄を受け入れてしまうだろう。
仮にプリアさんが死んでしまったら、私にとって失うものなど無くなってしまう。
そうなった時、魔王になってしまいそうな自分が怖かった。
私が自分の身体を抱きしめたその時――。
「ビリちゃ……?」
聞こえた声にソファーから立ち上がり、プリアさんの元へと歩み寄る。
プリアさんはまだ夢うつつのようで、意識も朦朧としているようだ。
「ここにいますよ」
「良かった……私の中で誰かが泣いてるの。どうすれば良いかな……? きっと悲しいことがあったんだよね? 私も一緒に、泣いてあげたら楽になるかなぁ……」
「プリアさん……」
「……独りは寂しいもんね」
そう言って力なく微笑むプリアさんの小さな手を取ると、プリアさんは小さく呟く。
「独りじゃないよって、言ってあげたらいいのかな?」
「だからといって、その子に付いていってはダメですよ? 貴女の帰ってくる場所は私の隣でしょう? 独りは私も嫌ですからね?」
……涙声だった。
押えきれない涙は、止めどなく頬を流れては落ちていく。
鼻を啜りプリアさんの小さな手を握り締めると、プリアさんは力なく微笑み「独りにしないよ?」と口にした。
「でも辛そうなの……。泣きながら唄っているの……。これは……何の……」
――プリアさんはそのまま眠りについてしまった。
夢の中に入る事ができるなら、プリアさんを独りにしないのに……ローレルと二人きりになんてさせないのに! 私は自分の無力さを恨んだ。
止めどなく涙が溢れて止まらない。けれど、私ではどうする事もできない!
「誰か……誰か助けてっ」
プリアさんの小さな手を握り、声を搾り出す。
――声に応えるかのように、私の指輪とプリアさんのネックレスから眩い程の光が迸った。
二つの光は一つになると、プリアさんの胸に優しく入り込んでいった。
慌てて指輪を見ると――宝石が無くなっている。
【
淡い光に包まれる二人を呆然と眺めていると、光は二人を守るかのように輝きを増す。
それはまるで結界が張られているような……何か特別なものであるように感じられた。
次第に落ち着きを見せる二人の呼吸。規則正しい寝息に変わった頃には、二人の胸の上に光でできた蝋燭が浮いていた。
炎は不規則に揺らめいてそれぞれを照らす。
もしかすると、これが二人の寿命を表しているのではないだろうかと思ったが、今の私には祈る事しかできない。
【Caro laccio】の宝石が本来どういった作用をするかは分からない。
――けれど、望みを捨てる事はできなかった。
そっとプリアさんの手を握り締めると、彼女の胸の上で炎が揺らめき、プリアさんから飛び出した光は私の周りを一周すると蝋燭の真上で止まり、私達に向けて光が降り注ぐ。
「守って、下さっているのですか?」
返事が無い事は分かっている。
けれど、この光に縋るしかない私は強く目を閉じ、頭を垂れるしかない。
縋れるモノなら何にでも縋りたかった。
たった一人の肉親と愛した女性を同時に失う事など、耐えられる筈が無い。
ああ……この想いを、この辛さを、魔王は忘れなかったのだ。
彼は想い人に魔王になる事を望まれ、自分もそれを望んで魔王になったのだと理解した時、私は自分の犯した罪を素直に受け入れる事ができた。
あの魔王を倒してはならなかったのだ。
もし私が魔王の立場ならば……決して倒されるべきではなかった。
私が受けた呪いは、甘んじて受けるべき罪。
彼が魔王になってまでも残した、強い憎しみと怨みだったのだ。
それでも、それでも――。
「失いたくない……もう、失いたくない!」
何を――?
その問いに答えは出てこない。
私はヒビ割れた身代わりのコインを握り締め、涙を流した……。
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