十五節 「旅の始まり」

 ウィ―ダムとハニーの姿を認めると、ジョエルはすぐに部屋に入ってきてそのままベッドに体を滑り込ませた。一人用のベッドに三人も入ったのだから当然狭くなり、端にいたハニーはウィ―ダムと壁に体を圧迫されることになった。


「むぐ」


 ハニーはジョエルに抗議しようとも思ったが、これはこれで幸せな状況なので何も言わなかった。

 ウィ―ダムがハニーから離れて体をジョエルに向けた。ジョエルはハニーが抱かれていた時のように、ウィ―ダムの背中に手を回して抱きついていた。


「パパ、ハニーと一緒に寝てたの」


「ええ、ジョエルは…ジョエルも眠れないのですか?」


「うん。今日も一緒に寝ていい?」


「もちろん…」


 ウィ―ダムは昨晩のようにジョエルが迫ってこないか心配だったが、ジョエルにその様子はなく、彼は目を閉じるとそのまま静かに寝息を立て始めた。


「あ、ハニー、さっき何か言いかけていませんでしたか?」


「えっ!…なにも言ってないよ?」


「ならいいんです」


(ジョエルがすぐそこにいるのに、好きだなんて言えるわけないじゃないか!)


 ハニーは火照った頭をどうすることもできず、ウィ―ダムの背中を切なげに見つめながらその夜を過ごした。

 次の日の朝、ハニーが目を覚ますとウィ―ダムはまだ眠っていたが、その体は抱えられるようにしてジョエルに沈み込んでいた。


(羨ましい!)


 自分も混ざろうと、ウィ―ダムを起こさないよう静かにハニーが体を動かすと突然ジョエルが目を開いた。ハニーは驚いて思わず声を出した。


「わっ」


 すると、ジョエルは人差し指を唇の前に持ってきてハニーに静かにのジェスチャーをした。そして、声に出さずに口の動きだけで何らかの言葉をハニーに伝えてきた。最初はジョエルが何を言っているのかわからなかったハニーも、彼が二度三度同じ動きを繰り返すとようやく伝えたい言葉の意味がわかった。


(そんなの、ボクも同じだよ!)


 ハニーとジョエルはベッドの上で無言のまま言葉を交わし合った。ハニーが何を言っても、ジョエルはどこ吹く風で余裕の表情だった。

 しばらくしてウィ―ダムが目を覚ますと、ジョエルは寝たふりをしてウィ―ダムを抱き続けた。ハニーはその様子を何を言うでもなく見つめていたが、ウィ―ダムがジョエルの腕に頭を擦りつけるような動作が見えたのでわざとらしく大きなあくびをした。


「あー、朝だ! おはようウィ―ダム! ジョエル!」


 ウィ―ダムは首を少しだけ動かし、後目でハニーを見た。彼はハニーが同じベッドにいることを忘れていた。


「おはようございます、ハニー」


「ごめんごめん、起こしちゃった?」


「いえ、そんなことないですよ。私も今目が覚めたところです。」


「そっか、じゃあ起きて顔洗いに行こうよ」


「そうですね。ジョエル、朝ですよ。ジョエル」


 ウィ―ダムに体を揺すられても、ジョエルは寝たふりを続けていた。


「ジョエル。起きませんね」


「起きないねー。そういえば今日のジョエル、すごく寝相がいいね。部屋で寝てる時は、いつもベッドから落ちてたりするんだけどな~」


「この部屋のベッドの方がよく眠れるのかもしれませんね。昨日もこんな風に…」


 そう言ってから、ウィ―ダムは慌てて口をつぐんだ。ジョエルと昨日したことは秘密にしなければいけない。

 ハニーはウィ―ダムの発言を気にした様子も見せず笑って言った。


「昨日も一緒に寝たんだ~いいな~」


「ええ、ジョエルが部屋に来て…。そろそろ起きましょうか」


 ウィ―ダム腕を抜け出そうとすると、ジョエルは目を開けて大きなあくびをした。


「ふぁ~ぁ。パパおはよう」


「おはようございます、ジョエル」


 ウィ―ダム達はベッドから出ると中庭の井戸に向かった。その間、ジョエルは寝ぼけたふりをしてウィ―ダムにもたれかかったり、抱きついたりしてとにかく離れようとしなかった。それに続いてハニーもウィ―ダムに体を寄せた。


「どうしたんですか二人とも、今朝は随分ねぼすけさんですねぇ」


 ジョエル達に挟まれたウィ―ダムはご機嫌だったが、ハニーは違った。彼は焦燥感を抱き、ジョエルの一挙手一投足を注意深く観察していた。


(ジョエルには負けられない)


 ハニーはどれだけウィ―ダムの気を惹けるかを考えて行動していた。とにかくライアンが帰ってきて王都に出発する日が来るまでに、ウィ―ダムに自分が必要だと思わせなければならない。

 ハニーは漠然と自分はウィ―ダムに選ばれると考えていたが、その自信は先ほど失われてしまった。

 ウィ―ダムの頭の上で、ジョエルがまた口だけを動かしてハニーに言葉を伝えてきた。彼はベッドで言った言葉を繰り返していた。


(パパは僕のだよ)


 ハニーはジョエルこそが自分のライバルなのだと確信した。




 その日から、ジョエルとハニーの猛アピールが始まった。二人は毎日のように同じベッドで眠り、目を覚ますと、一緒に中庭に出て昇る朝日を眺めた。これまで洗濯や食事の準備といった家事に対して献身的でなかったハニーは、めっきり態度を変えてパトリックから料理のコツや、ウィ―ダムの好きな味付けについて聞くようになった。

 ジョエルは以前よりもずっとウィ―ダムにべったりになった。孤児院にいる時も、町にいる時もできるだけウィ―ダムの傍にいるようにして、自分の存在感を主張していた。

 ジョエルとハニーだけでなく、パトリック達の態度も変わった。皆がウィ―ダムに選んでもらおうと努力をしていた。

 しかし当の本人であるウィ―ダムは彼らの思惑に全く気づいておらず、精力的なジョエル達を見てもなんだか最近頑張ってるなぁと思うくらいだった。それもそのはず、ウィ―ダムはライアンと二人きりで王都に行くつもりだったのである。皆を孤児院に残していくのは心配で自身も心細かったが、なによりどんなことが起こるかわからない王都に子供達を連れて行くなんて危険だと考えていた。

 そして二週間が経ち、ウィ―ダムが子供達の態度に慣れた頃、ライアンが孤児院に帰ってきた。




 ウィ―ダム達が食堂で昼食をとっていると、外からガラガラと馬車が走る音が聞こえてきた。今日は誰も来る予定がない。ということは、彼が帰ってきたのだろうか。ウィ―ダム達は食事を中断すると、期待に胸を膨らませて外に出た。外には小さいが立派な馬車があって、その傍ではライアンが馬達をねぎらっていた。彼は町を出た時と変わらない格好でそこに立っていた。


「ライアン!」


 最初にウィ―ダムが彼に駆け寄り、他の者もそれに続いていった。皆に囲まれたライアンは、嬉しそうに両手を広げた。


「ただいま、みんな! 元気にしてた? 先生も」


「一週間じゃそう変わりませんよ。ライアンこそあっちではどうでした?」


「色々ありましたよ。例えばこの馬車なんですけど、王都でよくしてくれてる人が貸してくれて…」


 騒々しい会話をしながら、一同はライアンを連れて食堂に戻った。ディーンとフロリー達幼年組は、馬車とその中に山積みされたお土産を堪能するため外に残った。

 ライアンが席に着くと、すぐにパトリックが軽い食事を持ってきた。


「ありがとう、パトリック」


 パトリックは微笑むと、ライアンの前にパンと果物を追加で置いた。


「これも食べてください」


「嬉しいよ。早く帰りたくてここまで急いで来たから、すごくお腹が空いてるんだ」


 パトリックはさらに追加で紅茶を持ってきた。この紅茶は、パトリックが大事に持っていた少しお高いやつである。


「いい香り。ありがとう」


 ライアンの隣に座ったジョエルは彼を褒め続けていた。ライアンの見た目やら、自分が気に入ってるところとか、帰ってきてくれたことがいかに嬉しいかなど…とにかく思いつく限りのことを言葉にしていた。


「あの馬車すごいね~。すごく大きくてすごくきれいで…馬が元気そう!」


「そう言ってくれると僕も嬉しいよ。あの馬はとても優秀らしくてね…」


 ハニーはライアンの後ろに立って、彼の肩を揉んでいた。


「長旅で疲れてるでしょ。マッサージしてあげる」


「ありがとう…ハニーが肩を揉んでくれるなんて珍しいな。何かいいことでもあったのかい?」


「ボクはいつもこうだよ~。あっ、いいことはあったな。ライアンが帰ってきたこと!」


 ウインクをしたハニーにライアンは呆れた視線を向けた。ハニーがこんな風に接してくる時は、必ずといっていいほど何か欲しい物があっておねだりをしてくるからである。


「今日はどうしたんだ、皆? なんというか、妙に優しいけど」


 遠くから久しぶりに帰ってきた時も、皆は自分を置いておみやげに群がっているのが常である。特にハニーやジョエルであれば、小さなフロリーにも負けないぐらいの勢いで飛びついているだろう。だが今日は違う。


(出かける前に何かしたっけな)


 ハニーが猫なで声で言った。


「なんでもないよ~。ところで、いつ王都に出発するのかは決まってるの? ボク、あの馬車に乗ってみたいな~」


「できればゆっくりしたいんだけど、先生のこともあるし、あの馬車も借り物だからすぐに出発したいと思ってるんだ」


「そっか~。あの馬車ならみんな乗れそうだし…あっ、みんな乗れるね? じゃあ別に大丈夫じゃん」


「大丈夫ってなにが?」


「そっか。じゃあライアンのことこんなに褒めなくていいね」


「何の話を…」


「紅茶返してください」


「えっ、返すの?」


 突然手の平を返して素っ気なくなり始めたハニー達をライアンは当惑して見つめた。


「みんなどうしたんだ、やっぱり今日は様子がおかしいよ。もしかして、一緒に王都に行けないと思ってたの?」


 ジョエルが頷いた。


「うん、ケネスが連絡馬車に乗るなら二人までって言ってたから」


「二人まで?」


「僕達みんなで行くと他のお客さんが乗れないからって」


「でも、もうそんな心配はいらないね」


 ハニーは満面の笑顔を浮かべその場で飛び跳ねた。


「ライアンが馬車を持ってきてくれたおかげで、みんなで行けるぞー!」


「いえ、危ないから皆は連れていきませんよ」


 ウィ―ダムの言葉にハニー達の表情が凍った。まさに寝耳に水である。


「ど、どういうこと? ボク達連れていってくれないの?」


「一緒に行きたいのは山々ですけど、危ないですから」


「そんなの嫌だよ! 僕も一緒に行きたいよ~」


「ダメです。もしもあなた達の身に何かあったらと考えると、絶対に連れていくわけにはいきません」


「あっちにいった時の予定の管理は誰がするんですか。お父さんにできますか?」


 パトリックが心配そうに言った。


「それくらい大丈夫ですよ。孤児院での仕事よりは複雑じゃないでしょうし」


 ウィ―ダムの意志は固いようで、彼は本当に誰も連れていかないつもりのようだった。そうはいかないと、ハニーがジョエルと共に行っていた準備について話し始めた。


「ウィ―ダム、ボク、王都に行きたくて色々勉強してたんだよ。ジョエルと一緒にケネスのとこでウィ―ダムの役に立つこと教わったんだ」


「そうだよ。偽物を見分ける方法とか、女の人の口説き方とか教わったんだよ」


「口説き方ですって? 他には?」


「他は…他は特に…」


 食堂の扉が開かれ、ケネスが中に入ってきた。


「よう。帰ってきたのか」


「ケネスさん! ただいま帰りました」


「外に馬車があったが、あのまま置きっぱなしにしておくのか? 場所がないなら俺の家に置いておくぞ」


「それなら大丈夫です。すぐに出発するつもりですから」


「もう出るのか。帰ってきたばかりじゃないか」


「急がないとどんな恩を売られるかわかりませんので。あの人に借りたんですよ」


「ああ、アイツにか」


「そうです」


 ハニーがケネスに泣きついて言った。


「ケネス~。ウィ―ダムが、ボクらを連れてかないでライアンと二人だけで行くって言うんだよ~」


「そりゃまたどうしてだ。寂しがりのお前がそんなこと言うなんて信じられないな。連絡馬車ならともかく、ライアンがあんな立派な馬車を持ってきたじゃねぇか」


「そうなんだよ! みんなで行けばいいのに」


「いけません。向こうでは何が起こるかわからないんですから」


「ケネスからなにか言ってよ~」


「正直に言うと、俺も全員を連れて王都に行くのには反対だ。前にも言ったが王都のトランス教はこの町と違って強い影響力を持ってる。そこに不本意であっても禁忌を破ったウィ―ダムが行くんだ、どんな目に遭っても不思議じゃない」


「そんな!」


「ただ、ハニーとジョエルは連れていってやれ。お前が心配だからって、俺のとこでずっと勉強してたんだぞ」


 ケネスは同じことをもう一度言った。


「連れてってやれ」


「わあ、ありがとうケネス! 大好き!」


「お前のためじゃない。王都じゃ何をするにしても人手が必要になるだろうからな。その時に信用できるのがライアン一人じゃ心細い」


 ジョエルが席を移ってウィ―ダムの隣に座った。


「だってさ。連れてってくれる?」


「ええ、ケネスが言うなら…ジョエル達だけですか? どうせならパトリック達も…」


 ウィ―ダムはケネスに向かって未練たっぷりに言った。厳しい態度で子供達を突き放したが、やはりウィ―ダムはできるなら皆と一緒に行きたかった。


「お前、さっきは誰も連れていかないって言ってたじゃないか。気が変わったのか?」


「いざ出発するとなると不安になってきて…」


「ならすぐにでも出発しろ、決心が揺らぐ前にな。ハニーとジョエルは出かける準備だ。しばらく帰ってこれないだろうから、大事な物はちゃんと持っていくんだぞ」


「わかった!」


「大事な物か~。何持っていこうかな」


 ハニー達が食堂を出ていくのを見送ると、ケネスはパトリックを振り返って言った。


「パトリック、お前も行きたい気持ちは同じだろうがここに残ってくれ。お前が行ったら孤児院の管理をできるやつがいなくなる」


「…ケネスさんならそれくらいできるでしょ?」


「細かい計算は苦手なんだ。それに、リトリー達の面倒も見なくちゃならないだろ? 俺だけであいつらの遊びに付き合うのは難しいよ」


「あの子達の元気は一日中遊んでも有り余ってますからね。ディーンがいればいい遊び相手になってくれます」


「その通りだな。お前とディーンが残ってくれればウィ―ダムも安心だろ。な?」


「え? ええ、そうですね。パトリックもディーンもしっかりしてますから、二人なら安心してリトリー達を任せられます」


 ケネスは、ウィ―ダムが心変わりをしてやっぱり行きたくないやら、皆で行きたいやら言い出す前にてきぱきと準備と説得を進めた。皆最初は納得していなかったが、ウィ―ダムのためにということで最終的にケネスの説得に応じた。

 説得はしたが、ウィ―ダムが馬車に乗り込もうとするとフロリーとコルトがわんわん泣いてしまい、さらにそれにつられてウィ―ダムも泣いてしまうものだから出発までにかなりの時間が必要だった。


「いってきますねぇ…フロリー…コルト…」


「お前はいつまで泣いてるんだ」


 フロリーとコルトは泣き腫らしまぶたを真っ赤にしていた。それでもすでに泣き止んでおり、涙声でウィ―ダムに手を振った。


「早く帰ってきてね…」「待ってる…」


 二人の様子を見て、またウィ―ダムの目から涙が溢れてきた。


「ディーン、パトリック、私がいない間二人の面倒をよく見てあげてくださいね。リトリーも、なにかあったらパトリックに頼るんですよ」


「任せてください」


「お父さんが心配で倒れたりしないよう頑張るよ」


「わかった」


 ウィ―ダムはすでに馬車に乗り込んでいるハニーとジョエルを振り返った。


「二人はなにか言いたいことありませんか?」


「うん、ウィ―ダムが泣いてる間に十分話せたよ」


「絶対手紙書くからね~」


 ウィ―ダムはまだ馬車の前で皆と話していたかったが、ケネスに急かされとうとう馬車に乗り込んだ。中は広く、四人で寝転がっても余裕がありそうだった。

 御者台に座ったライアンが馬を走らせ始めた。馬車は孤児院に背を向け、徐々に離れていく。ウィ―ダムはハニーとジョエルと共に、落ちそうになるくらい体を馬車から出して手を振った。


「元気でいてくださいね~!」


 孤児院が見えなくなっても、皆の見送る声が聞こえなくなるまでウィ―ダムはずっと手を振っていた。

 齢三十にして女の体になったウィ―ダムの、初めての旅が始まったのである。

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