十三節 「一滴のみ」

 ウィ―ダムとハニーはケイト達の待つ部屋に戻ってきた。


「あ、ウィ―ダムさん。もう帰ってこないのかと思ってました」


「まだこの服返してませんし、勝手に帰ったりしませんよ」


「そうでしたね。では、次は他の服に慣れる練習をしましょう」


「他ですか」


 ウィ―ダムは露骨に嫌そうな顔をしたが、ケイトは無視して話を続けた。


「ジョエルさんハニーさん、これからウィ―ダムさんが着替えるので、その間外に出ておいてください」


「わかった。ケネスって今仕事中かな? それだったら散歩でもしてくるけど」


「今の時間なら仕事中のはずですが、おそらく書類作成に飽きてサボり始めている頃でしょう。町長の部屋に行くならついでに叱っておいてください」


「オッケー。しっかり言っておくよ」


 ケイトがジョエルを振り返った。


「それで大丈夫でしょうか、ジョエルさん」


「いいよ~」


「あれ。ケイト、ジョエルには聞くのにボクには聞いてくれないの?」


「ハニーさんは別にいいかと」


「どういうことさぁ!」


 頬を膨らませてハニーが言った。


「深い意味はありません」


 ウィ―ダムが横からケイトの顔を覗き込んだ。


「私には聞いてくれないのですか? 正直なところもう帰りたいのですが」


 ジョエルを追いかけていただけなのにおかしな服を着せられたり、さらにそれを息子達に見られたりして今日は散々である。まだ昼前だというのに、ウィ―ダムは一日中働いたみたいに疲れていた。


「お昼ご飯の準備もしないといけませんし、部屋の掃除もしないといけません。続きはまた来週にでもしましょう」


「どうしてもと言うならそれでもよろしいですが、困りごとは解決しないままですよ」


「困りごと? 服ならきちんととしたものをハニーに作ってもらいますから、心配しなくても大丈夫ですよ」


「そうではありません…言ってもよろしいのですか?」


 ケイトは躊躇った様子でハニーとジョエルに目を向けていた。


「いいですよ」


「では、ウィ―ダムさんはその体になってからトイレで戸惑ったことはありませんか? 例えば…」


「すいませんよろしくお願いします」


 ウィ―ダムはケイトの言葉を遮るように声を出した。


「はい。ではこちらへ」


「うぅ、じゃあ二人ともまた後で。お昼ご飯の前には終わりますよね?」


「ウィ―ダムさん次第です」


 ハニー達を見送ると、早速ケイトが箱から下着を取り出した。


「どうぞ、好みのものを選んでください」


「好みなんてないですよ!…あんまりよく知らないですし」


「でしたら私が選びましょうか。できるだけ体に負担のかからないものを選びますよ」


「ただの下着なのに負担あるんですか?」


「人によります」


 ケイトはしばらく箱を覗き込んだ後、顔を上げてウィ―ダムに言った。


「自分の着る下着をメイドに選ばせるなんて、なんだか変態みたいですね」


 ウィ―ダムは思わず飲もうとしていた紅茶を吹き出した。


「ちょ…やめてくださいよ! そんなんじゃないですから!」


「ですが事実でしょう? ウィ―ダムさんが元男だということも考えると、もっとすごいですね」


「元じゃなくて今も男です。もういいです。自分で選びます」


 ウィ―ダムは箱を覗き込んで並べられた下着類に目を向けた。様々な色と柄の下着があった。どれも見るのは初めてで、良し悪しなどわからなかった。


「ウィ―ダムさんが使うと思う分だけ自由に持っていってください」


「四つくらいあれば足りますよね」


「もう少し多めの方がいいかと。当然ですが女性の下着は毎日洗うものです。面倒だからとそのままで過ごすなんて絶対にありえません」


「…わかりました」


 適当に何着か目に入ったものを取ろうとウィ―ダムは手を伸ばしたが、掴む寸前でその動きを止めた。これまでの人生で一度も女性用下着に触れたことがなかったことに加え、自分が使うものだと考えると抵抗感が増したからだ。


「あ、もちろん全て新品ですからご安心を。それとも新品じゃない方が良かったですか?」


「からかわないでください。これでも真剣に悩んでるんですよ」


 ウィ―ダムはまだ決められなかった。

 ケイトは、二人しかいないこの時間を利用して、以前から気になっていたことを聞いてみることにした。


「ウィーダムさんって、今お付き合いしている方おられないのですか?」


「いませんけど。急になんですか」


「もし相手がおられたら、きっと戸惑うだろうなと思いまして。ウィ―ダムさんは女の体になったわけですから」


「確かにそうですねぇ。相手が急に男になったらどう接していいかわかりませんし、色々と混乱するでしょう」


「例えば?」


 ウィ―ダムは思いついたことをそのまま口に出した。


「例えば…普段通り接していてもどこかに違和感とか感じるでしょうし、そもそも相手のことを思うなら、対応の仕方を変えた方がいいんじゃないかとか考えるんじゃないですか」


 すらすらと発せられたウィ―ダムの言葉に、ケイトは目をぱちくりさせた。 


「驚きました。そこまで考えているんですね」


「いやぁ、適当に言っただけですよ」


「ジョエルさん達があまりにもいつも通りでしたから心配してたんですけど、大丈夫そうですね。ウィ―ダムさんが何か言ったんですか?」


「ジョエル達に? 何も言ってませんけど」


「え」


 ケイトは思わずジョエル達が出て行ったばかりのドアに目を向けた。孤児院の皆で話し合ってルールを決めたわけでもないのなら、どうして彼らはあんなにも自然な態度でウィ―ダムと共にいられるのだろう。


「何も言ってないのに、あんな風に接してくれるのですか?」


「そうですけど、何を不思議がってるんですか?」


「…ウィ―ダムさんがその姿になった時、孤児院の皆はかなり騒いだでしょう? その時に何か、ひと悶着あったりしたのでは?」


「あーあの時は色々不安でしたけど、みんな普通に接してくれてますよ。もちろん最初は驚きましたが、まぁ、女になっただけですし。トイレとか以外はいつも通りです」


 ウィ―ダムは驚きの目を向けるケイトにあっけらかんとして言い放った。


「冗談ですよね。もし家族が急に女になったりしたら普通はパニックになりますよ。それが孤児院の責任者であるウィ―ダムなら尚更です」


「そうでもないですよ。皆とてもしっかりしてますから、例え私が子供になっても孤児院の運営は問題ないはずです」


「運営の話ではなくてですね、どうして皆が女のウィ―ダムさんを当たり前のように受け入れてるかの話をしているんです」


「ジョエル達はもう十年以上一緒にいますし、リトリー達はまだ小さいからあまり気にしてないんじゃないですか」


 ケイトはウィ―ダムの返事を聞いて呆れた表情を浮かべた。こいつはどうしてこんなに能天気なのだろうか。


「…考えてみてくださいよ。もし孤児院のどなたかが急に女になったら、ウィ―ダムさんはどうします?」


 ウィ―ダムは指で唇をつまんで真剣に考え込んだ。もしケイトの言う通りになったら大変だ。女になったことを気に病んで辛くなるかもしれないし、体に悪影響が出て傷ついてしまうかもしれない。その前に急いで王都に行って、元に戻せる魔法使いを町まで連れてこないと。


「すごく心配です」


 ウィ―ダムが険しい表情でそう言うと、ケイトもまた眉をしかめて言い放った。


「そうでしょう。では、今まさにあなたがその心配な状態なのに、どうしてジョエル達が焦っていないのか不思議に思わないんですか?」


 ケイトの言葉にはっとしたようで、ウィ―ダムはぽかんと口を開いた。


「…なんであの子たちいつも通りなんですか?」


「私が聞きたいですよ」


 ウィ―ダムは頭を抱えた。


「もしかして私、心配されてない…?」


「それはないでしょうが、どうして態度が変わらないのかは気になりますね。何か理由があるのでしょうか」


「わかりません。ちょっと聞きに行ってきていいですか?」


「そちらを選んで、一通り礼儀の練習が終わったらいつでもどうぞ」


 ケイトは譲らず、ウィーダムは長い時間をかけて気に入った下着を選んだ。

 それから数時間経ち昼食の時間になった。ウィ―ダムはケネスに誘われハニー達と共に町長宅で食事をしていた。献立は、肉に、サラダに、肉に、パンに、肉である。


「肉だくさんですね」


 テーブルに並べられた料理を見たウィーダムが嬉しそうに言った。肉料理は彼の大好物だ。


「若いうちはとにかく肉を食べて大きくなった方がいいからな。遠慮せず食えよ、特にジョエルとハニー」


「うん!  ケネスありがとね~」


「お腹いっぱい食べさせてもらうよ」


 食事が始まるとすぐにケネスがテーブルのワインに手を伸ばした。


「昼から飲むんですか」


 ウィーダムがケネスに言った。


「今日は急ぎの仕事もねぇしいいんだよ。お前も飲むか?」


「私がお酒に弱いの知ってるでしょ」


「もちろん。酒場でべらぼうに酔っ払ったお前を、優し~く介抱してやったのは俺だからな」


 からかうように言ったケネスに、ウィーダムは疑いの目を向けた。


「誰も教えてくれないんですけど、あの時の私何をしたんですか。そんなに隠すほどのことだったんですか?」


「どうだったかな…。どうだったっけ? ケイト」


「私に聞かないでください。話すならあなたの口からどうぞ」


「俺はお前から言った方がいいと思うぞ」


 数年前のことである。ふと思い立ったケネスはウィーダムを夕食に誘い、酒場に連れ出した。食事が始まってしばらくは二人とものんびりと会話を楽しんでいたが、ケネスが少しお高いワインを頼んだ時、ウィーダムがそれに興味を持ち一口飲んでしまった。それからすぐに酔ったウィーダムは、普段のおとなしさはどこへやら誰彼構わずちょっかいをかけ、挙げ句の果てには同席していたケイトを口説き始めるなどやりたい放題していた。もしもこれ以上はまずいと思ったケネスが孤児院に連れ帰っていなければ、きっとウィーダムはもっとひどい何かをしでかしていただろう。


「私は言いません。ウィーダムさんがショックを受けるでしょうから」


「俺だって言わねぇさ。ウィーダムを気遣ってるからな」


「そう言われるとやっぱりすごく気になります」


 ケネスがハニーに話を振った。


「ハニー、お前から話してやったらどうだ? 俺から言うよりかはマシだろ」


「ボクには何も話すことなんてないよ。あの時のウィ―ダムは、ケネスさんが帰ってすぐに寝ちゃったからさ」


 ハニーは嘘をついた。実際のウィ―ダムは眠るどころか、構われたがりのジョエルやフロリーが辟易するほどに遊び倒していた。


「え、そうだっけ。あの時のパパは…」


 事実をそのまま言おうとしたジョエルの口を、慌ててハニーが手で押さえた。


「今ジョエルが何か言おうと」


「してないしてない!」


「でもあの時って」


「あの時じゃなくて、アーノルドって言おうとしたんだよ」


(さすがにそれは無理があるだろ)


 二人の会話にケネスが呆れていると、はぐらかされ続けたウィ―ダムが不満そうに鼻息を鳴らした。


「そこまで隠すんだったらもういいです。ケネス達ならまだしも、ジョエル達まで教えてくれないなんて思いませんでした」


「ごめんよウィ―ダム。だけど、本当に話すほどのことじゃないんだよ」


「別に気にしてません」


「そう拗ねるなよ。起きちまったことは仕方ねぇから、これからは無理に酒を飲まないようにすればいいだけだ」


 ケネスがテーブルのワインボトルを掴んで言った。


「前もそうだったが、俺の飲んでる酒は大体強いやつばかりだからよ。どうしても飲みたくなったらこいつらがいるところで弱い酒飲むくらいにしとけ。それなら大丈夫だろうよ」


「そうだね。ボクらと一緒なら何かあっても大丈夫だろうし」


「何かって何ですか」


「僕まだお酒飲んだことないから、パパが飲むんだったら一緒に飲みたいな~」


 ジョエルが言うと、ケネスがニヤリとして空のグラスにワインを注いだ。


「その前にここで一杯試してみろよ。お前らまだ一口も飲んだことないんだろ?」


「いいの!」


「ああ。ハニーも飲んでみろ。お前ら二人ともウィ―ダムみたいに弱いってことはないだろ」


「確かに飲んだことないけど、多分ボク普通に飲めると思うよ」


 ケネスからたっぷりワインの入ったグラスを受け取ると、ハニーは軽く一口、ジョエルは一息に中身を飲み干した。


「どうですか?」


 ウィ―ダムが聞くと、二人は示し合わせたように同じタイミングで、


「すっぱい」


「すっぱ!」


 と言った。




 食事を終えたウィーダムは孤児院への帰路についていた。ハニー達はケネスに教えてもらうことがあると言って、まだあの家に残っている。

 今朝は騒がしかった町は、お昼時で皆家にいるのか静かになっていた。それでもウィ―ダムはたまにすれ違う町民からの視線が気になって仕方がなかった。両腕で抱える箱に、ケイトからもらったいくつもの服や下着が入っているからである。今の自分の姿がどんなものか頭ではわかっていたが、それでも女物の下着を持って歩くのは恥ずかしかった。


「こんにちわ」


「こ、こんにちわ」


 ウィ―ダムは妙な緊張感を抱きながら孤児院まで歩いた。




 日が沈み始めた頃、孤児院に帰ってきたハニーはパトリックを探していた。


「パトリック! どこにいるのー!」


「そんな大声出さなくてもいるよ」


 聞こえてきた声に反応して、ハニーは廊下の窓から身を乗り出した。花壇の手入れをするパトリックがこちらを向いていた。


「お、いたいた。今日の夜さ、家族会議したいからみんなに食堂に集まるように言っといてくれない? あ、ウィ―ダムは呼ばないでね。ボク達だけで」


「いいけど、何について話すの?」


「誰がウィ―ダムと一緒に王都に行くかについてだよ」

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