十二節 「衝動の形」
「えっ、は、入らないでください!」
焦るウィ―ダムの声が聞こえたが、ハニーはお構いなしに扉を開いた。一瞬ウィ―ダムの声の通りに入らないでおこうかと思ったが、興味が勝って我慢しなかった。
「入らないで言われると入りたくなるのが人のほんしょう…」
ハニーの声は目の前の光景を認識するとともに小さくなっていった。
「どうしたのハニー…わぁ」
中を覗いたジョエルの目に入ってきたのは、ケイトとお揃いのメイド服を着ているウィ―ダムの姿だった。ウィ―ダムはハニー達に背を向け、恥ずかしさからか肩を震わせていた。
「入らないでって言ったじゃないですか…」
「すごく似合ってるよ~、パパ」
「今は褒められても嬉しくありません…」
唖然として固まっていたハニーは一度自分の目をこすると、猛烈な速さでウィ―ダムに近づいていった。
「かっわいい~! ウィ―ダムどうしたのさ~その服、もしかしてメイド服着てみたかったの?」
「違います、これはケイトが女物の服に慣れておいた方がいいって教えてくれたので…」
「ケイトありがとう! ね、ね、後ろ向いてないで前見せてよ。こっち向いて?」
「嫌です。恥ずかしいです」
「いいじゃ~ん」
ハニーが前に回り込もうとすると、ウィ―ダムは体の向きを変えて目を合わせないようにした。
「見せてよウィ―ダム~」
「嫌ですハニー。あなただって、自分の恥ずかしい姿を誰かに見られたくはないでしょう?」
「ウィ―ダムだったらいいよ!」
「私はよくありません!」
ハニーはしつこく回り込もうとしたが、その度ウィ―ダムも体の向きを変えた。このままではらちが明かないと判断したウィ―ダムは、二人の様子をニコニコしながら見ていたジョエルに声をかけた。
「ジョエル~こっちに来てハニーを止めてください」
ジョエルはのんきに楽しそーと呟きながら近づいてきた。すると、何を思ったのかピタリと動きを止めたハニーがジョエルに目を向けた。
「ジョエル、もったいないと思わない?」
「もったいないって?」
「ウィ―ダムがメイド服着てるんだよ? じっくり見たいでしょ? この機会を逃したら、もうチャンスはないかもしれないんだよ」
「パパなら頼んだら着てくれそう」
「着ません!」
ハニーがウィ―ダムの両肩に手を置いた。
「確かに。ねぇウィ―ダム、ここが嫌ならボクの部屋に行って、それから二人っきりで見せてくれない?」
「だから嫌ですって! ハニーあなた私の話を聞いてましたか?」
「聞いてたよ。でも、どうしてそんなに恥ずかしがるのさ。ただのメイド服でしょ?」
ウィ―ダムが首を横に振った。
「ただのメイド服でも、着てるのは私じゃないですか」
ウィ―ダムは自分に女物の服は似合っていないと思っていた。元が男である自分が着ても、滑稽に見えるだけだろうと。しかし少なくともハニーとジョエルは違った。
「だからどうしたのさ。考えてみて、ボクなんていつも何でもない時でも女物の服着てたりするでしょ? でも孤児院のみんなは気にしたりしないじゃん。それと一緒。ウィ―ダムが着てるからってボクらは笑ったりしないよ」
「それとこれとは違うと思います」
真顔で否定されたハニーは、もう色々面倒くさくなってウィ―ダムの両腕をとった。
「あっ」
「はい、バンザーイ!」
ハニーと一緒にウィ―ダムの両腕が勢いよく振り上げられた。メイド服と首元につけられた白いスカーフがふわりと舞った。
「うん、やっぱ似合ってるじゃん」
笑顔のハニーとは裏腹に、ウィ―ダムは顔を真っ赤にしてその場に座り込んだ。
「うう、私もう三十歳なのに、子供達にこんな服着てるところみられるなんて…」
「こんな服とは心外ですね。ウィ―ダムさんのために特注で仕上げたのですよ」
開かれたままの部屋の扉から、両腕に大きな箱を抱えたケイトが入ってきた。
「あ、違うんですケイト。今のはあなたの服をけなしたわけではなくてですね…」
「わかっています。しかし、それくらいで音を上げていてはこの先大変ですよ」
「この先?」
「わかった、これからみんなでおでかけだね! もちろんウィ―ダムはメイド服のまま!」
ウィ―ダムは死刑宣告でも受けたかのような表情を浮かべた。
「そんな、冗談でしょう!」
「いやいやウィ―ダム、これはチャンスだよ。人間一度吹っ切れたらなんでもできるって言うじゃんか。ここで町のみんなに見られ慣れておけば、王都でも恥ずかしがらずに出歩けるよ」
「私が王都でもメイド服を着ているような前提で言わないでください。こういった服を着るのは今回限りです」
「わからないよ。もしかしたら王都で潜入捜査とかすることになって、その時にもっと恥ずかしい服を着ることになるかも。例えばバニー服とか」
「あなた、どこでそういうことを知ったんですか…?」
ころころと表情を変えるウィ―ダムと少し暴走気味のハニーを横目に、ジョエルはケイトに声をかけた。
「ケイト、何持ってきたの?」
「ウィ―ダムさんのための教材です」
ジョエルの目の前でケイトが箱を開いた。中には女性用の下着類が入っていた。女性についての知識が極端に少ないジョエルは、特に気にした様子もなく中身を覗いた。
「何これ、パンツ? ひらひらしてる」
手を伸ばして下着に触れようとしたジョエルの腕をケイトが掴んだ。
「ジョエルさん、これは女性が着るための下着です。あまり男性が触るものではありませんよ」
ケイトの口調は優しかったが、妙な迫力があった。ジョエルは思わず数歩後ずさった。
「ご、ごめんケイト。大事なものって知らなかったの」
「いいんですよ。ですが、ジョエルさんはもう少し女性について知っておくべきです。ウィ―ダムさんはあんなですから何も教わらなかったかもしれませんが、他の女性の前であんなことをしたら、怒られるだけではすみませんよ」
「ごめんなさい…。あ、でも大丈夫! 今度ケネスが、女の人を好きにさせる方法教えてくれるんだよ!」
ジョエルの言葉を聞いたケイトは、信じられないと言わんばかりに眉をしかめた。
「ケネスが? あの人はまたろくでもないことを…」
ケイトが不機嫌になった理由がわからないジョエルは、彼女の様子を不思議に感じながら首を傾げた。
「ろくでもないこと? ケネスはそんなことしないよ」
「あなた達は知らないでしょうが、ケネスは女性関係については少し難ありなのです。そうですね…。ジョエルさん、あなたは今好きな方がいらっしゃいますか?」
「いるよ~。えへへ」
「では、その好きな人とあなたが恋人関係にあったとしましょう。もしその時、相手があなた以外の男性とも付き合っていたらどう思いますか?」
ケイトはジョエルにもわかりやすいよう優しい表現で話した。
「え~っと、その付き合ってる相手って誰? 僕の知ってる人?」
「仮にそうだとしましょう。その場合どうしますか?」
「相手が、その僕以外の付き合ってる相手があんまり仲良くない人だったら嫌だけど、孤児院のみんなだったらいいかな」
そう言ったジョエルを、ケイトは驚いた表情で見つめた。
「それはつまり、恋人が複数人と関係を持っていてもあなたは気にしないということですか?」
「うん」
ジョエルははっきりと頷いた。
「なんとまぁ、ずいぶん大らかな考えですね。女性が複数人を囲むのを許すなんて、貴族の思想くらいでしかありませんのに」
ケイトは楽しそうに目を細めて言った。
「ジョエルは意外と尻に敷かれるタイプなのかもしれませんね」
「お尻? 肩車は得意だよ!」
「けっこうなことです。ところで…」
ジョエルに顔を寄せたケイトが小声で聞いた。
「先ほど好きな人がいると言われましたが、その方が誰か私にだけ教えていただけませんか?」
ジョエルは小声で答えた。
「いいよ。僕ウィーダムが好きなの」
そう言った後、ジョエルは慌てて口に手を当てた。
「あっ! これ秘密にしないといけないんだった…あれ、これは言っていいんだっけ?」
(とんでもないことを聞いてしまった)
ケイトは驚きで固まっていた。まさか、自分が子供の頃から仲良くしていたウィ―ダムを、小さな頃から成長を見守っていたジョエルが好きだなんて。
「その、確認ですが、今のジョエルさんの好きは家族として好きみたいな感じですか…?」
「家族としても好きだけど、なんていうのかな…女としても好きだよ!」
この場合、ジョエルの言った言葉は異性として好きという意味である。
「女として! ということは、もう?」
「もう?」
「もうしたんですか?」
ケイトが頬を染めながら言った。
(好きって伝えたのかってことかな?)
「うん! 昨日したよ!」
「昨日!」
ケイトは開いた口が塞がらなかった。ジョエルとは十年以上の付き合いがあって、弟のように思っていた。十六歳になっても彼は純粋で、まだまだ子供だと思っていた。だというのに、気づけば自分より先に大人になっていたのだ。
(先を越されたわ…。私はまだケネスに告白すらできていないのに…。しかも相手がウィ―ダムって!)
住む場所は離れていても二十年以上同じ町で暮らしてきたウィ―ダムは、ケイトにとって兄のような存在だった。気兼ねすることなく軽口を言える大事な存在だった。だからこそ、三十歳を超えても女性の影すら見えない彼を常日頃から心配していたのだが…。まさか二人がくっつくなんて! 今のケイトは仲の良かった叔父といとこがいつの間にか付き合っていたことを、軽い世間話の最中に聞かされたような気分だった。
「あ、ねぇケイト。今のことみんなには言わないでね? 多分秘密にしないといけないことだったから」
「秘密なのに私に言ってよかったんですか…?」
「ダメだけど間違えて言っちゃった。でもケイトはしっかりしてるから大丈夫でしょ?」
「ええ、私は絶対誰にも言いません。ですからジョエルも口を滑らさないように気をつけてくださいね。あなたはうっかりしてるんですから」
「大丈夫だよ~。もう絶対言わないから。ケイト以外には知られないよ」
「心配です」
少し離れた場所で続いていたウィ―ダムとハニーの言い合いは、突然ハニーが頭から地面に転んだことで終わった。
「どうしたんですかハニー、こんな何もないところで転ぶなんて」
メイド服姿を見られることに少し慣れてきたウィ―ダムが、心配そうにハニーの顔を覗き込んだ。
「まさかドゲザですか。あのハニバルの旅行記に書いてあった」
「違うよ。ちょっと足がもつれただけ」
立ち上がったハニーは目を閉じていた。
「目にゴミ入りましたか? なら頑張ってまばたきすれば勝手にゴミが出てきますよ。痛かったら水を持ってきましょうか?」
「ありがと。でも大丈夫、大丈夫だから」
ハニーは目を閉じながら必死に頭を回転させていた。ウィ―ダムには聞こえなかったが、彼はさっきのジョエルの言葉が聞こえてしまったのである。
(ジョエルが? まさか。したって言ってたけど、ウィ―ダムが女になったのってたった二日前だよ? ボクが言えたことじゃないけど受け入れるの早すぎない?)
ちらりと目を開けてウィ―ダムを盗み見たハニーは、その整った姿に思わず溜息を吐いた。
(…うん、ジョエルならやりそうだ。あいつ変なところで行動力あるし、ウィ―ダムだってこんなにきれいなんだ。どういう経緯でそうなったのか知らないけど、嘘を言ってるわけじゃないだろう)
ウィ―ダムが手を伸ばして考え込むハニーの額を撫でた。
「わっ!」
「おや、びっくりさせちゃいましたか。転んじゃって額が痛むんでしょう? 水を持ってきますよ」
「う、うん。ありがと」
部屋の出口に向かうウィ―ダムの背中を見送りながら、ハニーは先ほど額に感じた感触を思い出していた。少し触れられただけだったが、いつもよりずっと鋭敏にウィ―ダムの指先を感じた。
(どうしてだろ)
ハニーは戸惑いながらウィ―ダムを追いかけた。
「待って、ボクも行くよ。ここまで水運んでくるの手間でしょ」
「大丈夫ですよ。私に任せてハニーは休んでてください」
「ありがたいけど遠慮しとく。ウィ―ダム今はあんまり力ないんでしょ? だからボクにさせて」
「ですが…」
「全然余裕だって! なんならウィ―ダムを抱えながらでも運べちゃうよ!」
ハニーの軽口でウィ―ダムが笑った。
「でしたらお願いしましょうか」
「いいよ、任せて!」
そう言ってウィ―ダムを抱えようと屈んだところで、ハニーは自身の鼻に漂ってくる香りに気がついた。それはウィ―ダムの首元から漂ってきていた。とても心地よくて安心する香りで、ハニーは思わずぼうっとしてしまい無意識にウィ―ダムに顔を近づけていた。
(いい匂い…)
「どうかしましたか? ハニー」
「…あっ!」
我に返ったハニーはすぐにウィ―ダムから体を離した。
「違うんだウィ―ダム、これはウィ―ダムを抱えようとして…」
「え? 別に私は抱えなくていいですよ。お願いしたのは水だけです」
焦るハニーをよそに、ウィ―ダムは不安気な顔で言った。
「それより、私臭かったですか? 前にジョエルにも匂い嗅がれたんですが」
「臭くないよ。なんというか…」
ハニーがうつむきながら言った。
「なんというか、ウィ―ダムじゃない匂いだった」
ウィ―ダムが眉をしかめた。
「どういうことですか、私は私ですよ」
「うん、そうだね。今日はしっかり体洗った方がいいかもよ」
「それってやっぱり臭かったってことですか…?」
平静を装っていたが、ハニーの心臓はウィ―ダムに近づいてからずっと強く脈打ち続けていた。ハニーは異変が起きてからも変わらずウィ―ダムに接していた。見た目が変わっても、中身は同じなのだから気にする必要はないと思っていた。しかし、今はウィ―ダムの表情や、ほんの些細な体の動きでさえ目が離せなくなっていた。
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