十一節 「選択の意義」
「おジョ、ジョエル、やっぱり彼女がいたんですね…」
「いや、違うよ」
今にも涙を流し出しそうなウィ―ダムに、ハニーが呆れた視線を向けた。
「見たらわかるでしょ。採寸してもらってるだけ」
「どうしてジョエルの採寸をする必要があるんですか」
「服を作るためだよ」
ハニーは手を振りながら二人に近づいていった。それに気がついたケイトは手を止めて顔を上げた。
「おはようケイト。早速やってるんだ」
「おはようございます。ええ、ここに来るなりジョエルに迫られまして」
「迫られたですって!」
「ウィ―ダム、勘違いだからね」
腰回りの採寸がしやすいように、両腕を横に伸ばしたポーズをしていたジョエルが嬉しそうに言った。
「僕が言ったんだ。出かける時のために丈夫でかっこいい服作って欲しいって」
「今日はウィ―ダムさんの採寸をするだけの予定でしたが、あんなに熱心に頼まれては断れませんでした」
「えへへ、ありがとね。ケイト」
「お安いご用です」
ケイトはジョエルに向けていた熱心な目をハニー向けた。
「ついでに、ハニーさんもどうですか?」
ハニーは目をきらきらと輝かせた。
「えっ、ボクの分もしてもらっていいの! 大変じゃない?」
「一人増えようと二人増えようと同じことです。さぁ、こちらへ」
「やったー!」
「ウィ―ダムさんもどうぞ」
声をかけられたウィ―ダムは、申し訳なさを感じながら断りの言葉を伝えた。
「すいませんケイト。私がここに来たのは採寸してもらうためではなくて、ジョエルを連れ帰るためでして」
「どういうことですか?」
「今は違うんですが、さっきまでジョエルが一人でどこかの服屋に言ってしまったと思ってたんです。それで万が一ジョエルが話して、このことが町の人達に知られたらまずいと…」
ウィ―ダムは自分の胸に手を当てて言った。
「あぁ、なるほど。でしたらもうその心配ありませんね。こっち来て座ってください」
「いえ、私の分は大丈夫です。これで失礼しますので、ハニーとジョエルをお願いします」
「いけませんよ」
部屋を出ようとしたウィ―ダムに、ケイトが強い口調で言った。
「ウィ―ダムさんは今度旅王都に行くと言ってましたが、その時着ていく服はどうするのですか? まさかとは思いますが、男物を着ていくつもりで?」
「違いますよ。ほら、今着ているこれで行くつもりです。ハニーが私のために作ってくれたんですよ」
ケイトがウィ―ダムに詰め寄ってきて言った。
「そんな派手にフリルのついた服なんて、ダメに決まってるじゃないですか」
「え、派手ですか?」
「はい、とても。まず下が短すぎます。肌を出さないための修道服なのに、どうしてそんなに短いのですか」
「女性の修道服は昔の本でしか見たことがないので、最近はこれくらいなのかと…」
ウィ―ダムの後ろに回ったケイトは、修道服の背中に付いていた大きなリボンを訝し気に見つめた。
「ハニー、これはなんですか?」
「おっ、気づいた? そのリボンは自信作でね、色とか大きさとかかなり迷ったんだけどやっぱりウィ―ダムの髪を主体においたデザインにしたいと思って…」
「そういう話ではありません。普通の修道服にはリボンなんて付いていないでしょ」
「でもかわいいじゃん!」
「確かにかわいいですが、王都でこの服を着ていたらどういった目で見られると思いますか?」
ハニーは言葉に詰まった。トランス教の本拠地でもある王都で、ハニーが作ったフリルにリボンをふんだんに加えた修道服を着れば、侮辱ととられて衛兵に捕まってしまっても文句は言えない。
「…褒められる?」
「怒られます」
「だよねー」
ケイトがウィ―ダムに目を向けた。ウィ―ダムは意外そうな表情で自分の服をいじっていた。
「ウィ―ダムさん、王都で着るための服を私に作らせてください。ハニーに任せていたら、そのうち大道芸人みたいな服を作られますよ」
「大道芸人って! さすがにそんなの作らないよ~」
「本当に?」
「やっぱり作るかも」
ハニーが悪びれた様子もなく言った。
「どうですか、ウィ―ダムさん。私に任せてくれませんか?」
「そうですね、ケイトだったらしっかりしたもの作ってくれそうだし、お願いできますか?」
「もちろんです」
「ありがとうございます。ところで…」
ウィ―ダムが視線を部屋の奥に向けた。
「ジョエルはいつまであのポーズをしているのですか?」
ケイトははっとして手を口に当てた。
「あ、忘れてた」
ハニー達が採寸を終え、次はウィ―ダムの番になった。
「では、男性の皆様は部屋の外に出ていてください。今なら応接室が空いていると思うので、そこで休んでいてください」
「はーい」
ジョエルとハニーは廊下に出ると応接室に向かった。その途中、二階から降りてきた町長のケネスに声をかけられた。
「よう。ハニー、ジョエル」
「おはよう、ケネス」
「おはよ~」
「ちょうどいい、お前ら俺の部屋に来い。話しときたい事があんだよ」
そう言うとケネスは二階に上がっていった。後を追ったハニー達はケネスの自室に案内された。
「そこ座れや」
ケネスは棚から酒の入ったボトルとカップを取り出し、二人の向かいに座った。
「お前らも飲むか?」
「ボクは遠慮しとくよ。ジョエルはいる?」
「僕もいらない」
「おいおい、この酒高級品なんだぞ。せっかく俺がやるって言ってるのに断るのか?」
ハニーは迷った素振りもなく首を振った。
「気持ちは嬉しいけど、僕らはお酒飲まないからいいよ」
「どうしてだ? もうとっくに飲める年齢だろ。それとも弱いのか?」
「弱くはないよ。でも家でもあまり飲まないからさ」
「そうか」
ケネスはボトルを開けると、カップに酒を注ぎ込んだ。部屋に濃い果実の匂いが広がった。
「ウィ―ダムが飲まないからか?」
「え?」
「ウィ―ダムが飲まないから、お前らも飲まないのかと聞いてるんだ」
「ウィ―ダムは関係ないよ。ボクらは普段から飲んでないから、今も断っただけさ」
「違うな。お前らは酒に忌避感を持ってる」
ケネスは確信を持ってそう言い切った。
「酔ってひどい目に遭ったわけでも、極度の酒嫌いでもないのに、お前達はなんとなく酒を悪い物だと思ってる」
「ねぇ、きひかんってなに?」
「ハニーは今年で15歳だったよな。俺の知ってる連中はそれくらいの歳になったらみんな飲んでたぜ。なのにどうしてお前はそうやって酒を拒否するんだ?」
どこか迫力のあるケネスの態度にたじろぎながらハニーは答えた。
「だから、普段から飲んでないから…」
「それは理由にならねぇ。お前さっき酒を飲まないって言って断ったよな。ああいう言葉は酒を飲めない体質か、飲まないと決めてるやつじゃなきゃ出てこねぇ」
「きひかんってなんなの?」
「それに対して悪く思ったり避けたいと考えるような感情のことだ。ハニー、お前はウィ―ダムが全く酒を飲まないせいで無意識に酒を悪いものだと思ってるのさ」
ジョエルが感心してうなずいている隣で、ハニーは居心地の悪さを感じていた。ケネスがどうしてこの話をしているのかわからなかった。
「…だからなんなのさ。あまりウィ―ダムを悪く言わないでくれないかな」
「悪くなんて言ってないさ! ただ事実を述べただけだ。お前だけじゃなく、ウィ―ダムに育てられたやつらはみんな外じゃ通用しねぇ固定観念を持ってる。普通に暮らしてりゃ、付き合いで酒を飲むことなんていくらでもある。でもお前は、今みたいに相手に誘われても断っちまう。それでいいと思ってるからだ」
ケネスが体を前に傾かせて、言い聞かせるように言った。
「人を殴ったり、殴られたことはあるか? ないよな。モンスターや動物に暴力を振るうことはあっても、人にはないよな。俺に言わせりゃそれは甘ったれだ。外に出ればお前に悪意を持って近づく人間はいくらでもいるが、助けてくれる優しい人間なんて滅多にいない。こんなことは誰でも子供の内に知ってるもんだ。だけどお前は知らねぇ、ウィ―ダムが甘やかしすぎてるからだ。あいつは何も考えず王都に行くなんて言ってるが、ライアンがいなけりゃすぐに食い物にされるのはわかりきってる」
ハニーはケネスの話を聞くほどに怒りを覚えていた。自分がけなされるのは我慢できたが、ウィ―ダムに対しての言葉を聞くと無性に腹が立った。
「さっきから何が言いたいのさ。もしかしてボクを怒らせたくてわざと言ってる?」
「まさか」
「そうは思えないね。お酒を断られたくらいでここまでするなんて、お前なんて嫌いだ」
ハニーは部屋を出ようと立ち上がった。しかしジョエルはそれを見ても動こうとしなかった。
「ジョエル、こんな男と一緒にいる必要はないよ。ウィ―ダムのところに行こう」
それでもジョエルは立とうとしなかった。その態度に耐えられなかったハニーがジョエルの腕をとると、彼は不思議な顔をしていった。
「ハニー、どうしたの? 続き話してもらおうよ」
「続きなんて聞く必要ないよ! こいつ、ウィ―ダムの悪口ばっか言ってるし…」
「ケネスはずっと優しいままだよ。僕らのために話してくれてる」
「何を…」
ハニーが顔を横に向けると、ケネスは焦った様子もなく座っていた。
「ジョエルは俺が何を言いたいのかわかってるみたいだな」
「言いたいことってなにさ」
ケネスは自分をにらみつけるハニーから一切目を逸らさずに言った。
「ハニー、お前達はウィ―ダムに依存しすぎてるんだよ。こんな田舎町じゃ仕方ねぇが、外に触れる機会が少なかったせいで親であるウィ―ダムに精神的に頼りきっちまってる。このままずっとここで暮らすつもりならそれでもいいが、町から出るなら駄目だ。じゃねぇと王都に着いた途端でかい拳骨を食らうことになるぜ」
ケネスはグラスに入った酒を一気に飲み干し、大きく息を吐いた。
「お前達にやる気があるんだったら、俺が男として大事なことを教えてやるよ。それを全部理解出来たら、ウィ―ダムと一緒に王都でもどこにでも行けばいい。だが、それまでは絶対に外には行かせないぞ。お前達が傷つくかもしれないってのに、それをみすみす見逃すわけにはいかねぇ」
「わかった。全部教えて」
ジョエルがケネスの言葉に食いつくように言った。
「いい返事だジョエル。今日のお前は妙にしっかりしてるな。何かあったのか?」
「うん! パパに好きになってもらうって決めたんだ!」
「好きに…? まぁ理由はなんであれ、やる気があるのはいいことだ。お前はどうするんだ、ハニー」
ケネスに問われたハニーは戸惑っていた。ウィ―ダムに依存していると言われて否定しようとしたが、心のどこかでそれがひっかかっていて言えなかった。
ハニーはなにより自分に自信を持っていた。物心付いた時から賢明だった彼は、ウィ―ダムやライアンといった孤児院の皆だけでなく町の住民にも可愛がられていた。彼が嬉しそうに笑えば皆が笑い、小さな腕で仕事を手伝えばとても褒められた。
そんなのどかな町で大きな悪意に晒されることなく育ったハニーは、いつしか何の疑いもなく、平和で幸せな生活が一生続くと思い込んでいた。生活の中で起こる事故は日常を彩るスパイスでしかなかったし、周りの人間が自分に好意を向けてくれるのは当たり前だった。だからハニーは自分になんの疑いを抱くこともなく、誰よりも自信家でいられた。ウィ―ダムが女になったことも、王都に行くことになったことも彼にとってはいつも通りの日常の一部でしかなかった。姿が変わろうとウィ―ダムと自分は、変わらず幸せに暮らすのだと思っていた。
その結果、ケネスの言葉によりハニーは見過ごしていた事実に直面することになった。今まで通りの日常はなくなったのだ。ウィ―ダムは危険な外に行くことを選択した。ならば、自分はどうするのか選ばなければならないのだ。
「俺が教えるのは対人間の体術や、外での振る舞いについてだ。あいつが町を出るまでに全部覚えてもらわないといけないから、かなり厳しくするぞ」
「大丈夫! 僕は体力には自信があるから」
「それは楽しみだな」
ハニーはうつむいたまま考え込んでいた。
(どうして危険な外に行く必要があるんだ? 安全なこの町にいたらいいじゃないか。そうすればずっと…)
「ねぇ、ジョエル。ジョエルはどうしてそんなに外に行きたがるのさ。この町にいたいと思わないのかい?」
ジョエルはすぐに答えた。
「もちろん思うけど、僕はそれよりパパと一緒にいたいんだ。だから頑張るの!」
「ウィ―ダムと…」
ハニーは頭の中でジョエルの言葉を繰り返した。ジョエルが町を出るのはウィ―ダムと共にいるため。なら、自分は? どうして町を出たくないと思っているのか。
(ボクは…ここでずっとウィ―ダム達と一緒に暮らしていたい。でもそれは無理なんだ。ウィ―ダムと一緒に行くか、それとも皆のいる町に残るか。選ばなきゃいけない)
葛藤するハニーの隣で、ジョエルがケネスに訪ねた。
「さっき言ってた振る舞いって、何教えてくれるの?」
「周りになめられないようにする立ち振る舞いとか、相手を懐柔する話し方についてとかだな」
「かいじゅうって?」
「相手を納得させて、味方に引き入れるって意味だ。他には、王都には美人がいっぱいいるからな、女の口説き方を教えてやる」
「気になる!」
ジョエルが目を輝かせた。
「そうだろうそうだろう。俺の話術ならどんなやつでもすぐに惚れさせることができるからな。期待しとけ」
「どんなやつでもってことは、パパでも?」
「あ、ウィ―ダムをか? あいつは男だが…そうだな、あいつはまだ童貞らしいから、ちょっとオッパイの大きい女を用意すれば簡単に口説けるだろうよ。王都にはそんな女がいくらでもいるからな。一緒に行くならお前も注意しろよ、ジョエ…」
「ボクも行く!」
ハニーが勢いよく顔を上げて言った。
「お、おう。そうか」
「ウィ―ダムあんな性格だから、王都になんて行ったら美人にホイホイ騙されてどこかに連れていかれちゃうに決まってるよ。ボクも一緒に行って守らないと」
ハニーの言葉を聞いたケネスは大声で笑った。
「はっはっは、確かにそうだ。あいつだったらただの子供にでも騙されそうだからな」
部屋のドアがコンコンとノックされ、ケイトの声が聞こえてきた。
「お二人とも、ウィ―ダムさんの採寸が終わりましたよ。もう戻ってきて大丈夫です」
「わかった~」
ハニー達は部屋を出てウィ―ダムがいる部屋に向かった。ケネスも来ようとしたが、仕事が残っているとケイトに言われてすごすご戻っていった。
「パパ~入るよ~」
ジョエルがドアをノックすると、焦ったようなウィ―ダムの声が聞こえた。不思議に思ったハニーはすぐにドアを開いた。
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