十節 「見知らぬ顔」

 ハニーの言葉を聞いて、すぐにウィ―ダムは駆けだした。


「ちょっと、ちょっと待ってウィ―ダム!」


「なんですか、早くジョエルを止めに行かないと」


「だからだよ。町までその格好で行くつもり?」


 ウィ―ダムが今着ている服は、パトリックから借りた男物のシャツとズボンである。


「そうですが」


「やめといた方がいいよ。その見た目じゃ到底修道女には見えない」


「仕方ないでしょう。女性用の服なんて持ってませんし」


「そう言うと思った。なーのーで…これ!」


 ハニーが窓から掲げた右手には修道服が握られていた。黒を基調とした落ち着いた雰囲気の修道服で、見たところサイズもウィ―ダムの背丈に近く作られていた。


「修道服? それ、一体どこに売ってたんですか?」


「買ったんじゃないよ、作ったの! ボクが裁縫得意なの知ってるでしょ。材料は町で用意してもらったんだけど、ウィ―ダムのために頑張って縫ったんだ!」


 ハニーは自信満々の表情でにっこりと笑った。


「さぁ、着て!」


「すごいですね、ハニー。助かります」


 ウィ―ダムは窓に近づくと、ハニーの腕から服を受け取ってそのまま着替え始めた。


「わぁ!」


 ハニーは慌てて目を背けた。


「ウィ―ダム! どこで着替えてるのさ!」


「え、今日は孤児院に誰も来てませんし大丈夫ですよ」


「大丈夫じゃないよ! ボク外に出てるから、この部屋の中で着替えて!」


「なになに、遊んでるの?」


 フロリーが隣の窓から顔を出した。


「フロリー、いい子だから部屋に戻って。ディーンはちょっとでも顔出したら許さないからね」


 ディーンの出さないよという声が小さく聞こえた。ハニーが目を閉じたままウィ―ダムを振り向いた。


「じゃあボク出てるから、着替え終わったら言ってね」


「はい、その前に窓が高くて入りにくいので手を貸してくれませんか?」


「うえっ!? ひ、一人じゃ無理なの?」


「無理ではないですが、おそらくパトリックから借りたこの服が汚れてしまいます」


 ハニーは葛藤の末、布を目元に巻いてからウィ―ダムに手を伸ばした。


「ありがとうございます…よいしょ」


「上れた? じゃあボクは外出てるね」


 振り向いたハニーは、目隠しをしたままドアに向かった。そのせいで足元に布が落ちていたことに気づかず、ウィ―ダムを巻き込んで転んでしまった。


「わっ!」


「うわっ!」


 ウィ―ダムを下敷きにする体勢で転んだハニーは、自分の顔が何か柔らかいものに触れていることに気づいた。それからは、暖かくていい感触がした。


「いった…大丈夫ですかハニー?」


「え。うん、元気」


「…あの」


 ウィ―ダムの声は少し上ずっていた。


「どいてくれませんか? お尻が重いです」


 状況を理解すると、ハニーは瞬時に飛び起きた。


「お尻!…ボクお尻さわっちゃってた?」


「転んじゃったから仕方ないですよ。気にしないでください」


 目隠しで何も見えなかったが、ウィ―ダムが今どんな表情をしているか想像してしまい、ハニーは恥ずかしさで顔を真っ赤にした。


「ご、ごめん。出とくね」


「はい、着替え終わったら呼びます」


 部屋を出たハニーは、壁に体を預けた後大きく溜息を吐いた。ハニーの頭を形容できない感情が支配していた。汗をかいているわけでもないのに体が熱く、ドアの向こうのウィ―ダムが気になって仕方がなかった。心臓が激しく鼓動を鳴らし、呼吸が荒くなっていた。

 ハニーは自分の頬に手を添えた。自分自身の体温か、それとも他のものかわからなかったが、まだ暖かかった。


「なにしてるの?」


 声に驚きびくりと体を跳ねさせたハニーは、目隠しを外して顔を横に向けた。フロリーが不思議そうな表情で立っていた。


「フロリー。その、今中にウィ―ダムがいるから待ってるんだよ」


「ふーん。おっきな音したけど大丈夫?」


「大丈夫だよ」


「そっかー。大丈夫だってさ!」


 フロリーが声をかけると、隣の部屋からディーンが半分だけ顔を覗かせた。彼はニヤニヤと笑っていた。


「何笑ってるのさ」


「何も」


 ディーンが顔を戻すと、それに連られるようにフロリーも戻っていった、ハニーはしばらく部屋のドアをじっと見つめた後、もう一度大きく溜息を吐いた。




「入ってもいいですよ~」


 着替え終わったウィ―ダムは部屋の外のハニーに呼びかけた。部屋に入ってきたハニーは、ウィ―ダムの姿を見ると感嘆の声を上げた。


「わぁ…すごく似合ってるよ、ウィ―ダム」


「そうですか? 頭の部分とか、よくわからなかったので適当ですけど」


「それくらい気にしなくていいよ。ウィ―ダムの髪って白いから、黒の修道服に映えてきれいだよ」


「ありがとうございます」


 ウィ―ダムが自分の髪を手で掴んで言った。


「でもこの髪長くて邪魔なので、王都に行くまでに切ろうと思ってるんですよね」


「えっ、そんなのもったいないよ! 切らない方がいいって!」


「歩いてる時とか座った時に、色んな場所に擦れて気になるんですよ。別に長くても得とかありませんし…」


「だったら、気にならないようにボクが結んであげるよ。ちょっとそこ座って?」


 自分の机からなにやら持ってきたハニーは、ウィ―ダムの後ろに立つとニコニコと笑った。


「嬉しいなぁ。まさかウィ―ダムの髪を結べる日が来るなんて」


「お願いします」


 ハニーはまず、ウィ―ダムの髪に自分の手を分け入れた。


「うわっ何コレ! ふわっふわ!」


 ウィ―ダムの髪は絹柔らかで、手の平で持ち上げてみると指の隙間をするりと流れていった。


「…ウィ―ダム、髪の手入れとかってしてる?」


「してません。放ったらかしですけど」


「うっそだぁー…何もしてないのにこんなにきれいなんて、ショック」


 ハニーは額に手を当てて天を仰いだ。ウィ―ダムが髪に何の手入れも行っていないことを知って、驚きよりもショックを受けた。正直言ってかなり羨ましい。


「ハニー、早くジョエルを追いかけたいのですが…」


「ボクには難しすぎるよ…こんなにも素晴らしい髪を結うなんて…町に行って最高級の道具を買ってこなきゃ…」


「ハニー?」


「やっぱり服も用意しなきゃ…派手な物じゃなくて、元の素材を活かせるような静かな色で装飾も少ない…」


「ハニー、私行きますね?」


 一刻も早くジョエルを見つけたいウィ―ダムは、ずっと上を向いているハニーを一瞥すると窓から外に出て行った。


「よし、イメージが固まってきた…かわいい寄りのセクシーにしよう。帽子でクールさも演出しよう!」


 ハニーは顔を前に向け目を開いた。当然ウィ―ダムの姿はない。


「あれ!? ウィ―ダム? 消えた? 帰っちゃった? でもここが家だよね」


 ひとしきり騒いだ後。ハニーはウィ―ダムが外に出たことに気づき急いで追いかけた。




 ポット町の入口まで来ると、ウィ―ダムは立ち止まって辺りを見回した。急いでここまで来たはいいが、肝心のジョエルのいる場所がわからない。ハニーの話通りならばジョエルは服屋に行っているはずだが、そもそもポット町には服屋がない。服飾に関心のある町民が少ないので、あるのは布を売っている店くらいだ。


(その辺の人に聞いてみるか)


 ウィ―ダムはちょうど近くを歩いていた顔見知りの農夫に声をかけた。


「すいません、ジョエルを探してるのですが、この辺りで見ませんでしたか?」


「ああ、あの子ならさっき向こうで見かけたよ」


 農夫は町の奥を指差した。


「そうですか、ありがとうございます。助かりました」


「ええんよ。ところであんた、ウィ―ダムの知り合いかい?」


「え?」


「その服着てるってことは、あんたもトランス教とやらの一員なんだろ? いや、こいつぁ驚きだ。本当にトランス教ってのはあったんだなぁ」


 困惑するウィ―ダムの前で、農夫は大らかに笑いながら話し続けた。


「前の神父さんとあいつ以外のトランス教の人と会うのは初めてだからよ。あ、気を悪くしたらごめんな? こんな田舎じゃ滅多に外の情報が入ってこねぇから、あんたみたいな人は珍しいんだよ」


「私が珍しいって、何言ってるんですか? いつも会ってるじゃないですか」


「あん? あんたと会うのは初めてだと思うが、どっかで会ったことあるか? いけねぇ、これじゃ誘ってるみたいだな! 女房に怒られちまう」


(本当に何を…あっ、そうか! 私は今、旅の修道女なんだ)


 自分の格好を思い出したウィ―ダムは、農夫に向かって修道女のふりを始めた。頭の中で女性らしい話し方をイメージしながら口を開いた。


「すいません、私の勘違いでした。お会いするのは初めてですぅ。この町に来るのも初めてですぅ」


「お、おう。変わった話し方だな。外ではそうやって話すもんなのか?」


「そうですぅ」


「なるほどなぁ」


「何やってるのさ」


 いつの間にか近くに来ていたハニーが、呆れた顔でウィ―ダムを見ていた。


「ハニー」


「ごめんねおじさん。ボク、ウィ―ダムからこのおねえさんの案内を頼まれてて、急いで町長の家まで行かないとダメなの。だからまた今度ね!」


 ハニーはウィ―ダムの手を取ると農夫から離れるように歩き始めた。


「おう、またなハニー! お嬢ちゃんも!」


「お嬢ちゃんですか?」


「いいからいくよ」


 しばらく歩いた後、周りを気にしながら、ハニーがウィ―ダムに顔を寄せて小声で言った。


「何してるのさウィ―ダム! あんなんじゃすぐにバレちゃうよ!」


「あんなん?」


「さっきのおじさんとの会話だよ。何アレ」


 ウィ―ダムは腕を組んで自信ありげに言った。


「女性らしさを意識してみました。自然な話し方だったでしょ」


「全然。ガチョウみたいな口してたよ」


 気づけば、ウィ―ダム達は辺りに露店や屋台が並ぶ一角に来ていた。町人や郊外から商品をを売りに来た者達で、すでにかなり賑わっている。ハニーは彼らに声をかけられる度、愛想よく返事をしていた。


「私も…」


「うーん、やめといた方がいいんじゃないかな。今のウィ―ダムがしゃべったら、さっきのおじさんの時みたいにボロが出るんじゃない?」


「う、言われてみればそうかもしれません」


「安心してよ、ボクってこう見えて仲のいい人多いからさ。ボクと一緒に歩いてたら、みんなそれとなくウィ―ダムが孤児院にとって大事な人だってわかってくれるよ」


「なら助かります…ところで今どこに向かってるんですか?」


 ウィ―ダムの言葉を聞いて、ハニー不思議そうな顔をした。


「服屋だよ」


「服屋? こっちにありましたっけ、というかそもそもこの町に服屋なんてありましたか?」


「あーそっか。ウィ―ダムは知らないんだったね。服屋は町長のとこにあるんだよ」


 ハニーが前を指差した。先には町長の家が見える。


「ケイトさんいるでしょ? あの人、町長のメイド以外に副業でオーダーメイドの服作る仕事しててさ、ボクもよくお世話になってるんだよ。それで今回もウィ―ダムの服作るの手伝ってもらおうと思って」


「そうだったんですか。知らなかったです」


 町長宅に着くと、ハニーはノックをすることなく中に入っていった。


「ハニー、勝手に入っていいんですか?」


「うん。ケイトさんからも自由に入っていいって言われてるし」


 ハニーは迷うことなくまっすぐ進んでいき、ちょうど一階の突き当りになる部屋の前で止まった。


「ここだよ」


 ハニーが扉を開いた。中には上半身裸のジョエルと、それを熱心に見つめるケイトの姿があった。


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