九節 「濡れた肌」

「パパー!」


「おっと」


 食堂を出たウィ―ダムは子供部屋に向かった。すると、足音を聞きつけたのか今年で6歳になるフロリーが駆け寄ってきた。


「あそぼー!」


「いいですよ、今してる用事が終わったら遊びましょう。ジョエルがどこにいるか知りませんか?」


「ちょっと前にこっち来てたよー」


「そうですか。ではちょっとジョエルに会ってきますね」


「ボクも一緒に行く!」


 フロリーはウィ―ダムに向かって両手を広げ、抱っこをねだった。


「フロリー、今の私には…いえ、やってみましょう」


 ウィ―ダムはフロリーの膝に手を入れ彼を抱きかかえた。しかし想像以上に重く、すぐに腕がプルプルと震え始めた。


「いつの間にか大きくなりましたねぇ、フロリー」


「ホント? やったぁ!」


 フロリーはウィ―ダムの首に手を回しギュッと抱きしめた。


「パパなんかいい匂いするー」


「そうですか?」


「んー」


 フロリーが嬉しそうに頬を擦りつけてくる。肌が触れ合った部分から、暖かさが伝わってきて心地が良い。


「ねぇ、フロリー?」


「なに?」


「腕が限界なので降ろしますね」


 ウィ―ダムは足で踏ん張りながらフロリーを降ろした。ほんの短い時間抱えていただけだったのに、すでに腕が棒のようだった。

 降ろされたフロリーは不満そうに声を上げた。


「パパー、もっと抱っこして? それかおんぶ!」


「してあげたいのは山々なんですけどね…。フロリーは何をしてたんですか?」


「ディーンお兄ちゃんと本読んでたよ」


「ああ、ディーンもこっちにいるんですね。今は部屋に?」


「うん!」


 ウィ―ダムはフロリーの手を取って歩き出した。いつまでもここで遊んでいるわけにはいかない、早くジョエルを見つけなければ。そのために、フロリーの面倒はディーンに見てもらおう。

 孤児院では、ウィ―ダム以外の子供達は自分の部屋を持っておらず、基本的に4人1組で部屋を共有して過ごしている。


「こっちだよ!」


 フロリーに連れられた先で部屋を覗くと、中ではディーンがベッドに寝転がりながら本を呼んでいた。


「ディーンお兄ちゃん、パパ連れてきたよ!」


「え、ああ、お父さん。町に行くって言ってなかった?」


「そのつもりだったんですが、今はジョエルを探してまして…この部屋に来たりしましたか?」


「来たよ。すごいニヤニヤしながら部屋を覗いてきた。何かあったのかって聞いたら、秘密って叫んでどっか行っちゃった」


「秘密って言ったんですね」


 教会堂でのことを言いふらしていないのなら、何よりだ。


「うん。ジョエルと何かあったの?」


「え、ど、どうしてそんなこと聞くんですか?」


「ジョエルもお父さんもいつもと様子が違うから。さっき二人で教会堂に残ってたし、その時にジョエルにイタズラでもされたんでしょ」


 ウィ―ダムは露骨に焦りながら言った。


「そうですそうです。イタズラされたんです」


「やっぱり。何されたの」


「なに…されたかというと…」


「髪留めでもとられた?」


 言い訳が考えつかなかったので、ウィ―ダムはディーンの言葉に何も考えずに乗っかった。


「そうです! ジョエルが髪留めとっちゃって探してるんですよ~」


「でも、お父さん髪留めなんて持ってた?」


 当然持っていないウィ―ダムは、嘘が見抜かれた動揺で何も言えず体を強張らせた。本当のことがバレると思うと、顔から汗がどっと吹き出た。


「え、えーと…ジョエルが…」


 ウィ―ダムが必死に言葉を探していると、突然ディーンがくすくすと笑い出した。


「ふふ、お父さん嘘つくの下手すぎ。バレバレだよ」


「嘘ついてたの?」


 フロリーが驚いた表情でディーンに聞いた。


「そうだよ。いつも俺たちに嘘ついちゃダメって言ってるのに、自分が嘘ついたんだ」


「ちちち違うんです。二人に嘘をつくつもりはなくてですね?」


「嘘ついちゃダメだよパパ!」


 かわいいフロリーに言われてしまっては、罪を認めるしかない。ウィ―ダムはガクリと肩を落とした。


「うう、すいません。ですが、二人には言えないことなんです」


「秘密ってこと?」


「そうです…」


「ジョエルと一緒だー!」


 フロリーが元気よくそう言って、ウィ―ダムの首に飛びついた。


「うっ。フロリー、重いです」


「秘密って誰にも言わないから秘密なんでしょ? じゃあボクも誰にも言わないから教えて?」


「それだと言っちゃってるじゃないですか…」


 ディーンがベッドから立ち上がり、フロリーを抱きかかえてウィ―ダムから離した。


「フロリー、それくらいにしといてあげよう? お父さん困ってるし」


「えー、気になるー!」


「俺も気になるけど、お父さんは言いたくないみたいだし、無理に聞くのはかわいそうだよ」


 フロリーの目の前で、ディーンが人差し指をピンと上げた。


「だ・か・ら、後でジョエルから詳しく聞こう」


「ディーン! やめてください!」


「ディーンお兄ちゃんかしこーい!」


「フロリーも!」


 必死の表情のウィ―ダムを見て、ディーンがまたくすくすと笑った。


「わかったよお父さん。もう何も言わない。フロリーもわかった?」


「でも気になるよ~」


「じゃあ代わりに兄ちゃんがとびっきり面白いことをしてやるから、それで我慢できるか?」


「面白いこと? わかったー!」


「よしよし」


 ウィ―ダムはほっと息を吐いた。ディーンはフロリーを抱えたままベッドに座り、部屋の外を指差した。


「隣の部屋にハニーがいるけど、あいつなら何か知ってるかもよ」


「そうですね、すぐに会ってきます」


 部屋を出て行く前に、ウィ―ダムは二人を振り返った。


「ディーン、とびっきり面白いことって何を…」


「ジョエルを探してるんじゃないですか?」


「そうでした」


 ウィ―ダムは後ろ髪を引かれながら部屋を出て行った。




 ウィ―ダムがハニーの部屋の扉を開こうとすると、鍵がかかっていて開かなかった。


「ハニー? いるんですか?」


 返事はなかった。しかし、子供達の部屋の扉は基本的に内側からしか鍵がかけられないようになっているのだ。であるならば、今この部屋の中には誰かがいるはずである。


「誰かいるんですか? ジョエル?」


 扉をノックしてもやはり返事はない。このままいてもどうにもならないと判断したウィ―ダムは、ディーン達のいる部屋に向かった。

 部屋に入ると、二人は本を読んでいた手を止めて顔を上げた。


「開かなかった?」


「はい。中にはハニーがいるんですよね」


「そのはずです。いないってことは、もしかして窓から出て行ったのかもしれませんね」


「私もそう思いました」


 孤児院では屋根裏部屋を除けば全ての部屋が1階にある。それにより出ようと思えば簡単に窓から外に出れるのだ。


「あ、お父さん気をつけて」


 ウィ―ダムはディーンの部屋の窓から飛び降り庭に出ると、そのまま横に移動してハニーの部屋の窓を覗き込んだ。一見すると中には誰もいなかったが、少し身を乗り出すと窓の真下でハニーが身を縮こませているのが見えた。


「ハニー」


 気づかれていないと思っているのか、ハニーからの返事はない。


「…ああそうだ、花に水をあげないと」


 ウィ―ダムは足元に落ちていたじょうろを拾い上げ、窓の縁から中に水を流し込んだ。しばらくしてじょうろに入っていた水を使い切った。


「ハニー! 何を我慢してるんですか、もう頭びしょ濡れでしょ」


「え、バレてた?」


 べっとりと髪を顔に張り付けたハニーがようやく口を開いた。


「ずっと前に気づいてましたよ。なのにやせ我慢なんてして…顔すごいことになってますよ」


「我慢してないよ~。意外と水気持ちよかったし。ぬるかったけど」


「ぬるかったんですか…」


 ハニーは髪をかきあげ、服の裾で顔の水を拭き取った。


(さすがハニー、こんな状態でも…なんというかセクシーですね)


 髪をかきあげたハニーは普段は見えない男らしさが強調されていて、言葉にできない色気があった。ウィ―ダムは気づかぬうちに彼の姿に見とれていた。


「ん、なーにウィ―ダム? そんなにじっと見て」


 ハニーはウィ―ダムに向かってウインクした。


「ボクに見とれちゃった?」


「…え」


 我に返ったウィ―ダムはハニーに見とれていたことが恥ずかしくなり、自分の顔を隠すようにその場にしゃがみ込んだ。


「あれ、ウィ―ダム?」


「すごく…きれいでした」


「え?」


「いえ、なんでもないです」


 ウィ―ダムは少しうつむいたまま立ち上がった。


「その…すいませんハニー、服濡らしてしまいましたよね」


「気にしないでいいよ。服はほとんど濡れてないし、町まで行ってる間に乾いてるだろうし!」


「町に?」


「うん、ジョエルと一緒にウィ―ダムに着てもらう服買いに行くんだ~」


「ほう」


 全て言い終わってから、ハニーはやってしまったと言わんばかりに表情を険しくさせた。


「詳しく聞かせてもらえますか?」


 ハニーは錆びついた機械のようにぎこちない動きで窓から離れようとしたが、ウィ―ダムに肩を掴まれて逃げられなかった。


「ハニー、確かに私はおしゃれしてもいいと言いましたが、町に買いに行くとは一言も言ってませんよ。というか、そんなことして町の皆に女になったてバレたらどうするんですか!」


「だ、大丈夫だよ。ウィ―ダムのために買ってるってバレたりしないよ。ボクは普段から色々服買ってるから、今更疑われたりしないはずだし」


「それはあなただからです! 着れたらなんでもいいとか言って、あきらかに小さい服でもちっとも気にせず着てそのまま出歩くジョエルが服屋に行ってみなさい! 絶対怪しまれます」


 ハニーが苦笑いしながら首を振って答えた。


「それはさすがに気にしすぎだって。多分服屋さんは、ジョエルに彼女でもできたんだろうって思うぐらいだよ」


「そんなこと…そんな…ジョエルに彼女が? 私には何も言ってくれなかったのに?」


「ものの例えだよ…どこにショック受けてるのさ」


 ウィ―ダムはハニーから離れ、腕を組んで考え込んだ。ジョエルに彼女ができたと考えると胸がざわついた。


「心配しなくても大丈夫。もしジョエルが口を滑らせそうになっても、ボクがいい感じにカバーするからさ」


「それでもダメです…あの子は何をするかわかりませんから」


「だから心配しすぎだって~」


 ハニーは能天気な様子で窓の縁に頬杖をついた。


「そういえば、ウィ―ダムボクに何か用があったんだよね?」


「ああ、そうでした。ハニーが隠れたりするからびっくりして忘れてました」


「そりゃ隠れるよ。服買いに行くことバレたら、絶対怒られると思ったから」


「当然です。それで、ジョエルは今どこにいるんですか? 一緒に買い物に行く予定だったなら知ってますよね」


 ウィ―ダムがそう言うと、途端にハニーは表情を曇らせ、顔中から汗を流し始めた。


「やっべ」


「やっべってなんですか!」


「その、ジョエルはすっごく張り切っててね? ボクが着替えるのを待つ時間も惜しかったみたいで…先に町に行っちゃった」

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