八節 「甘い甘い」

 教会堂を出たウィ―ダムは孤児院に向かった。中庭から声がしたので覗いてみると、リトリーとコルトが追いかけっこをしていた。


「二人とも、ジョエルを見ませんでしたか?」


 ウィ―ダムはもう一度ジョエルと話してみるつもりだった。キスされた瞬間は驚いてジョエルの行動を止められなかったが、やはりこのままではダメだ。彼のためにもどうにか説得しないと。

 ジョエルは昔から考えるより先に体が動いてしまうタイプの子だったから、あの状態で放って置いたら何をするかわからない。もしかしたら、すでに孤児院の皆に自慢して回っている可能性もある。


「おー見たぜー。なんかすげぇニコニコしながら食堂に走ってったよ」


 どうやら、ジョエルは教会堂を出た時の勢いのまま中庭を走り抜けていったらしい。


「後ろから来たと思ったら、びゅーんって行っちゃった」


「そうでしたか。ジョエルは何か言ってませんでしたか?」


「言ってたよ」


 ウィ―ダムは嫌な予感に体を強張らせた。ジョエルの言った内容によってはまずいことになる。


「いいこと思いついたーって叫んでた」


「なんかおいしいものでも見つけたのかもな」


 ウィ―ダムは胸を撫でおろした。


「ならいいんです。じゃあ私は食堂に行きますね」


「うん」


「ジョエルに用でもあんのか?」


「ええ、ちょっとね」


 ジョエルは食堂に何をしに行ったのだろうか。この時間なら、昼食の準備をしているパトリックくらいしかいないはずなのだが。

 とにかく行ってみようと歩き始めたウィ―ダムの後ろで、ふと思い出したようにリトリーが口を開いた。


「そういえば、ジョエルが何かお父さんのこと言ってたような…」


「え、本当ですか…?」


 嫌な予感がウィ―ダムの頭をよぎる。


「そんなこと言ってたっけ?」


「小声で聞き取りづらかったから、多分だけど…」


(なんだ、はっきり聞いたわけじゃないのか)


 だったら何も言わなくて大丈夫だろう。ウィ―ダムはそう判断した。


「きっと気のせいですよ」


 二人の頭をポンポンと叩いてから、ウィ―ダムは中庭を離れた。ジョエルは食堂にいるはずだ。




「ジョエルはいますか~?」


 静かな食堂にウィ―ダムの声が響いた。皆、リトリー達のように外で遊んでいるのだろう。食堂には誰の姿も見えない。


「少し前までいましたよ」


 食堂に併設された台所から声が聞こえた。


「何か用でもあったんですか?」


 ウィ―ダムが台所を覗き込むと、パトリックの姿が見えた。彼はエプロンと三角巾をつけて洗い物をしていた。


「用というか…まぁちょっと」


「そうですか。ジョエルはおやつのつまみぐいをしてから自分の部屋に行きましたよ」


「またつまみぐいを? あの子も懲りませんねぇ」


 ウィ―ダムは洗い物に視線を向けた。もうほとんどパトリックが終わらせてしまっているが、今日の担当は自分だったはずだ。


「洗い物ありがとうございます。残りは私がします」


「もう終わりますし大丈夫です。それより聞きたいことがあるのですが」


 パトリックにじとりと見つめられ、ウィ―ダムの頬に冷や汗が流れた。またまた嫌な予感がする。


「何でしょう」


「さっき食堂に来たジョエルが普段以上にはしゃいでいたのですが、理由を知っていますか?」


「知りません!」


 大声を出したウィ―ダムに驚き、パトリックは目をぱちくりさせた。


「どうしたんですか、急に大声なんか出して…」


「…いや、なんでもないです。その…」


 食堂に来たジョエルが、つまみぐいだけをしてすぐに出て行ったということはないだろう。きっとパトリックに声をかけたはずだ。その時の内容によっては、実にまずい状況になる。


(パトリックは何も知らないのかな。それとも、知っていて私に質問している?)


 考えてみれば、さっきから何か用があったのかだとか、ジョエルがはしゃいでた理由を知ってるだとか聞いてくるのは、私を疑ってるからじゃないのか? 一度気にしだすと、ウィ―ダムはパトリックが全て知っているように見えて仕方がなかった。


(もしそうなら、上手くごまかさないとダメだ!)


「先生?」


「その、ジョエルが何のおやつを食べたのか気になったんです!」


「おやつですか」


「そうです。私も少しお腹が減ったので」


 ウィ―ダムは怪しまれないよう普段通りの自分を演じながら、パトリックにそれとなくジョエルと何を話したのか聞き出すつもりだった。


「でしたら先生も食べますか? 私も休憩しながらつまもうと思ってましたので」


「いいですね。早いですがおやつの時間にしましょう」


「もうすぐ洗い物も終わりますから、先に座って待っててください」


「わかりました」


 ウィ―ダムは台所を出て食堂のテーブルに座り、洗い物を続けるパトリックに視線を向けた。おやつの時間とは、我ながらよく言ったものだ。今なら他の子達に見られる心配もないし、パトリックとも怪しまれず会話できるだろう。おいしいものを食べていれば人は口が軽くなるものだし、きっと上手く聞き出せるはずだ。


(二人しかいないから、ごまかそうとしても逃げられないだろうし…うん?)


 辺りを見回し、ウィ―ダムは今自分が置かれている状況を再確認した。周りにはパトリック以外誰もおらず、二人だけでするおやつの時間だから必ず相手と対面するだろう。だから、パトリックはジョエルとの会話をぼかせないという計算だったのだが…。


(これだと、私もごまかせないじゃないですか! 一対一でパトリックに問いただされたら、絶対に口を割ってしまう自信がある!)


 ウィ―ダムはパトリックに弱い。その理由に、いつも頼ってしまっているというものがある。

 孤児院の責任者は便宜上ウィ―ダムということになっているが、実際に教会への報告書を書き、家事や掃除のスケジュールの作成を行っているのはパトリックなのである。パトリックがウィ―ダムでの仕事を手伝い始めたばかりの頃は、本当にちょっとした手助け程度のことしかしていなかったのだが、いかんせんウィ―ダムはミスが多かった。報告書の書き間違えに加え、町での買い物中に何度も財布を忘れる雑な金銭管理。食事も、誰かが食べたがればあるだけ出してしまっていたし、しっかりできていたことといえば教会堂の管理くらいだった。

 町の住民が親切な人ばかりだったおかげで孤児院は成り立っていたが、このままではいけないと思ったパトリックは猛烈に勉強し、ウィ―ダムの仕事に深く関わるようになり、そのうちほとんどの仕事を自分でこなすようになってしまった。ウィ―ダムは一応パトリックにばかり任せていられないと頑張ったのだが、どちらが優秀かは明白であった。

 それ以来、ウィ―ダムはパトリックに頭が上がらないのである。パトリックは今の仕事を気に入っており、頼られることが嬉しいのでウィ―ダムが気にする必要はないのだが、彼には彼なりのプライドがあってそうはいかない。ウィ―ダムは大きくなった子供達にも、変わらず自分を頼ってほしいのだ。


(大丈夫かな。ジョエルがどこに行ったかだけ聞いたら、早く離れた方がいいんじゃないかな)


「お待たせしました」


 ウィ―ダムはびくりと肩を震わせた。洗い物を終えたパトリックがテーブルに来ていた。右手にはジャムの瓶を、左手の皿には大量のパンの耳が入った皿を持っている。


「…ああ、ジョエルが食べたおやつってパンだったんですね」


「ええ。ジャムは町で買ってきたものです」


 ウィ―ダムの隣に座ったパトリックは、瓶の蓋を開きスプーンで取り出した中身を皿に盛り付けた。食堂の窓から差し込む光に照らされ、いちごのジャムがほのかに輝いた。


「おいしそう~」


 パトリックはスプーンを数回往復させると、すぐに瓶の蓋を閉めてしまった。


「え、ジャムこれだけですか?」


「先生は小食なんですから、あまりおやつを食べ過ぎると昼食前に満腹になってしまうでしょう」


「これくらい大丈夫ですよ~。まだお昼ご飯まで時間ありますし、そのうちお腹減りますって」


「ダメです。それにこのジャムは高い物ですから、私達だけで使ってしまうのはもったいないです。皆の分も残しておかないと」


 そう言い切るとパトリックはパンの耳を食べ始めた。一度につけるジャムはやはり少量である。


「…あれ、でもジョエルもこれ食べたんですよね? あの子、たくさんジャム使ったんじゃないですか?」


「いえ、このジャムは今開けたばかりですから、ジョエルは一滴も食べてませんよ」


「じゃああの子は何のジャムを?」


「何も。勝手に私のジャムを食べようとしたので、耳だけ渡して台所から追い出しました」


 ジャムくらい分けてあげればよかっただろうに。ウィ―ダムがそう思っていると、パトリックが恥ずかしそうに小さな声で呟いた。


「ひと口目は、お父さんと一緒に食べたかったので」


「え、何ですか」


「何でもありません」


 パトリックはつんとしてウィ―ダムから顔を背けた。


「そうですか。しかしおいしいですねぇ、このジャム。どこで買ったんですか?」


「いつものパン屋です。この前行った時ちょうど売ってて、新発売らしいですよ」


「へぇ、新発売っていちごだけですか? ぶどうのジャムとか食べたいです」


「ぶどうはありませんでしたが、りんごはありましたよ」


 いいですねとウィ―ダム相槌を打つと、パトリックは頬を薄く染めてにわかに落ち着きをなくし始めた。


「あそこのパン屋って、店主の機嫌次第で売り物変えるせいで、実際に行くまで何が売ってるかわかりませんよね」


「それがあのパン屋のいいところだと思いますよ。おかげで、毎回買い物に行くのが楽しみです!」


「僕もです。…明日くらいに行ったら、また新商品があるかもしれませんね」


「そうなんですか?」


「あ、いえ僕の予想です」


 パトリックは顔を上げるとすぐにまた下を向く動作を何度か繰り返しながら、横目でウィ―ダムの表情をうかがっていた。一方ウィ―ダムは当初の目的を忘れ、夢中でおやつを食べていた。


「あ~このジャムすごく甘いですねぇ。でもすっきりしててしつこくなくて、いくらでも食べれます」


「ならよかったです…」


 ウィ―ダムはパトリックに顔を向けた。


「どうしたんです? そんなにそわそわして」


「えっ!…明日一緒にパン屋行きませんか?」


 パトリックはびくりと肩を震わせると、早口でウィ―ダムにまくし立てた。


「いいですよ」


 ウィ―ダムが返事をすると、パトリックは嬉しそうに笑った。


「よかった。じゃあ、明日の朝ごはんの後行きましょう」


「わかりました。ついでにハニー達にも付いてきてもらって、買い出しもしちゃいましょう」


「…皆も来るんですか?」


「何かダメでした?」


「いいえ」


 パトリックの顔には明らかに落胆の表情が浮かんでいたが、それにウィ―ダムが気づくことはなかった。

 しばらくして、おやつを食べ終わったウィ―ダムは満足そうに息を吐いた。


「は~おいしかった」


「片づけておきますね」


「ありがとうございます」


 パトリックは立ち上がり、ジャムの入った瓶と皿を手に取った。


「そういえば、ジョエルに何か用があったんじゃないですか」


「あっ! 忘れてた…」


 ウィ―ダムは身を強張らせながらパトリックに目を向けた。


「あの、パトリック…ジョエルと何か話しました?」


「何かって、何をですか?」


「さっきジョエルと会ったんですよね、その時に何か言われませんでしたか?」


「特に何も。台所を追い出した時に悪態をつかれましたが、それについて聞きたいのですか?」


「違います違います」


 パトリックは何も知らないとわかり、ウィ―ダムは安心して体の力を抜いた。


「食堂を出てから、ジョエルがどこに行ったか知ってますか?」


「詳しくは知りませんが、あっちの扉から出て行ったのでおそらく自分の部屋に戻ったんだと思います」


「あっちですね。わかりました」


 ウィ―ダムは椅子から立ち上がった。


「すいません。私はジョエルに用があるので行きますね」


「転ばないよう気をつけてくださいね」


「大丈夫です!」


 ウィ―ダムは駆けだした。しかし、危ないからと孤児院の中では走ってはいけないルールになっているので、早足で食堂を出て行った。

 

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